ロールプレイングゲームというジャンルを完成させたゲイリー・ガイギャックスという人物の物語です。
「RPGゲームは、頭はなかなか良いけれどスポーツやコミュニケーション能力がダメダメないぢめられっこ一直線のナードに逃げ道を与えてくれた、それと何より一緒にゲームをする仲間を与えてくれた・・・」
これがまぁその通りだと思いますね。ゲイリーが作ったロープレ、D&Dってのはテーブルトーク式のRPGで実際に人間と人間が共同作業で物語を作っていく形式のゲームです、ロールプレイ、それぞれが、それぞれの役割を演じる、ゲーム。コンピュータゲームはダンジョンマスターがプログラムなのですが結局のとこ、あのゲームどうやって攻略するの??って話し合いになって、ひとりぼっちのナードやオタクにトモダチを作る道を開いてくれるものです、たしかにそれがゲームの一番面白いところなのかもしれません。
ゲームってのは宗教の代わりなんだとワタシは思っています。宗教の役割ってのは死、への恐怖を幻想で埋め合わせること。だからみんな死にそうになると宗教に逃げ込む。宗教は死後の世界はある、ダイジョブだ、怖がるなってことを絶対に保証するもんです、それがなきゃ宗教として役に立たない。それと同時に、死ぬのが怖いってことを共有できる仲間を作る、宗教はReligion、リージョンを再構築するということ、人間と人間のつながりを生み出す、これが宗教の能力です。
ゲームに限らず文化ってのは結局はトモダチ探しみたいなとこがあって、あっ同じことを考えてる人間がこの世界にいたんだ、っていうのがコアなんだと思います。映画とかって映画自体が良いってのもあるのですけど、あの映画こうだったよねーってグダグダしゃべるのが映画なんですよね。
けど文化ってやつは権力と同じようにすぐに腐敗するもので、文化の寿命は100年、最近はさらに早くて50年だって言われてます。RPGは1973年頃に生まれたので、あと8年ぐらいだと思われますがたぶんそうだと思う。今のタイプのロープレは無くなって、ARとかVRとか体を使って遊ぶタイプが主流になるんじゃないですかね。しかしそれが現れるのが8年後でさらに主流になるには10年以上かかるからまだまだロープレで遊ぼうって感じです。
なんで文化がダメになるかってのは参入障壁なんですよね、この本でも後半はずっとやれ訴訟だ経営だ、会社の運営だって話で実際にこんなゲームにしようっ!っていう一番大事な部分はまったくなくなってくる。最初は紙とペンだけで遊ぶ対話型ゲーム。のはずだったのにだんだんミニチュアだセットだ本だ、追加ブックだ、ってカネがかかるようになっていき、コンピュータになりオンラインになり・・ってなってきたらもう新しくゲームを作りたい、なんて馬鹿げた願いになってしまいます。まずコンピュータを勉強し、専門学校なりで学び、その上で景気が良くてたまたま面接官に気に入られるみたいな運ゲーを勝ち抜き、さらに大企業でのし上がり・・・・・・
みたいな、ただ面白いゲームを作りたかっただけなのにスタート地点に立つだけでも一体どれだけのカネと時間と、さらに運要素があるんだよ!!って感じになって、新しい才能は入ってこなくなり、同じことの繰り返しになり・・・ってことです。映画とかはまさに今そういう状態ですよね。どういう映画が面白いか?なんてことじゃなくてどうやったら売れるか、とかどうやって予算を集めて回収するか、みたいなことしか考えてません。どれだけ入ってどれだけ興行収入が出たか、ばっかしがニュースになり、この映画に感動した、人生変えられた、みたいなハナシはまったくない。
まず映画の制作費が軍事予算みたいな値段になってて新しい人材が入る余地なんて0ですしね、これで映画業界がよくなるハズない。
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わたしはテーブルトークRPGってのをやったことないんですが、トモダチの家にボードとそれがあったのを覚えていますし、遊戯王がまだカードゲームになる前にこのテーブルトークRPGを取り上げていました、妙に覚えてます。ワタシはカードゲーム漫画化する前の遊戯王が結構好きでしたw カードゲームはわたしはマジックのほうをやってたのでねーー。遊戯王のカードはカードゲームとしてのバランスは無茶苦茶でした、レアカードが強いっていう。カードゲームとして成立してないですそれって。カードゲームってやつは、明らかに最強のカードってのが存在しちゃいけないんですよね、じゃなきゃゲームにならんもの。