2012年7月25日水曜日
わが青春に悔なし 1946
正しく生きることの人間さを
人間として生きることの正しさではなく。
ためしにこの映画と、コクリコ坂を比較してみたまえ。
そうすれば、これがどれだけ凄まじい映画かわかるだろう。
これは加村さんというギリシャ悲劇系の演劇人の文体のパロディ。
とにもかくにもこれはすげぇ作品で、生きる、に続いて私の黒澤ランキング同立一位か、特別枠でランキング外です。ようやく検閲から自由に(実際にはGHQ検閲で自由ではまったくないけれど)
なった映画人がそのすべてをぶちまけたような、開放感と熱気に満ちています。
私はジブリが60年代、学生運動をテーマに映画を作るといってたので、こういうバッチバチに政治的な
どえらい映画をついに作るのかと期待したのに、実際は爽やかな恋愛映画だったので、焼肉食べにいったけど混んでた
からざるそばを食べて帰ってきたみたいな、なんか違うな・・という感じだった。別に悪くはないんだけど・・・いつまでもそれをやってる場合じゃないじゃん。って気がする、耳すまやったじゃん、もう進もうよって。
こないだ放送大学をちらっとみたら、新自由主義がつくったこの閉塞状況についてと講義していた、あぁもうあれは失敗だったという事で結論がでてるんだと思った、けれどやっぱり講義ってやつは、それではみなさま自身がよく考えてくださいと、全部丸投げでいつも終わり。マルクスが学閥というのは分析するだけで何もしないと批判したのに160年たっても相変わらず変化無し。
ラーズフォントリアーとか現代の巨匠なんて言われて胡座かいてるようなやつだと、農村に行った主人公がリンチされたり
レイプされるような場面を差し込むでしょう、黒澤はそういう陰湿な描き方はしない
世界には美しいものがきっとあるはずだ、というわけです。
私もあると思う、滅茶苦茶困難で滅茶苦茶少ないけれど。
私達の生きていることは、積み上げていくものではないと最近思います、同じ青空、同じ風、0の位置に立てる
こと、白紙の前に何度でも立ち向かえるコト。成長なんてしない、努力の結晶なんてのは嘘、今、ここで戦わないと、ただいつも戦うことの正しさを・・・