2014年8月31日日曜日

fiva basket ball world cup フランスXブラジル イランXスペイン

http://forum.rojadirecta.es/showthread.php?225755-BASKETBALL-FIBA-World-Cup-2014-Grupo-A-Brazil-vs-Francia-30-08-14

 

http://forum.rojadirecta.es/showthread.php?225796-BALONCESTO-FIBA-World-Cup-Spain-2014-Gr-A-Ir%E1n-Espa%F1a-30-08-2014



バスケワールドカップが始まっております。
 フランスはパーカーがいないのが大きいですけどどうでしょうか。ブラジルはけっこうインサイドが強いです、スプリッター、ヴァレジャオ・・・・フランスはユーロを勝ってますよね確か・・・。いっっっっっさい日本のメディアは紹介してくれませぬ。

 
スコットランドが独立しようとしてるっていうでかいニュースもいっっっっっっっっっっっっっっっさい普通のメディアから知れないですね。すげぇです、ある意味。

2014年8月30日土曜日

1939 無法松の一生 岩下俊作

 小説よりも映画のほうが有名ですよね。しかし・・・・これは若い人には全然面白くない本でしょうなー、Iも面白くなかったものw
 松という無法者が純情でありながら、後家のおばはんに恋を秘めたまま死ぬという、なーーーーーーーーーーんじゃそりゃ!っていうくらいなんでもないお話です。なんていうんだろうなーー、粋な小倉者の松の文字通り一生を描くのですが、これが人気出るのかぁ・・・って感じです。ジェネレーションギャップを感じますね。
 しかしながらこれは作者が30代の作品でして、30代のヒトが予想で一生ってこんなものじゃないかと書いたものなので、実際一生を送ったヒトからするとそんなんじゃねぇぜ、一生ってのはってものだと思う。事実松の40代の描写はものすげーペラペラな感じがする。

 やっぱし面白いって思う部分が全然ちゃうのでしょうね、そりゃ水戸黄門見て面白いっていうヒトがいるのと同じで、違うものはしょうがない、何かその琴線に触れる部分の琴線が無いって時はどうしようもない。
 

そう考えるとやっぱシェイクスピアとかが何百年も生き抜いてるってことの凄さがわかりますね、だってたいていジジババが面白いと思うようなものってコドモには面白くねぇものです、たった50年ぽっちでどえらい価値観が変わってしまう、それなのに何百年も残るってのはほんとにすごいことなんですなぁ。

2014年8月29日金曜日

1990  グラディウスIII  Gradius SFC KONAMI




なんでⅢから?というに、Ⅲからスーファミだからですね。シューティングってのはIはコドモの時には一切手を出さなかったものですが、オトナになって、小狡い手法を用いるようになってからはなかなか楽しめます。
 逆にガキの頃は出来た時間喰い虫のRPGとかはかったるくなって出来ませんね、謎解きとかクソめんどくせー、ってなる。謎なんか解きたくない、と思う。コドモのころはせっかく5000円近く出して買ったのに3日くらいクリアしちゃうともったいない!もっとちゃんと面を多くしろや、とメーカーにキレてましたが、最近は少ない面でもよく出来てるもののほうが良いとおもふ・・・。
 

 なんでかはわからないけどこのゲームラスボスがめっちゃ弱いです。というかだいたいにおいてシューティングってボスよりも途中の面が難しいんですよね、ボスは動き見きれば勝てるから。ラスボスの難易度ってのはやっぱゲーム全体の出来を左右するから、ちゃんと作らないといけないなーとすごく思いますね。ほんと終わりの印象って大事。 
 最近は映画とかでも、エンディングの曲は映画本体とは全然関係なくてぶっこまれるって場合が多いですけど、その曲がいいと、音響もしっかりしてたりすると、なんとなくこれはこれで良かったのかも、って騙されることがありますね。逆の場合は目も当てられないけれど・・・・なんか事務所の圧力かなんかでクソアイドルの曲とか鳴るとね、すっげー腹たつ。

2014年8月27日水曜日

MAKING 175








 やっと27話が終わりました!長かったなー。夏も終わろうとしとるやないか!

1872 フランダースの犬 ウィーダ

 


アニメは知ってるけど原作を読んだ事があるヒトは超マイノリティだと思います。
 実は小説はネロではなくて、犬のパトラシエの一人称だったとは、驚きです。そして内容はルーベンスのキリスト磔が軸になって展開される、キリスト教的要素の濃い話しです、アニメとは全然ちゃいますね。作者がキリスト教であるかぎり話しの展開というのは決まっていて、貧しくともココロの正しい人間が天国で良い目に合うという、お説教です。
 ネロもクソみたいな貧困で最終的に教会で凍死するんですね(餓死するんだと思ってた)、しかしネロには絵の才能があって、ちゃんと生きていたら良かったのにね。っていう終わりなんです。それでもこれは良い作品ですね。ネロのセリフ

「パトラシエ誰もボクラを必要とはしてないみたいなんだ」

 っていうのは文学史上でもものすごいセリフですね、だってパトラシエは犬ですから。小説ってのは主人公1人で成り立ってるってことは無くて、絶対他者との出会いなりがあるわけですけど、犬しかいないなんて最悪です、そんな孤独地獄で死んでいくコドモなんてのはちょっとあまりにも悲しすぎるじゃないかw けど友達が犬しかいないっていうヒトは現実にはまぁかなりいるのでしょうね。だからこの作品は犬しか友達がいないヒトのバイブルですね。


 貧困、ってのが文学、特にコドモ向けの文学ではテーマになってるのですけどやっぱ貧困ってのはリアルなんですよね、世界のすべての人間は、ごく一部を除いて貧困なんです、貧困こそが唯一のリアリティだと言ってもいい。貧困を無くすとか言ってるヒトがいますけど貧困をなくしたら人類ごと無くなってしまうくらい貧困は世界に溢れかえってます。
 アーティストなり作家なりが、成功して小市民になると一挙にリアリティを失って何も書けなくなるのも当然といえば当然で、なんだろう、それでもずば抜けた才能で、自分が小市民のブルジョアであるのに、よい作品を残せるってのはまぁーひじょーに難しいですね。明治文学が、断然クオリティが高いのはやっぱ作家が貧乏だったってことだと思います。

