2013年11月10日日曜日

Making 122  /映画嫌い、の話   新しいフォーマット GANMA






 ず~~~いぶんぶりのMAKING更新。さぼってるわけではなくて、インプットをやるモードに入ったってことですね。



YOUKUが調子悪いすね。広告がイカれてしまってる、か、日本IPのブロックがunblock youku では突破できなくなっておるってわけで、プロキシを使えばいいのですがめんどうなのでいいかとおもふ。あぁ、あのテロですね、検閲がさらにハードになっているみたいです、中国電脳世界は。閉鎖されるかもしれませんね。閉店ガラガラ・・・




 小説を読むことが多いこのごろ、やっぱ、映画って未完成のフォーマットなのか、とも思う。小説ほど完成してない。映画って見るのが苦痛です、だらだらしすぎてる。小説は読むヒトによってスピードが全然違いますから、マンガも。だから小説やマンガのほうがサクサク読めて良いですよね、映画もやり方を変えるべきなんじゃないかと最近強く思ふ。映画ってスピードが絶望的に遅いんです、見てらんない。ゲームも自分のペースだし。ペースが相手側ってのは本当にもう耐え切れない。といってノベルゲーム、エロゲーみたいなものも、やっぱしずっと画面見ながらテクスト読むのはしんどい。本みたいに持ち運びが出来ないと駄目だし、ポータブルゲームは画面が小さすぎる。




 新しいフォーマットをはやくつくらないと、少しというかかなり前に、星降るっていう短篇を作りましたが、これは音楽もついた新しいデジタルマンガをPDFで作ったんですが、やっぱデスクトップでながなが物語を読むのはしんどい、肩こりがパネェし。といってタブレットやEリーダーは普及率も悪いし、高いし、遅いし、何よりPDFに対応してなかったりする。カラーに対応してないのもある始末。やっぱ寝転がって読めないといけないので・・・まだまだインフラが出来てないんですよね、調子にのって作っても読みようがない。

 ってか電子出版で本を買ってタブレットで読んでるってヒトどのくらいいるんですかね?10万もいないような気がするのだけど・・・。

 でもいつかは映画に変わる新しいメディアが誕生するでしょう、速い、映画のようなもの。GANMAという名前だけ提案しときます。

 



 

2013年11月9日土曜日

adventure of sherlock holmes 1891 シャーロック・ホームズの冒険 オーディオブック

http://www.booksshouldbefree.com/book/the-adventures-of-sherlock-holmes


 オーディオブックのリンク。


 冒険、ADVは初の短篇集で、どちらかというとここからホームズ人気は出てきて、先行した長編2つは短篇から興味を持ったヒトが遡って読んだっていう感じのようです。

 ホームズ自身が言うように、短篇集はデータからの論理的帰結が重視されていて、事件自体は深刻な事件、は少ない。必ず殺人事件が起こる、他の探偵物とは違っているのです。

 その中でも赤髭、親指、ぶな屋敷とかは、芯をくってる、というかアクション要素が強くて、冒険、という題にあってますね、
推理モノで、冒険、っていうタイトルは変ですものね。純粋な推理モノっていうよりは、007みたいな、なんだろう・・エンタメ小説でもあるわけです。そういうわけでは、やっぱ大衆受けするようなもの、元祖はかなりの程度ホームズが親玉なんでしょうね。
 こういうものって本当にこれ以前にはあんまし無かって、それ以降はこういうものしかなくなってくるっていう、まったくもって業界を変えてしまいましたね。そういうわけでは功罪がありますよね・・・

 携帯電話が他の通信、手紙やらを絶滅させたみたいに、話が長くて、おもっくるしい哲学的主題を書き連ねたり、だらだら恋愛を語るような作品は、一発で時代遅れにされて、絶滅させられたってことです。ホームズはそういうわけでは以降の作家の書き筋に甚大な影響を与えましたね、面白くないといけないってのは、恐ろしい制約です。すぐつまんない、って投げ出されてしまうから・・・


 またたまたま見たドキュメンタリーでは、現代の警察の科学捜査もがっちりホームズの影響を受けていて、そういうわけで実際の世界に影響を及ぼすという点でも、共産党宣言には及ばずともすごいエネルギーを持ったシリーズであるわけですね。ハリポタが流行ったからといってみんなが魔法を使うということは無いわけで。


