2021年11月3日水曜日

FGO 2.4 ユガ・クシェーストラ

  今回はインドが舞台。


インドが舞台というよりマハーバーラタが舞台って感じですかね。


 今回の出来は・・・


良い。


 いっつも文句言うだけの人だと思ってた方、裏切られたのではないでしょうか、今回のシナリオは練られていた・・というか、刺さる、内容でしたね。


 バーラタと、このプロットであるカルナとジナコが出てくる、CCCっていうゲームをプレイしてないとなんのこっちゃ?ってとこもあるのですが。



 今回の世界観としては、いらないものが消滅される世界ってことですね。不要なものは神様が消してしまう、その記憶も含めてなくなってしまう。


 前回もそうでしたが、テーマは「見捨てるか、見捨てないか?」ということなんですね。老害は消えてほしい、障害者は税金の無駄、ニートは死ね、就職氷河期世代は見捨てろ。

 SNSが無い時には、「存在しない」とされていた、こういう本音が、ほんとは少数はとはいえない、消されていた本音、が表面化するようになりました。誹謗中傷、といいますけど、そんなに簡単に切り捨てていい問題ではない、これは本音、です。


 それが現代のテーマ、だと思う。現代に何かを作ってる人間なら避けて通れないテーマ。

競争を勝つためには、効率化するためには、見捨てて進んでいかなきゃいけない。見捨てなきゃみんなで滅びるだけ。

 ただ誰が見捨てるのか?誰が処分するのか?誰に手をくださせるのか?みんないいかっこしたい、ヒーローを演じたい、誰が悪役をやるのか?悪役を押し付けあってる、それが現代という時代だとおもふ。


 ジナコは、いわゆるニートキャラ、カルナは「見捨てない」英雄です。そして今回のプロットは一言でいうと、「見捨てられた人間」が世界を救う物語。

 もちろん現実はそんなにうまくいきっこない、けど、これこそ私達が今、見たい物語なんだろうって思います


 「社会から必要ないって捨てられた人間」が、世界を救う物語。 


 出来っ来ない、ありえない、けどここの奥底では信じていたい、そういうものに、どれだけ真実性を与えられるのか、それが物語の作り手の腕の見せドロコですね。ロックンロールです。ロックンロールが現実的なこと言ってどうする、出来るわけないであろう野望とか夢を歌わないと。

//////////////


 出来は良いのですが、もっと良くなるポイントもたくさんあると思います。

まず物語でやっちゃいけないタブーをいくつも犯しておる

・死んだ人間が蘇る、死んだと思わせておいて実は死んでない。

 典型的やっちゃいけないの代表格。これやりだしたら終わり。カルナが生き返るよりももっとおしゃれなやり方いくらでもあったと思う、鎧だけ残った、とか、太陽が助けてくれる、とか。最悪、幽霊となって味方してくれるというドラゴンボール方式でもいい、よくは無いけど。ともかく生き返らせちゃダメ、絶対。


・タイムマシンで過去に戻って解決

 代表的タブーその2。タイムシフトは一回しか出来ない!今だから可能だ!みたいなとってつけたような設定がありますが、じゃあこの時点に戻ればよかったじゃん、とか考え出すとめちゃくちゃになる、クルクシェーストラでアルジュナを倒せばよいし、やっぱりですが、アルジュナの生まれる前に戻れば簡単に解決可能ってことにもなる。過去に戻るタイムリープは絶対にダメ。

 絶対にダメなんですが、このFGOの全体の物語が、過去に戻って世界を救うって話なんですけどね・・・


・ラクシュミのキャラが立ってない。

 いろんなプロットを同時進行させるのはいいんですけど、ラクシュミのルートだけ消化不良、って感じです。ここはカットして、もっとジナコ、とぺぺのお話に絞って掘り下げるべきだったでしょうね。もとからCCCで知ってる人はいいけど初めてみた人意味わからん。ぺぺももっとじっくり描くべきな気がする。この後描くのだってことかもしらんが。

 

アシュヴァッターマンに関しては、これはいい感じにキャラが立っていると思います。一番いい出来だったといえるかも、なんか知らないけど最近こういう、赤髪のヤンキーっぽい兄ちゃんは、めっちゃいいヤツ、っていうパターンが多い。

 

 オリジナルのバーラタではカルナは結構なクズで、アシュヴァッターマンも更に。なんですが、アシュヴァッターマンの怒り、は共感出来ます、とにかく彼は世界のすべてに怒ってるし、怒りを持つことは大事なこと。


////////////


 おせっかいかもしれませんが、インドは物語の最後にもってくるべき話なんじゃないの?って思います。

 ワタシはインドの神話とか物語が、世界で一番完成度が高いと思っています、論理の深度っていうか深さが一番深い。


 インド神話がおそらく世界ではじめて

「心の豊かさが、物質的豊かさよりも大事だ

さらに心の豊かさは、命よりも大事だ」

 ということを主張したと思われます。死、すらも超越して。自分の命よりも、精神の豊かさを重視する。これを悟り、解脱、というものなり。

 

 さぁ何千年後かの現代を見よ。

「結局カネ、ごちゃごちゃ言ってるけどみんな一つのことしか言ってない、カネを寄越せってこと」

 これが現代の神話。


 本当は結局カネなのではなくて、カネが無いと生活出来ないようにされた、社会に飲まれているわけです、社会によって価値観を植え込まれて、それを自分の価値観だと思いこんでおる、これが一番救えない人間。


何千年たっても、何一つ進化無し、というより退化。二段階手前なんですね。まず物質よりも精神、命よりも精神、っていう地点にいかなきゃいけんとして、第一段階にたどり着く気配すら無し。


 地球にはインド神話よりも、深い話なんてのは無いんで、これを最終章にして終わらせないといったいどうやって続けるの?って思いました。まぁいきなり最終章にして主人公空気でジナコとカルナの物語になったら、ありゃ?と思いますけどね。

 でもインドの深淵な世界の後に、ギリシャの物語ってなると、なんか俗っぽいすなぁ、って感じにならないのか心配です。とくに中国、日本はインドのソレ、の二番煎じって感じが強いので・・・