アリストテレスはすべてを知っていた最後の人間だ、と言われております。それは全知、だった、ってことじゃなくて、当時知れた情報を全部知っていたってことです。
そんなわけないんですけど、ただ、ギリシャにいて知ることができた事柄のほとんどを知っていたってわけです。いわゆる図書館の本全部読んだ、状態。古代ギリシャはもちろん本が少なかったからできたわけです。もちろんアリストテレスは天才でしたし。
アリストテレスはソクラテスも知ってるし、ホメロスも知ってる、もちろん師であるプラトンについても全部知ってる。現在なら理系、文系とかありますけれど、アリストテレスは全科目、教えています。この詩学、を読めばわかりますが、アリスは悲劇を研究するために大量の劇を見ております、優れたものから劣ってるものまで。暇か!っていうぐらい。
アリストテレスのワタシが思うすごいところは、プラトンっていう歴史に残りまくるような超偉人を師としてるのに、全然言うことを聞かないところですね。普通そんな歴史的な天才に教えられたら、そいつの意見に流されてしまう。けどアリスは、師とまったく違う切り口と角度で、ハッキリと自分の思索を進められる。そこが天才たる所以ですね、流されない。
アリスというかそれがギリシャ哲学全体の優秀な所なのかもしれません。忖度しない、ってやつですね、自分の意見を言う、議論をしようとする態度、を尊重する。現代は、っていうか殆どの時代は、議論、すること自体が、悪とみなされます。
「おまえがそんなこと言うな!」
「うるさい!死ね!」
みたいに。議論、しないで、人格攻撃する。別に現代の特徴ではなくて、ギリシャが特殊なんです。いつの時代も
「農民の分際で!」
「女の分際で!」
「平民が!!」
ってな具合。
そんなことより、LOGOS、論理を優先しよう、というギリシャ人の発想。これは気持ち悪いくらい優秀ですね。人類の歴史を通じて、パトスよりもロゴスを尊重しようっていう人間はめちゃくちゃ少ない。
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さてその中で詩学、文学論です。
詩学、という学問は今存在してないですよね、文学科の、カテゴリの一つみたいになってますが、英文学科みたいに、言語ごとのカテゴリーで、詩学、という詩学全体を扱うってのはあまりないのではないですか?
詩、ポイエーシス、ってのはいわゆる、ポエム、のことではなくて、ポイエーシスは、創作、全部を表すコトバだったみたいです。古代においては創作には必ず韻文、を用いるものだからそのまま韻文が創作、ということだったわけ。
だから創作論、芸術論、なんですね、だからこの詩学、には音楽や演劇、舞踏などもすべて含まれるっていうわけ。
創作とは、ミメーシス、再現、である。というのがその根本的主張です。
歴史と違って創作は実際にあったことではなく、あり得ることを再現してみせる、歴史より哲学的な行為であると言っております。
鋭すぎますなぁアリスちゃんは。確かに・・・と思わざるを得ませぬ。
よく自分では何も作らない人間は、パクリだ、どれも同じだ、ってことを言います。アリスにすれば、それが、創作なのだ。ってわけ、なにかと似ている、ことが、創作なんだってわけ。
ワタシもアリスと同意見。何かに似ている、から感情が動かされるわけで、何にも似ていなかったら、誰にも理解できません。新しく自分の言語、を発明してしゃべったって誰にもわからんってわけ。
何の再現でもない創作、として抽象画ってのがありますけども、ほんとにあれが絵画をダメにしたとワタシは思います。手を抜いてるだけだあんなもの。
また、優れた人間、を再現するのが悲劇、で劣った人間、を再現するのが喜劇である。というすごい角度からの定義をしています。これも、ふーむ、確かに・・と言わざるを得ない。
また、至極有名な悲劇のカタルシス(浄化)論、もあります。
プロットの3大要素は、逆転、認知、苦難
・勧善懲悪であらねばならないが、純粋悪が滅びるだけのただの当たり前の話、あってもいけない。優れた人間が、苦難に陥る、ものであらねばならない(バッドエンド擁護)
・プロットの解決は、プロットからの必然的な結果であるべきであり、「機械仕掛けの神」方式はとるべきでない
・詩作は天才か、狂気(霊感)を持った人間によって行われるべきである
・日常語と文語を組み合わせて、平板ではないが、理解しやすい文体とするべきである
・比喩、する能力は他人から学ぶことができず、ここに才能が現れる
・詩人、は自らが語ることをなるべく避けなければならない
・詩作には、信じがたいが実際には可能であること、よりも、ありそうなことであるが、実際は不可能なこと、を題材にすべきである