 

 WIKIによるとこの作品は全然有名じゃなくて、鬱展開すぎる、ってことでアメリカなどでも人気が無いみたいです。納得・・・。でもロシアとかでは人気が出そうですけどね。

2007 日本文化における時間と空間 加藤周一




 お固い本です。インテリ気取りの人々が語るコトバってのがあって、吉本隆明の共同幻想、丸山真男の永久革命としての民主主義、加藤周一の日本人の いま、ここ性。ってのもその一種。

  
 非常に簡単にいうと日本人の価値観はイマ、ココという刹那主義的であって、同時に村社会である排他的で付和雷同的である。ということを、いろんな引用を使って説明しようとするというものです。当たり前のことを言ってるにすぎないって気もしますが、思想なんてものはそういうものです。


 アナリスティックロジック、分析哲学、ってものがあってつまりそれはロジックを数学的にとらえてほとんどの言説は何も言っていないということを証明するものでしたが。その中で、こういういわゆる文化論、過去の文献とかから引用を集めて何かを主張すること、事実列挙式の論証、というのは、すべて証明不可能の無意味な駄弁であるということを証明、しました。


 Iはやっぱ分析哲学の言ってることが正しいと思いますね、日本の文化はこうなんだといくら例証をたくさん出して来たところで、無限に例証を連ねたところでそれは別に何も表していないって気がします。(サイエンスのように実験による例証が不可能なので)
 日本の文化、というけれど、日本の文化に参与してる日本人なんて日本人の0.001%にも満たないでしょう、ほんの限られた一部の人間たちが作ったものがどうして、日本、の文化になるのかというのは謎です。たまたま日本という場所であったというだけで、ごく一部の集まりの作品、それをまとめたものが一緒くたに日本文化、と言われても、は?という感じです。
 能や歌舞伎が日本文化を表してる、けど一体どれだけのヒトが能なんか見てるのでしょうか、それは 日本、の文化なの? 日本、というカテゴリの作りかたははっきり言ってムチャクチャです、日本の・・・・っていうものは一体便宜的以上の何を表してるのでしょうか。それはやっぱりプロモーションとして楽だってだけだと思います。



 そして文化史なんてものは、結局 残された作品 と有名な作品、だけをピックアップしたものだってことです。別にいい作品だけが保存されるわけでもないし、優れた作家の作品は必ず評価されるわけでも全くない。むしろ逆です。それは今の文化でもわかることです、優れた作品だからって評されて残るわけじゃない、ほとんどのプロモーションだったり、運、カネ、の問題です、クソみたいな作品が支持されることのほうがよっぽど多い。またメディアの性質として残るメディアもあれば消えてくメディアもある、そうやってたまたま残ったものについて並べて論じて、どうしてそれが 日本、 の文化についてわかるのかってのがわかんないです。消えていったほうの文化はどうなったのであろうか。


 だいたい歴史は政府の行動をして日本の意思、とするわけですけど、政府の行動に関して意思表示したりできる人間もこれまたごく一部の特権階級です、それは日本人の意思なんでしょうか?それもたまたま残った、ものから全体を描こうっていう無茶な話しって気がします。


 ほとんどの99%以上の日本人は総称される日本の文化とはまったく無縁だって気がします。古事記を読んでるヤツなんて1%いないし、本居宣長なんてちゃんと読んでるやつは1万人もいないでしょう。それが日本の文化を代表するの?ナンセンスw イギリス人だってシェイクスピアをちゃんと読んでるのはごく一部です。
 ただのごく一部の特権階級の行動分析ってのに国家とか民族性なんてわかりっこないよって気がするのですけど、それ以前にほとんどの人間なんてものは全く何も考えてないってだけで、それは日本人が付和雷同だとかそういうのは後付ってことだと思います、ほとんどの人間はまっっっっったく何も考えてない、ってのは、人間ってのの一般的性質で、日本人だけが阿呆だったりクソみたいに保守的だったり、汚職をしたりするのでは絶対無い。ただ単にほとんどの、ホモ・サピエンスは論ずるに足らないくらい全くの無内容、無思想だってことです。
 よくいう日本人は無責任だっていうけど、あらゆる人間は無責任です、日本人は日和見で長いものにまかれろで、個性が無いというけれど、あらゆる人間がそうです。ただほーーーーーんの一握りの英雄的な人物、特別な人物がそうじゃなかったというだけどそれがたまたまイギリスとかにちょこちょこいて日本にはあんまりいなかったという、たったそれだけのことで、イギリスは個人主義であるみたいなことを言ってるだけなのだと、Iは思いますけどね。


 知識人というものが、昔はいたのですよね。けど知識人ってのが自分たちで思ってるよりはカスみたいな力しかないということを、ヒトラーやマスメディアは証明して、知識人というのは不要になった。知識人の論説のあまりの無力さってのに愕然としたわけです。
 知識人というのはこれからもどんどん減っていくでしょうね、やはり無力なものは廃れていくものなんです。そしてやっぱり知識人の発想が、自分たちが一部の特権階級であるわけで、結局彼らの言ってることも一部の特権階級、天才たちがしたことが、全体であるっていう奢った感覚なんではないでしょうかね。





 

2014年8月23日土曜日

1942  姿三四郎  富田常雄 

 リンクを張ろうとしたけど、なんと現在廃刊です。




黒澤明のデビュー作はこの姿三四郎でして、それによって知ってる人が多いのではないでしょうか(いや、全然いないか)。 
 まず驚いたのはこの富田常雄ってのの親父が講道館柔道の旗揚げをした、講道館の富田なんですね、マジなんじゃんか。講道館の幹部の息子が三四郎という物語を作るなんてなんか普通は避けたくなるようなテーマですけどね。


 三四郎のモデルは西郷四郎というのは後からついた伝説であって、作者はそういうつもりではなかったようです、小柄で得意技は山嵐、っていうとこぐらいしかあてはまってませんし、柔道で物語を作るなら、柔よく剛を制すでして、小柄な人物を主人公にすえなきゃいけないってのは、どんなバカな作家でもわかることです

