これはおそらく、プラトンの初期のほうの作品であり、舞台も、若きソクラテスを描いたもので、時代設定もかなり前の話ということになり、まだまだソクラテスの言動をそのまま描いているものと思われます。
プロタゴラス、という有名なソフィストがやってきて、若き30代のソクラテスが、ソフィストとは一体なにを教えるのか?と尋ねるというお話。
そして人間の「徳」とは何か?という話。
ですが、議論はまっすぐには進まず、プロタゴラスは、ソクラテスの対話形式で、はい、いいえで、答えさせるという議論の仕方は気に食わない。と討論を拒否します。
プロタゴラスが言い訳を言ってるように見えますが、実際、この対話形式、はプロタゴラスの見抜いた通り、答える側がやり込められるように出来ているので、これを見抜いたプロタゴラスはやはり当代一のソフィストとして非情に鋭いといえます。
ソフィスト、というのは、弁論術の講師みたいなものと言われていて、いわば、弁護士、あるいは政治家、ですね。
ソクラテスみたいに、真実、を追い求めるのではなくて、誰かを説得したり、自分に都合の良い結果を得るために、しゃべる、ことを目的とする。真実を言ったところで、ソクラテスが最後死刑になったように、人に嫌われるだけなのです。いわば、コミュニケーションとはソフィストといえます。
ソフィストが国家や社会のためになるというのは、詭弁ではなくその通りで、嘘やご機嫌伺い、おべんちゃら、大言壮語でもそれで良好な同盟を得たりすることができれば、国家のためになり、真実を吐いて、相手を怒らせていけば、破滅に陥るだけです。
プラトンは、そののち、この徳。
どうすれば善い人間、を作れるのか?という問題をライフワークにすることになります。アカデメイアという学校をつくりますしね。でも結果としては、善い人間を作る、方法は未だに誰も見つけていない、不可能なのかもしれません。