2024年2月22日木曜日

-411 戦史  ペロポネソス戦争史 トゥキュディデス

「弱者の好意は、強者の好意よりも我々にとって害であり、非支配者は支配者への憎悪によってその支配者の力の大きさを知るのである。」 


まず作者の名前が厄介なのですが、トゥキュディデストゥーキュディデース、とかトゥキュディデュス、ツキュティデスツヅキデス  

 と無数にあって、検索するときなどに非常に不便。

 この本の名前も、歴史、とか戦史、ペロポネソス戦争史、など名前が決まってない。元々はタイトルは無いのでさらに厄介。


 舞台は、ちょうどヘロドトスの歴史のその後を都合よく引き継いでいます。ただヘロドトスみたいに、裏を取ってない話を採用せずに、情報には裏を取れ、というのがトゥキュの考え。以降もトゥキュの考えを支持するように、歴史は裏をとって資料とかを用いよということになった。トゥキも自身述べているように、それによって、おもしろ小話とか、各国の風習みたいなのは無くなってしまい、本としてはつまらなくなってしまいました。

 歴史の教科書が堅苦しく戦争のことしか書かなくなったのはこいつのせいです。風俗史とか民族学みたいなのを排除してしまった。経済と政治と戦争、それが歴史ということになってしまったのです。

 でもトゥキの狙いは、祖国アテナイが、この戦争で崩壊してしまったことを、後代の人々に戒めとして教える、という狙いがあったので、トゥキのせいではありません。


 ようはこの戦争はギリシャの内戦でして、ギリシャは結局ずっと内戦状態から抜け出ることは出来なかった、その原因はどう考えても、島国だからです。ペルシアみたいに大陸であれば、大帝国になるけども、島国ってやつは、海に逃げられたら、殲滅するのは不可能なんです。やばくなったら海に逃げる、これでは戦いようがない。とにかく海戦は水もの、天気や風で運次第になってしまいますし。

 モンゴル帝国が、日本を支配出来なかったのもそういうこと。


簡単に言うとペロポネソス戦争は

 アテナイは強力なのだからすべての都市はアテナイが当然支配するべきだ、という帝国主義のアテナイと、ラケダイモン(スパルタのこと)はラケダイモン人だけの利益を守る。というとにかく利己主義なスパルタの二陣営に、他の都市が同盟したり裏切ったりを繰り返すっていう戦争です。


 すぐにわかるのですが、正義がどこにも無い。クズとクズの戦いといえます。こりゃあ泥仕合になるのが目に見えている。だが戦争とはそういうものかもしれません。


 このペロポネソス戦争はダラダラとながーく続いて、むしろ恒例行事みたいに夏になると毎年戦争が始まり、冬になると終わるって感じです。

 こんな長くなってしまったのは城塞、を作られると包囲して餓死するまで待つ、っていう方法しかないのと、いろんな島に都市が分散していて、船で渡ってるあいだにもういろんな情勢が変化してしまうってことです。

 第一次大戦でもそうでしたが、守り、に入られると決着がつかないのです。一気に大合戦で決着をつける!!ってわけにはいかないのですな。ペルシアみたいにとにかく物量で10万とかの兵員で押しつぶすってのでもない限り。

 この時代の軍団はせいぜい3000とかです。そりゃ決着つきませんわ。騎馬民族でも倒せないのに、海の民族なんて倒しようがない。

 現代でも海賊、を掃討できてないのですから。海を支配するのは激ムズなのです。


 さてこの本のもう一つの特徴は、ある人物の行った演説、討論、弁論、釈明、などの弁論、が非常に多いってことです。

 さすがはデモクラティアの生まれ故郷アテナイの人というべきなのか、片方の主張だけではなく両方を主張をたっぷりと書き残しているのです。これはトゥキがそうだったのではなくて、アテナイが、そういう論述、をすべて記録にとっておいたから為せる技。現代の民主主義では、言葉はうやむやにするだけのものですが、この時代の討論はまさにこれぞ討論というもので、みんな非常に雄弁です。ソフィスト達、が活躍したのもうなづけますね。

 正しいかどうかはともかく、みんな非常にえんえんと自分の意見を述べ立てます。


 ペリクレスは、アテナイの人々に、理知ばかりに頼るあまり、行動しない人間にはなるなよ。と非常に念押しいたします。これは現代においてまさにしかり、口先だけでなんの行動もしないような人間になるなよ。


 戦争は最終的には、アテナイが戦線を拡大しすぎて、戦力が分散したところを一気に叩かれたということになりますが、痛み分けという感じでしょうか。常に言うところの、両面作戦になったらほぼ負け確定ってことです。オセロの原理で、両面作戦にならない、角地にいる国が最終的には勝つ。ドイツは常に両面作戦になるので負けるということ。



 ワタシなりにこの本から教訓を得ようとするなら、話し合いや同盟など全くの無駄であり、ひたすら、誰も信用せず、軍事力の強化を最優先せよ。結局最後は武力で決まる。信じられるのは武力と訓練された軍隊のみ、という結論しか出ませんね。こういう結論を引き出したいわけじゃなくって、この戦争の有様を見る限り他にどうしようもないといった感じです。

 結果的には、泥仕合をずっと続けていたギリシャ文明は疲弊して、アレクサンダー大王率いる大軍勢に一挙に制圧され、その後も現在にいたるまで、2400年かつての栄光を取り戻すことはなく、最近財政破綻したり、移民が殺到したりして落ち目です。2400年ずっと落ち目ってことです。このさきも気候変動の影響が直撃して、滅びることになりそうです。



 正直この本は名著とされてますが、まったくおすすめ出来ません。古代ギリシャの地図とか地名、民族、場所、政体、地域差、背景、歴史、人物、都市ごとの経済力、規模、武力、みたいなのが全部頭に入ってるのでも無い限りほとんど意味がまったくわからん。

 膨大な事実の羅列、っていう感じでもあって、小さな都市の小さな政治紛争やら、内輪争いなどを詳細にかかれても全然わからん。膨大な付属資料、みたいなものがない限り、全然頭に入ってこないです。

 本当に歴史を研究する人向けの本って感じですね。一般の読者には何も理解できぬ。しかしこんな客観的に、戦争を分析する、ってのを2400年前に作ったのですからとんでもない本です。日本はその1000年後でも、まだ古事記、みたいなほとんどが主観的な幻想みたいな史書を作ってるのですからね。

 中国の史記、ですらこの300年後で、その客観性はめちゃくちゃ怪しいし、一番よくないところは、史記は、権力者である武帝に都合悪いことは抹消されてるってことですね。

 トゥキは追放扱いだったため、一応、アテナイと、スパルタ、をどちらも公平み見るっていう視点で書かれております。



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 ちなみにワタシが読んだのは筑摩文庫のやつなんですが、これ訳文は50年近く前のものです、文章が古臭くて読みづらい。ふざけんな。って思いますけども、これが実情です。古典を新しく翻訳させる金が無いのです、誰も本なんて読まないから。昔の本を文庫にして稼ぐのが精一杯。芸能人の悪口を言うだけが出版社の仕事になりつつある。

 古典だけじゃなくて、ほとんどの本がもう翻訳されたりしないでしょう。これはもう現実に起こってること。海外の本を読むなら英語で読むしか手段は無くなります。実際もうワタシは英語で読むのに切り替えはじめております。今若い人は、なるはやで、切り替えたほうがいい。もう日本語バージョンなんて出ないぞ。まず本から始まったということなり。