2014年8月27日水曜日

1872 フランダースの犬 ウィーダ

 


アニメは知ってるけど原作を読んだ事があるヒトは超マイノリティだと思います。
 実は小説はネロではなくて、犬のパトラシエの一人称だったとは、驚きです。そして内容はルーベンスのキリスト磔が軸になって展開される、キリスト教的要素の濃い話しです、アニメとは全然ちゃいますね。作者がキリスト教であるかぎり話しの展開というのは決まっていて、貧しくともココロの正しい人間が天国で良い目に合うという、お説教です。
 ネロもクソみたいな貧困で最終的に教会で凍死するんですね(餓死するんだと思ってた)、しかしネロには絵の才能があって、ちゃんと生きていたら良かったのにね。っていう終わりなんです。それでもこれは良い作品ですね。ネロのセリフ

「パトラシエ誰もボクラを必要とはしてないみたいなんだ」

 っていうのは文学史上でもものすごいセリフですね、だってパトラシエは犬ですから。小説ってのは主人公1人で成り立ってるってことは無くて、絶対他者との出会いなりがあるわけですけど、犬しかいないなんて最悪です、そんな孤独地獄で死んでいくコドモなんてのはちょっとあまりにも悲しすぎるじゃないかw けど友達が犬しかいないっていうヒトは現実にはまぁかなりいるのでしょうね。だからこの作品は犬しか友達がいないヒトのバイブルですね。


 貧困、ってのが文学、特にコドモ向けの文学ではテーマになってるのですけどやっぱ貧困ってのはリアルなんですよね、世界のすべての人間は、ごく一部を除いて貧困なんです、貧困こそが唯一のリアリティだと言ってもいい。貧困を無くすとか言ってるヒトがいますけど貧困をなくしたら人類ごと無くなってしまうくらい貧困は世界に溢れかえってます。
 アーティストなり作家なりが、成功して小市民になると一挙にリアリティを失って何も書けなくなるのも当然といえば当然で、なんだろう、それでもずば抜けた才能で、自分が小市民のブルジョアであるのに、よい作品を残せるってのはまぁーひじょーに難しいですね。明治文学が、断然クオリティが高いのはやっぱ作家が貧乏だったってことだと思います。

 

 WIKIによるとこの作品は全然有名じゃなくて、鬱展開すぎる、ってことでアメリカなどでも人気が無いみたいです。納得・・・。でもロシアとかでは人気が出そうですけどね。