 どういうわけか知らないけれど世間もホームズ再ブームのようなのです、ある種のシンクロニシティーですけど、映画もリメイクされて、ドキュメンタリーや、ドラマの再放送も始まってます。Iもなんにも考えずに風邪で仕事が出来ないから手にとっただけなのに。
 社会が不安定化して、犯罪が日常化して、日常が退屈になって、リスクがあってもスリリングな快楽を求めるっていう状態が、現代にシンクロしてるからなんでしょうかね。一番良いのは、これが物理世界の中の物語だってことでしょうね、だからシンクロすることも出来る。日常が退屈だからといってありもしないファンタジー、やれゲームの中に入ってしまった、だの、特殊な能力が手に入っただの、は実際に生きる糧にはほとんどならない、ただの何の根拠もない一般論、最後まで諦めてはいけない、みたいなことを伝えるだけです。

 だからあんましIはファンタジーや行き過ぎたSFって好きじゃない、やっぱし物理世界のルールは守るべきなんだと思いますけどね。じゃないと感情移入出来ないもの。制約があったほうが面白いっていうのであれば、物理世界という制約はやっぱし共通体験であるわけで面白いんだと思います・・・



 では次はMEMOIRでお会いしましょうw



 

2013年11月7日木曜日

星のカービィ3 1997  任天堂 / PS4 批判

 ちょっと全部のステージでおまけイベントをこなして、裏ボス倒すのは勘弁して下さいw そんな時間ないです・・・ 
 でもこういう裏面のほうがオモテ面よりも何倍も大きくて、どこまでやったらいいのかわかんないのは困りますよね。ヘビーゲーマーならいいんだけどライトゲーマー的にはシーキビです。作りてからするとごちゃごちゃ言われない裏面でやりたい放題やるのが楽しいんでしょうけど。他のメディアではありえないですよね、おまけのほうがボリュームあるってのは・・・・。


 カービィ3ってI見たことも聞いたこともなかったですね、SDX(スーパーデラックス)はもぉ、スーファミのボタンが凹んで帰ってこないくらいやり込みましたけどw そして64も持ってたし、スマブラもマリオ64も阿呆ほどやったし(あの頃の気合はまぁ戻らんですね~~、スター全部集めたもんなぁ・・あの純粋さはどこへいったのやら)カービィユーザーとしてはかなり思い入れあるのになんでカービィ64には一切手を出さなかったのかもわかりません。

 このゲームはヨッシーアイランドのカービィ版みたいなもので、でもゲームが出来た頃にはPSやら64の時代になっていて、うわたっ!ハード間違えた!みたいな不運に陥ってしまった作品みたいですね。ゲームのコンセプトとしても、原点回帰でかなりそぎ落としたゲーム、ゲームボーイみたいなゲームです。ほいで任天堂のスーファミのラストを飾ったソフトなんですってね。

 まったく宣伝もしなかったためにちっとも売れなかったある意味黒歴史ソフトのようなんですけど、Iはやっぱゲームってこぉいうデザインがいいと思いますね。ガキ、ナオン向けってわけでもないですが・・・


どういうわけか妙に悲しくなるのはなぜでしょうw
本当にガキのころトモダチがいて、妙にカービィとかが好きで、でもな~んとなくグループからは浮いてて、でもIも休み時間にマンガ描いてるようなタイプでしたので(でもそれほどIはういてはなかったけれど)、なんとなく気があって。そのトモダチ少ない子のうちで、一緒にカービィやったのをめちゃくちゃ思い出すからですかね。なんだろうあの感じはw 名前すら覚えてないけれど・・・・なんだこの話w でも本当にIが気があったのはともだち百人タイプではなくてそういうややネクラーソフのヲタクちゃんだったんでしょうね。でもそういう子とずっといるとだんだんその子とふたりぼっちみたいになってしまって、なんとなくいずらいものです・・・・でもだいたいにおいてIはそういう浮いてる子が好きで、そういう子に近づいてくタイプではあるのですけどね。
 


 そしてこのカービィ3もやたらそのトモダチとかパートナーを全面的に押し出すからなんか胸に来るのですかね、最初は孤独に戦ってたのに、カービィ・・。仲間キャラを変えると、変えられたキャラがさみしそうな顔をするのがすっごいヤダ。置いていけなくなるっていうか、どれも選べなくなる、そんなのって・・・・・・でも任天堂ってそういうちょい悲しい、みたいなの放り込んできやがりますね、ピクミンとかもそうだものな・・・


