2019年5月8日水曜日

1984 ドラゴンボール

 ドラゴンボール完全版、を読み返しておりやす。というかよく考えたら、ワタシマンガのDBをきちんと読んだことがなかったのでは?もちろんアニメとかで再放送で何回も見てるわけですけど。

 ドラゴンボールって1984年連載開始なんですねぇ、ビッグブラザー・・・。驚くべきことに、連載は1994年、たった10年しかしていません。そのあとアニメのオリジナル、GTだの、映画だの、最近では超だの・・と勝手に続いているのですが、オリジナルのマンガはたった10年なんですねぇ、これって結構驚き。まぁ確かに34巻までですから、昨今のマンガとかでは結構コンパクトにまとまってるともいえるのかも。最近50とか普通にいくからなぁ・・・

 作者自身が書いてましたが、DBは準備期間がほとんどなく、行き当たりばったりで書きじめて、次の話の展開すらも考えてないで描かれていって、逆にそれがスリリングな展開になったとのこと。(さらに自分はくだらないギャグマンガが好きでシリアスは嫌いなので、仕事だから仕方ないと思って書き始めた、みたいなこともぶっちゃけておりやす、でもこういう自分が本当に好きなことよりも仕事としてやったもののほうが人気が出るってのはよくあることなんですよね)


 ほんとうに初期の頃は完全に行き当たりばったり、思いついたことを描いてるって感じで、最初期は下ネタばっかりです。スタートは人気と注目を集めるためにエロを使う、今も昔も変わりません。
 この行き当たりばったりの手法ってのはたいてい矛盾しまくって途中で空中分解ってことになるのですが、極稀に、化ける、ことがあります。作ってる人すらも思いもよらないような展開になる。そうなると描いてる人も自分が続きを知りたい!っていうようなトランス状態になって今までにない新しい物語となるってわけです。いわゆるキャラが勝手に動き出すってやつですね。
 でも何度もいいますけど99%以上、途中で破綻することになる。DBはその数少ない奇跡的な大化けをしたマンガ。


 どこでDBが化けたのかなぁ・・と読んでいくと・・・・

やっぱり悟空がオトナになる、っていうところからですかね。今ではよくある世代交代、っていう手法ですが、たぶん当時はすごい珍しかった気がする。いわゆる梶原一騎メソッド、で少年漫画は作られていて、つまり一つの敵を倒すと、次の強敵が現れ、修行、倒す、強敵、修行・・・っていう螺旋構造です。基本的に子供から順撮り、オトナになるにつれて次々強敵が・・・っていう。
 それをちょっと崩して、いきなりオトナになる、ことで、一気に昔の物語の子供、とか家族関係が変わり、時代がいきなり飛んでいろんなことの後日談みたいなのが見れたりと、ワクワクする展開になるというわけ。DQ5もそうでした。子供世代に物語が続く、という。ファイアーエムブレムでもそういうのがあった、ロマ2も。一気に壮大な物語になるというか世界観がグっと広がるやり方です。ただきちんと前フリをいれとくことが大切ですね、きちんとした世界観があって、それが世代交代するから愛着がわくわけで、あんまりふわふわしてるのにさらに時代まで飛ぶと意味がわからんってなる。
 さらにオトナになって作画の調子も変わりましたよね、鳥山明というとオトナ4頭身、子供3頭身(則巻千兵衛二頭身)なのですが、オトナ6頭身のややリアルタッチに変わった。今回読んでて気づいたのは、悟空がムキムキになったのは、界王拳を使いだしてからなんですね、それまでそこまでムキムキではなかった。
 これって普通のようで特殊なんですが、強くなると筋肉が多くなる、当然極まりないことなんですが、日本のマンガでは珍しい。日本人はムキムキをあんまし好まない風潮で、牛若丸の昔から、強いのは小さくて細くて素早いイケメン、っていうのがお決まりです。でも普通は!やっぱり義経よりも弁慶が強いのが自然の摂理です。欧米人はリアル志向なので、当然弁慶が強いほうが腑に落ちる。鳥山明はかなり欧米感覚です。バイクだの車だのが好きというのも欧米的、そこが海外でも受ける理由なんでしょうね。フリーザやブウは小さくなると強くなるんですが・・・



