2017年11月27日月曜日

FIBAバスケワールドカップアジア1次予選 日本対フィリピン

http://www.miomio.tv/watch/cc353060/


 ようやく日本でもバスケの試合が放送されるようになったのですね、なんかめちゃくちゃ揉めてましたけどもBJリーグなるプロリーグも出来たばっかしなのですが。

 いやぁ・・・・、弱いですねw

 普段NBAを見てると、やっぱ3Pって普通は入らないんだよな、ステフとかがかんたんに入れまくってるのを見慣れていると、いや、全然入らないじゃん!エアボールとかまじかよ!!って思ってしまいます。

 日本はバスケ後進国でして、ほんとーにバスケが弱い。女子はまだましなんですけど男子は国際大会の予選すらも突破できていないような有様です。

 と、結果を言ってしまいそうになってしまいましたが、言わないでおこふ・・・。

2017年11月25日土曜日

1974 おにいさまへ 池田理代子

 おにいさまへ、というタイトルからいくと、ブラコンとか、兄妹の禁断の愛みたいなマンガなのかなぁと思いきや、実は全然違います。真逆といって良い。シャープな百合マンガです。

 貴族的女学校?に入った主人公が女たちばかりの社会で、さらに学校の中にあるエリート集団に入ることになり・・・という。百合学園モノのお約束的なのがふんだんに盛り込まれております。ワタシは百合マンガ、まったくと言っていいほど詳しくないんですけど1974年でこんなのありなんか!?っていう展開で度肝を抜きますね。少女漫画とありますけども、すごい大人向けマンガです。


 ワタシはすごい関心したのは、主人公たちのファッションですね。そのセンスとかはいいとして、常に違う服装をしてるんです、毎回毎回違う服を着ている、そんな服ありえないだろ!っていう古典ローマとかギリシャ風の服を着てたり、ロリロリな服からゴシックまで、脇役ですら柄物のワンピをコロコロ変えていて、すげーって思いますね。脇役の服なんて考えるの面倒だから同じ服にしたくなるじゃないですか。それに髪の結び方などにもバリエーションがたくさんあって、これもすごいです、この辺さすが少女漫画ですよね、男の漫画家でそういうセンスを感じさせるようなヒトはいません。井上雄彦に誰もファッションのセンスを求めてませんし。
 けどワタシはキャラデザってのはそいつのファッションを決めることなんだと思ってます。顔とか目の書き方ってのは、モーフィングみたいなもので、だいたいの定番ってのは決まっている、それに実は顔の形なんて特に美男美女はみんな似通った顔をしてます、かき分けが出来てないとかいうけども、パリコレなどのファッションショーを見ると、だいたい美人の顔のパターンなんて3種類くらいしかないってわかります。もちろん東洋人とか黒人を使うことでバリエーションを出せますが、それはキワモノっていうか裏技みたいなものですからね。
 だからどういうファッションか、っていうのがキャラデザのほぼすべてだと思っています。けど、なかなかマンガで、すげぇファッションセンスだ!っていう作家はいませんね。本職のデザイナーでも、うぅん・・、いまいちってのが多い。斬新なファッションってのは難しいですよな。

 作品に話を戻すと、このマンガは女の嫌な部分がゴリゴリに出ている、露悪的な作品でありつつ、しかし憎めないかもしれない、と思わせる作品でして、ということはこの作品はよく出来ているんだなって思いますね。
 女ってのは、すごい自己中なんですが、自分が悲劇の主人公になりたい、ものすごい不幸とか、ものすごい苦労が襲ってきても、なんかそれをドラマティックに波乱万丈に生きてみたいっていう、このマゾ野郎!っていう薫のセリフじゃないですけど、そういう、悲劇のヒロイン願望ってのがあるんでしょうね、それはでもある種の強さを持っているってことでもあって、女性の良いところでもあるわけです。

 それとこのマンガ、最後の終わり方が素晴らしいです。終わり方でものすごい好きになりました。文庫本で2巻なのでぜひおすすめしたいです。


 百合というジャンルについて付記すると、百合、というジャンルにかぎらず、女性向け作品で「セーラームーン」が女向けオタク業界に与えた爆発的な衝撃は、一般的なオタクの「ドラゴンボール+エヴァンゲリオン」よりも甚大のようです、セーラームーンを子供のときに見て育ったセーラー世代が今クリエイターになってて、こぞってセーラーについて何かを持っています、大好きだったり、くそがっ!って思ってたりどちらにせよ。百合ジャンルってのが男のヲタクのマネーで動き出したのもそっからみたいですね。

