蜷川実花による写真集、個人的には蜷川実花の写真は嫌いですが
題材が面白いのでいい本だと思います、こういう家の内部の写真集ってのは実は圧倒的に少ないので、作画資料として面白い。建築の本とか漁ってみても大体外観か、歴史的建造物ばっかりで普通の人間が暮らしてる(楳図さんの家は普通じゃないけど・・・)資料集があったらいいのにと思います、どっか漫画系のマニュアル本出してる出版社お願いします、アイデアはタダであげます♪
2012年1月30日月曜日
2012年1月29日日曜日
世界わが心の旅 サン=テグジュペリ
他のシリーズは埋もれたのに、この作品だけは残ったみたいですね、駿が出てるからなのでしょうか。確かにちょっと最近のドキュメンタリーは駿に集中しすぎてる気がする、他に面白い事ないからしょうがないのかもしれないけど・・・、なんでしょうか。ドキュメンタリーってもっと主体的でもいい気がするのです、つまり、自分たちが作っていく過程を取っていくほうが面白いんじゃないですかね、もはや助けを必要としない人々を集めて、わぁすごいですねっていうのはどうもねぇ。
まともな作品を作ってる人が少なすぎる。21世紀になって特にそれを感じる・・・
まともな作品を作ってる人が少なすぎる。21世紀になって特にそれを感じる・・・
映像の世紀 v7-11
やはり後半は前半より面白くなかった。このドキュメンタリーに限らず、20世紀を一気に扱おうとする作品は意図的にww2にピークが来るようにすべてを筋書きしすぎてるような気がする、こういう番組が言うほどには人間はそれほど戦争してないし、世界大戦当時ですら、金持ちでおれは関係ないという生活をしていた人々、まったく何も知らなかった農民、第三国はかなりいるのである、それよりもなによりもあまり代わり映えのないパッとしない毎日が、20世紀のリアルな姿であり、それはルネッサンス時代でも古代ギリシャなんでも同じなのでしょう。歴史は戦争を強調しすぎてきた、毎日は退屈なのである。退屈が戦争を有むのに、誰もその退屈さには目を向けない、もちろん退屈だからなのだけど・・・それに悲劇を強調しすぎていた、悲劇に価値を与えすぎている、血眼になって悲劇を探して世界を見ている、それよりも何も起こっていない所に価値を見いだせない限り、また悲劇を探すことになる、でもそれを悪いとはいえない。やはり喜劇よりも悲劇のほうが面白いから・・・
2012年1月28日土曜日
アラブ革命について 最終革命は起こるか
インターネットの普及によってアラブ世界で民主化革命が起きています。エジプトではムバラクがいなくなったあとも9軍部による独裁が続いています。革命を実行した人々は自由が欲しかったのだ、自由のためなら死ねると言っています。上から民主化された国の一員として何か言えるとするなら、民主化すれば驚くべき自由が手に入るとおもいきや、たいして変わらない。という事です、だけど独裁の下やら、共産主義、社会主義の人々はまんまと自由資本主義の幻影にひっかかってしまうのですね。というよりも、エジプトの革命をすすめる若者を見て思ったのは、この人たちはそれすら、もうわかってるんじゃなかろうかということ、彼らは英語がわかるインテリ中流階級でパソコンも携帯も持ってる、ネットを通じて結局のとこアメリカ型民主主義を導入したところでどういう状態かわかってるでしょう、イギリスでは暴動が起きて、フランスでは右翼が政権を握り、日本はアメリカの言いなり、アメリカは破産寸前で貧困が広がり内戦一歩手前。もし民主化に成功したとして、すぐに経済混乱に巻き込まれるのは目に見えてる。軍事独裁はひどいというけど、彼らの生活の質は実は向上していて、食うや食わずの人々は本当は少ない、むしろ少し豊かになって、それに比例して不満が高まってるというのが現実のようです。彼らは服装はしっかりしてるし、体型だって栄養失調とは程遠い。
本当に彼らが拒絶したいのは軍事政権の独裁ではなくて、現代社会の結局のところお金持ちと若さだけを賞賛する価値観の無意味さとただ醜く老いて死んでいくだけという人間本来の苦悩ではないでしょうか?彼らの目的はむしろ民主化された国に生きることよりは、自由を求めて英雄的に死ぬ事なんじゃないかって気がうっすら感じる。
もっと踏み込むと、体制側の人間が多数派なんじゃないのって気がする、つまり民主主義否定派が多数派なのに民主主義をしようとするなんてちょっと馬鹿げてる、でも民主主義には民主主義を辞めるという機能があるのかどうかわからない。多数派の人が今の誰かを踏み台にして利権をむさぼるのを支持してるように見える。民主主義と独裁の違いは、民主主義は国民全員が独裁をしてるというだけの違いであって、本当に必要なのは人間の革命である、人間そのものを変革するような革命、国際連盟が気候変動に対して全国家の支持を得るような、そんな人間そのものの革命が成されないといけないのです、それは人間が地球で為す最後の革命であるので、最終革命と名付けておきます。
本当に彼らが拒絶したいのは軍事政権の独裁ではなくて、現代社会の結局のところお金持ちと若さだけを賞賛する価値観の無意味さとただ醜く老いて死んでいくだけという人間本来の苦悩ではないでしょうか?彼らの目的はむしろ民主化された国に生きることよりは、自由を求めて英雄的に死ぬ事なんじゃないかって気がうっすら感じる。
もっと踏み込むと、体制側の人間が多数派なんじゃないのって気がする、つまり民主主義否定派が多数派なのに民主主義をしようとするなんてちょっと馬鹿げてる、でも民主主義には民主主義を辞めるという機能があるのかどうかわからない。多数派の人が今の誰かを踏み台にして利権をむさぼるのを支持してるように見える。民主主義と独裁の違いは、民主主義は国民全員が独裁をしてるというだけの違いであって、本当に必要なのは人間の革命である、人間そのものを変革するような革命、国際連盟が気候変動に対して全国家の支持を得るような、そんな人間そのものの革命が成されないといけないのです、それは人間が地球で為す最後の革命であるので、最終革命と名付けておきます。
全豪オープン 2012 NADAL vs FEDERER
RAFA!!
