2015年5月26日火曜日

2001   Final Fantasy:The Spirits Within  映画 FF  レヴュー

というわけで一つ前の記事の続き。実際見てみました。




とにかく3DCGはひじょーーーによく出来てます、日本の会社で一番よく出来てるかも。というかIが見てきた映画の中で3DCGの出来としてはトップかもしれません。それも2001年の時点でこれはすごいですね、I的にはアヴァターとかよりもよく出来てますわ。デザインとかも。
そこまで叩かれたりひどい目に合うようなものじゃない。確かにまったく面白くはないケドw
 


 この映画と同じ時期に公開されたのが千と千尋で、千尋が爆発的収益をあげてジブリをいつのまにかディズニー系列の金の亡者の企業に仕立てあげていたのです、比較するのは面白いですね。
FFの失敗は広告戦略の失敗だった、映画会社じゃないから、映画の売り方がわかってなかった、ってことにされてますけど、確かに広告も悪かったrにせよ内容も相当まずいです。

 まずFFっていうタイトルが悪すぎましたね、この映画、ゲームのFFとはほんと一切なんの関係も無いエイリアンみたいなハードSF映画でしてハードSFってのは、非常に見る層を限定すんですよね、まずババァは見ないし、ガキも食いつかない、当然老人も。若者か中年の物好きしか食いつかないのです。
 キューブリックのSPACE ODYSSAYはハードSFの映画の最高傑作と言ってもいいですけど、売上的にはふるってないと思います。*



千尋は、なんだかんだでだれでも見れる映画ですからね、I自身は千尋がいい映画だとはちっとも思わないけど。
千尋はでも良いシーンがひとつだけあって、水面を電車がスイーっと走っていくところ、そのシーンじゃなくて千尋が、ただ何もせずに電車で外を見てるところ。あそこがものすごい良いのです、久石譲の音楽もばっちし。あのシーンだけでも見る価値あり。
 ただほとんどの人々は、千尋が良い映画だっつーよりはジブリのブランド力に吸い寄せられた、長いものには・・・だと思いますけど。
千尋が面白いから見に行くってよりは、無難だから家族で見るには良いってことなんでしょう、とりあえず暇だなーたまには映画でも見るーつって、勝負に出た映画見たくないですもんね、わざわざ映画館まで行ってクソみたいな映画見るのなんて拷問です。チケットも日本はクソ高えし。
 ジブリなら、それなりに楽しめるし、セックスシーンになって家族で気まずい思いをする心配も無い、ようするに安牌なんですわ。当たる映画ってのは安牌なんでしょう。



*(WIKIりました。

興行成績の現在の記録1位はアヴァターで
$2,787,965,087
ODYSSAYは$190,000,000
 まぁ10倍以上違いますけど、市場は現在のほうが大きいし、インフレもあるのでよくわかんない、が答えですw)

 ちなみの他のランキングは
アヴァター、タイタニック、アヴェンジャーズ、FURIOUS 7(ワイルド・スピード)、ハリポタ、FROZEN(アナ雪のこと)、アイアンマン3
アヴェンジャーズ・ウルトロン、トランスフォーマー、ロード・オブ・ザ・リング・・・っていうランキングです。

うん、コミックとアニメで半分とキャメロンが1,2フィニッシュ・・・なんでしょうか、映画って、くそくだらねーもんだなって思ったのはIだけですか・・。映画が、じゃなくて大衆ってのはくそくだらないってことなのか・・・・映画なんか作るもんじぇねぇって思っちゃいますねー)




 このFFSWは内容がわかりずらいっていうのとも違います、地球が変なスピリット的なものに汚染されていて、それを若い美人女科学者がキーとなってすべてを解決して地球は再生するっていうハードSFとしてはベタ中のベタベタの内容で、CGがものすごい綺麗っていうのを抜かせば、こんな感じのストーリーの映画腐るほどあります。
 内容が理解されなかったから流行らなかったのではなく、内容が面白くなかったってのが正確だとおもふ。

 たぶん要するには地球という星には意識体があってそれが人間に対して復讐するのだが、綺麗なココロを持った若い女の子がそれを救うっていう話しなんでしょう。
なんかあんまり内容が入ってこなかったけどそういうことなんでしょうw 
だからSFマニアにもヒットしないわけですね、FFマニアにももちろんヒットしない、ゲームのFFとは何の関係もないから。
 