1988 銀河英雄伝説 わが征くは星の大海

 タイトルが非常にダサくて、なんかあまり手が出なかった「銀河英雄伝説」ですが、見てみると、結構作画がしっかりしていて、なかなか楽しめます。

 タイトルからいくと、なんとなくアメコミみたいなノリのスペース・オペラみたいなのを予想しますけども、すごく硬派な宇宙戦争ものです。

 女性キャラがなんとほぼ一人も登場しない(間接的に言及される姉様くらい)あとはモブの娼婦くらいなもので、媚びないなぁ~と関心してしまいます。この時代は媚びないで作品を作ることが許されていたのだなぁと思います。

 たぶん過去と現在のアニメとかの男女比率は逆転していて、今は女キャラが8割、下手すると9割で男性キャラはいたとしても、あまり中心的でなくてツッコミ役か、あるいはとってつけたような熱血キャラとしてステレオタイプなキャラ付けをされていることが多い。物語の中心はだいたい女キャラになっていると思います。まぁそれは今まで散々男キャラを使い尽くしてこすり倒したからっていう理由もあると思いますけども。


 この作品はほぼ美少年?というかわりとルックスがいい男子ばっかり出て来るので女性向けの作品なのかも。

 宇宙の時代の話のはずなのになぜか帝国はドイツ系で占められていて、名前もラインハルトだのキェルヒャーだのとドイツの貴族チックなネーミング。アナクロニズムなんです、貴族趣味。それとBGMもOVAだから著作権料を減らしたいのかほぼクラシックで占められていております。


 ただやっぱりタイトルがどうもダサすぎませんか・・、もっとなんかしっくり来るタイトルだったら認知度も上がっていた気がします。
 ACクラークの小説みたいな感じで昔のSFってこういうウソみたいにダサいタイトルだったりしますけども。英語圏ではタイトルはシンプルなのがかっこいいという価値観があります。THE KID、とかTHE TIME , 12 Monkeys  みたいな感じで多くを語らないのがおしゃれ。シンプルなのの権利を早めに取っておくとあとから使えなくなるっていうやらしい発想もあるんでしょうけど。それを日本語にすると、子供、時間、12の猿、みたいなウソみたいにダサいタイトルになってしまうのですね。


 ただワタシは最近の文章的なタイトルも大嫌いですけどね、「なんとか部活やめるってよ」、から始まり「xxxxがXXXXなんだがXXX」みたいな2chっぽいネーミング・・・
 

2017年11月22日水曜日

1939 太宰治 創世記

 太宰治にたまにある、むちゃくちゃに書きなぐったような作品。実際には全集に収録されるまで発表されてない未発表作なのでさもありなん。

 太宰が芥川賞が欲しくてみんなに頼んで回った、太宰治かっこわるい、というエピソードがありますけども、あらゆるかっこ悪いことをすべてこなしている太宰治にそんな悪評なんて屁の河童ですね。

 ワタシは最近、太宰治ってのは第二次大戦前の日本、って言う時代を代表する作家なんだよなぁというのをすごく思います、漱石は明治そのもの、文明開化そのものを体現している作家ですが、太宰は戦前の日本というのをがっつり反映しているのです。

 戦後に書かれた戦争あと話みたいなものがたくさんあるし、戦争世代の作家っていうのはそっちの戦後に、作家になった人たちのほうがを言うんですけど、でも本当の戦争世代ってのは20~45年に活躍している作家ですよね。

 けれど太宰の作品で直接的に戦争の話やら、軍国主義の政府の話なんかが触れられることは滅多にない。でもやっぱりその社会状況がすべてなんじゃないですかね。

 作中でジャンキーとしてのエピソードが書かれてますけども、やっぱりそういう時代のものだと思います、戦争がなくて、何もやることがなくてスリルを求めてドラッグに向かうのと、現実があまりにもリアルで、それから逃げるためにドラッグに走るのとでは全然違いますものね。

1987 リーサル・ウェポン

聞いたことはあるけど見たこと無い映画特集。

 この時代の映画って今となっては、CGが無いからリアリティがあって、別の価値が生まれて来てますよね。ダイハードとかそのへん。うわっ!あぶねぇっ!っていう緊張感があります。ヘリで車に横付けしてみたりと、今の普通にミスってない!?っていうのとか、あと車のクラッシュとかも、そういうふうにクラッシュするんだ、っていう方向にぶち当たったりしますね、CGでやると、いかにもクラッシュしましたという感じですが、とりあえずぶつけてみよう、という実写だと計算は出来ませんが、想像を超えた動きをもたらしますね。 
 この映画めちゃくちゃ金がかかっているという感じではないのですが、お金の使い方が上手くて、ここぞというところに金がかかっていて面白いです。割りとおしゃれ目に作っています。

 

