2012年9月1日土曜日

epistle to ROMANS 56年ごろ



 パウロ書簡ですが、偽物が多いなかでこれはパウロの真書らしいです。
 パウロは死因が私調べでははっきりわからないです、ペトロはネロに逆十字固めをくらって華々しく死んだのですが、パウロは
たぶんなんかグダグダで年食ってちょっとボケたりして死んだんでしょうね。
 パウロ書簡は、結局のところどうせいっちゅうんじゃという、具体性のまったく無かったイエスの教えを、彼特有のロジックと
日和見主義、修正主義で肉付け、そう肉、づけをしてます。パウロの印象は肉ですね、イエスは精神、ペテロは骨、パウロは肉です。
パウロがラディカルではないところはいろんなところでわかります、ことあるごとに、おれはローマ市民権を持っていると自慢して
危機を回避しようとするところ(ペテロはむしろ死ぬことが偉いと信じていた節がある)、おれはファリサイ派だ、とか偽証をして
みるところ、結局のところ保身がけっこう重要なところ。
 ペテロとパウロが実は敵対していたという話もありますが、納得です、ふたりとも異邦人への布教という主線では一致してましたけれども
どうもパウロは口先だけの野郎的胡散臭さがある、だからこそ、現代のキリスト教に直接つながっているのはパウロでしょうね、みんな
口先だけの偽善者ばっかりですから。それを政治的手腕とも言えるのだけれど。ご都合主義、論理のトリック、言い訳、で切り抜ける・・
ペテロ的ないわゆる聖人はむしろ東方教会的で、多くを語らず、命を軽蔑する路線(修道院系)として
これも残っていくんですけれど。プロテスタントとかもその流れかなぁ・・・私はもちろんペテロ派です。