2017年11月13日月曜日

1939  愛と美について 太宰治

 性格の違う5人と兄妹がかわりばんこに一つの小説を作るという短編。

やっぱりキラキラと才能を光らせますね、すごいなぁ・・。

末弟の弟が解析論の話を初めて、ガウス、カントール、パスカル、などから引用をあやふやにしていきます。一体太宰治はどこでこんな高等数学のネタを仕入れたのですかね?やっぱり戦前の大学生ってのは相当な賢さですよね。昔の大学生とか専門学校生ってのはスーパーエリートなんですよね、高等教育を受けてるのが10%とかの時代だから。英語は当然第二外文も相当やりこんでいる。今の学生とかよりもよっぽど博識です、今の学生にイプセンのノラが云々・・・、カントールの無限集合論が・・・、なんていったってそれを専門にやってる人間以外はまったくわかんないと思います。

 「幸せの予感があるってだけでも今の時代では幸福なんです」

なんて鋭いことも書いてあります、1939年・・・、いぃ時代ですね、ものづくりをする人間にとっては。


いわゆるリベラルアーツ、教養、ってのは日本ではまったく重視されなくなりました、唯一東大だけが教養を重視していますが、ほかの学校、というか大学自体が就活予備校みたいになっていて、就活が3年のゼミを決めるころからもう始まってしまっていて、あとは何一つ勉強しません。

 大学生の1年は長い受験勉強からの解放感からで勉強なんてできるわけないし、ようやく2年になって慣れて、そろそろ何かやるかって頃にはもう3年になり、就活と卒論を書くだけで終わってしまう。大学は4年あるけども、実質2年の一年間しか何かカネにならないことに無駄に時間を使うことはできないのです。


 昔の大学生が賢いのは彼らがスーパーエリートの金持ちの子供なので、そこまで真剣に就活に取り組まなくてもいいからなんです。今の大学生がバカなのは、彼らがカネを持ってないからでカネがないとつまり時間がないのです。別に人間としての知能は平均的には何も変わってないとワタシは思います。


 リベラルアーツ、は自由な知識ってわけですが、みんな就職のために大学に行ってるので、自由な知識などを勉強したいわけじゃない。

 私は大学なんて無くていいと思います、本当に一握りの暇な金持ちが年齢問わず教養を学ぶスペースがあればいいわけで、学費と時間の無駄遣いなんだから大学なんて無くして、1年制の就活予備校みたいなのにみんな入るってことでいいんじゃないかと思いますけど・・・・。