2012年11月6日火曜日

ボツネタ消費コーナー 2 天沼の蜩


                      天沼のひぐらし

 恐ろしく古い電車がやってきた、錆鉄のオルフェウスだと思った。

 オルフェウスではなかったが通り過ぎていったイメージをコトバに固着させることが出来ずに佇んだ。しばいだ密林だ・・、書割のような汗をたらした太った男が次々と点呼を取り、所属を確認し、席の書かれた紙切れを渡している。あれはニセモノだ、人形に違いない。こけしみたいな無造作な人形。
 急ぐこともない、どうせみんな乗るまであいつは続けるのだから。いつのまにか競争社会から逃れている事に気づいた、時間から追われていない事に気づいた。時間は後ろからではなく前からやってきている。オルフェが前からやってきたのか後ろからやってきたのか思い出そうとした、前も後ろもなく横からやってきたのだと思った。
 自分の姿勢なんて気にしないで座っていたから、声をかけられて初めて自分の身体を思い出した、普段こんな人間ではないのだけれど、最近ことさら形而上的な存在になりつつある。
「老いぼればかりじゃないか」
「・・・」
自分の事を言ってるのかと言おうとしたが、自分の事をさす一人称が出て来なかった、頭の中のどこを探してもいなかった。
「・・馬鹿げた戦争だな」
「馬鹿げてない戦争などあるものか」
しゃんとした答えが、月並みな反射が返って来たので、キチガイと話していると思っていたそれは、素っ頓狂な顔をして、それからやはりキチガイだと確信したようにまたしゃべりだした。ここにはキチガイしかいないのだから。
「じゃあお前も、自分から参加したわけだ、若いものな」
「老人だ、ここにいる誰よりも、なんで乗らないんだ?」
「乗るよ、先に乗って汗臭い座席で待つことなんてないだろう、そういう馬鹿げた存在の仕方は老いぼれに任せておけばいい、若いってことはつまり・・・・違う、若いものが正しいのだ、若い者が言うことが正しいのだ、正しさは若い者が決めるのだ」
「そうかね」
書割がついにこちらへやってきた、決してこのジャングルが思わせるほどにはここは暑くはない、ただ書割は自分で暑いと思い込んでるだけだ。ともかく豚のように汗をかいていた。
「えーと、お名前よろしいですか・・・、そうですか、はい。義勇兵ですものね」
「二人だけか?」
「はい、この列車には」
「馬鹿げた戦争だね」
「・・・はぁ」
それ、はただその、馬鹿げた戦争だね、を盲滅法出会った奴にたたきつけてるのだと気づいた。書割ははぁ、と聞き返したのか、相槌を打ったのか、ただ呼吸がうるさいだけなのかわからなかった、どうやらぜんそく気質であるようで、今にも死にそうだった。痩せろ!とぶん殴ってやりたかった。とにかく誰とでもいいから肋骨がすべて折れるくらいに喧嘩をしたいのと、もはや何一つしたくないというニヒルが胸のなかで喧嘩していた、ニヒルも案外活動的じゃねぇかと皮肉を言ってやりたかった。

 自主志願は少し広い席を与えられていた、というより一つの貨車がそれだったので、二人で乗るにはあまりにも広すぎた。書割は書割で書割たちの貨車があるようだった。老いぼれたちはガス室で骨とメガネと髪の毛にでもなってるのだろうか。
 オルフェがギシギシ動き出し、黄泉へと肉体を運ぶ、おいぼれたちの心はおいてけぼりをくらって今もまだあのジャングルをさまよっているのが目に見えた。
「何人くらい殺るつもりだね」
遠くの席からこらえきれなくなってそれが喚いた
「殺れなくなるまでだ」
「恐ろしいね」
「恐ろしいものなんて、もはや無い、むしろ初めから無かったんだ」
ゆっくりかみしめるように言って聞かせた、理解力が無いやつにはこれが一番だということを何故か信じているが、速く言おうが遅く言おうが、受け取る側にとっかかりがなければ、楔は絶対に打ち込めないと随分前に気がついている。
「ヒュー」
それは口笛を鳴らした、馬鹿にしては粋な行為だと思った。論理を超越していた。論理的である事の意味はなんだ?戦争で勝つことか?何の為に?それで終わりだ。合理的であるのは何のためだ?戦争に勝つためか?勝ってどうする?合理的に寿命をむかえて死ぬのか?不老不死の術を編み出して無限に生きるのか?何のためだ?