 CGはどんどん進歩して、映画はどんどん荒唐無稽、ファンタジーよりになっていて、映画自体から離れているヒトもけっこういると思います。すぐに地球滅亡、人類の危機、とかいうけどどんだけ地球に危機迫ってんねんってことで、やりすぎましたよね、地球滅亡もの。もうたまには滅びて欲しいって感じです・


 最後には謎の格闘シーンがあったり、ベレッタの拳銃だけキャノン砲みたいな音がしたりとけっこう謎が多いのですけど、なかなかおもしろいですね、ベレッタに憧れるのもわかる。

 

2017年11月15日水曜日

1908 夢十夜  夏目漱石

 教科書にもよく採用されている、漱石の中でも有名な作品。

 けど漱石の作品としては異色でして

「こんな夢を見た」

 という始まりで、10夜の夢物語を語るというものです。夢なんてものはそんなにはっきり覚えていることもないしディテールがあるわけでもないので、夢といいつつ、ちょっとしたアイデアを夢から得て、それを膨らまして物語にしてるというものでせう。


 ややファンタジーっぽい感じで、どっちかというと写実主義の漱石の作品の中で色が違う作品です、そのちょっと幻想的なところがこの作品が人気がある故なのかもしれません。


 漱石の描く美人ってのは、だいたい漱石の作品には美女が登場するのですが、当然和装でモガじゃないんですけど、絵が浮かんでこないです。ただ美女であるとか瓜実顔であるとか、心持ち首をかたむけてしゃべる・・とか。具体的にどういうのを漱石は美女として描いているのか?っていう絵を描きずらい。漱石の趣味がわからんのですね。だいたいシェイクスピアが想定している美女は思い描ける、クレオパトラはたぶんこういう感じ、ポーシャの顔つきもなんとなく描ける。けど、明治の日本の美人、っていうののテンプレがよくわからない。
 西洋ってのは美女、の基準がずっと同じなんですよね、ギリシャ・ローマ時代から、今のスーパーモデルみたいなのまで、ほとんど同じプロポーションと顔つきをしてる。けど日本はカメレオンのように流行り廃りが変わっていて、太古の時代、宮廷時代などコロコロ変わっていてよくわからん。浮世絵の美人ってのもなんだかわからない。

 
 漱石ってのはどうもモテたようには思えないし、女遊びをしそうなタイプでもないので、女性、の内面、っていうのがほとんどないような気もします。外面的っていうのか、一般的な型、として性格付けをしているというのか。そして常に、自殺と神経衰弱のイメージが背後にある。それはこの夢十夜でもそうで、悟り、切腹、入水、死、のイメージが次々と現れる。それが漱石の現代的なところで、そういう世界観とかイメージみたいなのが、漱石がずっと色あせない理由なんでしょうね。一言でいうと、暗いんですね。


 

2017年11月14日火曜日

Chatmonchy について

 どういうきっかけだったかわかりませんが、チャットモンチーを最近はずっと聴いていて、ようやく「共鳴」、までを聴いてアルバム的には現代に追いつきました。


 そこまで知名度は高くない?十分高いのか知りませんが、よくワタシの大好きな曲っていうのである時代の女性にはものすごいヒット率が高いのがチャットモンチーなんですね、いまだいたい25~38才くらいの世代。
 
 この世代に強烈に印象に残っているようです。「シャングリラ」とかが有名ですけど、これはワタシのテーマ曲、的なものを数々生み出している、非常に珍しい女性バンド。バンドといっても3ピースだったのが一人脱退して二人になってしまい、ユニット、になりましたけども。

アルバム収録曲すべて名曲、みたいなわけでもないけど、アルバムに1曲は、この曲はすごい、っていうのを残してくれるタイプのアーティストです。

 女性のバンドってのは、絶対に短命なんですよねw まぁ女ってのは基本性格悪いっていうか独占欲の塊みたいなとこがあって、ずっと友達♡ ほど脆い人間関係もないわけで、女性バンドってのはほんと珍しい。たいてい2枚くらいアルバムを出すと崩壊するんですよね。
 

 それに基本女性アーティストってのは、アーティストっていうよりはシンガーだったりパフォーマーだったりで、曲自体を作ってるケースは珍しい。フェスとかで唯一自立して演奏できる女性アーティスト、と何かのレビューで書いてありましたけど、確かに、って思いました。

 とにかくヴォーカルの声質が突出してるバンドでそれだけでも価値があるんだと思います、ワタシは音楽で誰かを褒めることはひじょーーーに珍しいので、ぜひ、聴いて見てほしいですね。


 ワタシのお気に入りは「世界が終わる夜に」っていうセリーヌの小説みたいなタイトルの曲。おや・・・ただものじゃない。っていう曲です、この曲でものすごい好きになりました。