 絵面的にはやっぱIはこういうのが好きですね、リアル系は好かないし、テイルズとかスターオーシャンみたいなふる~~い80年台アニメ、マクロス的な
デザインはまったく肌に合わない。親近感0、といって京アニ、萌えスタイルも好きじゃない。ジブリも最近のはヤです、書き込みすぎ。未来少年コナンぐらいが
好きだったな・・。カービィもすごい良いと思います。ロックマンやや好き、キヌ系のカプコンデザインも好きですね。



 カービィってそいでちょっと毒があるっていうか、いきなりちょちょいとエグいのを入れてきたりするのですSDXも最後はちょっとシリアスはSFチックな敵が出てくるし・・・・。カービィ3も裏ボスは怖いって噂だけどそんな時間ない・・・・・(今YTのプレイ動画で確認・・・コワッw)

 やっぱその落差がでも大事ですよね、最初からシリアスでこられるとどっちらけです、落差がドキドキ感がある。書き込みまくりの重厚なマンガとかってなんか読む気しないもの。スクエアで確か・・・なんだったけな・・ゼノギアスだったかな?そんな感じのゲームがありましたが、なんだかグロ路線でおもた~~いゲームでしたね。それもなんか入ってこない。最初から全員シリアスなんだもの、7以降のFFもそうだって言われますね。もっと洒落がわかるやつだったです、バッツにしろ、マッシュにしろ、クラウド以降ビジュアル系のクールになってしまってついていけませんね。韓流ブームだのEXILEだのジャニーズだのに一切ついていけないのと同じで。メタリカだの、スリップノットだのならまだついてけるけどw(ちょと違うようですね)
 もっと馴染みやすいキャラクターが、どんどんシリアスなものになるっていう落差が、大事だと思いますね。ギャップ・・・というか・・・、リアリティ・・・・


 かなりEVAのあれなんですけどね、ダークマターとゼロは・・・・任天堂の社員が相当EVAにハマってたのがわかる・・・・ドハマりです。






 それよりもちょいと大事な話しだと思うですが、カービィ3は、そぎ落とし路線なんです。キャッチコピーがだって、

 最近のゲームは難しすぎる、もっと楽しく遊びたい


 ですからね。ハードのハザマに入って見落とされたっていうよりも、複雑化とハイテク化に反旗を立てたっていうのが正しいのかもしれない。事実Iは64以降はやってないわけですし。
 けれど時代はいつだってそうなるんだ、後戻りやセンチメンタリズムはやめろおっさんが!っていう批判をするひとは、現代音楽とか絵画とかがどうやって廃れていったかを知らないのですよね。
 音楽も複雑とハイテク化でまったく意味不明になってしまって、クラシックの進歩はそこで絶たれてしまって、今では本当に昔の音楽を演奏する団体になってしまいました。でもクラシックって古いっていう意味ではなくて、本当は、正統な、っていう意味です。だからどんどん新しい曲を演奏していいのだけれど、完全にオーディエンスに見放されたって形です。
 
 絵画もそうで、リアリズムが行き過ぎてアカデミーは完全な頭打ちになって、そっから印象派、その印象派たちも、アブストラクトだのなんだのって、複雑になりすぎて結局空中分解してしまいました。
 
 音楽も単純で削ぎ落とされたPOPに、絵画も簡略化された、アニメ塗とか、イラスト、にとってかわられてしまった。
 文化は逆行しないと思われていますが、実際には文化は逆行と進歩を繰り返して螺旋状に進んでいくものです。

 やっぱりゲームも何を加えるかじゃなくて、何をそぎ落とすかが大事なんだと思います。




 海外のテレビでNBAを見てるのですけどPS4のCMがかなり流されています。でもちょっとひどすぎますね、戦場で撃ちあうようなゲームばっかなんだもん。それがリアルだとか言ってるんですが、それって・・・リアルじゃないでしょう。そんなスタイルの戦争もぉやってないし、化学兵器と無人兵器の時代だってのに・・・。それと本質的な事を言いますが、それって痛くないと面白く無い。自分が死ぬっていうスリルがなかったらやっぱつまんないと思います。
 それがイヤだからゲームで違うセカイを作って来たんちゃうの?戦争やりたいならやればいいじゃん、けどそれよりももっと面白いセカイが作れるかもしれないよ?っていう、アンチ写実路線を進むべきだと思うなぁ・・・・・カミサマ、が作ったセカイよりも楽しいセカイを作ってやる!ってのがゲームクリエイターの志だと思うんですけどね。まるで現実の第二次大戦に参加してるようなゲームを作ったところで、だからなんやねん、としかIは思いませんな。有り物をコピーしてるだけじゃん・・・



