アガサ・クリスティーの二作目。
二作目、でその作家の真価が問われるといいますけれど、この作品・・・、どうですかね??
正直、構成が甘いです。探偵小説ではないんですよね、こういうのをなんていうのか、クライムアクション、クライムサスペンス、とかなんちゃらかんちゃら。要するに一番ベタなヤツです。
ベストセラーだなんだかんだ、だいたいの物語がこのクライムサスペンス、ってものだと思います。この本がすごい、とかなんとか宣伝してるやつはたいていこれ。ダン・ブラウンだの、シドニィ・シェルダンだの、とにかくつまりはこの手の小説だったりする。深刻で深淵な純文学がベストセラーになるはずがない。
なんか悪い組織、犯罪者などがいて、それに挑むヤツがいて、必ず美女が登場し、最後には結局事件も解決して、恋愛も成就するという、死ぬほど繰り返されてきたやつ。
構成が甘い、と書きましたが、そうではなくて、これが、原型、なんだっていうこともできます。若い男女のペアで、結局なんちゃらかんちゃらで恋愛関係になり・・・っていう。そのオリジナルがこれなのかもしれません。これをベースにどんどん改良が加えられていったのだからオリジナルが野暮ったく見えて当然、ということ。およそ100年前の作品ですからね。この作中の人間は第二次大戦について何も知らない、ってことがすごい新鮮に映ります、あと15年ほどでどえらいことになるぜっていう。
陰謀やら革命やら、今では全然現実感の無いそれ、が切実でリアルな時代だったというわけです。
気になるのは女性の作家ってやっぱり、美人な女性は中身も優れている、という信念を曲げないですよね、良い人間は必ず美人、もちろん美人の悪役もいるけれど、良い人間は必ず、美しくないといけない。
実際、は全然そんなことないです、優れた人間が美女である可能性はほぼ0だと言っていいと思う。ただ女性作家はそうでないと許せないらしい。
あとだいたい「見た目はとびきりの美人というわけではないが、目(とか顔の感じ)に愛嬌があってヒトを惹きつける」、という女性が、最終的にはとても美人でみんなから愛される人間、に変わっています。もちろん男にも愛される。
その、見た目はとびきり美人ではないが・・・、って言い訳してる女性のモデルはもちろん自分なわけで、結局、女ってのはすげーバカなんだなぁ・・ってワタシは思う。
男で、ガチで自分の見た目なんて本当にどうでもよい、っていうヒトはまぁまぁいると思います。でも女ってやつは、絶対に、自分の見た目、を諦めることが無いのですね。諦めるっていうか、そんなのどうでよいじゃんか、って思うことができないんだと思う。そこが女性作家の弱点なのです・・・
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激動の昭和、というのが昭和、の枕詞ですが平成、はなんの平成?と言われるのでしょうか。大正は大正デモクラシー 明治は文明開化の明治、とペアになる言葉が決まってます。なんの平成?
やっぱ絶望の平成、無関心の平成、諦念の平成、虚無の平成。
っていう感じかなぁってワタシは思う。なんにせよネガティブな言葉しか浮かんでこない。ネガティブっていうよりも、0、っていう雰囲気。悲しい!っていうよりも、どうでもいいっていう感覚。
激動、のあとに来るものは、でも絶望、だとあまりにも直接的すぎるし、諦念、は語感が良くない、やっぱ虚無か無関心、かなぁ・・・。それが平成なんてどうでもいい、かな。