 三四郎という名前自体は、漱石の三四郎から来ていて、そもそも三四郎という名前は、23、24くらいの大学卒の浪人、のような人物という、ことで、つまり浪人だ、ってことです。今ではNEETとかクズとかホームレスとか言われてますけど、浪人、という良いコトバがずっと昔からあるのです、今だと大学受験の失敗者のことを浪人と呼ぶ節があるけど、なんでもない人間、のことを浪人、と呼ぶのです。宮本武蔵は素浪人と言ってますが、素浪人とは素寒貧の浪人のことで、一文無しだってことです。浪人はもちろん悪口ですけど、逆にそれがかっこいいのも事実。浪人は武道を鍛えるといいのかもしれませんね、それでヤンキーどもを逆に片輪にしてやるっていう。



 山嵐ってのがどういう技なのか調べてみましたけれど全然意味がわかりませんでしたね、ともかく大外刈と背負投を組み合わせたみたいな技のようです、昔から西郷四郎だけにしか使えない技だけだったみたいなので意味がわからんのも当然かもしれません、つまるとこ、足を払われながら投げられるので受け身を取れないっていうか投げ捨てでポイっ!って投げちゃうので、絶対に投げられたほうは怪我をするわけです。現在のスポーツ柔道は全然武道からかけ離れたポイントを稼ぐスポーツなんですけど、昔の柔道は武道ですんで、受け身を取らせてあげなくてもいい投げ捨てでいいのですね、じゃなかったら別に投げられたところで怪我はしないもの。三四郎はまるでジョーみたいに山嵐をかけた相手を全部死においやるわけですが、それは三四郎が山嵐を使うからです。パイルドライバーをかけるみたいなものですね、あれはマジでかけたら死ぬ技ですから。 
 


 この作品はガチの戦争下でかかれた作品でして、検閲逃れとして右派的なことを言ってるのか、それともほんとに日本の武道と民族の高揚ってのが作者の本音なのかよくわからないとこがあります。戦争下でどういう作品を書くのか、で三四郎は 「死ぬことだ」 っていう、なんだろう、覚悟を与えてあげるような作品です。滅私、して空となれ、っていう空の境地に至れっていうのは、これから死ににいく若者に対して慰めでも、言い訳でもない、勇気を与えるものです、そういう優しさなんですよね。死んじゃだめだ、っていうのだけが優しさじゃない、この状況で、死を避けられないって時に、死すらも自我、空を得よ。というのは勇気になる。


 和、の思想というのが作中で展開されてますが、これが三四郎の核となる思想なんです。つまるところ和の思想とは闘争の正当化理論です。




和 について (闘争の肯定の理論)

 要旨

「闘争も敵対も1つの結び合う仕方である。仏教では敵や損ない合う者同士を無縁のものとはせず、縁が深いとする。それは逆縁であり
和の裏である。昨今の平和論は機械的に、静止的平和のみを平和という。しかし平和とは闘争を通しての平和しかない。新しい統一の
中にだけ新しい平和がある。闘争とは新しい平和への道筋であり、闘争とは古い、誤った統一の崩壊である。
 順と逆、裏と表なくして和はない、その逆を順へと受け、逆縁を和とするのが、和の働きである・・・」


 これはすげーいいことを言ってますね。そして戦時下という緊急事態でも、その体を守っていける強い思想だと思う。



 吉川英治の宮本武蔵と並んで三四郎は、戦争に行く若者のバイブルとしてみんな読んでいたものです。そして今みたいに闘争が避けられないってときにはやっぱりまたみんなのバイブルになるんじゃなかろうかと思いますね(武蔵はVAGABONDとしてマンガ化されてますしね)。ともかく若者よカラダを鍛えておけって、60年代安保みたいなことを言っておきますw



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 まとめ



・文明開化とは贅沢への覚醒に他ならなかった。(西洋を礼賛する)その結論は日本人はつまり野蛮人であるということである

・すぎたことは過ぎたことです。これからは生きた者で最善の道を行くより他ありません

・人間の道を知るなら、その道を直ちに行うことが出来なければならない。行うことが出来ないならばそれは知っていることにはならない









 

2014年8月18日月曜日

MUSIC OR SOMETHING MORE  GRAMMY MUSIC

 GRAMMYっていうアメリカの音楽のアカデミー賞的な賞がありまして、ほとんどのグラミーの賞ってやつは、ただのプロモーション活動でして、レコード会社の圧力の問題なんですが、ALTERNATIVE ROCK ALBUMという部門だけは、栄誉ある賞ということになってます。
 つまるとこどんな音楽なの?っていうくくりがない音楽、別にROCKでもなんでもないのですけどジャンル名がまだ無い新しい音楽に、ALT ROCKという ロックに変わるもの という名前をつけて表象してる、つまり時代の最先端の音楽ってこってす、他の賞はただの功労賞的なものです。そして他の賞がアメリカのアーティストが断然有利なのに比較して、ALT ROCKだけは、海外のアーティスト、というか海外のアーティストが半分です。

 シニード・オコナー(アイルランド) U2(アイルランド) radiohead (イギリス) BJORK(アイスランド) などなど。
 とはいいつつ、ほとんどレディヘ、コールドプレイ、BJORKあたりの三強、にU2がほぼ賞を取って来たのですね。そりゃまぁ当然っちゃあ当然なんですけど。しかし最近の賞はほとんど知られてないって感じのアーティストに与えられてて、よっぽど候補がいねぇんだなって感じです。明らかにガクっとレベルが下がってますもの。