いつもと色が違いますが、何か面白い事を紹介するというのがこのブログの趣旨なので、他にもNBAの試合をいちいち書いてたらいくら書いても足らないのですが・・
ともかくこのRAFAとFEDERERの試合はどのグランドスラムでも見逃せないです。ラファを見ていると、ゲイの人の気分が少しわかるような気がします、なんかこう美少年タイプが好きなのって男好きというよりは美しい肉体が好きなんだろって感じなのですが、ラファを見ると、男を好きになるっていうキモチがどんなものかぼんやりとわかります。
テニスってのはボクシングの次に孤独なスポーツですね、だからそれが好き。個人プレーのスポーツとチームプレーのスポーツ、明日のジョーかスラムダンクかってところですが、結構人生観が出ますね、もちろんどっちも好きでいいんですけど・・・ 個人的にはやっぱ一人で何かが変えていけるのがいいですね、一人でいるってことは気高い、夏目漱石もそう言ってました。社会っていうのは孤独を悪いものとみなすけど(あたりまえですけど、一人では社会にならないですから)、けれども孤独の気高さを人間は宗教的な直感で感じているのだと思います。
いつもと色が違いますが、何か面白い事を紹介するというのがこのブログの趣旨なので、他にもNBAの試合をいちいち書いてたらいくら書いても足らないのですが・・
ともかくこのRAFAとFEDERERの試合はどのグランドスラムでも見逃せないです。ラファを見ていると、ゲイの人の気分が少しわかるような気がします、なんかこう美少年タイプが好きなのって男好きというよりは美しい肉体が好きなんだろって感じなのですが、ラファを見ると、男を好きになるっていうキモチがどんなものかぼんやりとわかります。
テニスってのはボクシングの次に孤独なスポーツですね、だからそれが好き。個人プレーのスポーツとチームプレーのスポーツ、明日のジョーかスラムダンクかってところですが、結構人生観が出ますね、もちろんどっちも好きでいいんですけど・・・ 個人的にはやっぱ一人で何かが変えていけるのがいいですね、一人でいるってことは気高い、夏目漱石もそう言ってました。社会っていうのは孤独を悪いものとみなすけど(あたりまえですけど、一人では社会にならないですから)、けれども孤独の気高さを人間は宗教的な直感で感じているのだと思います。
2012年1月26日木曜日
14歳 楳図かずお
第一印象、もっと人気が出ても良いのに、第二印象、無理だろうな、絵面的にも、内容的にも。でも漂流教室からだけど、この楳図かずおの妙な・・・こぉ、・・・慣性力みたいな太い正ベクトルは一体なんなんでしょうね。内容の濃さでいったら、ジャンプ系の中堅漫画のよりももっと人気も評価もあっていいですよね。ともかく楳図かずおは底が知れません・・・、こんな底のしれなさ、というかモチベーションの出所のわからなさは・・・・全然興味の無いフェチのDVDを見てるような疎外感もあるし、戦慄みたいな喜びもある。
ドストエフスキーが作家の日記の中で、傾向的な作品は才能を濁すからやめろと書いてます。僕もそう思います、最近の漫画って傾向的すぎる、仲間を大切に、自然を大事にしよう、 人類は誤っていた云々、もしくは世の中カネなのだ系の漫画でもいいのですが。そんな事わかってるよって思う、当たり前の事をくだくだ言われてもくだらないですよね。もっと主張しないし、メッセージも持たないものが読みたい気がします、けど淡々と前に進むエネルギーに満ちたような、14歳は案外そういうところがある作品だと思いました。
ドストエフスキーが作家の日記の中で、傾向的な作品は才能を濁すからやめろと書いてます。僕もそう思います、最近の漫画って傾向的すぎる、仲間を大切に、自然を大事にしよう、 人類は誤っていた云々、もしくは世の中カネなのだ系の漫画でもいいのですが。そんな事わかってるよって思う、当たり前の事をくだくだ言われてもくだらないですよね。もっと主張しないし、メッセージも持たないものが読みたい気がします、けど淡々と前に進むエネルギーに満ちたような、14歳は案外そういうところがある作品だと思いました。
2012年1月21日土曜日
elemental particles 素粒子 ウェルベック
まず、アキ(知人)がウェルベックの素粒子を読んだメモから引用させて頂きます。
