2012年7月30日月曜日

酔いどれ天使 drunken angel


  K running out of plot, storyline, because almost all of story were already well told in the novel before we started shooting film,so what movie do next, if you have nothing to tell.
the  Answer is, the answer K decide is make something totally different than novel, its acting more precisely action.
 K gathered best talent, team K formed at this stage, MIFUNE , SHIMURA, and K. this trio made i think half of top ten film of 20th century. Tarkovsky,Kublick , dont have those talent in their team, you cant find those talent usually, its just a miracle. its like james dean, lilian gish and Kublick gathered at peak of their career , its impossibleness are magnificent hollywood's star system dont allow you to.
 the storyline , and next couple of film K made is ,rather simple, not so complex, but its picturesqueness, Moviness, if can i say , are too great. there is only few of film reach at this stage. movie can come up with DOSTs  novel, was question of movie drector K prooved it can be.
 but there is backside of this time of K, K lost his tendency to make more... shocking to the society , this is  great film, but just great film , don't change your life or way of thinking. film for film , not film to better life.

フォントの不思議 小林 章 2011


 i thought suddenly that , japanese font are bunsch of shite, especially ,bundled with windows
its hard to read.Japanese, modern japanese font after meiji era are...not beautiful, it prefer just effectiveness
hurried to come up with modern civilization, dont fucking care about its beaty, Asian culture generally
thought word and its beautiness is more important at least samely count as what it say.
 why it have lost? there is something that we lost around those era, cant taken back anymore.
time time time, oh time, people care about time than life...
 any way this book is very imformative,i though it is really hard to deal with copyright this kind of book ,
and what i find is,author is that compay man,that is why they can publish this kind of book.Due to copy right
people only talk about 80years ago, 80 years ago(30's) is MODERN this day, fuck off C-round jerk.
 i wrote this with MEIRYO font i searched helvetica on my PC but there is none, good fonts are expensive....
thats why MAC are tough price, its license fee are...
 Japanese manga dont pay enough attension to font , its sound effests are well considerated, all word
should be written by hand or alphabet is , a lot more nice.









2012年7月29日日曜日

SOALA


what i find is water color paint cant simulate on digital, al least today. i draw it with old style and, make it more blight with PS,i used very cheap stuff,at daiso 12 colour 100 yen just amazing,what a fuck, 100 yen!! and high light i used oil white, oil made more texture to it,i will buy more oil color in daiso someday. 「星降る街でキミとワルツを」  is my next work .80% done, i failed in ....almost every part,it take too much time, i want it end just a month...pook! it take 4 or 5, and result is not satisfying...moooooooo

 and i almost forgot , line drawing should be in colour pencil red-brown,like LDV , black ink just too black, pencil is lil bit too black and noizy
【PR】

one wonderful sunday 1947

Kurosawa is a man who can't throw curve, just straight, no other.
 i thnk it is hard for him to make movie after No regret, coz that movie is classic, too solid , too big , there is no other theme important, massive, than war , life ,death. young director who make that kind of movie, mostly can't make another, in fact they make it, but its has no shine. if you throw 160km straight , there is nomore. However K is genius he find another way,he draw ordinary life, its boring ,poor,no hope, no dream at all. it is acutually worse than hell it killing you slowly no dramatic ending just absurd. but man ask his girlfriend , can you draw dream? she said yes. human can draw dream on the back side of their eye....what wonderful way to find happiness.


 K did magic , at first actor and actress not so...atracitive nor pretty , but in the end ,she become one of most beautiful people in the film , that is just a magic , no SFX or make up, but purely magic. if mind get more beautiful their face will change , physically nothing change, but it really is. you can feel it.