 まぁそれが売れるからしゃあないんでしょうけどね、とくに北米では。カネがかかるから売れ線しか作れないし。論点は舞い戻ってやっぱし、盲目的な複雑化と高度化は、どっかでヒトの感性を外れていってしまって、意味不明のものになってしまうんじゃないですかね。誰もシュトックハウゼンやメシアンなんて聴いてませんよ・・・武満徹がいいなんてさっぱし思わないし。現代芸術なんてクズだとおもふものなりw

2013年11月6日水曜日

アルジャーノンに花束を 1959 ダニエル・キイス


 古典、になった作品としてはかなり新しい部類ですよね1959年ですから。
 当時は、というか戦後は、まだ研究のブラックボックス化がそれほど進んでなかったので、こういう神経外科、ロボトミーみたいなことは
本当に研究されていたし、成果も出ていた。デルガドみたいな研究者の脳の電磁誘導みたいな実験も雑誌に載ってた。けどそれは今ではなかったことにされている
というかすべてブラックボックス化して地下に潜っただけで、その実験が終わったとは思えないですけどね。ともかく、表立って神経外科的な人体実験は出来なくなりました。
 バイオ系の研究もね。ただ学会に発表されなくなったってだけだと思いますが。


 だからあんまし当時の人々よりもピンと来ないと思いますね、原爆だのなんだの科学万能主義の時代でもあるし。あるいは科学万能主義が終わりつつある時代でもあって
切実さはやっぱ当時のほうがあったでしょう、半世紀後のIたちよりも。50年台のヒトは恐ろしく前向きです、頑張れば何か出来るかもしんないっていう事をマジで信じてる
事実、確かにチャンスは今よりも圧倒的にあったのでしょう。
 
 左派的な偽善団体が政権を握るようになってから、あるいは選挙がマスメディアのイメージだけで、内容はまったく問われなくなってからは、本当の事を公表する事は
まったく無意味というよりも、有害になったということでもあります。

 演劇としてはすごいよく出来てるんですね、I個人としては、絶対やりたくない禁じ手みたいなものがあるとして、知的障害者物に限らず障害者物
死にかけの親と子の話、姥捨て山みたいなの。
 は、絶対に作りたくない。そういうものって、なんでしょう、感動するのが目に見えてるから。お涙頂戴がハナにつくからですね。マンガのリアルもまぁ
それです。別に他人の作ったそういう作品を見るのは、そこまでは抵抗無いですけど、まぁどうですかね・・・そしてなによりもめちゃくちゃな数がそういうジャンル
ですからね。どうもそれを批判するとクズ扱いなので批評も優しいしね。Iはプラトンを支持しますね、不健全者は、生まれた時に、静かに洞窟へ捨てるべきだ。
 クズ発言w でも思ってない事描くよりは本音を吐くべきでしょう。誰も障害者と暮らしたがらないじゃんか。ホームレスとかとね。誰も何もしないでしょう?
レスのほとんどは重度にかかわらず知的障害だって話です、社会から見捨てられた障害者なんですね。なのに口先だけでは優しくなんてひどい話です。
 埋めるのが優しさだとIは思う、I自身そうして欲しいから。ただそれでは演劇にならないけどね。障害者を生まれる前に処理していては。


 科学的な説明としてなんか、うん?ってとこが多々あります、そんなん演劇ながらもっと説得力を持たせる必要なんて無いってことなんかもしれませんが、なんで知能が
増大したら下がっていくのか、っていう説明がほぼまったくナッシングで、そうだからそうなんだ!の一点張り、まぁ演劇的飾りとして仕方無いってことなんですけど・・・
ふ~~~む、好き好きですね、演劇効果を優先するのか、ちゃんとリアリティを優先するのか。そいでやっぱし愛だ恋だというのはハナにつきますけど、そんな馬鹿な・・
一二度会っただけでそこまですきになったりしねぇって・・っていう。キニアン先生も納得いかないですね・・・特に納得いかないですね。たぶん、演劇ではキニアンには
必ず美人を当てることになるのですけど、そんな美人で優しい女が、知的障害者の教員をやってるなんつーのは死ぬほどリアリティが無いです。別に美人でやさしい人間なんて
この世にいないと言いたいわけではないけれど、どういうわけかそういうヒトは、もっといいポストに収まっちまうわけですね。引く手あまただし。優しいけれど意思や
展望に欠けていたりしてね。もっと直裁的にいうと、美人で優しい=アタマからっぽのメス犬 
っていう黄金方程式が・・・w