「この本のせいだけとはいいがたいのですが、私はこの本を読んでる途中から猛烈な吐き気と下痢に襲われて、大げさとはいえ精神的には生死の境をさまよった。枕元に拳銃があれば確実に自殺していた、私が吐き気ってものに猛烈に弱い精神構造なのかもしれない、いつも人間はそれでも生きなければならんとかかっこつけて言ってるくせに肉体的苦痛にはお話にならないくらい弱いのである、そこが女の子知識人としての私のカワイイところでもあるのですが。ともかくこの本はあの吐き気が一週間も冷蔵庫に安置されていたエスプレッソコーヒーと牛乳の混合物の仕業でもなく、単なる風でもインフルエンザでも、食べ残しの牛丼のせいでもないとすればこの本はアキに本当に嘔吐させた始めたの本です、それが本当ならこの本は「身体的苦痛」を伴う唯一の本に認定してやりたい。(岩波文庫の資本論もその字の小ささと印刷の不明確さと、旧字体のオンパレードで若き共産主義者を全員ド近眼にするほどの有毒本でありました)。ともかく吐きに吐きまくった、サルトルの嘔吐などとは比べ物にならないくらいすべて吐きつくした。胃と腸がからっぽになるのがもうすぐにわかったし、吐いたあとのあの鼻のツーンと口のクサさを軽減する為に飲んだ緑茶でさえ、一滴も残さずにすべて吐いた。吐き気が収まるとすぐにトイレが永住の場所になってしまい、パッキンがいかれた水道みたいにプーを垂れ流しの廃人状態。しかしともかくやることがないので、トイレの中でこの小説の終わりまで読むことにした。そして読み終えた。
思ったのは、やはり次の革命もフランスが発火点になるのではないかという予感です。というのは今のフランス、極右政党が平気の面で人種差別をやってるポンコツ国家、見事にいわゆる先進国とやらの中で一番ポンコツで崩壊寸前だからでしょう。チリやエジプトで民主化革命が起こっても、中国で資本主義化が進もうともあぁまた昔の過ちを君たちも繰り返すんだね、くらいにしか思わないけど、世界で最初に人権革命を起こし、あらゆる戦争に負け続け、ナチスには二週間ももちこたえられなかったのに何故かずっと戦勝国ズラして一流国の対面を維持しつつ、内部はもう末期がんどころではないこの国、が民主主義の次の段階、ソ連的一国社会主義ではない、スウェーデン式社会民主主義でもない新たなシステムの発火点になるのは大いにありうる事だろうなと思う、それはどこが発火点になろうと結果的には全世界的なものにならざるを得ないから。この小説は人類が滅んで、有性生殖によらない不老の新しい種族を遺伝的操作で生み出すことで終わるのですが・・・あまりそれは重要ではないんですよね。まぁ一応サゲをつけたってだけで。けどそう・・・こういう科学的な進歩によるパラダイムシフトが来るのか(例えば核融合、ナノテク)、それとも上記のような政治経済上のシステム変換が大規模な内戦の後に確立されるのか、それともすべて間に合わずに環境崩壊やパンデミック、核汚染によって人類は深刻な文明的退行?、あるいは絶滅するのか。この3つがたぶん私達が目にするミライだと思います、たぶんそれは結局のところ同時進行的で、一方で自然環境によって死滅する人々、一部の科学の楽園に住む人、世界政府の確立の為に命を落とす人などなどがいながら21世紀を形作るのだと思われます。人類は絶滅するとは思えないなぁ・・・人為的な方法によっても人類を滅ぼすのはそうとう難しいと思う、だって原子力潜水艦に攻撃する方法が無いもん、あと宇宙ステーション・・・」
私の言いたいこともアキとほぼ同意見です、結局のとこ内容は何百冊も書かれたきた60年代を中心にした20世紀クロニクルにクラーク的SF要素が入ってるだけなのですが、それがフランス目線で書かれているのが珍しいだけです、そういうのはほぼアメリカ小説だったから。(ピンチョンとかね)だから別に小説としてはそれほど完成度が高いとは思えない、ただ本質的なテーマは時代の急所をついてる。アキの言うような3つの21世紀の大きな潮流のエンジンが唸りをあげているのが聞こえます。
2012年1月17日火曜日
映像の世紀 1~5集
世紀末からWWⅡまでですが、現代の神話として何百回も聞かされてるこのストーリーは、結局のところ、どこが勝っても全員クズじゃないかっていう気がしてどこに共感していいのやらさっぱりわからない。日本帝国が勝とうが、フランスが勝とうが、ヤンキー帝国が勝とうが、イギリス帝国が勝とうが、ソ連が、ファシストが、ナチスが勝とうがちょっとしたニュアンスの違いくらいしかない。誰も悪ではないというストーリーはいくつも書かれてきたけど、誰一人正義でない、そして神さえもいないというこのストーリーはどうやって受け入れればいいんでしょうか?
