2023年6月16日金曜日

-500  出エジプト記 Bible Exodus  

  Genesisに続く、聖書のいわば第二巻が出エジプト記。 Exodus、ですが日本語の出エジプト記、っていうタイトルはセンスないですね。

 エクソダス、のすわりの良さと語感の良さからはかけ離れている。


 エクソダスの前半は、モーゼとアーロンがエジプトで奴隷となっているイスラエル人たちを、約束の地カナーンに導くという話ですが、後半はずっと、儀式の細かな指定でしてめちゃくちゃつまらない、ほとんど別の本といえます。

 イスラエルの神殿のことをタバーナクルという言うようですが、ずっとそれの説明。ほいで儀式は、やれ生贄を捧げろだの、血に浸せ、とか血なまぐさいおはなしばっかりです。よって前半の、モーゼと神との対話、みたいなのがこの本の主軸なんですが、神、の性格がジェネシスとまったく異なっていますね。

 エクソダスの神は、めちゃくちゃ積極的に介入してくるし、そしてよくしゃべる、非常に自分が唯一の神であって、ほかの神は許さないというのを強調する。

 モーゼの神、とジェネシスの神はかなり別の存在という気がしますね。モーゼはヒミコみたいに神の言葉を受け取って民に伝える神官的な役割となっています。


 けど、最初のほうはモーゼは自分は民を導くには向いてない、人前でしゃべるのが苦手だから、と拒否してるのに、神が無理くりモーセを導いていくように描写されていたり、最初の神官として命じられるアーロンも、神の契約を無視して偶像崇拝をしてみたりと、モーゼやアーロンが自己弁明としてこの物語を描いてるような感じはしません。誰が書いてるのか??ってのが非常に謎な本ですね。

 エジプト人に対する神の罰が非常に厳しいことからも、エジプト人が嫌いな人物によって書かれているのは間違いないと思いますが。


 なんにせよ、このエクソダスで大事なのは、十戒、本文は全然十ではなくて、神が与えたルールはめちゃくちゃたくさんあるのですが、重要なのが十戒として残されています。

 宗派によって「偶像崇拝の禁止」があるかどうかだけが違う。カトリックは偶像崇拝の禁止を削っています、だからキリスト像、マリア像とかがあるわけ。

 これは実務上の問題だと思いますね、そうはいっても、何か象徴としてわかりやすいイメージ、があるほうが、信者を獲得しやすいわけです、見た目、がすべて。特に教育が少ない人々にとっては、視覚、の比重が巨大だということなり。