2012年7月27日金曜日

名画に見る絵の材料と技法 マール社 1980


  箇条書きで要点を。


ファン・アイクは油絵の初期の完成者で、油絵は筆のタッチをのこさないガラスのような画面。
ティツィアーノは下塗りに濃い色を使って、トーンの高い色の上に置いていく逆の方式をとった。
 レンブラントは、筆のタッチを残して質感を表現する。自然主義から表現主義系のはしり・・・

 フレスコはしっかり線画を描く、テンペラもハッチングで陰影をつける、油絵はあまり線をひかない。
アクリルはつや消しであり、油絵のようなつやつやした感じにはならない。

 漫画、イラストはもちろん線画系の絵である、だからフレスコっぽい(ミケランジェロ風)

 東洋人は、線画が無いと落ち着かない。没骨法は流行らない・・・西洋ではダ・ヴィンチが色彩輪郭を始めた伝統があるので線画なしでも落ち着くよう・・・

 前にも書いたけれど、デジタルイラストは、エアブラシ技法そのものである、デジタル表現はエアブラシと質感が似る。
アナログを再現しても、というより、再現、シュミレートというコトバを使ってる時点で駄目ですね、デジ絵はデジ絵の表現を見つけて行かないと・・・


 総評。
ためになることはあるし、ちょっとした入り口程度には画材の使い方もわかるけれど、実際に知りたいのはレンブラントはどの色を使って、この色とこの色、紙はこれ、そして何時間乾燥させて、この色で髪の毛の下地を塗って、この色でハイライト、この筆で、タッチをこういうふうに入れて、この色とこの色を混ぜて・・・・
 みたいな全部の詳細なステップを知りたいので、コンテで輪郭を書いてからグラッシをかけた。なんていわれても、こっちはそのグラッシのかけかたが知りたいんじゃぼけって感じで役に立たない。そういう名画を一から再製作するビデオを作ってください。カラヴァッジョを希望します。

 意見。
 絵は、見たこともない世界を作れる、唯一の方法だと思う。音楽や小説ではそれは出来ない。私的にはミケランジェロ、シーレは完全に彼らの世界を作った、特にミケが書くような人間はミケ以前には存在しなかった、あんなデザイン、あんな肉体、宇宙のどこにもなかった。ルネサンスは科学的(自然主義的)というけれど、それはルネサンスを再解釈した古典派、アカデミーの手法であった、ルネサンスは、すでに自然主義を超えてしまっている、別に全然リアルではないし・・・あんな顔の人間はいない。創作者として、ひとつの世界を創造すること、たぶんそれが最終目標である。まるでカミサマがそれを7日でやったみたいにさ。両方共ガチホモだけれど・・・、ダ・ヴィンチは両刀っぽい、私の好きな作家のホモセクシャル率は半端ないなよく考えたら・・・フランシス・ベーコンもだし・・・・いい男に限ってホモばっかり!というのはあながち間違ってないと思う。

 ミケとダ・ヴィンチはちょっと行き過ぎてる、なんか時代の文脈とか、人類史からはみだしてる、えぇっ、ここ順番テレコになってない?って感じがするもの、ベクシンスキーとかガイガーの絵、絵戦後のエアブラシ系の絵、スーパーリアリズムとかそのへん、ハリウッドのSF、は全部ダ・ヴィンチの世界から抜け出せてない気がする。3次元のものも含めて。


 

2012年7月26日木曜日

資料の大事さ 残虐の続き 何故映画はつまらなくなったかの暫定答え

資料をあんまりみないで書くのがすごいというバカがいます、でもそれは記憶で書いてるだけです、別になんの予備知識もなく書いてるわけではまったくない、パクリ、パクリじゃない論争もダイキライ、じゃあなんの記憶もない赤ちゃんに書かせて面白いがどうか実験して見給え。それが優れてると思うならサルにペンをもたせろ、もしくはゴリラが投げたうんちのデカルコマニーでも堪能してください。子供の絵はいいとかいうあの風潮はなんだろう?ピカソの悪影響ですか・・・・


黒澤は現代の才能と呼ばれる人々がやるような残虐表現はしない、それは世界が美しいはずだという、anticipationによるものでないですかと書きましたが、単純にそれは面白くないというのもそうだと思う、ホラー、エログロ系の演出は、ポルノ、美少女と同じで、部分的に興味深いかもしれないけど全体としてはボコボコになってしまうから・・・作品に美少女を出すのは絶対にやめたほうがいい、作品に自身がないならそれでなんとか誤魔化すのは自由だけれど。

