2026年8月31日月曜日

1930 『僧正殺人事件』The Bishop Murder Case S・S・ヴァン・ダイン 

  ネタバレ注意


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 さてこれくらい注意しておけば大丈夫でしょう。

本来ミステリのオチを言うなんて無粋な真似はしないんですが、これは例外中の例外。


 なんでかというに、別にトリックやオチはそれほど大事ではないし、このミステリが、日本のミステリに一番影響を与えた作品、だとワタシは思うからです。

 江戸川乱歩もフェイバリットにあげているようですし。


 この作品は、いわば、猟奇連続殺人もの、というジャンルのパイオニアと言えます。

ただの連続殺人、ではなくて、猟奇的、なのです。


 この作品では、マザーグースの詩にみたてて、連続で殺人が行われていく、矢で殺されたコックロビン、という詩にならって、ロビンを矢で殺し、ハンプティ・ダンプティ、転がり落ちた、という詩から、せむしの男を転落死させる。


 っていう風に、残酷で、劇場的効果を狙った殺人が起こる。


 別にどうやって飾り立てて殺人を犯そうと、別にトリックには何の関係も無いのです。つまりこれは「雰囲気もの」、ホラー仕立てとも言える、装飾なんです。


 この作品は特に衒学的で装飾的と言われております。登場人物が数学の天才、アーチェリーの名手、チェスの名手、量子物理学の天才、美術マニアの探偵・・・ってな様子。

 数学、チェス、美術の歴史、ギリシャ文学、ドイツ哲学・・・、非常に難しい話題が満ちてる。アインシュタインのテンソルなんて言われても誰も知らん。

 ほいで、当然のことながら、別にトリックには、ほぼ何の関係もない。飾り、です、雰囲気重視。

 いかに巧妙なトリックか?というトリック重視の作品から、物語全体の、雰囲気、を重視する作風。これがめちゃくちゃ日本では受け入れられたというか主流となりましたね。

 ほいで日本人(とドイツ人)は猟奇的、変態的なものがとにかく好きなんですなぁ。


 でももちろんこの猟奇殺人ジャンルにも弱点があって、犯人がめちゃくちゃしぼられるってことですね。こういうイカれた連続殺人をする犯人は、当然ながら絶対に凡人はありえなくて、非凡な才覚がある人間じゃないといけない。

 これだけでほとんどの人間が容疑者から外れてしまうのです。子どももババァも、見た目だけの美女も、犯人から外れる。


 数学や、科学の天才、ってのを登場人物に入れるのも危険で、やはり本当の専門家からすると荒唐無稽のたわごとを言ってるってやり玉に上げられる。しかもそのこの作者は相対性理論全然わかってない、って指摘してるやつも、実は全くわかってないってのがほとんどで、本当の専門家は別にフィクションにそんな厳密性など求めてない。

 いずれにせよ、揚げ足をとられやすいテーマです。

 

 でもこのヴァン・ダインって作家は相当勉強してるってのは明らかでして、自殺はありかなしか、みたいな時に、日本の乃木希典の死に様もまた見事だったって書いてるのです。

 1930年ですからね。今みたいに自殺した有名人、みたいにググった情報をコピペ出来るような時代じゃないわけです。1930年のイギリス人が乃木希典まで調べてるということは、それはまじで相当調べてるってことですわ。

 日本人ですら知らんでしょう、そりゃ当時の日本人は知ってただろうけども。おそらく今の若い人で乃木希典を知ってる率は1%以下です。イギリス人なら0.01でしょう。

 イプセンは、悪くはないが、ゲーテには及ばない、日本画よりも、全盛期の中国の水彩画のほうがレベルは高い・・など審美眼も相当確か。ヴァン・ダインは本職は美術評論家だったらしいのでそこは専門領域ってことなのでしょう。

 宋の水墨画なんてまじでまっったく一般の人には鑑定が不可能。っていうか宋、ってのがすでによく知られていない。

 


 ABC殺人事件と並んで、ひじょーーーーに、フォロワーが多い作品であります。これはミステリが好きなら必読の書なり。


 あと、タイトルは、明らかに、ビショップ殺人事件、とすべきですね、このビショップはチェスのビショップのことで、宗教のビショップとは全く関係ない。チェスのビショップを僧正、だと思ってるやつはチェス好きにもまったくいないでしょう。

 このタイトルだとなんか教会で起こる殺人みたいな感じがするが、教会など一度も出てきません。そもそもキリスト教徒を僧だとか坊主って訳すのはめちゃくそ無理がある。

 でも何か不穏な印象を与えるということで、あえてこの誤訳というか、ロスト・イン・トランスレーションのほうがしっくり来るという気もする。