2023年11月16日木曜日

1979 旅路の果て 寺山修司

  戦後日本で一番大事な作家は誰かといえば寺山修司となりましょう。


 戦前まで小説はメディアの王でして、人々はなんのために生きるのか?っていう答えをガチンコで小説の中に探していた。小説の人物が自殺すれば自殺するし、革命を起こせば自分も革命を起こす、農村に隠棲すれば自分も農村に暮らす、それくらい本気で小説を読んでいたのです。

 戦後になると急激にすべてのものが嘘っぱちであらゆるものがくだらなくなりました。もうオトナの言う事なんか絶対に信じない、30を超えた人間を信じるな。


 そういう時代なわけで、寺山修司は小説、からめちゃくちゃいろんなジャンルへと挑戦していくことになるわけです、まずアングラ演劇、詩、エッセイ、映画、その他いろんなインスタレーションみたいなことからイベントだったり、テレビだったり映像、ラジオ、脚本・・・つまりは迷走です。答えの無い迷走、戦後の昭和そのもの、時代の寵児です。戦後という、ポエジー、がまったく絶滅していく時代にあって、詩人なのです、最後の詩人なのかもしらん。逆説的ですわね。

 漱石が明治そのもの、太宰治が戦前の昭和そのもの。ほいで平成は宮崎駿が時代を映す作家ということだったでしょうか。


 そんな寺山修司は大の競馬好きで、競馬のエッセイをめちゃんこ書いている。これはそのエッセイ集の一つで、テンポイントとトウショウボーイ、昭和の最大のライバル関係を描いております。

 テンポイントについて知らなくても、なぜかテンポイントが死んだということはみんな知ってる。今テンポイント見てた人はまだ現役か知りませんが、その時代の人にとっては、テンポイントってのはほんとーに重大な意味を持ってるみたいですね。今の世代にとってのスズカやライス、あるいはそれ以上。

 テンポイントにはトウショウボーイという宿命のライバルがいたってのが非常にドラマチックな物語なのです。スーパーエリート良血、完璧な馬体を持つパーフェクトな馬、天馬トウショウボーイ、そして悲劇の主人公、ガラスの足、輝く流星、いわばスリム病弱イケメンのテンポイント、まったく対照的な二頭のドラマ。たぶんトウショウボーイっていうライバルがいなかったらそこまでみんなテンポイントに感情移入することもなかったと思われます。

 でも競馬にはこういう運命の出会い、運命の対決、すべて仕組まれてたんじゃないか?っていうドラマが本当によくあるのです。競馬好きな人は、ポエジャンなんですわね、詩を理解する心がある。散文的で打算的な人間にはわからんのです。


 競馬の快楽は、運命に逆らうことなのさ


 他にも「旅路の果て」の通り、落ちぶれた馬たちの最後悲しい最後を取材してるのと、競馬好きたちのプロファイリングみたいなのが乗っております。

 馬たちの最後は悲惨な話ばっかりなので暗い物語です、まぁポエジーってのはそういうものなのかもしらん、幸せを描いた詩なんてないですものね。詩ってのは物質的豊かさの真逆にある。


 馬の話もそうなんですが、ちょこちょこかなり物騒な話が出てくる、夜の街のホステスとかママとかはいいとして、戦後の闇市、ヤクザ者たち、沖仲仕(港湾労働者のこと、なぜか伝統的に港で働く者たちはギャングと決まっているらしい)、ほいで多いのが、学生運動で政治やセクトに入っていてその後の人生を棒に振ってしまった人々。

 70年代、80年代ってのはそういう時代なのですね、学生運動敗北組と、うまいこと生きてるやった奴らの明暗がはっきりした、勝ち組と負け組が出てくる時代。それまではみんなで焼け野原から這い上がってやろう、だったけど、そっから格差が広がっていく。

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 ちょっと関係ない話ですが、昨今「日本は貧しくなった」なったみたいなことを物知り顔にほざいてる輩がおります。こういう恐怖を煽っているやつは100%詐欺です。なんでそういう詐欺がCMとかに出れるのか、メディアの志が低すぎますわ。


 貧しくなったんじゃなくて、元に戻ってるだけですわ、日本が豊かだったのなんて50、60年代だけで、それは朝鮮戦争特需とかベビーブームとかでたまたま運が回ってきただけ。地図を見れば誰でもわかります、こんな小さい国が金持ちなんておかしい。「貧しさ」と「普通」、を入れ替えとるのですわ。

 円高がてぇへんだ、みたいなこと言ってますけど、敗戦してデフォルトして、円の価値が0になってからまだ100年も経ってない。

 だいたいにおいて、お金なんてすぐに紙くずになるものなのです、アメリカだっていつ破産するかってぐらい財政はガタガタです。だけどカネの価値が0になったって、そんなのたいしたことじゃない、所詮人間の考えたルールでしかない。なしなし!今までのなし!って言ってしまえば終わり。いつでも0からリスタートできる。さも世界の終わりみたいな顔してるけど、経済なんていっつも破綻してるのです。デフォルトしたって水がなくなったり、農産物が取れなくなったりしない、死にゃしないよ。というか死んだっていいじゃない、何をそんなに長生きしようとしてるのか理解できません。

 むしろ気候変動のほうが圧倒的脅威、こっちは人間の決めたルールじゃなくて自然のルールですから公平です。なしなし!って出来ない。むしろ財政や経済なんて全部ぶっ潰れてもいいから、人類の資材ありったけを気候変動対策にあてるべしです。