そしてなんで黒澤映画から日本映画はつまらなくなったのかの暫定的な答えが出ました。

それは表現者が社会から孤立してないから。

グールドの写真集に書いてあった、オーマイ!もとはトーマス・マンのコトバらしいです、serious art have to fight against society,that is art vice verca. art is  weapon to fight against enemy not earn money,nor begging money from mass crowd.
  if art bend down the knee to the washington, so called entertainment, take their place.


 all of sudden i found that i have to write in English ,World English not English(STATES) English. i don't care right grammer, there is no RIGHT in language, language has its property to diverse and collapse you don't have to build babel tower to diverse language, if place are change climate change ,enviroment change,food,cloth,texture , color,contrast  blur blur blur ,how can people speak same OFFICIAL language around the world, thats fxxxing ridiC.


2012年7月25日水曜日

わが青春に悔なし 1946


 正しく生きることの人間さを

人間として生きることの正しさではなく。


 ためしにこの映画と、コクリコ坂を比較してみたまえ。
そうすれば、これがどれだけ凄まじい映画かわかるだろう。

 これは加村さんというギリシャ悲劇系の演劇人の文体のパロディ。


 とにもかくにもこれはすげぇ作品で、生きる、に続いて私の黒澤ランキング同立一位か、特別枠でランキング外です。ようやく検閲から自由に(実際にはGHQ検閲で自由ではまったくないけれど)
なった映画人がそのすべてをぶちまけたような、開放感と熱気に満ちています。
 私はジブリが60年代、学生運動をテーマに映画を作るといってたので、こういうバッチバチに政治的な
どえらい映画をついに作るのかと期待したのに、実際は爽やかな恋愛映画だったので、焼肉食べにいったけど混んでた
からざるそばを食べて帰ってきたみたいな、なんか違うな・・という感じだった。別に悪くはないんだけど・・・いつまでもそれをやってる場合じゃないじゃん。って気がする、耳すまやったじゃん、もう進もうよって。
 こないだ放送大学をちらっとみたら、新自由主義がつくったこの閉塞状況についてと講義していた、あぁもうあれは失敗だったという事で結論がでてるんだと思った、けれどやっぱり講義ってやつは、それではみなさま自身がよく考えてくださいと、全部丸投げでいつも終わり。マルクスが学閥というのは分析するだけで何もしないと批判したのに160年たっても相変わらず変化無し。

 ラーズフォントリアーとか現代の巨匠なんて言われて胡座かいてるようなやつだと、農村に行った主人公がリンチされたり
レイプされるような場面を差し込むでしょう、黒澤はそういう陰湿な描き方はしない

 
 世界には美しいものがきっとあるはずだ、というわけです。
私もあると思う、滅茶苦茶困難で滅茶苦茶少ないけれど。



 私達の生きていることは、積み上げていくものではないと最近思います、同じ青空、同じ風、0の位置に立てる
こと、白紙の前に何度でも立ち向かえるコト。成長なんてしない、努力の結晶なんてのは嘘、今、ここで戦わないと、ただいつも戦うことの正しさを・・・

2012年7月17日火曜日

佐野俊英

なんか気になる絵面があって、けっこうそのタッチが人気なのだけれどだ~れの描き方が元ネタなんだろうか、というのがずっとあったのですがそれがやっとわかりました、エロゲーのCGアーティストだったんですね。そりゃ一般市場じゃみつからないわけだ。パクリのパクリのパクリくらいまで浸透してるのでわかりずらいぜよ。
 この目の描き方は新しいと思う・・新鮮な感じ。

 けっこうこういうのを買う時にはこのCGアーティストに誰が入ってるのか、CV(character voice 声優のこと)が誰か、脚本誰かとかをまじで確認するみたいですね、FF新しいのは誰がPに入ってるのか確認する中学生みたいですね。SQはPによって当たり外れがでかい、enixはしっかりしてるというのが学生の頃の評判だったけど・・・今じゃ1つになっちまったしな。

2012年7月16日月曜日

ジョジョ one door close another open

 ガキの頃はジャンプを兄貴が買っていたけれど、ジョジョは大嫌いだった。絵面がまったく好みに会わなかった、兄貴の友達にはジョジョラーがいて、彼らにしかわからないジャーゴンでしゃべっていた。ジョジョラーのタイプはまぁ私とは性が合わないタイプだった。
 けれど15歳くらいになると、だんだんごつい絵柄にも慣れてきてジョジョがデザイン的にドラゴンボールと同じくらい洗練されているのだと気づいた、けれど読みはしないw

