2017年8月17日木曜日

1951 alice in wonder land 不思議の国のアリス ディズニー

 シェイクスピアと聖書をのぞけば(これも決まり文句なんですけど)アリスは一番、引用というか、二次使用が多い作品なんじゃないですかね、ワンダーランド系の作品はすべてアリスにされてしまうっていうのもあるけど。ほんとはファウストだのユリシーズだの、ディバインコメディだの、とワンダーランド系の物語ってのはずっっっっと昔からあるんですけどね。むしろずっと主流であったのに、ルネサンスがリアリズム方向へとコペルニクス的転回をしたおかげで、主流から外されてしまったというわけです。


 これは満を持してって感じでディズニーがアリスに手を出した映画。戦後ディズニーの面目躍如って感じですかね。背景美術の衰退は著しいですけど、最後のトランプ兵たちのシーンは恐ろしく手間がかかる、恐ろしい作画枚数のシーンで、かなりの力作です。

 ただアリスはもはや誰のものでもないみんなのキャラクターなんで、ディズニーだけのものに出来ないってのがちょっと残念なとこなんでしょうね。

 それにしたってディズニーのアリスはちょっとオトナ過ぎる気がしますね、ワタシのアリスのイメージは挿絵のイメージもあるし、シュヴァンクマイエルのアリス、8才くらいっていうイメージ。ディズニーのアリスは12才くらいですかね。オトナ過ぎるって気がする。



 今でも、ルネサンス的リアリズムの大きな流れってのは400年たっても存在していて、アカデミー賞とかを取るのはドキュメンタリーよりの戦争映画みたいな作品ばっかしであって、そっちのほうが

 真剣、で 真面目、価値のあるもの、ってされてますね。ナンセンスとかファンタジーのほうが圧倒的に人気があったりするのに。アカデミーはそれでもまだファンタジー寄りですが、カンヌとかベルリン、はリアリズム、をまだ一番大事なものだとしてる。

 でも実際には殆ど流通してないで10年もしないうちにマニアの家とかにしかない映画になりがちですね。ワタシは黒澤の初期の映画、一番美しく、とか素晴らしき日曜日、ほんと戦後直後あたりの作品が好きですけど、まぁ普通の流通、ツタヤとかDVD店みたいなとこには置いてませんね。黒澤特集、みたいなことで置いてある場合があるかもしれないけど。


 でも作品ってのは忘れられた時点で存在しないのと同じなんですよね、作品が死ぬってのはそういうわけで、それでも残るもの、と残らないもの、がある。シェイクスピアやドストエフスキーはそれでも残り続けてるんだからどんだけ名作やねん、って話です。黒澤映画で残ってるのは羅生門、生きる、七人の侍だけってわけです。実際には。

 殆どがキヲクの彼方に消えていったのにディズニー映画は生き残ってます。時間っていう裁定者が最終的には白黒映画よりもファンタジーに軍配をあげてるのですね。今の若い人に小津安二郎や溝口やら、なんてただの苦痛でしかないもの。