ハンナ・アーレントだったかが言ってました、悪を為す人は、悪い人ではなく無思想なのだと、彼らは教えられればキリストのように慈悲をなすし、ナチスのような悪もなし、原爆だって落とす。それも正しい事を成したと思って。ただ自分で考えたりはしない、 だからお前は悪を成したと裁かれるとただただ呆然とするのだと。今の世界を見ても、その「無思想」な人間がほぼすべてなのに愕然とするばかりです。
ハンナ・アーレントだったかが言ってました、悪を為す人は、悪い人ではなく無思想なのだと、彼らは教えられればキリストのように慈悲をなすし、ナチスのような悪もなし、原爆だって落とす。それも正しい事を成したと思って。ただ自分で考えたりはしない、 だからお前は悪を成したと裁かれるとただただ呆然とするのだと。今の世界を見ても、その「無思想」な人間がほぼすべてなのに愕然とするばかりです。
Stop Online Piracy Act (SOPA) に反対します。
wikipediaが反対抗議を行うのを支持します。
ようするに、これは知識の私有財産法とみせかけて、知識の富裕層による独占法です 。
わかりやすく解説してみます。 そもそもソフトウェアや情報は複製が簡単で、それがメディア産業を破壊する、オカネを払わないで誰もが違法ダウンロード、コピーをすればあらゆる音楽や映画、テレビなどは死に絶えるという、JASRACとかが声高に主張しそして一般的に正論とみられていて、政府や産業界が支持している、もしくは陪審員や裁判官もまた支持するであろう主張をよく考えてみましょう。
結論から言うと根本的な発想が間違っていると言わざるをえません、誰もが、極めて簡単に、最良最新の情報を、無料に近い形で、共有することが、情報技術の進歩によって、出来るようになった。文節化して分析しやすくしてみました。直感的に言って、もしくは熟考したあとでも答えは同じです、これはいいことですか?悪い事ですか?もっと簡単な例を出します、非常に安全で、安価で、複製が簡単でほぼ無料でコピーが作れ、誰でも最高級の車に乗れるようになりました。それはいいことですか?悪い事ですか?
彼らは悪いことだと言います、そんな事をすればもう新しい車は売れない、複製を禁じてコピー代を取らねばならん、そうしないと自動車産業は崩壊する、失業者が増え、その最高級の車よりも素晴らしい車は産業が崩壊して生まれない、それで打ち止めになってしまうのだ云々。
経済を勉強した人や、多少知識人を気取っている人々(生兵法とはまさにこのこと)は上のような論理のやり口に慣れてしまっていて、それが正しいと思っています。
もっともっとわかりやすくグロテスクな例を出します、技術の進歩によって原子をレゴブロックのように連結してタンパク質や食べ物を無限に作り出せるようになった。これで飢餓の心配、貧困などは地球上から一層できるはずです。
彼らは言います、そんなことをしたら農業に従事するすべての人々、流通、小売などが失業してしまう。 人口が増えすぎて環境を汚染し、人々は働くかなくなり、腐ってしまう、そしてやがて人類は破滅に向かうのだ云々。
要するに彼らは何が言いたいのか、代わりにもっと簡単なコトバで言ってあげます
「おれたち以外の人間は怠け者の知遅れの、SEX中毒の下等人種であるから、おれたち少数の素晴らしい優れた、金持ちの、知識人が彼らをコントロールし、おれたちの為に働き、おれたちにカネを払い、俺たちの為に死に、そしてまた奴隷を提供してくれなければならん、おれたちだけが幸せになるべきで、それはおれたちが特別に優れた人間なのだから当然で、おれたちは愛されなければならないし、下等人種はおれたちを崇めないといけない。おれたちは努力した人間で、おぉ努力するというのがおれたち優等人種の特性であり、下等人種は怠惰なのだ、クズのように怠惰なのだ。クズだから働かなければ死なねばならん、食べ物を分け与えたりしない、いくら食べ物や物が有り余っていてもだ!クズどもは絶対に不幸でなければならん、クズが不幸であることが、おれたち努力する優等民族の幸せの為に絶対に必要なのだ、でなければおれたちの努力は一体なんだったのだ?クズもまた努力しておれたちになろうとしなければならない、おれたちはまさに理想の生き物で、おれたちの作った自由民主資本主義とはもう最高のもので、それ以外の考えを持った野郎は死なねばならん、かれらは劣等民族なのだから。そうだ!おれたちはあのようなクズの失業者の年寄りの!障害者の!やつらどもと同じ扱いをされるのだけは我慢ならないんだ!なんてったって我慢出来ないんだ!彼らとおれたちは違うんだ!おれたちは絶対に優れているんだ!くそったれくたばっちまえ、劣等民族ども!そうであらねばならない、そうでなければおれたちがやってきたことは一体なんだったのだ?おれたちが積み重ねてきたものは一体なんだったのだ?誰もが幸せになれる?イヤダ!イヤダ!幸せなのはおれだ、おれ一人で充分なのだ。おれだけが最高のものを手にして、最高の女を抱き、神に愛されてるのだ・・・・・」
ようするに、これは知識の私有財産法とみせかけて、知識の富裕層による独占法です 。
わかりやすく解説してみます。 そもそもソフトウェアや情報は複製が簡単で、それがメディア産業を破壊する、オカネを払わないで誰もが違法ダウンロード、コピーをすればあらゆる音楽や映画、テレビなどは死に絶えるという、JASRACとかが声高に主張しそして一般的に正論とみられていて、政府や産業界が支持している、もしくは陪審員や裁判官もまた支持するであろう主張をよく考えてみましょう。
結論から言うと根本的な発想が間違っていると言わざるをえません、誰もが、極めて簡単に、最良最新の情報を、無料に近い形で、共有することが、情報技術の進歩によって、出来るようになった。文節化して分析しやすくしてみました。直感的に言って、もしくは熟考したあとでも答えは同じです、これはいいことですか?悪い事ですか?もっと簡単な例を出します、非常に安全で、安価で、複製が簡単でほぼ無料でコピーが作れ、誰でも最高級の車に乗れるようになりました。それはいいことですか?悪い事ですか?