 でもチャーリーの母親も、白痴化してしまってるというのは、良いアイデアだと思います、まだチャーリーが32才だから50そこそこのはずなのに、イカれてしまってるって
のは、これはナルホドです。座布団三枚。遺伝だったんですね。
 

 ふと最近怖くなるのは、まとも、な人間が今どれだけいる?ってことです。別に日本だけじゃなくて、日本では、だってまず子供は判断力無いです、老人も終わってます
団塊の世代はたぶん戦後で一番、バカです。それが白痴化してってもっともっとバカになる、もうバカが5割、6割なんじゃないかって気がして非常に怖い。それは
あの世間で見下しているようなバカのことではなくて、もう病的な白痴化が進んでるのじゃないかってことです。農民の無知とかいうレベルじゃなくて、教育を受けてない
無知とかではなくて、教育不可能なレベルの白痴がめちゃくちゃな数にのぼってるんじゃないかってことです。ワレンの精神病棟がパンパンになってる。




「今ではアルジャーノンも自分の排泄物に埋もれて動かない・・・Iはどっちかな キレイ組かキタナイ組か」

1841 モルグ街の殺人 E・A ポー

 Iが読んだのは、新潮文庫の短篇集Ⅱ ミステリー編というやつです。2009年発行、えらく新しい、いまさら新たになんで短篇集?というと生誕200周年だということ
です、この生誕だの没後だのというのは、結局10年に二回ずつ、デビューもいれると三回ずつ、作品ごとの何周年だと結局ほぼ毎年あるわけで、出版界のしょうもない
広告戦略なんですが、著作権切れの本を買う人がいるのですかね?まぁ安いからいいのか・・


 モルグは史上初の、探偵推理小説、であると言われておる作品ですが。オチは、史上初というのはあまりにも、キワモノというか・・、ひねりにひねっています。原型だから
ベタということはまったくなく、初めてなのに、カルト的。ポーの天才ってやつなのですかねw。
 ポーは初めての商業作家だとも言われています。文筆だけで生活を建てる、貴族で地代収入があるわけでも、他の仕事があるわけでもない。まじりっけのないプロ
というのか。才能だけで身を立てるというのか。精神的身売りというのか。プロの芸術家というのか。
 そしてポー自身も初めての商業作家としては、異端中の異端、カルト中のカルトですからねw 完全なヤク中、変人、人間嫌いのアル中。異端の天才のベタ中のベタ
みたいです。ボードレールはやっぱポーが好きだったのでしょうね。

 そういう自己破滅型の天才の原型でもやっぱしあるんでしょう、芥川も太宰も、ポーになっていく。前回レヴューを描いたウェストールみたいなタイプとは
完全に異なる。そいでやっぱしIはそぉいう、自傷行為大好きの、社会に適応出来ない人間のほうがやっぱし好きだなぁ・・・。どうも安定した生活で、じっくり
作られた作品みたいなのは、肌が合わないのです・・・。そしてだいたい破滅型は作品が、ぎりぎりまで切り詰められてて、だいたい短くて鋭利、寡作。ってのが
よいです。時間対効果が高いというのか。経済的な理由じゃなくて長いとどうしても、忘れていってしまうし集中力が持たないから。
 
 そういうわけでは天才、というのにふさわしいです、新しいジャンルをガンガン切り開いていきました。そして死に方もまったくの謎の死でして、ゴッホ伝説とは
またひと味違った、天才らしい死に方です。
 

  モルグだけが読み返したかったのですけど、他の作品も読みました。(というのはホームズがいかにモルグから影響を受けてるかを見たかったからです)

盗まれた手紙
 モルグの後日談的な話

群集の人
 これはまぁ、天才やなぁって感じのアイデアに満ちた短篇。いわゆるスカしってことですね。

おまえが犯人だ / ホップフロッグ

 落語というか、ちゃんとサゲを持ってくるオーソドックススタイルです。映画にすればかなり効果がありそう。


 黄金虫

 これもいわずと知れた有名作品で、元祖暗号ものらしいです。暗号宝探しものといったらいいのか。確かに世界文学、なるものをだいたい読んだIですが、こぉいう小説は
世界文学シリーズには入ってなかったな・・。もちろん教科書のたぐいにも扱われない。


