2011年9月10日土曜日

3.11と9.11について

という話題でどこもかしこも勝手なことを述べてますが、沈黙してるのも卑怯な気がするので僕は僕なりに立場表明をしてみます。

・こういう偶発的な自然災害を題材にして勝手な終末論や政治に利用しないでほしい。自然災害なんて毎年どこかで起こるのだし、日本の東北地方が無くなったところで、むしろ日本が無くなったところで世界は何も変わらないし、まして人間の精神は変わらない。特にメディア関係や自称アーティストがごちゃごちゃうるさい。これで日本が一つになってがんばっていくしかないみたいな幻想は実際何の解決策にもなってない、第一日本っていう枠組みに囚われている時点で何の進歩もない。日本は死ぬほど海洋汚染したんだから世界に謝罪して死んで詫びるか残りの命をかけて環境保全に取り組むくらいの行動をしないといけない・・もし本当に何かをしないといけないと思っているのなら、もちろんそんな奴はほんの一握りであとは口先だけだ。土地としての日本は日本人のものでは決して無いし、ふるさとを失ったとかいうけど、そのふるさとだって昔の日本人が少数民族を虐殺して自分のものにしただけだ。大地は誰のものでもない。大地を汚すのをその被災者に弁償しただけで済むと思ったら大間違いだ。日本人は日本という土地を預かる能力が無い、全世界にそれを開放せよ。土地を手放せ。

・原発に対して、事件が起こってから批判するのは無しだし、それ以前から原発を批判してたにしたって何もしてないのだから何も言う権利は無い。原発の前でデモをやるとか座り込むとか最後には暴力に訴えても命をかけてそれを阻止しようと何一つ行動して来ないで、電力だけは使っといて、それみたことか!原発なんて人間には早すぎたんだ、みたいな意見は最低である。意見を言えるのは行動した人間か代替案か解決策を持ってる人間だけである。話し合いで解決出来なかったら、最後の論理を使うべきだ、それをしないと何も変わらないし、自分の信念があるならそれに命をかけなきゃ行動したことにはならない。僕は原発に対してproでもconでもない。僕の家の裏に建設してもいいし、原発の中に住んでもいい電力を使ってるんだから僕には何を言う権利もない。クリーンエネルギーや太陽光が問題を解決するとは到底思えない、一時的にそれでしのげたとして、どうせ同じ事を繰り返す。替えなきゃいけないのは技術でなくて人間のほうだ、人間を取り替えることは出来ないので結局解決策は無い。

・環境論者を僕は絶対に信用しない。クーラーの効いた部屋にいてコーヒーを飲みながら本を読んでるような連中のコトバなんて絶対に信用しない。餓死しそうなストリートチルドレンのあいつら全員殺してやるという憎悪のコトバを僕は信用する、真実のコトバを僕は信用する。本を書けるような立場にいる人間のコトバなんて楽しんだり参考にはするけど絶対に信用しない。

・僕自身はこの災害に対し何もしていないし、何もする気もない。人類が滅びるなら滅んでもいい。子供の未来が心配なら子供など作らなければいい、人類が存続していかなければならない理由なんて無い。僕は僕のやりたいことをやるし、絵を描くし音楽も作る、電気を使い紙を使い、資本主義社会が産み出したテクノロジーや機械も使う。それが世界を滅ぼそうと、どこかで貧しい子供が死に、森が消えようと、海が死のうと、動物が絶滅しようが、僕はそれらを解決するために僕の命を捧げたりしない、だから僕には何もいう資格が無い、これは意見じゃなくて立場表明である、僕はこう思っているというだけで誰を批判もしないし行動を変えろとも言わない。
 もちろん積極的に破壊はしないし最大限の努力はするけれども僕は僕の生き方を変えれない。僕は人殺しで破壊者で略奪者であるけれども、誰に批判されようと自殺しないし、僕を殺そうとする人間を許しもしない、もし誰かを殺さねば生きられぬなら殺してでも前に進む。僕は僕の成スべきことをする。


 希望を持たずに一人で闇を進め