 23くらいになって自分で絵を書くようになって少しづつ読んでる、なんでこれを少年誌に載せているのかってのが大問題なんだと思う、こんなのガキにわかりっこないじゃん、変なトラウマが作られたぜ、私はウルトラマンも怖くて見れなかったタイプだ・・・

 ふと思うコトは、そういうふうに子供の頃嫌いだったものがおとなになると好きになる、子供の頃楽しかったコトがおとなになってつまらなくなる、私は最近、テレビも映画も漫画も小説も少数を除いてはめっきり読めなくなった。今でも好きなのは、ラジオとマスターベーションくらいかな・・・だけど、その閉じられたドアのぶんだけ何かが開いているのかもしれない、何か楽しいと思うコトがどこかにあるのかもしれない、それはなんなんだろう・・?
 
 楽しいというか嬉しいことは、作品を作っていて上手くいったとき、アイデアが出た時、これは新しい楽しみだと思う、今日もかなりそれが嬉しかった。子供の頃死ぬほど楽しかったこと、好きだったコトを最近思い出そうとしている、どこかに鍵があるはずだから・・・
 
 三国志の小説を読んで孔明の最期に嘘みたいに泣いたのを思い出した、夜中スタンドライトをつけて明け方まで読んだことも・・・自分で本を買って何か読んだのはそれが初めてだった気がする、なんでそれを読んだのか、なんで図書館で借りたのかも思い出せない・・・それからハリーポッターも読んだな・・・

2012年7月15日日曜日

プロが教えるエアブラシペイントテクニック スタジオタッククリエイティブ 2007

  翻訳前の出版が2007年ということです。

 エアブラシはデジタルのどんなペイントツールにも入っています、というより!エアブラシをやるのがそもそもデジタルペイントツールだったといえます。エアブラシはいろんな機材と複雑な技術が必要でデジタル化が一番早くすすんだ。なので、デジタルペイントはエアブラシペイントの技術を踏襲しています、マスク、レイヤー、などすべてエアブラシのテクニックです。いわゆるデジ絵はエアブラシで作ったものに非常に質感が似通っているのはそのため、エアブラシの再現をやるために作られたのだから当たり前。デジ絵は絵画というよりは、塗装に近いのですね。デジタルで絵を書いていると、範囲指定して、陰影をスプレーしていく感じなので、なんか・・絵を書いてる気がしないというのはそのためなのです、あれはエアブラシの工程そのものだから。そのことがこの本をみてすごいよくわかった。
 だからエアブラシの技術がわかれば、デジ絵はよく書けるということでもあるし、やはりアナログのエアブラシじゃないと出来ないこともある、それは方向をつけてスプレーしたり、薄くのばした塗料、塗料の性質の違いを利用してかく、液体マスキングとかですかね。
 今のペイントソフトには、エアブラシ以外のアナログ絵画のサンプリングがあります、鉛筆、水彩、アクリル、ガッシュ、油彩、etc.しかしまったく再現できてないってのが実際のところでしょうか、ただエアブラシの性質違いというだけな感じがする。

 ともかく車やバイクに塗装するには、デジタルペイントとプリンターだけでは不可能なのでやっぱりアナログでできたほうがいいんでしょうね。たぶん大工場にはデータを塗装してくれるものがあるんでしょうし、金属のプロッターもあるのでしょう・・・あるのかな?
 ともかくエアブラシについてかなりわかりやすいし、ヤル気を保つ方法を指南してるのも好感が持てる、そして変に、ともかく楽しもうみたいなマニュアル特有のなまっこるい感じもなくて、商品として売るには甘えは許されない、これは退屈だ、時々これが芸術なのかどうか自信が持てない、とかはっきり言っているのもとても共感。変に嘘をつかないぶっきらぼうさがとても新鮮、女性の著者というのがそれの大きな原因なのかな?
 ともかく情報量が多くていい本です。

2012年7月12日木曜日

續姿三四郎 1945

  いきなり全然関係ない話から始めると、社会から受け入れられないとすぐ即死になります、現代映画だと、蛍の光がまさにそう。他にも失業したらすぐに自殺みたいな設定が多い。けれど昔には山伏、野伏、など、社会に属さない人間がいた、そしてどうやら生き延びていた。絶対にそっちのほうが正しいはず、だって社会から疎外されたら即死なのであれば、原始人は全滅してるはずだから。どうして現代映画は文明外の人間を存在しないものとみなすのだろう、文明の自己肯定プロパガンタなのか?
 