 前回ウェストールの時に描いたように枢軸国は悲劇を好むので、カラマーゾフや戦争と平和、罪と罰のような小説に与えられる地位は、楽しかったり、ワクワクするような
ものには与えられない。それは枢軸国ではなくてアカデミー賞でも、だいたい何か体制派の匂いのするものはだいたいそうです。けれど、体制派が支持しなくても
大衆が支持するので、それでいいのかもしれませんね。カラマーゾフをしっかり読んだヒトなんて一握りだろうけど、黄金虫やモルグを読まなくても、そっから派生していった
ようなものは、テレビや映画に死ぬほど溢れているものね。むしろ体制派やインテリが支持しなければ、真面目な作品なんてのは、すぐに滅び去ってしまうってこともある。
 けど体制的というか全体主義的な国は、真面目すぎて、真面目な文学すらも、生まれない、共産主義や、スパルタイみたいな国では。やっぱり表裏一体なんでしょう。
じゃあ自由な国では大衆向けばかりになるのかというとそうでもないというか、自由な国、なんてものは無いからそこでどんなものが生み出されるのかは、人類は知らないでしょう
そいで知ることもないのではないですかね。
 
 

あまり関係ない話ですが、いきなり本が読みたくなることがある、仕事をやりたくなくなる時がある。でもそういうときはその自分の直感を信じてやるべきなんだと
最近思います。自分のなかでどうも、何か作品に厚みが足りないと感じてるからインプットをやりたくなるんでしょう、直感でそれを感じている。そういうときは
それに逆らわないでじっくりインプットをやるしかない、残された時間がなくても、近道は出来ない。
 あの毎日12時間勉強したとかえばってる受験生みたいですね。別に時間なんてどうでもよくて、必要な事を必要なだけ過不足無く覚えればいいんですよ。時間なんて関係ない。どうも時間さえながければいいって、褒めるヤツもいるから困る。トーリ党みたいなヤツが・・・・ゲージュツでもそういうヒトがいるけど、一日12時間ほとんど睡眠も削ってヘロヘロで作品を作るのは、頑張ってるっていうよりもやっつけでやってるとしか思えませんけどね。もちろん狙ってヘロヘロの陶酔状態でやってるのかもしれないけれど。

2013年11月3日日曜日

ブラッカムの爆撃機 Blackham's Wimpy 1982 ロバート・ウェストール /日露安保   




 1982年の出版ですからかなり新しい。Iは基本的に新しい本はほ~~~ぼ読んでないのでかなり珍しいですね。本って小説のことです。
もちろん、宮崎駿のマンガつきの岩波版を読んだわけですが、でもきっかけは別にあったと思う。


 たまたまロアルド・ダールとロバート・ウェストールを勘違いしていてR・・なんだったけな・・ロバート・・・ウェストール?だっけな?
と洋書を探してたら、間違ってウェストールの方をつかんでしばらく読んでから、あぁ、ちゃうわ!ウェストールじゃなくてロアルド・ダールだ。Rしか
あってないや。と思って、どうせ途中まで読んだからあとは日本語でさっと読もうと思って本を切り替えたのです。
 そしたら駿先生がめはしっこく見つけて、マンガなどをつけて岩波とタイアップしてたというわけですね、岩波もなんか最近カネになりそうなところに
飛びつくようになりましたね。終いには帯に有名人にコメント書かせるつもりか?

 内容はというと、これはかなり楽しいです。戦争ものなんて読み飽きた・・・というヒトばかりだと思いませんがw、それにしてもマニアックっていうか
かなりもぉヒコーキ大好きのおっさんに向けて書かれていて、児童文学?ってのがほぼ意味不明です。児童文学?っていうジャンル分けってまったく不必要だと
思いますけどね。エロ本と普通の本でいいじゃん、ガキ向け、の本というけれど、それはガキをなめているというのもあるけれど、オトナを過大評価し過ぎ。
オトナのほとんどは児童文学すらも理解できないですよ。オトナ、のレベルはもっとずっと低い。オトナになると賢くなるというのは大間違いで
オトナになると賢くなるヒトも少しいる、ほとんどの大多数はよりバカになる、最終的にはみんなバカになるのですが。エロ本の知的レベルを考えればそれは
明らかでしょう。
 ざっくり言うと幽霊ものなんですけど、そぉいうざっくりカテゴリしても実質とは何の関係もないので控えめに。