彼らは悪いことだと言います、そんな事をすればもう新しい車は売れない、複製を禁じてコピー代を取らねばならん、そうしないと自動車産業は崩壊する、失業者が増え、その最高級の車よりも素晴らしい車は産業が崩壊して生まれない、それで打ち止めになってしまうのだ云々。
経済を勉強した人や、多少知識人を気取っている人々(生兵法とはまさにこのこと)は上のような論理のやり口に慣れてしまっていて、それが正しいと思っています。
もっともっとわかりやすくグロテスクな例を出します、技術の進歩によって原子をレゴブロックのように連結してタンパク質や食べ物を無限に作り出せるようになった。これで飢餓の心配、貧困などは地球上から一層できるはずです。
彼らは言います、そんなことをしたら農業に従事するすべての人々、流通、小売などが失業してしまう。 人口が増えすぎて環境を汚染し、人々は働くかなくなり、腐ってしまう、そしてやがて人類は破滅に向かうのだ云々。
要するに彼らは何が言いたいのか、代わりにもっと簡単なコトバで言ってあげます
「おれたち以外の人間は怠け者の知遅れの、SEX中毒の下等人種であるから、おれたち少数の素晴らしい優れた、金持ちの、知識人が彼らをコントロールし、おれたちの為に働き、おれたちにカネを払い、俺たちの為に死に、そしてまた奴隷を提供してくれなければならん、おれたちだけが幸せになるべきで、それはおれたちが特別に優れた人間なのだから当然で、おれたちは愛されなければならないし、下等人種はおれたちを崇めないといけない。おれたちは努力した人間で、おぉ努力するというのがおれたち優等人種の特性であり、下等人種は怠惰なのだ、クズのように怠惰なのだ。クズだから働かなければ死なねばならん、食べ物を分け与えたりしない、いくら食べ物や物が有り余っていてもだ!クズどもは絶対に不幸でなければならん、クズが不幸であることが、おれたち努力する優等民族の幸せの為に絶対に必要なのだ、でなければおれたちの努力は一体なんだったのだ?クズもまた努力しておれたちになろうとしなければならない、おれたちはまさに理想の生き物で、おれたちの作った自由民主資本主義とはもう最高のもので、それ以外の考えを持った野郎は死なねばならん、かれらは劣等民族なのだから。そうだ!おれたちはあのようなクズの失業者の年寄りの!障害者の!やつらどもと同じ扱いをされるのだけは我慢ならないんだ!なんてったって我慢出来ないんだ!彼らとおれたちは違うんだ!おれたちは絶対に優れているんだ!くそったれくたばっちまえ、劣等民族ども!そうであらねばならない、そうでなければおれたちがやってきたことは一体なんだったのだ?おれたちが積み重ねてきたものは一体なんだったのだ?誰もが幸せになれる?イヤダ!イヤダ!幸せなのはおれだ、おれ一人で充分なのだ。おれだけが最高のものを手にして、最高の女を抱き、神に愛されてるのだ・・・・・」
2012年1月13日金曜日
2012年1月12日木曜日
イラク制裁措置について
infin de siecleはイラク制裁について、断固反対します。
まずイラクの核武装を解除する前に核保有国すべての核廃棄を先に行はなければなりません。こんなことは少しでもコトバを理解出来る人間なら誰でも理解できることです。
正義は成されなければならない、たとえ世界が滅んでも
これはカントの正義論ですが
世界を滅ぼさないために、正義がなされよ
当たり前の事です。当たり前の事をしましょう。
まずイラクの核武装を解除する前に核保有国すべての核廃棄を先に行はなければなりません。こんなことは少しでもコトバを理解出来る人間なら誰でも理解できることです。
正義は成されなければならない、たとえ世界が滅んでも
これはカントの正義論ですが
世界を滅ぼさないために、正義がなされよ
当たり前の事です。当たり前の事をしましょう。
愛と誠 梶原一騎
梶原一騎は、たくさん原作を書いていますが、言ってしまえばすべて同じです。でもその同じそれが・・・本質的なものだから、やはり素晴らしいと思います。いっつも終わらし方が下手だし(主人公を殺す以外無いですからね)脚本家としては、大して腕はないのですけど、でも、きちんと曲がらない何かを持っているから読む価値があるんだと思う。あと手塚治虫は表面上人間が好きですが最後の時点では人間嫌いだけど梶原一騎はその逆ですから、元気が欲しい時には悲劇的な結末だけどこっちを読むべきだと思います。
あと結構この作画の方の人の絵は、特に初期の女の書き方は好きです、後半からなんか北斗の拳みたいになってしまいましたが。リアルな描写はオリジナリティが無いと言われるけど、絵が古臭くなるのは避けられるからいいですね、今流行りの京都アニメーションみたいな作画は、たぶん10年後にはそうとう奇妙な感じをうけると思います、今昔の少女漫画を読むみたいに、お蝶夫人の髪型は一体?と思うみたいに。
それと梶原一騎、スポコン、ガキ向け、というレッテルに反して、梶原一騎はかなり純文学的な色だと思います、高尚なテーマでやってる、 今主流の治虫やドラゴンボール系の漫画よりも、かなり。今純文学的な物を作ってるところってどのメディアでも見当たらないですね、ふとした拍子にそういうブームが来るかもしれないですね、学生闘争の時にみんなドストを読んだみたいに、乱世に何か芯となるものを求めるようになるものですから。結論いうと無いんですけどね、聖書の中にも世界文学全集にも、今まで歴史上だれも見つけた事が無いんだから本の中にあるはずもないのです、いかに生きるべきかの答えは・・・