 こないだたまたま見た本に


00年代からKIDSの興味は音楽からゲームとネットに移った、だから音楽は衰退している、違法コピーが音楽業界の衰退の原因じゃない。
 
 という鮮やかな分析が書かれてました。この人はすげぇいい分析力を持ってますね。そうだったのか!って目からウロコ、KIDSの興味は音楽からゲームやネットに移ったんだって!そうか!なるほど。どうりで・・・
 確かにそうだって気がするのです、00年代からほんと音楽は衰退の一途というか、ものすげぇアルバム来た!ってのはほんとーに少なくなった。KIDSはゲームをやっていて音楽なんて聞いてないからなんですね。ゲームとネット、のネット、とはつまるとこオンラインゲームとかメールとか、ソーシャルメディアってやつですね。KIDSがついてきてないってことは、KIDSがオトナになってもオーディエンスにならないってことですから、衰退はデフレスパイラルみたいに速度を上げて落ちるとこまで落ちてくでしょうね、だから文化ってのはいつでもKIDSに向けて発信されてるわけだし。KIDSが新しく参入してこなくなった文化はお終いです。
 こないだジブリのドキュメンタリーでも駿氏が、アニメーションをやろうってやつはもういない、今の吾郎の世代がアニメーションが何かを表現しうると思ってる最後の世代だ。と言ってました。その通りだと思う、これからアニメーターになろうというKIDSはいないと思います。

 といいつつ、ゲームの中に音楽は存在してるわけで、MUSICはメディアの主役の座から、ゲームを盛りたてる前座的役割に落ち込んだってことなんでしょう。音楽自体がなくなるってことは絶対無いけれど、何かムーブマンの主役としての、音楽ってのは終わったんでしょうね。音楽、と何か、ってこと、ワーグナーの勝利って感じです。

MAKING 174 /バスケットボールワールドカップ






 このEp27は長いですね、そして今二番目でカレンの服を半袖に間違ってるのに気づいた・・・

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http://www.fiba.com/basketballworldcup/2014


 さてバスケットボールワールドカップが近づいて来ました。なにそれ!?っていう人が多いと思いますのも当然で、今まではFIBA バスケットボールチャンピオンシップ、あるいは世界選手権って呼ばれてたものが、今年からバスケワールドカップとなって五年に一度の開催に変更になったってわけです、オリンピックとバスケワールドカップがバスケの一応世界大会では最高峰になるわけです、NBAファイナルがバスケの最高峰だってのはそうなんですけど・・・。



 USAチームは結構棄権選手が多いですけど、NBAの得点王2人、レブロンとデュラントが出ないのは残念ですけど、若手で構成されていてもまだまだ圧倒的な選手層ですね。でもスペイン、フランス、リトアニアはやっぱし今回もやりそうである、特にスペイン自国開催、ガソル兄弟、イバカ、カルデロン、などNBA選手も厚いし、やってやんよ!って感じですねー。インサイド強え!
 まぁUSAが単勝1.1倍であるのは変わらず・・・・。


 日本はテレビ放送すらされねぇんじゃないかって感じですが、世界的にはビッグなイベントです。

2014年8月16日土曜日

ジブリ絵コンテ全集19 風立ちぬ 



Iはこの絵コンテ全集ってのは好きで、これが一番アニメ、の本質的なとこを捉えてるって感じがするのですね。絵コンテを見て、あぁそーゆー意味だったんか!ってわかることも多いですし。Iが思うにアニメは絵コンテが100%です、あとはそこから減点方式でしてそれ以上になることは無い。音楽がはまってよくなると200%になるって感じ。



 冒頭二郎が夢から覚めて、庭先をキッと睨むとこがありますね、あれは、夢では視力が回復していたので、現実でも視力が回復してないものか、っていう願いがこめられていたわけです。つまり二郎は飛行士になりたかったんであって、いきなり設計技師になろうと思ってたわけではない、当然ですけど。誰でも一度はみんな飛行士になりたいものです。
 二郎はすでに挫折してるわけです、小学生で、目が悪いってことは、絶対に飛行機乗りにはなれない、これは今でも鉄の掟。二郎にビミョーなアンニュイな感じがあるのはそういうわけじゃったのです。
 夢を諦めるな、決して諦めない、みたいなことをNHKとか少年漫画はいいますけれど、乗り越えられないカベなんてそりゃもう腐るほどある、それをちゃんと見つめる勇気のほうが、大事ですね。
 でも映画のあの一瞬の動きではそこまでわかんねぇですw



 特に気付かされるのは泣きたくなるほど確かに筆圧が下がってて、線がものすげー弱いってことですね、ナウシカの頃とは比べ物にならないくらい、ナウシカの線にはもっと力線があった。二郎の輪郭線の柔らかいこと・・・。
 そりゃ引退せざるをえんね、っていうよりは、鉛筆やめたら?ってことも思うんですけど。6Bにしようがなにしようが、鉛筆の濃さってのは芯がやわらかいだけで、別に力をいれないで線が濃くなるわけじゃないですから。鉛筆濃くしたって筆圧は必要なんです。

 たまたま見たドキュメンタリーでは吾郎さんは絵コンテを完全デジタルで描いてましたね、あれ何のソフトなんであろう?めっちゃ使いやすそう・・・自社制作ソフトでしょうかね。CINTIQで描いてましたが、あれなら筆圧関係ないし・・・けど駿氏がラップトップで絵コンテ切ってるのもちょっと考えられないですけどねw
 ともかく筆圧弱くても線を濃くする方法はメカペンとか使えば簡単に出来そうだけど・・・まぁ刀を握れなくなったら終わりっていうふうに、鉛筆握れなくなったらお終いだ、っていうプライドであるのでしょうね、刀が重くなったら拳銃で戦えばいいじゃんってわけにはいかないのですよね。


 あと映画の色彩、特に背景の色彩設計がいままでのジブリっぽくない、なんていうんでしょう、コントラストが高い、ありのままの風景の色っていうよりは、夕焼けとかが強調されてる感じがするってのに気づいた方もいらっしゃる、それはイサーク・レヴィタンっていうロシアの画家に駿氏がちょっとハマっていたために、レヴィタン風にしてね、っていう指示を出してたのですね。レヴィタンなんてほとんど一般には馴染みがないでしょうけど、ロシアの移動派(ペレドビジュニック)の若手です、移動派っていうとI的には写実主義+ナロードニキっていうやつです。民主主義的写実主義、みたいなこと。社会主義的リアリズムの前身みたいなものですね。
 描き込み重視の自然描写が持ち味でして、レーピンとかが有名ですよね。いや、まったく有名じゃないか・・・ロシア美術が紹介されないのは単純に大学の美術コースが、英語、ドイツ語、フランス語、イタリー語っていう旧西ローマ帝国だけに的をしぼって東ローマ地域の美術コースが極端に少ないからです、それだけです。だからロシアの絵というと、パリに出てきたロシア人、カンディンスキーとかシャガール、くらいしか一般に知られない。絵画っていうのはものすごい限られたオーディエンスしか持ってないってことなんですね、だから極端な部分しか紹介されない、西洋美術史といいつつ、とりあげてるのは90%がルネサンスと印象派だけです。