 なんでこぉアングロサクソンにはユーモアがあって、ゲルマンとアジア人は悲壮に物事を捉えるんだろうか。って思いますね。やつらは飛行機にのってそのまま
地平線の向こうに行った。なんてことは書かないですね、枢軸国は。すべてヒトラーやら天皇の為に神になったのだ。彼らの英霊やすらかに・・みたいにおもた~~い
ことになってしまう。神風パイロットたちの霊を悼む・・・とかいって。近距離リモコンミサイルコントローラー達はどこへいった?みたいなシャレを言わないですね。
 Iはやっぱしユーモアのあるイングランド人たちが戦争に勝ってよかったと思ってしまいますね。
 ゲルマンは(アーリア人は)カントやベートーヴェンの国ですから・・こいつらもまぁ、おもっくるしい世界観を持っていることで。もちろんその真剣さが刺さる時もあるのですが、どっちかというとIはユーモアが好きです。泣くよりも笑うほうが好きですね、どうも泣きたい奴ってのがいるんですよAXISには。



 あいつらの隊は死亡リストに名前が載っちまった、とかね、まぁこういう表現って無いなぁ・・・、仲間の伍長は膝をかかえて遠くを見ていた。人間の尊厳が!人間の
自由が、のしかかっていた。さきほどガソリンで燃やした中国人が・・・・

おもた・・・・重たいわ。 

中国人でキャンプファイヤーをしていたあとで軍曹は悪酔いして
ゲロっていた。という書き方は出来ないのですね。それは負け国だからではなくて、ずっと昔からそうです。そういうじめじめしたのが好きなんですよね。
 それは自己洗脳だと思いますけどね、ほんとはヒトの命になんてちっとも価値はないし、いくら殺したって罪なんてないし、バチもあたらないし、人生なんてものは
たいした意味なんて無いってのが本当でしょう。それを拒否して自己暗示をかけて、やれ神だ国だ故郷だ家族だ、仲間だ。というと偉いように聞こえるけど、現実を
直視しないだけなんでしょう。たとえなんの希望が無くてもまっすぐ前を見るほうがいいと思う、たまにシャレをいってそれを笑うことだってできるし。
 
 ヒトは何も持たずに生まれる、墓へ持っていくものなどあるはずもない。



 ウェストールはもちろん、実際の飛行機乗りではなくて、やっぱりただの戦争あこがれだけの、戦後の作家ですから。どこまでいっても、本当の飛行機乗り、サンテックス
みたいな感じには出来ないですね。どこまで調べてもやっぱり想像だけでしかない。それは戦後作家の全員がそうです。だからやっぱし世間的にもサンテックスみたいに
扱われることは無いでしょう。戦後作家はやっぱし、平和な時代、つまんない時代の作家ってことで、歴史にはほとんど残らないでしょう。ウェストールの知名度が
それを物語っているでしょう。
 そうはいってもやっぱし才能のある作家です、経歴は教師と作家という、まぁ死ぬほど退屈な人生ですけど、平和の時代に生きただけあって、作品数も多い。
けれどやっぱし、本当に戦争の時代に生まれていたら、この才能があれば、もっともっといいものが産めたんだろうな・・・

 戦後作家が10年かけて推敲したとしても、その場にいた人間の殴り書きにも及ばないってことがあります、経験が、圧倒的な経験の差がある・・・
 

  


 追記
 
 本の残りの部分、チェスマッギル、Iを作ったもの、も読み終えました。 けっきょく全部幽霊ものだったのか、とウェストールがどういうヒトなのかというのがわかるように組まれているわけです。やっぱし、戦争で死ねなかった戦後作家、っていうのは間違ってなかったみたいです。


 なんでそういうことが気になるかというに、Iたち、まぁIは、戦争へ参加出来るその時代の作家になるだろうと思うからです。あと30年以内にはなにかしらがあるだろうから、まだよぼよぼのジジィではないので、何らかの形でIは参加出来ると思います。
 作家、というか、想像力、理性、人格、ってのは経験からしか生まれない、もちろんもともとの出来の差はあるけれど、経験がそこに加わらなければ、ソフトのないCPUにしかならない。いくら計算力があっても無駄です。
 Iの好きなコトバがあって、チャーチルが世界大戦の時にした演説のコトバです

 ワレワレの時代は、暗い時代ではない。ワレワレの時代は、最も偉大な時代だ、これまでの人間の歴史で最も偉大な時代だ。

 ただのつよがりでしかないけれど、作家、というのは、たぶんそういうもので、絶望と苦難が大きければ大きいだけ、マイナスをつけてそれを素晴らしいものに変えていける。無から無を生み出す仕事だと思います。