あと結構この作画の方の人の絵は、特に初期の女の書き方は好きです、後半からなんか北斗の拳みたいになってしまいましたが。リアルな描写はオリジナリティが無いと言われるけど、絵が古臭くなるのは避けられるからいいですね、今流行りの京都アニメーションみたいな作画は、たぶん10年後にはそうとう奇妙な感じをうけると思います、今昔の少女漫画を読むみたいに、お蝶夫人の髪型は一体?と思うみたいに。
それと梶原一騎、スポコン、ガキ向け、というレッテルに反して、梶原一騎はかなり純文学的な色だと思います、高尚なテーマでやってる、 今主流の治虫やドラゴンボール系の漫画よりも、かなり。今純文学的な物を作ってるところってどのメディアでも見当たらないですね、ふとした拍子にそういうブームが来るかもしれないですね、学生闘争の時にみんなドストを読んだみたいに、乱世に何か芯となるものを求めるようになるものですから。結論いうと無いんですけどね、聖書の中にも世界文学全集にも、今まで歴史上だれも見つけた事が無いんだから本の中にあるはずもないのです、いかに生きるべきかの答えは・・・
2012年1月11日水曜日
もののけ姫はこうして生まれた
もののけ姫の制作ドキュメントですが、本編よりも面白いです。
本編は、いわゆるあれですね、特に悪いところもないけど、面白くない。そりゃアニメーターの技術も高い、背景も上手い、CGだって最先端の技術を使ってる、制作費も時間もかけてる、ホルスの時とは真逆のシチュエーションです、コンテだってそれほど悪くない、けど・・・ねぇ?東宝、電通、日本テレビ、ディズニー、ブエナビスタ、ですよ、ねぇ?そんな今の娯楽産業のメインストリートから本当に革命的で攻撃的な作品が出てくるわけないですよね、もしそうなら自分で自分の墓掘るのと同じですからね。これはもぉ小次郎倒した後の武蔵を見るのと同じ感じなんですよね、そりゃあ強いに決まってるし、どうせ勝つんでしょ、って感じ。でも本当に見たいのは弱い武蔵です、迷いがあって、煩悩があって、本当に負けるかもしれん、死ぬかもしれん、っていう切迫感が無い。
ドキュメンタリーで見る限りスタジオもそう、どうせいいもん作るんでしょって感じ、どうせ努力するんでしょ、毎日明け方まで働いて会社に寝泊まりして、いい絵を書くんでしょうや。ご苦労様です。 確かに為になるし、参考になりますが、本当に見たいのはそんなんじゃない、借金取りに追われて、赤狩りに権力者から弾圧され、頭の固いプロデューサーと殴りあいのケンカをして、破綻をきたし、仲間にも裏切られ、酒にクスリに溺れ、悪い女と悪い遊びを覚え、私財を没収されてボロボロになりながらも・・何故か奇跡が起こる、しかも出来た作品は、人類に対する恨みではなく・・・・っていうのを見たいんですけどね。そういう挫折がないとどこまでいってもブルジョアの道楽にしかみえないんですけど・・
さて話は変わりますが、もののけからもう15年です、第一次大戦から100年も近い、世界は明らかに戦争の気分が高まっている、けど核戦争はできないから、これは内戦です、世界内戦。血みどろの内戦になるに決まっているんですが・・・やっと他人から偉そうに語られるのではなく、自分達の目で、カラダでそれを語る事が出来る・・・そういう心境で見るとまた違う味かもしれないですね。アシタカは自分から殺し合いに突っ込んでいく人ですから、ナウシカとは違うわけです・・・誰を守り、誰を殺し、誰と戦い、誰と敵になり、誰を愛して、誰に情けをかけ、誰と友達になり、誰を裏切るのか、自分で決めるより他に無いわけです、もし旧帝国資本主義連合としてこれに参加したくないならば、今のうちにラテンアメリカか震源地である中東に亡命しないといけませんね。ドローン(無人戦闘機)は手強いですけど。
これが冗談や漫画じゃなくて、本当の話だからすごい時代に来ました、ワクワクするなぁ。
これが冗談や漫画じゃなくて、本当の話だからすごい時代に来ました、ワクワクするなぁ。
infin de siecle
2012年1月7日土曜日
永遠平和のために 1795
この時代ってのはなんて簡単に証明が出来るのかと、羨ましく思う。
カントは自然といっているが、カントが自然と語っていることはやっぱり
神そのもので、その自然はどうやら人間が平和のうちに暮らすことを
望んでいる、少なくとも人間がすべて滅んで永久平和が達成されることを
望んでいないのだそうです。
カントが自分で言ってることを厳密に論理式にすれば絶対に神を信じる事、の
根拠はどこにもないのですが!カントの哲学は自分を否定するのですが、まぁ
それはいいです。それがカントの時代だったし、理性ってやつが、キリスト教を
拒否するものだというのが決定的になるそこから近代が始まる・・・
ニーチェではありませんが、すでにカントの哲学でも神は死んでいます。カントはそれを認めないだけで。
それでもやっぱりこれを読む意味はあると思われます、そしてカント用語
を使ってないので翻訳も読みやすいのでいいと思います。カント用語自体が
外国語ですから。ただ文学としてです、これを読んで永久平和を目指す人が
いればそれでいいし、特にいわゆる平和主義者に永久平和と彼らが守ろうと
する平和と言うなの、権益の違いをわかってもらう為に読んで欲しい。不可能な
願いですが。
カントは自然といっているが、カントが自然と語っていることはやっぱり
神そのもので、その自然はどうやら人間が平和のうちに暮らすことを