 CUT666~ からのシューベルトのくだりがありますが、ここのブログさんが非常に詳しく解説してくれております。
http://blogs.yahoo.co.jp/c56_iiyama/15686179.html
 

 そうIも思ったんだけど、冬の旅?じゃなくね?っていう、たぶんsternでは知名度がひくすぎてやめたのか・・・冬の旅、で彼らが冬に旅をしてるから、ってのはあまりにも安易ですよねー。 本庄っていうキャラは、これまでジブリでは一度も登場しなかったキャラですよね。全然女の子にやさしくないオトコっていうw たいして好きでもない(というかほとんど会ったこともない)女と結婚出来るし。ともかく冬の旅、では本庄の、おれたちにぴったりだな、はよくわかんないことになります・・・。
 駿氏はポニョでワーグナーを使ってたみたいに、ドイツびいきですね、死の翼アルバトロスでも、質の良い手榴弾はドイツ製、またこの映画ではツァラトゥストラの引用もあって、インテリ向けです、ガキにはわかったかな?こういう視聴者を無視してインテリネタを使えるのはマスメディア系の作家では他にいませんね、普通は担当社がバツを出します、ダメ、わからないって。駿氏の弟子、庵野氏もやっぱドイツびいきでして、アスカはドイツ人、音楽はベートーヴェン、カヲルが弾くピアノもドイツ音楽ってわけです。
 旧AXIS、 (Iこの枢軸国 AXIS、っていう名前が好きです)
旧AXISの絆はどっかでつながってますよね。とことんまで話しを詰めると結局理解し合えるのはドイツ人だって気がする、イギリス人みたいなドライな拝金主義とかユーモアのセンスってのはまったく日本人にそぐわないし、フランス、イタリアのラテン気質もまたく合わない、無口で愛想が悪くオタク気質でロリコンのド変態というゲルマンとはやっぱ通じるものがあります。ほとんどがキチガイみたいな阿呆で一握りの超天才というスペインは一番遠い。

 他にも超マニアックな引用があります

魔の山 トーマス・マン (これは読んでて当然、といいつつまぁ客の0.5%)
会議は踊る (戦前のドイツの白黒映画、知るかんなもの)
三四郎 (映画 マイナー・・・)




 戦闘機の映画なんてヤバンね!という人にちょっとちゃんと説明してみましょう。戦闘機に限らず、どうせ作るなら極限までいいもの、最高のものを作りたいというのは、極めて普通、の願いです、飛行機乗りも、最高の、飛行機乗りの技術を手にしたいと願うのは。空を飛んできれいだねー、で満足出来るなら、気球でもいいし、高台に登るだけだっていい、飛行技術なんてのも安全だけを重視して単純作業をすればいいだけ。でもそんなの嫌だ、単純労働というのは奴隷よりも悪い。

 その極限まで突き詰めていくにはどうするか、最高ってのを証明するにはどうするか、そりゃ真剣勝負の他にありませんね。竹刀じゃなくて真剣で斬り合うしかありません。そうしないと何も見えてこない、素振りだけで満足出来るならそもそも刀なんて持つべきじゃないし、斬れない刀を作っても意味が無い、第一斬れない刀なんて美しくない。
 戦闘機で格闘をしたことが無い人間には、それを批判する権利がない、真剣で立ち会ったことが無い人間にはそれを語る権利がない。経験、がなければ、それについて意見をいうことは出来ない。だってそれがどういうものか、知らないのだもの、その人間の気持ちなんてわかりっこないのだもの。Iは勘だけでしゃべるやつの言うことは絶対に信用しません、経験からしゃべる以外のコトバはただのノイズです。

 



CUT800くらいの軽井沢パートあたりから恋愛映画に変わっていくっていう一本の中に二本のストーリーを入れるっていうタイタニック形式になってるわけなんです、まぁ確かに飛行機だけではただのマニア向けになってしまうから当然そうすべきなんですけど・・・・、さぁしかし・・・はっきりいうとこの流れはベタ中のベタの中でも超ベタなメロドラマなんですが、同時に落ちる、ブルーな展開でもあります・・・
 Iはでもやっぱり奈緒子さんが、1人で山に帰っていっちゃうみたいな時代劇的かっこつけみたいなオチのつけかたは絶対納得いかない。奈緒子さんは完璧な人間すぎるもの、それじゃあ・・・そんな完璧な人間ありっこないです・・・・


 
後の小冊子に半藤一利という人が文を載せてますがいいこといいますね

 要旨は


今の現代のような 明日に、光明を見いだせない、行き止まりのような世界に生きていても、物事をきちんと考え、真面目に自分のなすべきことを考えて、うんうん唸ってやりながら、君たちは、人間であることを決してやめないで生きろ・・・
 がこの映画のメッセージであると思う。


 まったくその通りですね。

  



2014年8月12日火曜日

BANKSY SIMPSONS バンクシー シンプソンズの オープニング

https://www.youtube.com/watch?v=DX1iplQQJTo

 バンクシーが描いた絵コンテを元にした、シンプソンズのオープニングシークエンスです。いやw すげぇw

 テレビで放送出来る限界を越えてますねー、日本のアニメでここまでのダークな笑いはないでしょう。シンプソンズの動画は全部韓国、中国に発注しているというニュースを元にバンクシーが作ったのですって。でも、バンクシーはよくセルアニメーションを知ってるなぁって気がしますね。今ではあんなようなセル塗りはしませんで全部デジタル作業ですけどね。

