2019年2月23日土曜日

1998 Serial Experiments Lain

  絵に描いたような世紀末アニメ。実際絵に描いてるんですが。

 EVAの大ヒット、あるいはもののけ姫のロングランヒット、90年台は実はアニメブームの時代だったのですね、振り返ってみれば。

 EVAショック、が業界に激震をもたらし、EVAチルドレン、みたいな、それまでのアニメ、明るく楽しく、正義は勝つ!みたいなものとは真逆の、内省的、精神世界中心、破滅エンド、みたいな調子の作品がたくさん出てきました。
 もちろん二番煎じはほとんどが失敗したのですが、このLAIN、はその中での珍しい成功例?みたいなものです。
 AX?なるそのアニメブームに便乗して創刊された雑誌の連載小説?がはじめで、
そっからアニメ、ゲームへとメディアミックスをした作品とのこと。その雑誌もゲームも知らん・・・。もちろん今は無くなった雑誌でしょう。


 ちょうどこの時代がネット、が一般化する時代にもあたっていて、なんかネット、がココロ、も媒介する。っていうある種神話じみたネットワーク崇拝みたいな調子がありました。メガテンとかもそんな調子でした、ほかにもほんといろいろそういうのがありました。
 今ではネット、はあまりにも一般化、衛生化、されていて、当時持っていたある種「魔力」みたいな魅力は失われてしまいました。むしろココロをつなぐ、どころか、いろんな壁、を強調する働きをしてるようにも思えますね。人種の壁、国家の壁、言語の壁、政治的圧力の壁、商業的壁、貧富の壁、知能の壁。そういうウォール、が目には見えないものだったのに、ネットが、逆に可視化、してる気がします。自由になるどころか、現実と同じか、それ以上に分厚い壁で遮断されている。
 ネットは人間は絶対にわかりあえない、っていうことを逆に繋がりによって照明している、ってのがワタシの見解。もちろん今までだってそうだったのですが、不可能、を証明、して照明してるんだと思います。
 特にバカの壁、っていうのか、こいつむちゃくちゃクズだな、こんなクズがいっぱいなのか、こいつとはわかりあえない。っていうクズとの壁が一番明確になってますね。みんなで・・・、っていうことを言わなくなった。バカとは付き合うな。っていうようになりました。嫌いな人間とは関わり合いになるな、無視しろっていう。
 オトナの平和主義みたいなことを言ってるようで、実はそれってクズは見捨てろっていうことで、今まで言ってたキレイゴトとは真逆のこと言い出してるなって思うのですけどね。
 ネットが普及するまでは腐ったみかんは見捨てるな、だったけれどネットが腐ったみかんは捨てろ、という世論へと変えた。



 でもこのアニメは現代を先取りしてるところもあって、ある種その予想が当たっているのかも。20年後のミライ。
 プロトコルってコトバを使った初めてのアニメだと思いますね。現在でも、プロトコル?ってなんのこと?ってのが大半だと思う。


 自殺、電線、電車、電柱、無機質な都会の建造物、信号、なんか意味があるようで無い情景描写カット、甚大なEVAのイメージの影響を受けておりますが、キャラデザは丸い顔の村田蓮爾スタイル。カワイイ系、の作画なのですが、みんな瞳孔開きっぱなし、みたいな目をしてて、ギャップが怖くて良い感じです。

 全体としてどういう話なん??っていうと、いわゆる雰囲気もので、こうこうで、こうだ、っていうちゃんとした説明はされません、これもEVAと同じですね。つまりどういうことなん??ってのをいちいち説明しない。終わり方も、えーーー!?これで終わりー??というのも同じ。まぁ時代ってやつですなぁ。