 
 映画に関して。
良いです、カットの切り方、つなぎ方が結構攻めています、私が見たのだけかもしれないけれど、音がかなりブチブチいってて、フィルムの傷もつきまくってたのが、逆にそれもいい味になっています。けれど最近思うのは、考えるべきはなんで初期黒澤映画がいいのかじゃなくて、なんで今の映画はダメなのかだろうと思います。商業主義だうんぬんとかのレベルじゃないんですよね、そういう構造的な問題以前に、なんでかわからないが、どうやっても、ペラペラで薄っぺらいものになってしまうんです、どんなストーリーを描いていても。ボクが思うに、やっぱりカラーフィルムでしょうね、現実に近いものが取れたほうがいいはずだ、と思って現実復元性を重視して映像ってのは進化してきたけれど、あるいはそれは的外れも甚だしかったのかもしれない・・・・、あの普通のオフィスやら、モデルルームみたいな部屋が映像に入ってくるとまぁ興ざめしますね、酷い。そして黒澤映画に出てくるボロッボロの家が出てくるとまぁ安心します、これだよ!って。
 カラーを使いこなせた映画はまだ本当は無いのかもしれないという気がします、タルコフスキーのストーカー・・・、でも彩度を全部押さえてあのタルコフスキータッチですけれど・・・でもカラーである必要性はあんまりないような気もする。持て余してる。後期黒澤映画もまったくひどい。
 
 もうやりつくされてしまったから面白く無いんだは嘘だと思います、だって黒澤映画だってストーリー的にはまぁこすられたものだし、古典から題材を取ってるんだもの・・・



 アニメーションや漫画の構図の撮り方になれてくると、実写というのはなんて空間的自由がないんだろうとおもいます、俯瞰を撮るのが非常に難しいし、実写というやつは、イラストみたいな、ハイコントラストや色調で見せるってことは出来ない、画の作りこみも限界だらけ、やっぱアニメーションのほうが表現としては自由度が高い、そりゃ予算と才能、時間が無限になればの話だけれどね。実写は実は漫画に近い、漫画も全部イラストクオリティの奥行き、ビジュアル的完成度では書けない(単純に実践的制約のため)、絵で見せる系の漫画ははっきり言ってつまんないからです。それは映像でやったほうがいい、だって音楽が使えるんだもの。だからもっとストーリー、構図、カットの見せ方、そういうアイデア勝負なとこがある。そしてアイデアだけで勝負出来ることほどみんなが参加出来て面白いことはない。
 

 ラストシーン近く、三兄弟の末っ子(これは引きこもり系のヤバイやつなんですが、この時代の映画で初めて出たんじゃないでしょうか、こういう陰性のヤバイやつは、欧米映画ってのはこういう裏に入ったやべぇやつってのは絶対に出てこない、いないんでしょうね、単純に。向こうだともっとカラッとした殺人鬼になってしまう、チェーンソーで切断したり、ミンチにしてコロッケにしちゃったり、それはただの危ないやつですよね、ホラーです。なんかホラーの悪い奴は精神的苦悩がかけらもない。ひっきー系のやべぇ奴はそれがすごい、人を殺しながら泣いてしまうような奴、まじで苦しんでしまうやつ・・・アラビアのローレンスがそれに近い・・・)、が刃物をもって姿を殺そうとするシーンのカメラのパンの切り方、これは漫画では絶対に出来ないムービングショット、アニメーションをやってる人はこういうカメラの使いかたをもっと勉強しなければ・・・・、黒澤の映画のムービングショットは浮遊感があってすごく気持ちいい、カメラマンが足腰強いんだろうなw
 キューブリックみたいなステカムはなんかあざとい感じがして逆に肩が凝る。しょっている。