望んでいる、少なくとも人間がすべて滅んで永久平和が達成されることを
望んでいないのだそうです。
カントが自分で言ってることを厳密に論理式にすれば絶対に神を信じる事、の
根拠はどこにもないのですが!カントの哲学は自分を否定するのですが、まぁ
それはいいです。それがカントの時代だったし、理性ってやつが、キリスト教を
拒否するものだというのが決定的になるそこから近代が始まる・・・
ニーチェではありませんが、すでにカントの哲学でも神は死んでいます。カントはそれを認めないだけで。
それでもやっぱりこれを読む意味はあると思われます、そしてカント用語
を使ってないので翻訳も読みやすいのでいいと思います。カント用語自体が
外国語ですから。ただ文学としてです、これを読んで永久平和を目指す人が
いればそれでいいし、特にいわゆる平和主義者に永久平和と彼らが守ろうと
する平和と言うなの、権益の違いをわかってもらう為に読んで欲しい。不可能な
願いですが。
2012年1月5日木曜日
鈴木敏夫 仕事道楽
完結に述べると、安保以前には無着苦茶で面白いヤツがたくさんいたのだけれど、安保以後あらゆる分野で人材が枯渇してるということ
安保以前でも戦前と戦後でガラリと違うみたいですけど、特に戦争で死の覚悟を決めちゃった人間が、この安保世代を育ててくれるだけの
度量というか・・まぁそういうものがあったのですよね。面白そうなヤツを雇って使う勇気があった。今はそういう面白いヤツは
無職か自殺か、海外脱出か、孤高の芸術家なのでしょうね。組織の中で使えば起爆剤になるのに、組織ごとぶっ飛ばされるのが怖くて使えない。
というか、この安保世代が自分たちのやりたい放題で挫折したあげくに、後進の面倒をさっぱりみなかったせいでなんか社会が殺伐とした雰囲気を持つようになったん
じゃなかろうかという気もします、彼らなりの消極的復讐なのかもしれないですが・・・だとしたらその復讐は大成功ですね。少なくとも映像業界は
完全に息の根を止められましたから。
ざまぁみろバカ、アメリカに追従したらこのざまじゃねぇかってほくそ笑んでますか元社会主義のみなさん?
安保以前でも戦前と戦後でガラリと違うみたいですけど、特に戦争で死の覚悟を決めちゃった人間が、この安保世代を育ててくれるだけの
度量というか・・まぁそういうものがあったのですよね。面白そうなヤツを雇って使う勇気があった。今はそういう面白いヤツは
無職か自殺か、海外脱出か、孤高の芸術家なのでしょうね。組織の中で使えば起爆剤になるのに、組織ごとぶっ飛ばされるのが怖くて使えない。
というか、この安保世代が自分たちのやりたい放題で挫折したあげくに、後進の面倒をさっぱりみなかったせいでなんか社会が殺伐とした雰囲気を持つようになったん
じゃなかろうかという気もします、彼らなりの消極的復讐なのかもしれないですが・・・だとしたらその復讐は大成功ですね。少なくとも映像業界は
完全に息の根を止められましたから。
ざまぁみろバカ、アメリカに追従したらこのざまじゃねぇかってほくそ笑んでますか元社会主義のみなさん?
2012年1月4日水曜日
幻想の未来 文化への不満
フロイトは実存主義をやってるというのが感想。
実存主義とはつまるところ、宗教がやってくれたことの哲学による代替である。
宗教は、生も死も、完全に保証してくれる。しかし科学や時代の変化がそれを
信じ続けることをかなり困難にした。哲学には当然死の世界について語る事は
できないので、死後の世界に保証をすることはできない、よって生をどう生きるかを
扱う。極限まで切り詰めれば、実存主義哲学は、「生きろ」
という事だけを証明しようとしている・・という言い方でなければ
生きよう、と言うだけの哲学である。
だから実存主義はキリスト教を否定せざるをえない、キリスト教は
別にキリスト教に限った事ではなく宗教は一般的に死後の世界に無限の価値を置くから・・
結論からいうと実存主義は、科学的な装いをしようとしたあげくに
歴史ややら、エスノロジーやら、なんやらかんやら、結局は科学とは
似てもにつかない文系の学部を大量生産したあげくに
ウィトゲンシュタインの冷酷な論理構造にトドメをさされてすべてを
投げ出して、ただの文学になった。別にただの文学を私は否定してない。
しかしフロイトには誠意があるからフロイトを読む意味はそこだけでも充分にある
フロイトは大衆は愚劣だし、愚劣から抜け出すことも無いときちんというし
外界に拒否されれば、精神病に陥るか麻薬漬けになるよりほかに方法が無いとはっきり
言う。そして自分は考えてみたが何の解決も得られなかったときちんと謝罪までする。
隣人を愛すのは不可能だし、汝の敵を愛するのも同様に無理だと言ってのける。
そんな人間は実は学者にも少ない。
共産主義の人間の本質的側面からの否定、つまるところ人間は平和や人類愛や
ユートピアを求めていないということ、もっと詳しくいうなら、ユートピアと
血みどろの戦争を両方が欲しいのである。人間は両義的であるがブンレツしていない、
矛盾しているということがココロの唯一のあり方である。
フロイトは共産主義を失敗すると確信しているけど、それに希望を持たざると得ない
というこれも両義的な結論を下しているので、やはり文学的である。
実存主義とはつまるところ、宗教がやってくれたことの哲学による代替である。
宗教は、生も死も、完全に保証してくれる。しかし科学や時代の変化がそれを
信じ続けることをかなり困難にした。哲学には当然死の世界について語る事は
