2014年8月27日水曜日
2007 日本文化における時間と空間 加藤周一
お固い本です。インテリ気取りの人々が語るコトバってのがあって、吉本隆明の共同幻想、丸山真男の永久革命としての民主主義、加藤周一の日本人の いま、ここ性。ってのもその一種。
非常に簡単にいうと日本人の価値観はイマ、ココという刹那主義的であって、同時に村社会である排他的で付和雷同的である。ということを、いろんな引用を使って説明しようとするというものです。当たり前のことを言ってるにすぎないって気もしますが、思想なんてものはそういうものです。
アナリスティックロジック、分析哲学、ってものがあってつまりそれはロジックを数学的にとらえてほとんどの言説は何も言っていないということを証明するものでしたが。その中で、こういういわゆる文化論、過去の文献とかから引用を集めて何かを主張すること、事実列挙式の論証、というのは、すべて証明不可能の無意味な駄弁であるということを証明、しました。
Iはやっぱ分析哲学の言ってることが正しいと思いますね、日本の文化はこうなんだといくら例証をたくさん出して来たところで、無限に例証を連ねたところでそれは別に何も表していないって気がします。(サイエンスのように実験による例証が不可能なので)
日本の文化、というけれど、日本の文化に参与してる日本人なんて日本人の0.001%にも満たないでしょう、ほんの限られた一部の人間たちが作ったものがどうして、日本、の文化になるのかというのは謎です。たまたま日本という場所であったというだけで、ごく一部の集まりの作品、それをまとめたものが一緒くたに日本文化、と言われても、は?という感じです。
能や歌舞伎が日本文化を表してる、けど一体どれだけのヒトが能なんか見てるのでしょうか、それは 日本、の文化なの? 日本、というカテゴリの作りかたははっきり言ってムチャクチャです、日本の・・・・っていうものは一体便宜的以上の何を表してるのでしょうか。それはやっぱりプロモーションとして楽だってだけだと思います。
そして文化史なんてものは、結局 残された作品 と有名な作品、だけをピックアップしたものだってことです。別にいい作品だけが保存されるわけでもないし、優れた作家の作品は必ず評価されるわけでも全くない。むしろ逆です。それは今の文化でもわかることです、優れた作品だからって評されて残るわけじゃない、ほとんどのプロモーションだったり、運、カネ、の問題です、クソみたいな作品が支持されることのほうがよっぽど多い。またメディアの性質として残るメディアもあれば消えてくメディアもある、そうやってたまたま残ったものについて並べて論じて、どうしてそれが 日本、 の文化についてわかるのかってのがわかんないです。消えていったほうの文化はどうなったのであろうか。
だいたい歴史は政府の行動をして日本の意思、とするわけですけど、政府の行動に関して意思表示したりできる人間もこれまたごく一部の特権階級です、それは日本人の意思なんでしょうか?それもたまたま残った、ものから全体を描こうっていう無茶な話しって気がします。
ほとんどの99%以上の日本人は総称される日本の文化とはまったく無縁だって気がします。古事記を読んでるヤツなんて1%いないし、本居宣長なんてちゃんと読んでるやつは1万人もいないでしょう。それが日本の文化を代表するの?ナンセンスw イギリス人だってシェイクスピアをちゃんと読んでるのはごく一部です。
ただのごく一部の特権階級の行動分析ってのに国家とか民族性なんてわかりっこないよって気がするのですけど、それ以前にほとんどの人間なんてものは全く何も考えてないってだけで、それは日本人が付和雷同だとかそういうのは後付ってことだと思います、ほとんどの人間はまっっっっったく何も考えてない、ってのは、人間ってのの一般的性質で、日本人だけが阿呆だったりクソみたいに保守的だったり、汚職をしたりするのでは絶対無い。ただ単にほとんどの、ホモ・サピエンスは論ずるに足らないくらい全くの無内容、無思想だってことです。
よくいう日本人は無責任だっていうけど、あらゆる人間は無責任です、日本人は日和見で長いものにまかれろで、個性が無いというけれど、あらゆる人間がそうです。ただほーーーーーんの一握りの英雄的な人物、特別な人物がそうじゃなかったというだけどそれがたまたまイギリスとかにちょこちょこいて日本にはあんまりいなかったという、たったそれだけのことで、イギリスは個人主義であるみたいなことを言ってるだけなのだと、Iは思いますけどね。
知識人というものが、昔はいたのですよね。けど知識人ってのが自分たちで思ってるよりはカスみたいな力しかないということを、ヒトラーやマスメディアは証明して、知識人というのは不要になった。知識人の論説のあまりの無力さってのに愕然としたわけです。
知識人というのはこれからもどんどん減っていくでしょうね、やはり無力なものは廃れていくものなんです。そしてやっぱり知識人の発想が、自分たちが一部の特権階級であるわけで、結局彼らの言ってることも一部の特権階級、天才たちがしたことが、全体であるっていう奢った感覚なんではないでしょうかね。