 何の為に、何のためだ?
「ヒュー」
おれも口笛を吹いてやった。

 電車は闇の中で止まった。もう二度と朝日を見ることは出来ない気がした、けれどあっさり朝日は登って、破廉恥な太陽がズベタみたいに登って来た、ぐちゃぐちゃに犯してやりたい、太陽という奴がいたら。老いぼれたちは固まって、おどおどしてあまりにも惨めだった。何のためだ?何のために老いぼれたんだ、死ぬのが怖かったのか?生きるのが怖かったのか?
 それ、はおいぼれ達をさんざん蹴っ飛ばして、少しくらいはやくに立てよな、弾避けくらいにはなってくれるんだろうな、とかわめいていた。書割の軍団もぞろぞろと・・といっても5人くらいだけれど、毛虫みたいに電車から降りて、しょぼけたライフルを老いぼれ達に配った。こちらにも一つくれた、こんなもの自殺する以外にはとてもじゃないが標的に当たりそうにない、しかしながら、自殺するのだったらこれは理想的な道具だ。拳銃で死ねる人間はシアワセものだ。それは時間を止めるから、随分時間は止まったままだ。貧乏人にはそれすらもあてがわれない、飢え、病気、老い、汚らわしいそいつらは、カラダだけじゃなくて、ココロも食いつぶす。虫だ、虫に食われて死ぬのを待つのは屈辱以外のなんだ?

 ステーキを食った、タイヤのゴムを食ったほうがましだと思った。軍靴を煮て食ったほうがましだと思った。人の肉を食ったほうがましだと思った。何もかもが嘘だった。けれど、これはまだ本当の嘘だから、濁った二番煎じの嘘よりはまだ食える。書割は上手そうに老いぼれたちの分をあいつらは食えないから、とかなんとか言ってネコババして食っていた。お前の贅肉は、死肉だ。腐った肉だ。金庫を背負って歩く人間を見ている気がした。

 数日は何も起こらなかった、数日の後、空は赤く染まり、川は赤く流れた、黒い波が押し寄せて来て、バッタみたいに老いぼれは死んだ。
 それ、はゲラゲラ笑っていた、もう笑うことをやめられない顔になったようだった、笑顔が張り付いて取れないようだった。笑っていたのはそれだけじゃなかった、自分の顔にもそれがひっついていた、いつからだろう、もしかして、もっとずっと前からこれを貼り付けられたのかもしれない。
 10を超えたところで数えるのをやめてしまった、あまりにも簡単だったから数えるのが嫌になった。一人につき500だという。書割は事務的口調になった、ことさら事務的であることを押し出してきた。書割であるということを宣言したかったように、生きていないということを宣言するように、こっちはヘラヘラ笑ってみせた。

 浴びるほど酒を飲んだ、酒は空から降ってくるのだと言った。だから・・・、それ、はまだゲラゲラ笑っていた。コトバもしゃべれないくらいだった。発狂したのかもしれない。
 
 また電車が来た、今度の電車は新しい、中吊り広告までついている、書割たちは携帯ゲームで遊んでいた。ゲラゲラはどこかへ行ってしまった。どういうわけか、もっともっと長生きしてやろうと思った、イタクなくなれば、イタクなくなるほど、もっともっと生きようと思った。嫌味ったらしく、薄汚く、ボロボロの歯で、哀れな面をして、すべての生き物から忌み嫌われて、ペコペコ世界中のあらゆるものをカミサマだとか、くだらない嘘ならべて礼拝してやりたくなった、ひぇーだとかほぇーだとか、耳障りな声をあげて、怒鳴り散らして、愚痴ばかりこぼして、頭ばかりさげて脊髄をぐにゃぐにゃにして、口をあければ謝ってばかりいてやろう。それでもごもごやって、怒鳴り散らして、ひどい悪臭を放って、もっともっと嫌われてやろう。

 また時間に追われる。