 

2017年11月13日月曜日

1939  愛と美について 太宰治

 性格の違う5人と兄妹がかわりばんこに一つの小説を作るという短編。

やっぱりキラキラと才能を光らせますね、すごいなぁ・・。

末弟の弟が解析論の話を初めて、ガウス、カントール、パスカル、などから引用をあやふやにしていきます。一体太宰治はどこでこんな高等数学のネタを仕入れたのですかね?やっぱり戦前の大学生ってのは相当な賢さですよね。昔の大学生とか専門学校生ってのはスーパーエリートなんですよね、高等教育を受けてるのが10%とかの時代だから。英語は当然第二外文も相当やりこんでいる。今の学生とかよりもよっぽど博識です、今の学生にイプセンのノラが云々・・・、カントールの無限集合論が・・・、なんていったってそれを専門にやってる人間以外はまったくわかんないと思います。

 「幸せの予感があるってだけでも今の時代では幸福なんです」

なんて鋭いことも書いてあります、1939年・・・、いぃ時代ですね、ものづくりをする人間にとっては。


いわゆるリベラルアーツ、教養、ってのは日本ではまったく重視されなくなりました、唯一東大だけが教養を重視していますが、ほかの学校、というか大学自体が就活予備校みたいになっていて、就活が3年のゼミを決めるころからもう始まってしまっていて、あとは何一つ勉強しません。

 大学生の1年は長い受験勉強からの解放感からで勉強なんてできるわけないし、ようやく2年になって慣れて、そろそろ何かやるかって頃にはもう3年になり、就活と卒論を書くだけで終わってしまう。大学は4年あるけども、実質2年の一年間しか何かカネにならないことに無駄に時間を使うことはできないのです。


 昔の大学生が賢いのは彼らがスーパーエリートの金持ちの子供なので、そこまで真剣に就活に取り組まなくてもいいからなんです。今の大学生がバカなのは、彼らがカネを持ってないからでカネがないとつまり時間がないのです。別に人間としての知能は平均的には何も変わってないとワタシは思います。


 リベラルアーツ、は自由な知識ってわけですが、みんな就職のために大学に行ってるので、自由な知識などを勉強したいわけじゃない。

 私は大学なんて無くていいと思います、本当に一握りの暇な金持ちが年齢問わず教養を学ぶスペースがあればいいわけで、学費と時間の無駄遣いなんだから大学なんて無くして、1年制の就活予備校みたいなのにみんな入るってことでいいんじゃないかと思いますけど・・・・。

2017年11月12日日曜日

スマホゲーム RMT スーファミ

 スマホの話をもう一つ。

 スマホゲームってのが今ではゲーム業界のほぼ半分?くらいにまで成長しているようで、膨大なスマホゲームがあって、業界の大手ももれなくスマホゲームを作っています、FFもあればDQもあり、グラブル、ロマサガ、SO、なんでもあります。

 
 ワタシはスマホじゃなかったのでまったくやったことがなかったのですけど、スマホゲームの専門用語みたいなのが一般名詞化されてきていて(ガチャ、レア確定、課金)一体なんのこと??って思ってたのですが、ようやくわかりました。

 だいたいスマホゲームってのは、ゲーム自体は無料なのですが、経験値やお金の収入などがかなり低めに設定されていて、有料でお金を払うと、経験値やキャラや武器などが得られるようになっています。


 それはオンラインゲームが流行りだしたころにプレイヤー達がゲームの中のお金じゃなくて、リアルマネー、現金の取引をすることで、ゲーム内で強い武器をあげたりする、チート行為 リアルマネートレード (RMT)、と言われたいたものを、ゲームを運営してるゲームマスターがやるということなんですね。


 それって・・・、詐欺なんじゃないの??? RMTと初心者狩りはオンラインゲームでは最低のマナーとしてバンアカウントされたりするものの代表でした。企業がRMTをするのはいいんだ・・・、なんかそれっておかしない??


 って、思うのはワタシみたいなオールドタイプだけなんでしょうね。ゲームを買う代金を課金に使ってるだけ、後払いをしてるだけなんだって考えれば、まぁその通りですし、基本的に詐欺か詐欺じゃないか?というのは政府に税金が入るかどうかという問題にすぎず、オレオレ詐欺が犯罪で、医師会が医療費を釣り上げてるのが合法なのは、政府にどれだけ利益があるか、っていうことなんですわね。どちらも老人とかを食い物にしてるんですけど、ともかく、税収になればよいのだ、税収というよりは政治家自身のポケットというか。