 日本のアニメもまたそうなんですけどね、動画は中国にまかせてる、よくこんな深夜帯のオタッキー向けのアニメを作れるなぁ、日本のアニメーターはガンバルなぁ、と思いきや、面倒なところは外注してるから、あんなめちゃくちゃめんどい色分けの、美少女アニメを作れるわけでした。で、向こうの外注されてる側のスタジオはまぁこんなもんですw ここまでひどくねぇけどw 


 トム・ヨークとかが2000年代にいきなりブランドやロゴなんてクソだ、アンチ企業広告、みたいなのになって面食らった人は多いですけど、イギリスの、というかロンドンの雰囲気がそういう感じになったのですね、ブレアに裏切られたってわけで。ブレアが就任したときにはOASISも応援に行ってましたからね、それがブレアはブッシュのイエスマンで、サッチャー以下のクズだったとわかって、ロンドンの若者たちは、もう幻想は抱かない、って感じになったのですね。

 イギリスってのは現代の世界のほとんどすべての原点であるわけで、またロンドンキッズたちが、アンチ大企業、アンチグローバリズム、っていう新しい時代、を切り開いていくのかもしれませんね。
 このバンクシーのアニメは新しい、時代の感じがすげーします。

HOME SWEET HOME  BANKSY'S BRISTOL 作品社

 


またまたバンクシー関係の本です。この作品社という出版社をよく知りませんですが、付属冊子みたいなのがついてきて、そのヴォリュームがなかなかすごいです。良し悪しはあれど、ただのミーハーなファンが出版社がカネを出してくれるから行ったみたいな旅行記、レコードショップのオーナーによるブリストル音楽のマニアックな案内、明らかに頭でっかちな左派の人による、バンクシーをシチュアニストして読み解く、みたいなゴリゴリの思想的論文。なんじゃこりゃあ。脈絡ねーー!


 どうやらこの出版社はロンドン、NYのベストセラーをバシバシ翻訳してこうっていう会社みたいですね、ホムペを見たところ。

 バンクシー関係の本は著作権料金を無視できるのか、大量に出てますけれど、やっぱしグラフ、ってのが今の世界では唯一の、リアル、なアートだってのはほんとそうだと思います。井上雄彦のガウディ展は高いから行かないと書きましたけれど、実際、ガリガリの著作権で守られているわけで、カネを払わない限りその展示を一生見ることはないでしょう。払わないというのは意思の選択のようにみえて、払えない人、には禁止、と同じですから。ミュージアムみたいな、仕事もしないで大事な時間を割いて電車を乗り継いで都会の安ピカのクズみたいな建築の産業ビルの只中にまで行き、しかも1800円のチケットを買って絵を見るような連中は、はっきり言って、まぁクズでしょうね。


 
 そんなクズの称賛集めたってしかたないですもの。そんな生活の保証されたクズに、やれ、この絵は生きる力を与えてくれる、感動した、みたいなこと言われても。は?って感じですよね。別にそんなクズどもに生きる力を与えたところで、自分の生活を守ろうとする以外のことは一生しないでしょうから、エネルギー注入の無駄遣いってとこです。本当に生きる力を必要としてるやつはミュージアムになんか行きやしねぇです。井上雄彦がどれだけ頑張ったって、その絵、っていうものが存在してる社会の中での位置、が結局体制側のプロパガンタでは意味無しですね。日本帝国のプロパガンタの中でどれだけ才能あるアーティストが作品を作ったって、害悪を増やすだけですもの。


 しかしこの本は最近のバンクシーの動向がわかってよいです、EXIT THROUGHは見たけれど、その後、どうなったの?っていうのがわかります。EXIT・・・、がどういうふうに受け取られたのかってのもわかりますし、Iはほとんど意味がわかんなかったから・・・・


 SUMMER  SKYもグラフ活動を初めようと思いますw なんて宣言したらまずいんですけどね。
 

2014年8月11日月曜日

MAKING 173 /  ニュース








 影を積極的に使ってみました。


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http://www.asahi.com/international/reuters/CRWKBN0GB0CC.html


イスラム国が少数派500人殺害、一部は生き埋め。

 というニュースなんですけど、いやいやいや、ムチャクチャか。歴史の残酷物語、的な伝説上の出来事みたいなことが起こっているのですね。アメリカの空爆を正当化するための嘘ニュースなのかもしれへんけど、現実離れしすぎてて意味がわからないですね。オンナは性奴隷として誘拐されたというわけで、紀元前の話しか!? サビニの女たち、みたいな話しみたい。過激派、とよくいいますけど、それも意味わかんないコトバですよね、誰の立場なん?って気がする、武力闘争派、とかいえばいいのに。






 なんかいろんなことがめちゃめちゃに起こっていてなんかいちいち知るのも面倒になってきましたね、イラン、イラク、パレスチナ、ウイグル、タイ、ウクライナ、アゼルバイジャン、チベット、ミャンマー、ソマリア・・・・・


 キリ無し。地獄かw


 

2014年8月10日日曜日

1963 紫電改のタカ  ちばてつや

  ゼロ戦ではなくて、紫電、のしかも改、をフィーチャーしてることからも珍しい作品です。紫電なんて知ってるのですかね、今の人は?
 ゼロは戦争末期にはすでに完全に時代遅れでして、紫電というそのゼロのあまりの防御力のなさを改良した戦闘機があったのですね。名前はなかなかイカしてるけどルックスはいまいちですね。
 
 ゼロという飛行機は紙飛行機みたいな、極限までそぎ落として、物量と技術のなさを補った、別にそういう意図は無かったんだろうけど、生まれ持ってのカミカゼアタックに適した戦闘機です。その防御力0の感じ、が恐ろしくかっこいいんですけどね。



 
 1963年なのにすでにもう戦争の美化が始まっていたってのがわかります、たぶん1955年頃にはもぉ、敗戦国、軍部はクズっていうGHQの洗脳よりも、国の為に死んでいった人は正しいっていうふうに変わっていったのでしょうね、腐るほど戦記者、戦争もののマンガが作られたのもこの頃のことなり。


 そして未だにゼロ戦をモチーフにドラマや映画を作ってますからね、もういい加減にしたらよかろうと思うのですが、これは紫電改、という珍しいところをテーマにしてるので読んでしまいますね。ちばてつやの作画センスのせいなんですけど、恐ろしく悲壮感がない戦争マンガです、水木しげるのと比べると全然違う。そいで水木さんと違ってちばてつやは戦争に行ってませんので、ただの想像なんで背景とかのリアリティが乏しいです。


