2017年11月3日金曜日

1907  虞美人草

夏目漱石のいわゆる、プロデビュー作品。

 それまでの作品は大学教授をしながら副業として書いた作品でしたが、この作品は漱石は朝日新聞専属となって書いた作品であります。


 つい最近に、PCノベルゲームみたいなのは、文章がどうも大学生が頑張ってる感が出ていて内容が入ってこないって書きましたけど。漱石は漱石で、名文すぎてなかなかすんなりと意味が入ってこないですね。

 漱石の場合、漢語調ってのが問題があって、まず語彙が現代の日本人とまったく違う語彙の領域を持っていて、たぶんラノベなどを読む現代人には、いくら内容が面白くたって、伝わらないんですよね、だって知らない言葉なんだもの。現代人はその代わりに、英語の語彙が日常語にどんどん増えていて、今の語彙はもちろん漱石の時代の人には伝わらないでしょう、まぁ漱石は英文学教授だから英語に関しては圧倒的に出来るんですけど。


 やくしまるえくすぺりえんす、で朗読されているのは漱石だと思いますが、なんかものすごい名文なのだけれど内容はちっともわからん。むしろ英訳された漱石の草枕などを読むと、へぇ、そういう意味だったのか、という逆輸入現象がおきます。


 わたしはそこまで日本文学マニアではないのですけど、漱石より前に、プロ、の純文学作家となった人はいるんですかね?そりゃ新聞記者まがいの物書きはいくらでもいるんでしょうけど。

 よく言われる話ですが漱石が活動した期間はわずか10年、血反吐を吐いて死にました。それはデビューが40で遅かったのもありますけど、「風立ちぬ」の中で、創造的人生の持ち時間は10年、っていうのはこれを元にしてます。けど今の時代プロの作家で40から活動なんてのはほぼいないですよね、小説家じゃないにしろ、あらゆる領域で、参入障壁が高いんで、逆に高校生の作家とかのほうが売れそうだから多いくらいです。
 それと明治なんて病気や医療がないのもそうですが、戦争やりまくってる時代なんで今よりもボコボコ人が死ぬ時代、50まで生きたら長生きなほうです。10年、という年月の重さも全然違う。
 この小説で一応ヒロインの甲野藤尾、は失恋したというだけでショック死してしまうんですけどそんなわけあるかいな、っていうのは今の感覚で、100年前は、そのくらいのちょっとしたことで死ってのが身近にあるんですなぁ。


 さて前置きはそのへんにして内容なのですが、ワタシが思うにはこれは漱石の唯一の失敗作でして、どうも読者におもねっている感があります、こういう作品を書いたら大衆は喜ぶだろうっていうのが見え隠れする。

 プロットとしては、簡単に言うと、お金持ちで美人の令嬢か、恩人の娘、どっちと結婚するのがよかろう?という結婚とカネ、という身近な物語をその他の人物で固めているわけです。

 本文にもありますが、20世紀には切ったはった、で人間の本心に触れるなんてことは起こらない、きったはったではなくて日常のなかで人間の本当に触れるのが20世紀である、というわけで、ほとんど何も事件という事件は起こらない、リアリズム文学ですね。

 そういう物語としては、簡単な喜劇なんですけれども、文章はやはり名文の連発で、短い言葉の中に驚くほどの内容が含まれています。また情景描写による間接的な世界観の作り方も、そんじょそこらの凡人には真似できない、ただ達人すぎて何が言いたいのかほんとにわからないってことにもなりがちですw


 漱石の小説の主人公はほとんど30頃の何もしてないが、それほど金に苦労してるわけでもない、ややぼんぼんのニートで、彼らがそのあとをどうやって生きるか、っていうものが殆どです。だいたいはみんな、生きるべきか?死ぬべきか?という問題を抱えている。ハムレット君たちなのです・・・