 それでもワタシみたいなオールドタイプで、課金て・・・RMTじゃん、まぢか?って思う人間は少なからずいると思うのです。

 PSOのように、RMTをしてるプレイヤーだけが強くなり、金を出さないPLが不利になるようなことはないよ、っていうのをうたってるゲームもあります。これはスマホゲームじゃなくてオンラインゲームですけど。オールドタイプ向けのゲームですね。


 で、ゲーム自体は、スーファミの時代のシステムだけれど、メモリの容量が増えたので音楽やビジュアルが刷新されているって感じですね、基本的には、ゲームは全部スーファミ時代のものです。
 これはでもワタシはいいなと思うところで、ワタシは3Dのゲームがやっぱりどうも好きになれません。テイルズとかも、あぁまた3Dか・・やらね。って感じで、3Dモデルよりもやっぱりイラストじゃないとやる気が起きません。スーファミでゲームは完成されてしまったわい、といういやなゲーマーですw でもこれだけスマホゲームが流行ってるのはやっぱし2Dゲームのほうが感情移入出来るっていう人が多いんだと思います、アジアの美意識は平面構成で、立体構成のグレコローマン式の美意識にはあんましぐっとこないのだとワタシは思うものなり。
 端的にいうと西洋では美女のヌードの彫刻などを作ってぐふふ、とやっているのですけど、ワタシはなんにも感じない、ニケやヴィーナスなどもやっぱり何にも感じない、何がいいのかちっとも理解できない、カラダが反応しない。まぁ顔の作り自体がアジアは平面的で西洋は立体的ですものね、そりゃそうだって感じです。


 RMTには納得いかないですけど、ゲーム自体はなかなか良い、ってのがワタシの感想ですね、あと買い切りゲームではできないどんどんストーリーやイベントが追加されるっていうのもあります。でもワタシは普通の買い切りゲームとして作ってくれたらな・・と思いました・・・。


 天下のADOBEも、Creative Cloudといって、買い切りではなくて月々お金を払い続けないといけないようになっていますしね、でもワタシのADOBEはCS6より先に進歩することはおそらく永久にないでしょう。脳に映像を描くだけで絵がかける、みたいなことにならない限り。

 

1906 文鳥 夏目漱石

最近ワタシの読書スタイルはついにスマホになりました。本を持ち歩かなくてよいのですごく軽くて便利、さらに画面が光るので暗いところでも夜でも外で本が読める、これは今まで見逃していたけどめちゃくちゃ便利です。

 電車とかでみんなスマホクルクルやってて、こいつらバカなんじゃないかと思っていたワタシもついにそのグループの仲間入りというわけです。そりゃ今更紙の本なんて誰も読まないよな。


 人間には自分で光を出す器官が存在しない。これは人間という生物の一番の欠陥です、ほかにも直立してるので腰が弱いとか、肩が凝りやすいとか、排泄したあとにアナルが弱点だとかいろいろあるんですけど、やっぱり一番は夜に目が利かないくせに光を出せないということです。だいたいのイキモノは夜だって目が見えるし、光を出すことができるイキモノもいます。超音波で空間を探る能力などもある。

 だからスマホってのはその最後の臓器、としてほぼ体の一部となるのでせう。脳が飛び出して目になったといいますが、さらに脳の処理機関と記憶、大脳新皮質を分離してスマホになったのでせう。


 読書するときに全集とかにしか入っていないマイナーな作品ってのは非常に困っていました、ワタシは家では本は読まないタイプです、ほかにやることがありすぎる。でもまさか漱石全集とか太宰治全集みたいなのを持ち歩くのはしんどいです、これ絶対読む人間のことを考えてないだろ!って本がたくさんあります、ハードカバーなんていやがらせとしか思えない。日本の若者は本を読まないといいますけど、読ませようって気が全然ないとワタシは思います。海外ではペーパーバックが主流で、かなり安いし、薄いし、そして何よりものすごい軽い。英語ってのは日本語よりも1ページに入る情報量が多いんですね。日本で上中下三巻本みたいになってるものも、ペーパーバックだとけっこう普通の厚さの一巻本になってたりする。そして向こうは本を分けるというのが好きじゃないらしく、吉川英治の宮本武蔵、日本だと文庫だと7巻くらいだと思いますけど、ペーパーバックだと大きめの一冊になってました。これはさすがにでかいのですが、よく考えると値段的にはものすごい安い。さらに海外の人はペーパーバックをハサミで切り裂いて、読みたい部分だけ持ち歩くなんてこともするようです。ペーパーバックは読むためのものでとっておくためのものじゃないんですね、読んだらそのまま捨てる。海外の人はまじで本をたくさん読むのだな、と結構驚きました、とくに夜が長い国は本を読むみたい。