2012年7月10日火曜日

1945 虎の尾を踏む男達

amazonにレビューを出したくないので、本に関してはgoogle booksに書いてるのですが、映画に関しては意見を出すところが無いですね。ちらとサイトを見ても、〇〇がかわいぃ~~5つ星!みたいな感じだったのでおえっとなってやめる・・imdbは日本語対応してないしね。キネ旬は大嫌いだし。

 本題。1945年9月製作・・・えっ?製作出来るの?って年ですけど、どういうわけか可能だったらしいのです、詳しいところはわかりません、軍の圧力のもとに作られたのか、それとも戦争が終わってから気合が入りまくって作ったのか。ともかくGHQに発禁にされたというのは事実です。GHQは日本のことなんか何一つ知らなかったということでしょうね、というのは義経というのはアンチヒーローだからです。義経は、最後の最後まで、復讐戦をしない、そんなヒーローは絶対にいない。ヒーローというのはほぼ100%好戦的な野蛮人で、最後まで戦わないというのはありえない、キリストですら、私達には神がついている、あいつらは最後の審判でひどい目にあうんだっていう、いじめられっこの言い訳みたいなコトを言ってるのに義経はそれすらもしない。頼朝を非難もしない、頼朝は小心者のクズだというけれど、実際二頭政治が上手くなんていきっこないのは義経だって頼朝だってわかる、ましてや義経は美形、天才、大人気、だけど本人は長兄を建てる、が長兄は妻の財産に頼っているし・・・となれば先は真っ暗。実際は弟を殺しても真っ暗なのだけれど・・・政治的には頼朝がやったことは正しいと思う、梶原の讒言というのも嘘だろう、頼朝はもっとキレる人間だから。
映画自体は、抜群の出来なのですが、一般受けはしないでしょうね。勧進帳をみんな知ってるという前提だし、いちいち説明なんてしない。そう、最近の映画は説明しすぎる、ほぼ説明ゼリフといっていい。ただもぉ・・演技の冴えときたらえぐい、特にエノケンはすごすぎる。こういうもぉナチュラルな俳優はリリアン・ギッシュとかのレベル、リア王の道化を演じられる日本人がいるんだって初めて思いました。手先の動きが常人と全く違う。他の俳優がエノケンに全部押されてるのがわかる、志村でさえもエノケンのパワーにまったく太刀打ちできん。
それでもやっぱり古臭くってたまらないという人は、まずこれをどっか真ん中くらいから再生して三分くらい見て静止、それから今のテレビでやってるような映画をちょっと見る。
おや・・・?静止されている映画のほうは、写真としても成立するくらい構図も、雰囲気も完成されてる、けれどテレビ映画のほうは、間抜けていてとても静止画としては鑑賞に耐えないという事に気づくでしょう・・・なぜ?
1フレームごとの圧力がまったく違う・・・

2012年7月8日日曜日

NEW ZINE 名前無し(0点)



個人雑誌を作ろうと思い立ってとりあえず第一号のカバーだけ書いてみました。
個人雑誌のコトを今は ZINE ジンじゃなくてザインと呼ぶようです、日本語では同人雑誌といえばいいのか。でも同人=パロディ系のエロ漫画という感じになってしまったので、ZINEのほうが良さそうですね、MAGAはたぶん大衆という意味だから、それが個人向けになるとZINEなのでしょう。
 内容は人間は存在してていいのか、系の存在論には触れない、見るにやさしいレファレンス系の雑誌になります。基本は自由ですが、コトバでなくて視覚で語るという雑誌にします。コトバなんてセカイの二番煎じだ、がコンセプト。

 寄稿者ぼしう、原稿料0、名誉のみ、広告なし。やばい人大歓迎。サポーター(寄付者)はいつでも歓迎。
 無検閲、無評価で原稿載せます。デジタル雑誌なので、横長のほうが読みやすいでしょう、任せますけれど。

 pissoff1987@yahoo.co.jp
こちらまで連絡どうぞ。



 雑誌の名前はないです、だから名前なし、0点、というのは名前が無い雑誌を検閲するのも、それについて語るのも難しいから。
 2012夏号と書いてありますが、出来るのは冬号でしょうねw


