2018年6月30日土曜日

1910 石川啄木 時代閉塞の現状

 閉塞感、という流行り言葉、を最初に流行らせたのはこの作品であると言われています。
 何かというと、疲れている現代人、疲弊している現代人、閉塞感のある時代、ということが言われますね、決まり文句となっている。日常生活に疲れた現代人に癒やしを与える・・・云々かんぬん。

でもワタシはそれはほんとかよ?って思いますね、だって現代人はかなり休んでいます、高度経済成長時代とか、戦前、の人間のほうが疲れています、長時間労働、劣悪な労働環境などなどなど、めちゃくちゃ疲れて、バタバタ死んでいってた、現代人はそれに比べれば疲れてないですよ、だって死んでないもの。ってワタシは思っています。
 社会の格差、就職難、経済的困難、それも全部昔のほうがひどかったです、階級の固定化、そんなの大昔からそう。比べる対照として、一番経済が活発で最高に良かった時代、つまりはバブルの初期、と比べるんです、そりゃそこに比べたら今は良くないかもしれないけれど、平均点でいったら絶対トップいくつに入るくらい恵まれている時代です。ミライが無いとか希望が無いとか、そんなのいっっっつもそうです、そんな幻想がある時代が特殊なだけです、リベラルデモクラシーは終わった。いや、そんなもの最初っから無いよってワタシは思うのですけど。

 と一通りワタシの考えを述べてしまいましたが
  
石川啄木の時代、が現代に非常に似通っているというお話なんですね。この論文自体は非常に読みづらいです、この時代特有のコトバの定義に振り回されてばっかりで、内容が全然ないです。

 でも注目すべきところもたくさんあります、特に文学で表現されてる主義、とか主張が、直接、自分の生き方とかと結びついているという感覚、がへぇぇと思いますよね。今の時代、フィクションと現実を結びつけるのは典型的なダメなヒト、という扱いがされてますが、この時代は真逆で、文学と人生がシンクロしていて、現実に適用不可能な文学、は文学のほうが間違ってるのだという発想なんですね、そりゃみんな貪るように文学を読み込むハズです。
 そして確かに、なんでフィクションは現実にあてはめてはいけない、現実には人畜無害、関係ありませんっていうことを言わないといけないの?なんで現実とシンクロした創作をしてはいけなくなったんだろうって思います



 話を閉塞感に戻しますと、それは現代、に特有のことでも、たまたま啄木の時代がそうだったわけでもなくて、ずっとこの

不況ー就職難ー災害 (*今ココ)ー戦争ー財政崩壊ー破産

というサイクルを資本主義社会は繰り返してるのですよね、実は戦争、が重要なんではなくて、破産、がその結末なんです。戦争の原因は、殆どの場合、借金です。宗教だの人種だの、っていうラベルが張られていますが、ほんとに?っておもって探ってみると、宗教とか人種っていうのを名目とした、ようするには経済戦争なんです、経済戦争じゃない戦争なんて無いってワタシは思う。

それは2500年前のギリシャの時代からそう、プラトンが同じようなことを言ってます。


 戦争を避けるにはどうすればいいか?答えは非常に単純、借金をしなければいいのです。つまりは無理ってこと。

 借金をなぜするか?ってことなんです、そりゃあカネが無いからですが、カネが無いと誰かを(自分を含めて)助けられません。ようするには借金をしないためには、見捨てればよいのです、自分を見捨てる、つまりはカネがなくなったら仕方ないと言って自殺する、誰かが死にそうでも、借金出来ないから、と言って見捨てることができれば借金をしないですみます。
 国家規模でもそう、誰かが死にそうでも、国は借金出来ないので誰も助けません。とすれば財政負債がたまることなんてありえません。


 けどそれは戦争で誰かを見捨てたり殺したりするのと何も変わらないですよね?だから借金をして戦争を引き起こすというわけ。何もしないで死ぬこと、見捨てることを受けいれないから。

 それって当たり前の話で、誰だってそうします。


 別な流行りで、「君たちはどう生きるか」という小説をマンガにしたものが結構売れています、これも同じようなことを言っておって、どうやって軍国主義とかを回避できるかって話ですが、ハッキリいって、無理、です。
 若者の意思とか努力云々で、この戦争のサイクルを止められるというのは、ずーっと失敗され続けてきて、無理じゃん、ってことを何度も手ひどく思い知らされて来たわけです。
 なんだか適当な綺麗事を言って若者にありもしない希望を抱かせるのは、卑怯です、綺麗な嘘は下劣です。

 無理なものは無理、無理なのだ、という現実を認めること、それが理性です。

それでもどうしてもそんなはずないって思うなら、社会が軍国主義化したり、戦争を回避するためには、財政負債をなくさないといけない、よってカネを出してくださいと誰でもいいから頼んでみればいいと思います。たったそれだけのステップで、何が可能で何が不可能なのか理解出来ます。