とにかく全集を持ち歩くのは学生の頃はそれをやってましたけど、学校で授業受けるだけじゃなくてほかにやることがあるのにカバンを占拠されては困ります。

 っちゅーわけで青空文庫をかなり利用させてもらっています、翻訳物が少ないのが玉に瑕ですが、ないものねだりをしてもしょうがない。



やっと本題ですが、この文鳥という作品は漱石の日記みたいなもので、文鳥を飼ったのだけれど世話をするのがおざなりになり、やっぱり文鳥を凍死させてしまったことに漱石が自分が世話をしなかったのに逆ギレするという簡単な話。
 
 漱石ってのはいろんな文体を持っていて、いわゆる名文、といわれる漢文調、坪内逍遥的な英語翻訳風の文体、古典風の文体、落語風の文体いわゆる言文一致体。
 文体で、漱石っていう人物の性格も変わるという感じがします、この「文鳥」は日記文学みたいに言文一致体で書かれているのですが、この文体だと漱石はけっこうな困ったちゃんでちょっとひょうきんというか、頑固なくせに怠け者みたいなニュアンスを持つ、漢文体だとすごい真面目で哲学的、やや厭世的な調子になる。
 漱石ってのはほんとの自分ってのを見せないタイプの作家ですよね・・・。

2017年11月9日木曜日

1906 趣味の遺伝 夏目漱石

 夏目漱石が日露戦争の凱旋の模様を見てから起こった事件について記した、ドキュメンタリー的な作品です。たぶんフェイクドキュメンタリーではない・・はず。


 WIKIなどによると厭戦的な小説であるとありますが、別にそれが主題ではないし厭戦的でもない。ただ漱石は浩さん、なる旧友を戦争で失ってそれについて書いているだけで、浩さんは名誉の戦士を遂げた英霊である、みたいな戦争を賛美する内容であったとしたら、それは小説にはならないです、だって世間の一般論を言っているだけなんですから。


 よく反戦運動、とか平和運動、みたいなことをやってますけども、なんか釈然としないところがあって、日本が戦争で勝っていたころ、実際には、戦争はいけない、なんていうやつは本当に少なくて、凱旋などを迎える民衆は本当に熱狂的、強熱的に歓迎ムードでしたし、メディアも、政府に言わされているとは到底思えない賛美をしていました、戦争で負けそうになると、政府に言わされているだけだったり、戦争を批判する人間は抑圧されたりしましたけれども、あの民衆の狂乱ぶり、とかそういうのは、一体あれはなんだったの?っていうことについて、まったく説明されないことがありますよね。
 特にNHKでは、戦争に勝利しているサイドがどれだけそれに対して歓迎とか賛嘆してたところっていうのはバッサリカットしている。

 
 そしてどうも私はあの、凱旋将軍に対して狂乱して盛り上がっていた民衆と、反戦運動とかデモに参加する人間が、同じ人間だという気がするのです。まさしくこの小説の題名の通り「趣味の遺伝」、DNAが同じ人間は、同じようなことを時代を変えてするということなんです。

 逆のことをしてるようで「体制側に属してみんなで騒ぎたい」というおなじ趣味の遺伝が起きているという気がするのですね。


 この小説は日露戦争を当時の人がどんな感じで受け取っていたかっていうのだけで歴史的な価値がありますよね。GHQの手が加わった、政府の公式声明ではない、リアルな当時の人間の感想です。

 
 ただやっぱり不思議なのは、決死隊として突入する浩さんの場面が想像で描かれているわけなんですが、なんでロシアと戦わないといけない??っていう疑問を持っていなかったのかってことですよね、ロシア?どこやねん?って話ですよね、現代でもロシア??ロシアって何よ?っていう感じでロシアについて理解してる人間なんて一握りですし、ロシアの文字がキリル文字だってことすら知らないのが大多数です。それと戦争する?一体どこのだれかわからない人間と、それに対して命を捨てられるか?っていうとものすごい疑問です。ワタシは無理ですね。
 ロシアと戦争するっていうのがどうも非現実的すぎて、体が動かない。

2017年11月5日日曜日

1939 花燭  太宰治

 太宰治の女中シリーズというようなもの。
 
 この短編は太宰が左派主義活動をしていた黒歴史についてのちょっとしたオマージュも入っていて、太宰が若いころに左派に傾倒して活動家、をやっていたということが裏にあります。

 女中の弟、の発言や、太宰の家に居候みたいに集まってくるニート集団もその関わりであるということなんです。

 戦前の日本の社会主義者というのは、本当に触れられることの少ないテーマでして、なぜかというにやっぱりGHQがその手の資料とかをすべてなかったことにしたんでしょうね。軍国主義もダメだけれど、社会主義はさらに発禁処分である。戦争が終わって社会主義が勃興することをGHQはさらに警戒したというわけでしょう。