 
 

もうAMAZONは使わない 貞操に関する・・・

AMAZONはおおっぴらに検閲やるようになったので、なるべく使わないようにします。本を買う時は、電子出版か同人系で買うようにします、今までamazonにレヴューをちょくちょく書いていたのですけど、どこにこれから書くべきか・・・誰か教えてけろ。いずれAMAZONとITUNESに全部流通は乗っ取られるとかIT系の人がほざいてましたけど絶対にそうはならないと思う、そんなんみんなNHKばかり見るようになるというのと同じレベルの浅はかな観測ですよ。本自体誰も買わなくなるなら信ぴょう性あるけれど。


 このまえ描いた、80、90年代の世紀末感、退廃的な若者像みたいなストーリーに飽き飽きしてるという話の補足です。
 実際は貞操観念の崩壊は進んでるのではなくて、後退してるでしょう、日中戦争の慰安婦の話とかみるとそれがわかる、慰安婦は、日本人があんまりにも中国人を強姦しまくるからその対策に、朝鮮、満州人を連れてきたのであって、普通の人が感じてるものとは違う。むしろ強姦の被害を減らすためにそれは作られたんですね。そして戦争に勝ったら強姦しまくるというのはギリシャの時代から戦争のお決まりであったというわけでして、貞操観念は長いこと同じレベルだと思われる、人間の欲望が増えたり減ったりはしてないと思う。物質的に豊かになって無限に欲望が拡大されたというけれど、さて現代人の家を見てみると古代ローマとかの家に比べれば、カスみたいなもので、空間的には古代人のほうが圧倒的に多い。ほかにも自然やら、環境やらは古代人のほうが豊かに持っている、それが無くなった分を人口のもので補っているだけ、せまいところにぐちゃぐちゃとものがあるのはそういうわけです。


 それに江戸時代には吉原があり、戦前には赤線、身売りがあったわけで、援助交際、婚活、アイドルというふうに、売春がだんだんマイルドに、そして広範囲になっている。結局身売りしないで無産階級に生きる道はないわけなので、特別最近世界が腐ってるというのは嘘です。
 こういう論理を水道理論といいます、どっかを堰き止めればどっかに流れる、結局でも流水量は同じというわけ。もちろん流水量自体(人口自体)を増やせば、量的、質的変化は起こるのだけれど・・・・

2012年7月7日土曜日

岡崎京子 漫画家

なんですかね、少女漫画系の雑誌にこういうのが載ってて、読んでるとかっこいいという本です、が個人的には嫌い。でも、作品としてはそこらへんの漫画よりも断然いいと思う、ただ個人的には嫌いw

 明らかにいいのだけれど見たくないものってありますね、例えば・・・イタリアの映画とか。フェリーニ、ヴィスコンティ、パゾリーニ・・・うん。わかった、いい仕事してる、けど見るのは勘弁してくれwって感じです。
 
 良い作家です、交通事故でぽんこつになったらしいです、それもまたかっこいいのかな?交通事故でやられるってのはマジでダサいですけどね。ガウディも交通事故で死んだけれど、神に祈って、教会作って、交通事故で死ぬってw、カミサマユーモアあり過ぎます。


 ただ、こういうのを見過ぎた気がするんですね、こういう・・・ブルジョアのアンニュイ、退屈。それが90年代なのだ、空虚感、虚無感みたいなこと言ってみるけど、西洋では1880頃にはもうこすられまくったし、日本でも1920年代に死ぬほど書かれたんですよね、こういうタイプの話。っていうか聖書にも載ってるんですよね、伝道の書に。
 別に新しくないんだよ、そんなのわかってる、その上でみんな演劇やってるんだぜ、舞台に立って役を演じてるんだ。まるで人生の無意味さなんかに気づかないフリをしてさ。

