ゼロ戦ではなくて、紫電、のしかも改、をフィーチャーしてることからも珍しい作品です。紫電なんて知ってるのですかね、今の人は?
ゼロは戦争末期にはすでに完全に時代遅れでして、紫電というそのゼロのあまりの防御力のなさを改良した戦闘機があったのですね。名前はなかなかイカしてるけどルックスはいまいちですね。
ゼロという飛行機は紙飛行機みたいな、極限までそぎ落として、物量と技術のなさを補った、別にそういう意図は無かったんだろうけど、生まれ持ってのカミカゼアタックに適した戦闘機です。その防御力0の感じ、が恐ろしくかっこいいんですけどね。
1963年なのにすでにもう戦争の美化が始まっていたってのがわかります、たぶん1955年頃にはもぉ、敗戦国、軍部はクズっていうGHQの洗脳よりも、国の為に死んでいった人は正しいっていうふうに変わっていったのでしょうね、腐るほど戦記者、戦争もののマンガが作られたのもこの頃のことなり。
そして未だにゼロ戦をモチーフにドラマや映画を作ってますからね、もういい加減にしたらよかろうと思うのですが、これは紫電改、という珍しいところをテーマにしてるので読んでしまいますね。ちばてつやの作画センスのせいなんですけど、恐ろしく悲壮感がない戦争マンガです、水木しげるのと比べると全然違う。そいで水木さんと違ってちばてつやは戦争に行ってませんので、ただの想像なんで背景とかのリアリティが乏しいです。
それでも最後の最後にいきなり反戦マンガになるのですが、これはちば氏の独断みたいですけど、それはまぁどうかなーーー、って感じもあるのですけどこのマンガの終わらし方はすげーかっこいいです。ちばてつやって人は、物語をまとめあげるのがひじょーーーに上手い、伝説的なジョーの最後のシーンもそうだけど、終わりよければ、的に最後に綺麗にササササーーー!!ってまとめあげるので、名作であった。みたいな感覚だけが残ります。
ちばてつやの絵ってのは、どうも全員中学生にしか見えないのでそういうロリなキャラが戦争をするのはなんかみょーーな感じなんですがねw
そいでやっぱし戦争なんて絶対いけないというお題目で終わるのですが、でも戦争でもなきゃ、戦闘機に乗るチャンスは超ほんの一握りの大金持ちにしかありません、国家なんて滅んでもいいから、おれは戦闘機に乗りたい、っていう若者は少なからずいると思うのですけどね、世界なんて滅んでもいいから、戦闘機に乗って撃墜ゲームをしたいっていう。そしてIはそういう若者、嫌いじゃないぜw
(Fー16みたいなアメリカの戦闘機になんて死んでも乗りたくないけれど。別にIは右でも日本好きなニンゲンでもないけど、戦闘機はやっぱ国産がいいな・・・、)