 日本が戦争に向かって極右街道をまい進したことからもわかるように社会主義は敗北しました

 「転向」

 という言葉は左派には重い響きを持っていて、自分の主義などを曲げて行くことです。この1940年頃ってのは、まさにその「転向」を余儀なくされた時代だってわけです。


 貧しく弱いからといって神はそれを愛さない、その中にサタンがいるからである
強き者の中に、善がある、神はこれを愛するのである。


 という名文があるんですが、まさにこれこそ「転向」、主義を変えたことを示しているわけですね。貧しく弱い人間を救う、というのが、共産主義、社会主義のかなりの根本的な理想なわけですが、貧しく弱い人間が、善人だとは限らない。むしろその中にサタンがひそんでいる、これはのちのち共産主義が崩壊するなかでさらに明らかになっていくことでありました。

 太宰治っていうのは、第二次大戦、の時代の作家なんです。まさにその時代を体現している作家。夏目漱石が明治、という時代そのものであるように、第二次大戦という時代を代表する作家。そりゃ、今の時代の作家が太刀打ちできるわけはないよな・・・

2017年11月3日金曜日

1907  虞美人草

夏目漱石のいわゆる、プロデビュー作品。

 それまでの作品は大学教授をしながら副業として書いた作品でしたが、この作品は漱石は朝日新聞専属となって書いた作品であります。


 つい最近に、PCノベルゲームみたいなのは、文章がどうも大学生が頑張ってる感が出ていて内容が入ってこないって書きましたけど。漱石は漱石で、名文すぎてなかなかすんなりと意味が入ってこないですね。

 漱石の場合、漢語調ってのが問題があって、まず語彙が現代の日本人とまったく違う語彙の領域を持っていて、たぶんラノベなどを読む現代人には、いくら内容が面白くたって、伝わらないんですよね、だって知らない言葉なんだもの。現代人はその代わりに、英語の語彙が日常語にどんどん増えていて、今の語彙はもちろん漱石の時代の人には伝わらないでしょう、まぁ漱石は英文学教授だから英語に関しては圧倒的に出来るんですけど。


 やくしまるえくすぺりえんす、で朗読されているのは漱石だと思いますが、なんかものすごい名文なのだけれど内容はちっともわからん。むしろ英訳された漱石の草枕などを読むと、へぇ、そういう意味だったのか、という逆輸入現象がおきます。


 わたしはそこまで日本文学マニアではないのですけど、漱石より前に、プロ、の純文学作家となった人はいるんですかね?そりゃ新聞記者まがいの物書きはいくらでもいるんでしょうけど。

 よく言われる話ですが漱石が活動した期間はわずか10年、血反吐を吐いて死にました。それはデビューが40で遅かったのもありますけど、「風立ちぬ」の中で、創造的人生の持ち時間は10年、っていうのはこれを元にしてます。けど今の時代プロの作家で40から活動なんてのはほぼいないですよね、小説家じゃないにしろ、あらゆる領域で、参入障壁が高いんで、逆に高校生の作家とかのほうが売れそうだから多いくらいです。
 それと明治なんて病気や医療がないのもそうですが、戦争やりまくってる時代なんで今よりもボコボコ人が死ぬ時代、50まで生きたら長生きなほうです。10年、という年月の重さも全然違う。
 この小説で一応ヒロインの甲野藤尾、は失恋したというだけでショック死してしまうんですけどそんなわけあるかいな、っていうのは今の感覚で、100年前は、そのくらいのちょっとしたことで死ってのが身近にあるんですなぁ。


 さて前置きはそのへんにして内容なのですが、ワタシが思うにはこれは漱石の唯一の失敗作でして、どうも読者におもねっている感があります、こういう作品を書いたら大衆は喜ぶだろうっていうのが見え隠れする。

 プロットとしては、簡単に言うと、お金持ちで美人の令嬢か、恩人の娘、どっちと結婚するのがよかろう?という結婚とカネ、という身近な物語をその他の人物で固めているわけです。

 本文にもありますが、20世紀には切ったはった、で人間の本心に触れるなんてことは起こらない、きったはったではなくて日常のなかで人間の本当に触れるのが20世紀である、というわけで、ほとんど何も事件という事件は起こらない、リアリズム文学ですね。

 そういう物語としては、簡単な喜劇なんですけれども、文章はやはり名文の連発で、短い言葉の中に驚くほどの内容が含まれています。また情景描写による間接的な世界観の作り方も、そんじょそこらの凡人には真似できない、ただ達人すぎて何が言いたいのかほんとにわからないってことにもなりがちですw