 Iは無に属しているから無を愛する。無はタダだからどんな大きな無だって描ける。物でセカイを作れば限界がある、無でセカイを作れば、限界は無い。


 名言を吐いておきますw


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 しゃっとなんでもないニュースのように日露安保協定が結ばれていますが。えっ!?って感じですね。そんな大事な事をこんな簡単に、しかも勝手に決めるのか。日独伊三国同盟をちょいちょちと決めたみたいに。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131103/k10015770031000.html

 これで東南アジア、ロシア、アメリカの中国封鎖ブロックが完成したわけで、中国はインドに歩みよりをはじめているところへ、ウイグル族のテロだなんだって、欧米には格好のディスるネタが出来て、中国を内部から切り崩そうとしてるわけです。今だにこのセカイはこのような足の引っ張り合いとやっかみ、いがみ合いをやってるのですね。中国は上手く立ち回らないと、また列強の食い物にされるよ。ということを中国政府は気づいてるのかね、あの人たちってほんと、政治的手腕が無いですね。日本人がなに言ってやがると言われそうですが、まぁやっぱでかすぎるんだよね・・・

2013年11月2日土曜日

MAKING 121 / sign of four holmes Doyle 1890






 Iは何度も描いてますがクロスハッチ的な陰影は好きじゃないです。けど回想とかノスタルジックな場面ではやっぱりいいのかなともおもふ、まぁ使いようですね。どうもこぉいうラフのほうが仕事をちゃんとしてる感が出るのはなんででしょうね?キレイになってるとどっか手抜きをしてるように見える・・・


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 最近は本を読むモードです。もう小説なんて読まないと夏頃に宣言しましたがw 結構最近本を読むスイッチが入りました。秋だからやねw
 
 ウェストール、ホームズ、アルジャーノン、アラン・ポーなどを殴り読みしています・・・あとめっちゃ昼寝もしてるな・・・

http://www.booksshouldbefree.com/book/the-sign-of-the-four-by-sir-arthur-conan-doyle

 オーディオブックが無料であります。

 ホームズ第二作は、やっぱし一作目よりも洗練されてて、種明かしの説明と動機の解説が長いすぎるわ!!っていう緋色の弱点を補って、アクションっていうか冒険的色彩が強いものになりました。ホームズってあれです、頭がいいだけ系の探偵ではなくて、アスリート力も高いのですよね。弱点といえば、厭世的でコカイン中毒っていう、デカダンス的な部分だけであとはスーパーヒューマンです、デカダンスだって一種のダンディズムだから基本的にはノー弱点なんですけど。(だいたいこういうヒトはホモですけど)こういうノー弱点のキャラクターって、親近感があまりわかないものなんですけど。ホームズには人気を得る何かがある。そうか、ホームズにはエロスが全然無いのですね、ホモでも女好きでも、オナニストでもない。もしかしたらインポなのかもしんない。そこがたぶんみんなに好かれるとこなのかもしんない。ワトソンが阿呆に見えるのはワトソンが女好きだからなんでしょう。女好きってのはどうも滑稽さがある。ルパンみたいな行ききった女好きなら逆にかっこいいけど、良い夫をするようなオトコは、その程度のオトコだとおもふ・・・



 何の因果か、巷でもホームズブームが再燃してるみたいです、NHKで特集されてました。エンタメ作品として、インテリにも認められたキャラクターとして、いわゆるキャラクター中心、のエンタメを創りだしたのはホームズらしいです、コスプレの元祖でもある。ポーはエンタメ小説作家、のパイオニアで、推理小説を創りだしたのも基本的にはポーだと言われています。


 やっぱし時代なんですよね1880年頃ってカラマーゾフが出版された時代で、あれは純文学、と言われるものの終わりみたいな作品です、第九みたいな。第九はやっぱり古典音楽の終わりみたいな作品ですから。
 だからそこで純文学路線、は終わり、終わったと同時にホームズのようなエンタメ小説という新しいジャンルが切り開かれて、20世紀にはSFが新たに勃興する。
 1969年のスペースオデッセイはSF路線の終わりみたいな作品でした。

 だから時代のスタイルってのがあって、やっぱし現代にホームズみたいなミステリーを作ろうとしてもさっぱし時代と合わないですね、今の時代にあったテーマとメディアとスタイルを探すべきなんでしょうね・・・