2017年11月12日日曜日

1906 文鳥 夏目漱石

最近ワタシの読書スタイルはついにスマホになりました。本を持ち歩かなくてよいのですごく軽くて便利、さらに画面が光るので暗いところでも夜でも外で本が読める、これは今まで見逃していたけどめちゃくちゃ便利です。

 電車とかでみんなスマホクルクルやってて、こいつらバカなんじゃないかと思っていたワタシもついにそのグループの仲間入りというわけです。そりゃ今更紙の本なんて誰も読まないよな。


 人間には自分で光を出す器官が存在しない。これは人間という生物の一番の欠陥です、ほかにも直立してるので腰が弱いとか、肩が凝りやすいとか、排泄したあとにアナルが弱点だとかいろいろあるんですけど、やっぱり一番は夜に目が利かないくせに光を出せないということです。だいたいのイキモノは夜だって目が見えるし、光を出すことができるイキモノもいます。超音波で空間を探る能力などもある。

 だからスマホってのはその最後の臓器、としてほぼ体の一部となるのでせう。脳が飛び出して目になったといいますが、さらに脳の処理機関と記憶、大脳新皮質を分離してスマホになったのでせう。


 読書するときに全集とかにしか入っていないマイナーな作品ってのは非常に困っていました、ワタシは家では本は読まないタイプです、ほかにやることがありすぎる。でもまさか漱石全集とか太宰治全集みたいなのを持ち歩くのはしんどいです、これ絶対読む人間のことを考えてないだろ!って本がたくさんあります、ハードカバーなんていやがらせとしか思えない。日本の若者は本を読まないといいますけど、読ませようって気が全然ないとワタシは思います。海外ではペーパーバックが主流で、かなり安いし、薄いし、そして何よりものすごい軽い。英語ってのは日本語よりも1ページに入る情報量が多いんですね。日本で上中下三巻本みたいになってるものも、ペーパーバックだとけっこう普通の厚さの一巻本になってたりする。そして向こうは本を分けるというのが好きじゃないらしく、吉川英治の宮本武蔵、日本だと文庫だと7巻くらいだと思いますけど、ペーパーバックだと大きめの一冊になってました。これはさすがにでかいのですが、よく考えると値段的にはものすごい安い。さらに海外の人はペーパーバックをハサミで切り裂いて、読みたい部分だけ持ち歩くなんてこともするようです。ペーパーバックは読むためのものでとっておくためのものじゃないんですね、読んだらそのまま捨てる。海外の人はまじで本をたくさん読むのだな、と結構驚きました、とくに夜が長い国は本を読むみたい。


とにかく全集を持ち歩くのは学生の頃はそれをやってましたけど、学校で授業受けるだけじゃなくてほかにやることがあるのにカバンを占拠されては困ります。

 っちゅーわけで青空文庫をかなり利用させてもらっています、翻訳物が少ないのが玉に瑕ですが、ないものねだりをしてもしょうがない。



やっと本題ですが、この文鳥という作品は漱石の日記みたいなもので、文鳥を飼ったのだけれど世話をするのがおざなりになり、やっぱり文鳥を凍死させてしまったことに漱石が自分が世話をしなかったのに逆ギレするという簡単な話。
 
 漱石ってのはいろんな文体を持っていて、いわゆる名文、といわれる漢文調、坪内逍遥的な英語翻訳風の文体、古典風の文体、落語風の文体いわゆる言文一致体。
 文体で、漱石っていう人物の性格も変わるという感じがします、この「文鳥」は日記文学みたいに言文一致体で書かれているのですが、この文体だと漱石はけっこうな困ったちゃんでちょっとひょうきんというか、頑固なくせに怠け者みたいなニュアンスを持つ、漢文体だとすごい真面目で哲学的、やや厭世的な調子になる。
 漱石ってのはほんとの自分ってのを見せないタイプの作家ですよね・・・。