 漱石の小説の主人公はほとんど30頃の何もしてないが、それほど金に苦労してるわけでもない、ややぼんぼんのニートで、彼らがそのあとをどうやって生きるか、っていうものが殆どです。だいたいはみんな、生きるべきか?死ぬべきか?という問題を抱えている。ハムレット君たちなのです・・・

2017年11月1日水曜日

2006 Fate stay/night 初代テレビアニメ版

なんかしょっちゅう名前を聞くのだけれど、一体なんなのかわからない作品が結構あって「物語」シリーズ、東方系、「ひぐらし」、がそれにあたります。

 だいたいPCのギャルゲーとかが発端となってるシリーズでして、わからない人には、一体どこから入っていいのかが全然わからん。ヲタクの内部から生まれてヲタクの内部で作られていくものなんでしょう。PCのノベルゲームってやらないヒトにはまったく未知の世界ですものね、テレビゲームにしたって、やらないひとには永久に知らないままってのが多い。FFとかですら、まったく知らないってヒトが結構な数いますものね。

 やらないひとには一切届かないのでちょっともったいないととも思う、特にゲームとかってクリアしないと物語の全貌がわからないので、すごい良いシナリオなのになかなか知名度が低いってことがあります。最近はそういうのを考えて、テレビアニメ化されるものが増えましたよね。ペルソナ3とかその代表だと思います。ゲームをやらないヒトにも入り口を広げてあげているというわけ。


 Fateシリーズも最初はPCノベルゲームで、ゲームらしく一本筋じゃないマルチエンディングシナリオのもののようです、アニメはもちろん一本のプロットになってしまいますけど、いろんな分岐を出来るってのはゲームのシナリオでしか出来ない技ですわね。ゲームのシナリオのほうはどうやらもっと長くて深いものらしいんですが、どうもワタシはノベルゲームをやりきるエネルギーが無いようだ・・・・


 内容はアニメ版に限らせて言うと、全然エロゲーっぽくない、シリアスでダークなファンタジーです。結構重いし暗い、ただPCゲームらしく仲間になるのは美少女ばっかり、しかもなぜかみんな主人公の家に移住する、何もしないのに女のほうから寄ってくる、デフォルトで完全に自分を溺愛してる、せんぱーい、みたいな隠れ巨乳が家に飯を作りにくる、そんな馬鹿なことあるわけが・・っていうまったくリアリティの無い設定ですし・・・ともかく不細工な女などは存在し(てはいけ)ない世界。



 それとPCゲームっぽいテキストの構成の仕方、これはなんていったらいいんでしょうね、PCゲームシナリオ特有の言葉づかいとか書き方がありますよね・・・、本で調べた知識をそのまま使ったっぽい感じ、あとキャラを立たせるためにしゃべり方が非日常くさいっていうのか。これがワタシはちょっと苦手。ラノベもそうですが、なんかそのへんの大学生ががんばって書いてるような感じがう~~む・・ってなる。


 シナリオ全体としては、なんかむちゃくちゃやーーーん、っていうところもかなり多くて、最後は「うぉおおおおおーーーー!!!」みたいな気合いだけで性能が変化する熱血ファンタジー的解決法ですし、主人公が特別な能力を与えられていて、結局は主人公が最強な主人公ゲーであって、かなり問題も多いです。


 正直、なんでこれがここまではやっていまでもずっとシリーズが続いているのかよくわからにゃい・・・、キャラデザもちょっと古い90年代のセガのマイナーゲームみたいな感じだし・・・。

 ただセイバーとかリンとか主要な女キャラが萌えキャラではなくて、けっこう自分を持っていて、強いタイプの媚びない女性キャラってのが、この手のものとしては異質ですね。美少女キャラなのに媚びない、無駄にいっつも風呂に入ってたりもするんですけど。しかし全体としてシリアストーンで、stay nightというように、基本ずっと夜ですし、主要キャラ以外はけっこうあっさりボコボコ死ぬ。

 主人公も全然面白いことを言わない、重い過去をもった少年で、妙に・・・、重いですね。なんか美少女アニメとみせかけておいて、なんかズーン・・っていう重い感じがなんかこってりしてあぶらっこくて胃にズシズシくるものがどうしても食べたいっていう感じでその暗い感じがクセになるのかもしりませぬ。


 キャラデザがワタシの好みじゃないってのが一番大きいかも、結局はキャラの作画こそテレビアニメのすべてなりってワタシは思うものなり、特にこういう美少女ものだったらそこしかないですものね、劇場版だとまた違うんですけど。


 ともかくこのシリーズ膨大なスピンオフになっていて格ゲーやらスマホゲー、マンガ、映画とにゃんだかもうついていけんわい・・・。しかもナンバリングじゃなくて、ZERO、GRAND ORDER みたいなかっこつけたタイトルなので初心者お断り感があります・・・。