 それでも最後の最後にいきなり反戦マンガになるのですが、これはちば氏の独断みたいですけど、それはまぁどうかなーーー、って感じもあるのですけどこのマンガの終わらし方はすげーかっこいいです。ちばてつやって人は、物語をまとめあげるのがひじょーーーに上手い、伝説的なジョーの最後のシーンもそうだけど、終わりよければ、的に最後に綺麗にササササーーー!!ってまとめあげるので、名作であった。みたいな感覚だけが残ります。
 ちばてつやの絵ってのは、どうも全員中学生にしか見えないのでそういうロリなキャラが戦争をするのはなんかみょーーな感じなんですがねw


 そいでやっぱし戦争なんて絶対いけないというお題目で終わるのですが、でも戦争でもなきゃ、戦闘機に乗るチャンスは超ほんの一握りの大金持ちにしかありません、国家なんて滅んでもいいから、おれは戦闘機に乗りたい、っていう若者は少なからずいると思うのですけどね、世界なんて滅んでもいいから、戦闘機に乗って撃墜ゲームをしたいっていう。そしてIはそういう若者、嫌いじゃないぜw
 (Fー16みたいなアメリカの戦闘機になんて死んでも乗りたくないけれど。別にIは右でも日本好きなニンゲンでもないけど、戦闘機はやっぱ国産がいいな・・・、)

2014年8月8日金曜日

夏目漱石 坑夫 1908

 Iはパソコンがう~~~んと唸ってる(レンダリングね)時の為に、にいっつも小説を用意してます、でもそれがつまんないと困るし、かといって面白い小説ってのを探すのはいちいちめんどくせいのですね、よってハズレが無い作家だと思うと、全集を全部読む、みたいな読み方をするのです。
 漱石はその中でも指折りの作家でして、坑夫、は漱石の・・・・だいたい四番目の作品です、吾輩は猫、坊っちゃん、草枕、二百十日?野分、まではアマチュア作家というか副業としての作家だった漱石が虞美人草から朝日新聞に書くフルタイムの作家になったわけですが、ハッキリ言って虞美人草は漱石唯一の駄作です。読者の人気を取りに行ってしまった、黒歴史的な作品。そして次が坑夫ってわけなんですが、漱石ってのはもうデビューからほとんど完成された作家で、猫は多少荒いけど、草枕、野分なんてのは、もう完全に完成してます。

 漱石ってのは東大文学部の教授でして、生活が安定してる人間だってのもかなり大事なことですよね、若くもないし金の為に書かなきゃいけない身分でもない、太宰とかとはどえらい違いです。

 だから心配無く読める、もともと別の作家が書く予定だったところを急遽埋めなくてはいけなくなったという事情のために坑夫は漱石の作風とは異なっています。
 
 漱石の作風というのは読めばすぐわかるんですけど、超理論的に精神の動きやらストーリーの筋みたいなのを作りこんで作りこんでから、それをきっちりと名文で埋めるっていうやり方です、行き当たりばったりみたいな、書いてる本人も結末を知らない、みたいなやり方をしません。一行のスキもなく文章を作りこむっていうやり方。
 坑夫は異色作で、知り合いから聞いた話しをドキュメンタリー風に題材を活かして書くってことで全然文体が違います、小説というよりは、紀行文みたいな調子、それでもやっぱ漱石ってぇ野郎は天才ですから、作品としてものすごいまとまっています、これは小説ではない、というのを本文中でもさんざん書いてるように、プロレタリ文学みたいであり、私小説みたいであり、ドキュメンタリータッチであり、面白いです。



 内容はもう、まさに現代的って感じです。ともかく死のうと思って家出した青年が漂浪しているうちに坑夫にたまさかなるようなことになる、そこでも死んでしまうか、どうするかという煩悶をずっと繰り返すという、でも小説ってそういうものだとIは思いますね。生きようか死のうか、迷っている人間を描く、それこそ小説って気がする。だいたい漱石の主人公ってのは自殺衝動を抱えた、あまり女にモテないというか、変な幻想をオンナに抱いてる貧しい青年です。けどそれが人間だって気がする、人間ってのはみんな、貧しい青年じゃなきゃいけない、それがニンゲンの原形、だって気がしますしね。金持ちのおっさんを描いてもどうしようもない。ましてや老人なんて描いたってしょうがない。 



 しかしほんと漱石ってのは小説のカミサマみたいなとこがあって、ドストエフスキーみたいなキチガイじみた天才は抜きにすれば、トルストイとかと並ぶような大作家なのになー。いまいち海外では知名度低い。海外の人ってのはインテリで本をよく読むように思えて、全然わかってないですよね。

1937 人情紙風船  山中貞雄

 ネタバレ注意ですが、言ってみれば心中物と言われるものすごい伝統のあるストーリーです、心中物というと浄瑠璃から落語まで、江戸時代の物語の典型なんですが、なんでこの型、が日本人にとって人気があるのかっていうのは、一冊本が書けますでしょうね。

 オールタイム日本映画ベスト◯◯・・・的なものの常連です、だいたい一位は東京物語など小津が3つ、そして七人の侍、生きる、など黒澤が3っつあとは溝口が2つ、でベスト10のほぼ8個くらいまでは永久欠番みたいになってます、そして浮雲、成瀬巳喜男、で、滑り込みでこの人情紙風船というわけ。

 監督の山本貞夫は戦争で死にましたので、この作品が遺作です。


 どうして戦前の映画は時代劇ばっかなのか、ってのは、それはソ連の作家が、裏に含みを持たせて表面上は普通の物語を描くのと同じなのと、もう一つ、もっと諦念というか、達観というか、世間臭さを嫌うからなんでしょうね。

 だいたいにおいて時代劇ってのは、いっつも生きるか死ぬか、の決断を迫られるものです、それが戦争間近っていう気分と重なるってのもあるのでしょうね。時代劇ってのは、余分な要素が無いってのもあるかもしれません、現代劇だと、携帯使ったりネットを使ったり、みたいな、それをやっちゃおしめぇよ、みたいなコトが多い、そんなムチャクチャなヤツいねぇわ、みたいなこととか、警察にすぐ頼れたり。