 SFっていうジャンルってストーリーをこねくり回した超複雑なプロットみたいなのはすでに60年台に出尽くしてんですよね、やり尽くされてる。
幼年時代っていう小説では神様が登場するのですが、その姿を最後まで表さない、で結果は神様というのは人間の考える悪魔のビジュアルそのものであって、イニシエーション的なシンクロニシティで次々と子供達が目覚めて、統合思念体みたいなものとシンクロしていって、人類の幼年時代は終わり、新たな思念として生物の歴史が始まった。っていう筋ですが

 ほらね?って感じですw 行き着くとこまで行ってる。そんな物質を持たない意識だけの生命なんて登場したら、何でもありじゃん。って思う。誰かが死んで悲しいとか、友情とか愛情とか、そういうものをぶっ飛ばしてる。

ってこんなこというとSFマニアに叩かれるんですけどね、なんにもわかってないって。SFマニアたちは絶対に何にもわかってない!って
相手をこき下ろすのだけが生きがいのイキモノですから、かかわり合いになりたくありませんw 
 そいでミチオ・カクみたいなホンモノの科学者に出てこられると途端に口をつぐんで、へへ・・まぁ空想の話だから・・・ってなる。


 それでI実はこれこの映画が失敗した最大の理由だと思うんですけど、主人公のアキのビジュアルが、地味な30前後のおかっぱのアジア人ってのがサイアクだったと思う。誰得?
せめて18くらいの少女にするか、金髪にすべきでしたね。とにかくちっともカワイクない。美少女にしろって言ってるわけじゃないんです、ただなんか好感を持てるっことは大事ですよね、入っていけない理由の最大はそこだと思う。

 また戻りますけど千と千尋のほんと最初のほうのシーン、千尋が自動車の後部座席で寝そべってますよね、親の都合で引っ越しさせられてふてくされてんです。
 まずそれで千尋に好感が持てるように演出されてるわけです、わかる!そういう気持ち、って。アキにはそういう感情移入出来るところが一切無い。ただ生真面目で当たり前の正論しか言わないし、ドジもしない賢いオンナではじぇんじぇんダメ。

 良い映画、ってのは人物が成長していく映画だって、これよく言われます、最初から完璧なキャラクターはダメです。最初は自分勝手でクソみたいなヤツでも最後にちょっと良いことしただけで、最高にカッコイイやつってことで映画は終われるんです。この映画は良い奴は最後まで良い奴、悪い奴は最後までクズ、っていう典型的な失敗プロットです。



 でもこの映画って非常に教訓を与えてくれてると思う。

 もはや美しい映像だとか、ものすごいCG。ってのは終着点に来てるってことです。迫力ある映像、みたいなものも。
そういう追求は終わったってことです、いっくら綺麗でも、はいはいすごいですね。としか思いませんもん。やっぱり自分がそのものすごい乗り物に乗れたりすごい景色の中に行けるならまだしも、ただ映像で見せられても、もう何も感じないの・・、ってニンフォマニアみたいなセリフを言っちゃいます。

 それとは違う何か、を追求しないといけないってことですよね。画の美しさ、じゃない何か、を。それは映画に限らずなんでも。美しい画はもう見飽きた。

 マンガとかアニメでもそうです、めっちゃ描き込んで綺麗な画にしたって、綺麗さではILMとかのほうが上手です。綺麗さ、ではない何か別のもの・・・

 例えばなんでしょうね。

まぁ笑いってのがまずひとつ。笑いってやつはほんととらえどころのないものです、こうすれば笑えるっていうものが何も無い。何故笑わないといけないのかってことがわからないからですな。

スタイルってのがひとつ。(スタイルを持った作画ってことですね、ドラゴンボールとか、フォトリアルじゃない、スタイルを持つってこと・・・どれだけカネを出しても、スタイルってのは買えない、個人の持ち物です)

心理戦的なこと、映像っていうメディアは複雑な概念だとか、内面描写が弱いとされています。

体感できるメディアの追求。(ゲームもその一種、自分が入っていけるってことでしょうねー)

リアリティ (ドキュメンタリーとかノンフィクションってことですね)

エロ。(エロの市場は食い物と同じぐらい広い、おかずっていう俗称がいみじくも言うようにエロってのは生活必需品なんですよね、毎日ごはんを食べるように、毎日人間はオナニーすんだからさ)