恥
貧乏キャラで宣伝をしている作家を揶揄した作品
一二月八日
日本が真珠湾攻撃を仕掛けた時の気持ちを、妻の視点から描いた作品、これについて語ろうとするとすごく長くなるので割愛。
待つ
1942年の作品は当たり前ですが、一様に戦時下、の色彩が強くなるわけですが、これはまさにそういう作品であり、短い短編だけれど、そこに詰め込まれたアイデアの量ははちきれんばかりという太宰の天才的手腕が出ている作品です。
律子と貞子
大人しく冷静な姉か一途で活発な妹のどちらを嫁にすべきか、というギャルゲみたいな話です。
新郎
これもまた戦時下のお話。太宰はもちろん、戦争を支持してますが(そうじゃない作品を発表できるわけないので)、嘘は無いと思います。今、戦争反対、と言っている人々には、想像力が欠落してますので、短絡的に、戦争は良くないと言えますけど。実際、知り合いや仲間、友達が、次々と出征して、戦っている状態で、戦争は良くない、なんて言えるわけがないとワタシは思います。これから出征するヒトを前にして、ワタシは戦争反対だ、なんて、言えないです、まともな神経してたら。
そして聖書からの引用が格段に増えました、それもさもありなん。たぶんこの時期、日本人は一番聖書を読んだと思います、岡本喜八の肉弾、という映画で、面白くもなくつまらなくも無い本はないか?戦争に持っていくんだ、面白いとすぐ読んでしまうから、というセリフがあったと思います。確かにワタシも、聖書に如くは無いと思います、聖書か、今ならブリタニカ大百科の電子版ですね・・電池が切れる恐れがあるけど。
正義と微笑み
女生徒、ではなくて、男子中学生、を描いた作品。旧制の学校制度はややこしくて、よくわからんですが、ともかく受験生の心持ちを描いています。
途中、漱石の「明暗」、についての描写があります・・暗い、暗い小説だ・・・終わり無い地獄だ・・・
なるほど、と思いました。漱石の最晩年の作品、「道草」、そして「明暗」、ははっきりいうととっても面白くない、読むのが苦痛みたいな作品なのですが、それが狙いだったんだ、とはっとしましたね、終わり無い地獄、反吐が出るほど苦しい、日常ってやつを、漱石は書いてたのかもしんない。天才は天才を知る、ですね。
全然おもしろくないにもかかわらず「道草」の終わりをなぜかちょくちょく思い出すことがあります
「何も終わることなんてない、面倒なコトや苦しみは永遠に続く・・」というめちゃくちゃネガティブな終わり方なんですが、それが頭のどっかに刻まれてるんですね。全然面白くない名作ってのがあるものです、今の世界にそういう作品の居場所はないでしょうなぁ。
この作品、太宰にしては結構な大作で、私小説、でもありません。つまり太宰としては私小説じゃない創作の傑作を作ろうと腐心しているのですが、ところどころキラリとするところはありますけども、全体として方向性がバラバラになっていて、失敗しています、そしてどうも漱石風、な感じがします。仮想敵として漱石が想定されてる、私小説じゃない創作小説として漱石を勉強したっていう感じです。所詮二番煎じ感が否めない。
たぶん太宰は、あぁ自分には、創作小説を描く才能が無いってのを自覚したと思います、自分には私小説か、短編を描く才能しかないんだってことを、それだけで十分な才能なんですけど、やっぱヒトは自分には無い才能が欲しいイキモノなのですよね。
芥川も長編を描く才能に恵まれてませんでしたけども、同じ道をたどることになりました。
水仙
果たしてフェイクか、本当か、ある貴婦人の堕落譚。ゾクゾクするような怖い話しです・・・。
小さいアルバム
随筆的作品、この作品から帰去来、故郷、と連作のような形になっています、写真をもとに過去を振り返る
帰去来
お世話になったヒトの進めで断絶していた故郷へと帰るという物語・・・
故郷
さらにその後、母が危篤になったことにより、もう一度故郷へと帰るという物語。ワタシは家族モノっていう話がでぇ嫌いなんですが、太宰の手にかかると、さすがという感じ、終わらし方が特に秀逸です。
花火
戦後、1950年台の小説みたいな妙なノリを持った作品、謎、が多く。・・・ぅえっっ?っていう終わり方をします。