 時代劇ってのは、いっつも背中にぺたぺたと、死、ってのが張り付いていて、みんな刹那主義っていうか、どんなしょうもない町人でも、ある種の粋なかっこよさがあるのですよねー。ただIは時代物ってのはデェ嫌いなので自分では作らないだろうけれど、確かに物語、として型、としてのかっこよさを追求するのは、昔のほうが便利ですよねー・・・

2014年8月7日木曜日

イラスト MAKING 1


 珍しく、時間をかけて一枚絵を書いています、ちょこちょこ暇な時に手を加える感じで。


 井上雄彦のガウディ展覧会がやってますね、パブリシティもかなりやってる、けど入場料高すぎ!安かったら行こうと思ってたけど。
 日本ってこういう若い人こそ行かねばならないっていうイベントが、高すぎるんです、無理じゃんっていう。ルーブル美術館は26才までは無料だよ!


 普通の値段でも12ユーロです。1800円くらい、ルーブルと同じ値段取ってどうすんだよ、どう考えたって内容同じじゃないもの。
 ほんと映画にしろCDにしろなんにしろ日本は芸術が高すぎる、唯一安いのはジャンプくらいですよ。2$であの圧力はほんとモンスターです。そりゃマンガが流行るのがわかるわ、他が高すぎるんだもの。
 ナウシカのマンガだって確か400円くらいです、400円のあそこまでの娯楽ってほかに考えられないもの。

 ってーかジャンプってまだ220円なのかな?値上げしてるのかも・・・

2014年8月3日日曜日

2014 bump of chicken you were here /2010  michael basquiat radiant child

 Iは初めてITUNESで音楽を買いました。たまたま何か・・あっINTUOSを買ったときにもらったITUNESギフトカードの使い道が無くてずっと困ってたからです。
 ただ確認確認確認確認うるせぇ!!w って感じですセキュリティのため、セキュリティ、クレジットカード・・・・・
 もーうんざり!。しかも外国では1ドルなのに日本では2.5ドルっておかしいでしょ、何が2.5倍の値段をつけてるわけ?ムチャクチャっす。音楽の売上下がってるといいますけど売る気ないもの。もっと手軽に買えないとヤダ!やだやだ!w 
 
 配信限定シングルですのでカップリングもシークレットも無いのがさみしいですね。音楽的にはどうせIなんかが何言ってもしょうがないんだけど、BUMPはどんどん新しい音楽になっていってますね、って気がします。
 エレクトロのバスドラから始まって、おっ!と思いますよね.


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 バスキアのドキュメンタリーを見ました。
Iはバスキアは全然詳しくありませんが、後期、ドラッグにおぼれていってからの作品はスゲー良いですね。グラフィティ、っていうストリートからミュージアムっていうハコ、の中に入っていったアーティストの走りなんですが、さていかがなものか。ハコに入れば当然入場料が取られるわけで後はマネーゲームです。まるでPOPソングとクラシックみたいに。高いチケットを払ってクラシックのコンサートに行ける人間なんて総人口の0.01%でしょう、地理的に無理ってので80%だろうし。その超限られたリッチたちのために作品を作るってのは虚しいものです、といって阿呆な大衆向けに作ってるからといって救われるわけでもないけれど。
 オカネはないけれども、見る目はあってセンスもいい、頭もいい、そういう優れたオーディエンスってのは作品自体、の次に大事というよりも、そのオーディエンスが作品自体を支えるものなのですが、オーディエンスってのは育てていかないといけないわけですが、それをみんな投げてしまってますので、作品自体の質も下がるわけですね。

 ブルーノートの新しい経営者が言うに、大事なことは、クソみたいな作品を作らないこと。まったくそうだと思う、クソみたいな作品はまず何よりもオーディンスをクソみたいな人間にしてしまう。オーディンスってのは優れた作品を丁寧に与えることでしか成長しません。

2014年8月1日金曜日

OPUS9 MAKING 172







 対象年齢高めでお送りしております。
 海というのは消失点までくるってのは理論としてわかってるんだけど、やっぱり海がせり上がってくるような気がしますよね、海。実は地球のほとんどは海なんだってことをたまに忘れる・・・ 

1967 in cold blood 冷血

 1967、なのに白黒映画という擬古典的手法をとった映画です、映画の内容とかスタイルも40、50年代の映画っぽいつくりなんですが、カットの作り方とか、手法は60年代のものを取り入れていて、ほんとの白黒映画時代には無かった、合成やら、スーパーを入れたりしてるし、フィルムのコントラストも良いので、古いのか新しいのかよくわからん映画です。
 けど撮影監督が非常にいい腕をしていて、白黒映画のトーンの使い方が抜群に良いです、カラー映画で同じ内容を撮ったらものすごい間の抜けたものになってしまうので、これは大成功です。


 映画の内容は、何の救いもない、犯罪者が死刑になるまでを、文字通り、冷酷な調子で追ったものです。ただIN COLD BLOODは冷血という意味ではなくて、凍った血の中で、という意味でして、別に主人公の犯罪者達が特別冷酷なわけでもなんでもないです、むしろ感情過多って感じ。

 カポーティの原作に基づいてるのは誰しも明らかなんでしょうけど、Iは原作読んだことないです。

 ただこの映画で見るべきなのかともかく、ロバート・ブレークの名演技というか怪演技で、まじでこのヒトやべぇんじゃねぇかってほんとに思うような、やばい感じを見事に表現してます。そして実際、ブレークは自分の妻を殺した容疑で訴えられております、やっぱり!!w 本当にヤバイヤツが、本当にヤバイヤツの演技をしてるわけで文字通り迫真の演技です。
 
 

 この最後は絞首台で終わるってのは結構多いですよね、そしてこれもそういうバッドエンドとして、ニューシネマの先駆けともなっているのです、Iが思い出す死刑で終わる映画は、映画じゃないけど異邦人、ダンサー・イン・ザ・ダークですね。