仏教ってやつは、釈迦が教義を文字として残すことを禁止したので、これ、というバイブルがありません。
キリストも、自身では何も書き残さなかったのと同じ。
釈迦が死んだのもいつか不明ですが、まぁだいたい-400年くらいと言われております。
釈迦が死んだあとも、三百年ほど、口伝のみによってその教えは伝えられていて、メモみたいなものはあれど、本としては残されなかった。
釈迦の教えが、文字として残されるようになったのは、-100年くらいからということになっているようです。
当然三百年も経ってしまえば、オリジナルの釈迦の教えかどうかの信頼性は非常に怪しい。釈迦が本当は何を言っていたのかはもはや誰も知らぬ。今釈迦が言ったと言われてることと真逆のことを言ってたのかもしらん。
ともかくその-100年くらいから書かれるようになった仏典を集めたものが、原始仏典と言われておりやす。決まった形があるわけではない。
一応現代に伝わってるものとして、南伝というパーリ語で書かれた仏典を集めたもの、漢字に翻訳されて残ったもの、チベット語として残ったもの集めたものがあって、それぞれ別物になっております。これを大蔵経だとか一切経だとか、阿含経だとかいろんな名前で呼ぶ。
仏教のややこしいところは同じものにいろんな名前があるんですね、それはヴェーダの時代からそうだから仕方がない。
それぞれ莫大な量の書物で、とてもじゃないけど、普通のヒトが読めたものではない。
一応この本は、その仏典のハイライトをまとめたものとなっているとのこと。
そして仏典が文字にされるに従って、釈迦の教えである、ということを捨てて、新しい教義を生み出して人々も出てくる、それが大乗仏教(マハーヤーナ)なり。
この大乗仏教ってのは、時代が下ってますので、本としてきっちり残っていて、よく聞くような「般若経」だの「華厳経」「法華経」だのってのはこの大乗仏教の経典であるようです。 日本に伝わってるのは明らかにこの大乗仏教、のようです。
時代が下るに連れて、文字通り、説教臭いもの。
釈迦はこんなにえらい、こんなにすごいことをした、釈迦は神、仏、ブッダである、その教えに服せ、みたいな、宗教色、というか、教団色、が強まります。つまりおもんない宣伝みたいなものになります。
釈迦の教え、から離れた大乗仏教が出てくるのも頷けるというもの。もうわかったよ!うるさい!ってなったのですね。
さらに大乗仏教も同じように自己宣伝ばかりになって、そっから密教、という宣伝しない、教えない、秘密主義の教団が生まれてくることになります。