 
ニーチェ「これほどまでに道化を演じてるなんてこの男(シェイクスピア)は一体どれほどの人生を経験したのだ?」

2012年7月6日金曜日

COMIC LO 週刊金曜日 装苑

 最近読んでて面白い雑誌紹介

LO いわずとしれた、ロリコン雑誌の最後の砦、アマゾンから削除され、都から追放されてかかっていますが、ガンバレ!! 私もいつか投稿したい。ロリコン漫画じゃなくて、どえらい純文学漫画でも載せてくれないかな? TAKAMICHIさんのカバーはたぶん今発行されてる雑誌類のカバーデザインの中で群を抜いてる。
 ただ違法アップロード反対派なのはいかがなものか、もうちょっと戦争やってくれ。あげたいならあげてみやがれ、けれど活動資金を捻出するサポーターを募る、みたいなね。

金曜日  常に反体制、朝日新聞嫌いの左派のよりどころ。毎日新聞、岩波の世界、が嫌いなひとも冷やかしに読むと面白い。実のところ、左派でもなんでもなくて、ただの権力者嫌いのルサンチマン同好会とも揶揄されている。週刊金曜日だって、仕事できないクズは採用しないだろ、っていうのは安保世代のギャグ。

装苑 ファッション雑誌だけどミーハーではない、けれど作品評価があまちゃん。批評が出来ないイイコちゃんばかりが作ってる、けれどハイカルの新作を調べるのに便利。



 

2012年7月1日日曜日

一番美しく 1944

そのDVD全集のタイトルがちょっと笑いましたね。映画天皇 黒澤明っていうタイトルなんです。プライド高い中国人も審美眼はあるのでしょうか。

 さてこの一番美しくはなかなかレアなんではないでしょうか。バッキバキのプロパガンタ映画なのですけれど私的には黒澤明トップ5には入ってくると思います。戦中に取られた戦争映画なのですから、戦後に作られたスペクタクル戦争映画とはまったく迫力が違います。それそのものですから。

 よく、あの時代はひどい時代だったとかいいますけれど、まぁどうなのですかね、戦後教育の賜物なのか、実際にそうだったのか。実際のところはわかりません。
 ただタイトル通り、美しいものはあったのでしょう、一番かどうかはわかりません。国家主義、ナショナリズム、コミュミズム、広さは違うけれど、ともかく集団主義というのは同じです、一方事由主義、資本主義は個人主義です、個人主義である限り、個人が努力して競争社会で勝ち抜いていくことが、求められるわけで結局それは、友情とか愛情なんて無いっていう公理を持っているのですよね、それで極小の家族という団体がやたらとフィーチャーされるのですけれど、家族を守る為に頑張る云々・・・、やっぱそれに感情移入は出来ないですね。だっておまえの家族なんて知らんものって感じです、自分の命も犠牲にして、家族の死に目にも会えないけれど、みんなの為に命をかける、そうじゃないとドラマにならんでしょう?美しくないですよね、自分のためだけでは・・・
 そのみんな、に誰が含まれているかってのが問題ですけどね、国家なのか、故郷なのか、地球なのか、あるグループなのか、自分の好きな人すべてなのか、同じ宗教の派閥なのか、自分に金をくれる奴なのか・・・・

 ナウシカみたいな、空想上の完璧な人間が、ファンタジーにはよく登場しますけれど、そういう人格が現代の社会に生まれたら何をするのかというのをよく考えます。まさか真面目に働いて年収何兆円の大企業をつくったなんてことにはならんでしょう、芸術家になって傑作を作る・・・農業をやってつつましく清貧に暮らす・・・。世界政府を作るために全世界を敵にして戦ってはくれないだろうか?

姿三四郎 1943

中国で黒澤大全集というものをGETしましたので、もう一度見返しています。43年といったら戦争のどまんなかなんですけどどうやって映画なんか作ったんだろうなぁとやっぱり不思議ですね、不景気だから映画作れないとかほざいてるのより何倍もヤバイのに、そしてかなりしっかりしているのです。なんで黒澤は最初からカットの切り方のリズムが抜群なのかわかりません、そんなの練習することなんて出来なかったろうに・・、天性のものなんでしょうか、私的には・・・用心棒あたりからなんかあざとい編集になって黒澤おわたって感じですね。悪いやつほど・・・が最後の黒澤映画ですかね・・・
 ストーリーはまぁ、戦中にそんなヤバイストーリーなんて出来ないでしょう。でも制約があるなかでの遊びってのがあって、古典芸能みたいでそれは楽しいものです。