 ご存知の通り、ブウ編は蛇足、ワタシ的には人造人間、セルも蛇足です、フリーザで終わっておくべきだった。人気がある限り続けさせるというジャンプの悪いところが出ております。
 しかしあのベジータ、フリーザのDB最盛期、あの勢いと爆発的破壊力はマンガの歴史に例を見ないもの。ジャンプ黄金期だし、マンガ黄金期でもあると思ふ。


 なんでDBだけが特別なのか?っていうのをもっと深く考えると、やっぱり物語自体はそこまで最高に素晴らしいってわけでもないと思います、小説版DBはすげーつまんないと思う。もちろん、キラリと光るアイデア、発明はたくさんあります、ホイポイカプセル、かめはめ波に代表される、気を飛ばすっていう戦い方、スカウター、スーパーサイヤ人・・・
 でもやっぱり作画のセンス、これですよね。鳥山明のタッチっていうのは、一発で鳥山明ってわかる、ものすごい個性的で独特のタッチ、それなのに、一般受けするという、本当に稀有なタレント。今でも一番絵がうまいのは誰?っていうと鳥山明、って答えるヒトは多いと思う、特に素人ではなくて業界人には。
 素人は写実的な絵が上手い絵だと思っているヒトが多いです、たとえば井上雄彦みたいなの。でも美大でスカウトすれば、井上雄彦くらい絵が上手いやつってゴロゴロいると思いますし、別に井上雄彦特有のタッチってわけでもない、劇画タッチ、ってやつです。
 でも鳥山明みたいに、この絵を描いたのは絶対にこいつだ!ってひと目でわかる突出した個性があって、なおかつ普遍性を持った絵をかけるってのは一人もいないと思います、絵が上手い、とかそういう次元の話ではなくて、本当に特別な才能、異能者といえるのかも。
 ほかにそういうタレントを持った人間を思いつきませんもの。ペルソナや、FF、さいきん流行りのFATE、ジブリ、などもデザインは個性が無い絵です。個性が無いから、万人受けする。それはわざとそうしてるんであって、多くのヒトに受け入れられるように尖ったデザインじゃなくする。尖ったデザインで一部の熱狂的なファンを獲得するってのもあります、ジョジョとかベルセルクとかはそうですね。でもやっぱりそういう尖ったデザインを嫌うヒトも多いわけです・・・
 でも鳥山明だけが、尖りまくったデザインなのに、万人受けするっていう矛盾を昇華させてるわけですね。鳥山明自身が誰のどういう絵を見て自分のスタイルを作っていったのかは非常に興味ありますけど、ほとんどそういうことを語らないですねこのヒトは・・たぶんアメコミなんだろうけどどっからどういうふうに影響を受けてるのか全然わかりません・・・
 萌アニメの絵っていうのは一人の誰か、が作ったんじゃなくてかなりの歴史とたくさんの人間のデザインで少しづつ出来てきたという感じですよね、いうなれば性欲、が生み出したっちゅーかんじ・・・。



 さらにもうひとつ、ワタシが個人的にDBが好きなところがあります。それは恋愛要素がすごい少ないってことですね。女、が絡んでくるとだいたい物語がネチネチしてくる。自分の嫁と子供だけ守れればそれでいい、みたいなことを言い出す、それって悪いやつと何も変わらねーだろ。愛する人だけ守れればいい、なんてセカイが狭い・・・。
 悟空はいつだってセカイのみんなを守るために戦います、いやそれを応援しねーやついるわけねーだろ。物語がカラっとしてて、ドライで読み心地が良い。環境がどうのこうの・・人類は愚かでどうのこうの・・・って説教じみたことも言わない。このサラっと感、個人的にはDBのものすごい大好きなところですね。
 松尾芭蕉が「かろみ」、の境地を切り開いたと自負しておりました。詩、ってのはだいたい戦争だの恋愛だの別れだの、シリアスな「かっこつけ」で出来ているものですが、そういうのを超えた、かるさ、を手に入れる。この「かろみ」っていうの、DBにもあると思いますね。