できないので、死後の世界に保証をすることはできない、よって生をどう生きるかを
扱う。極限まで切り詰めれば、実存主義哲学は、「生きろ」
という事だけを証明しようとしている・・という言い方でなければ
生きよう、と言うだけの哲学である。
だから実存主義はキリスト教を否定せざるをえない、キリスト教は
別にキリスト教に限った事ではなく宗教は一般的に死後の世界に無限の価値を置くから・・
結論からいうと実存主義は、科学的な装いをしようとしたあげくに
歴史ややら、エスノロジーやら、なんやらかんやら、結局は科学とは
似てもにつかない文系の学部を大量生産したあげくに
ウィトゲンシュタインの冷酷な論理構造にトドメをさされてすべてを
投げ出して、ただの文学になった。別にただの文学を私は否定してない。
しかしフロイトには誠意があるからフロイトを読む意味はそこだけでも充分にある
フロイトは大衆は愚劣だし、愚劣から抜け出すことも無いときちんというし
外界に拒否されれば、精神病に陥るか麻薬漬けになるよりほかに方法が無いとはっきり
言う。そして自分は考えてみたが何の解決も得られなかったときちんと謝罪までする。
隣人を愛すのは不可能だし、汝の敵を愛するのも同様に無理だと言ってのける。
そんな人間は実は学者にも少ない。
共産主義の人間の本質的側面からの否定、つまるところ人間は平和や人類愛や
ユートピアを求めていないということ、もっと詳しくいうなら、ユートピアと
血みどろの戦争を両方が欲しいのである。人間は両義的であるがブンレツしていない、
矛盾しているということがココロの唯一のあり方である。
フロイトは共産主義を失敗すると確信しているけど、それに希望を持たざると得ない
というこれも両義的な結論を下しているので、やはり文学的である。
2012年1月3日火曜日
帝国主義論 レーニン 1917
箇条書き。
・労働者を買収することが可能で、プチブル化した労働者が
帝国主義の段階によって増える。
まさにこれは今の先進国である、先進国では国民の多数派がプチブルといえる。彼らは自分たちの生活が悪くないので革命の必要性をまったく感じないが、何かとてつもない無意味さに襲われている
それのすべてではないが、大きな理由として
「自分たちが抑圧階級に属している、自分たちは支配階級というクズだ」
という事を、自覚するのをごまかしているからである。
・「帝国主義者には排外愛国主義(ナショナリスト)がいるので判断がつく」
わかりやすい定義だ・・
・まるで2010年に書かれた本を呼んでるみたいなリアルさ
金融資本主義は少数の投機の天才によって操られている・・
・もちろんこじつけや強引な論法、ただの根性論もある
しかしレーニンは政治家だ、経済学者じゃない。
そしてやはり愛国排外主義的社会資本主義に対する根本的な見通しに暗い・・
・でも歴史上で、ここまでの知性を持った人間が、政治家として権力の座につくという
ことはまず無かった、プラトンがギリシャを支配するのと同じくらいそれはありえない
事である。政治家なんていうものはその後ろにいる資本家の傀儡であるから
ただの看板であって、選挙や不正で失脚しても、ただ看板が変わっただけで中身は
変わらない。政党が変わっても、資本家の顔ぶれは変わらず、そして世襲である。民主選挙ははっきりいって無意味であるというか・・・それはまぁよいのですが。
レーニンは何の資本家のバックも無い政治家だ、それは共産主義的政治家であることの証明である。革命がそれを可能にしたのだけれど、レーニンはすぐに死んでしまった
後はどうなったかはみなさんご存知の通り。
・労働者を買収することが可能で、プチブル化した労働者が
帝国主義の段階によって増える。
まさにこれは今の先進国である、先進国では国民の多数派がプチブルといえる。彼らは自分たちの生活が悪くないので革命の必要性をまったく感じないが、何かとてつもない無意味さに襲われている
それのすべてではないが、大きな理由として
「自分たちが抑圧階級に属している、自分たちは支配階級というクズだ」
という事を、自覚するのをごまかしているからである。
・「帝国主義者には排外愛国主義(ナショナリスト)がいるので判断がつく」
わかりやすい定義だ・・
・まるで2010年に書かれた本を呼んでるみたいなリアルさ
金融資本主義は少数の投機の天才によって操られている・・
・もちろんこじつけや強引な論法、ただの根性論もある
しかしレーニンは政治家だ、経済学者じゃない。
そしてやはり愛国排外主義的社会資本主義に対する根本的な見通しに暗い・・
・でも歴史上で、ここまでの知性を持った人間が、政治家として権力の座につくという
ことはまず無かった、プラトンがギリシャを支配するのと同じくらいそれはありえない
事である。政治家なんていうものはその後ろにいる資本家の傀儡であるから
ただの看板であって、選挙や不正で失脚しても、ただ看板が変わっただけで中身は
変わらない。政党が変わっても、資本家の顔ぶれは変わらず、そして世襲である。民主選挙ははっきりいって無意味であるというか・・・それはまぁよいのですが。
レーニンは何の資本家のバックも無い政治家だ、それは共産主義的政治家であることの証明である。革命がそれを可能にしたのだけれど、レーニンはすぐに死んでしまった
後はどうなったかはみなさんご存知の通り。
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