2016年1月14日木曜日

1957 トロールの冬  ムーミン谷の冬   トーベ・ヤンソン

小説ムーミンの第五巻です。原題はトロールヴィンター、ですので、冬トロール、みたいなタイトルですが、日本ではトロール、よりもなぜかムーミン、のほうを押し出す形になってますね。ムーミントロールはムーミンだけでトロール達、がほんとは主役なんですけど。
 ムーミンって原語ではスウェーデン語で書かれているんですね、勝手に英語かフィンランディアで書かれてると思ってました、マイナー言語や・・・。スウェーデン語の翻訳出来るヒトなんているんですかね、日本に?それとも英語の二重翻訳か。ずい分前にヘイムスクリングラっていうアイスランドの超重要な本なんですが、日本で言う枕草子レベルの本、なんとそれの翻訳ってのが無いってのでバビったことがありました、今はついに出版されています。アイスランド語っていうか古ノルド語、の翻訳者がいないからなんですよね。そういうすげー有名だけど日本語では読めない本ってのはいくらもあって、特に学術系のものって殆ど無い。日本語、のプレゼンスはどんどん下がってるので、どんどんこれから英語で読まないとって思うのですけど、それとは逆に日本人で英語が読めるヒトってのはどんどん減ってる気がします、昔は電車とかでペーパーバックを読むのが流行ってて、大学生は英語ですらダサくてドイツ語かフランス語の本を読むもんでしたけど、もはや学校ってのは就活予備校になってるんでそんな時間無いんでしょうね。




 たまたまIは今戦前のディズニーを見まくってるのですが、ディズニーが食べる、キスする、戦う、みたいなどんなアホでもわかるような、大衆、に向けて作られているのに対して、ムーミンってやつは、テーマがなかなか一般的じゃなくて、アホには届かないものもあります。



 ウォルト・ディズニーがディズニー映画は古臭くて、陳腐だ、と批判されたのに大して、ワタシは古臭くて陳腐なものを愛する、大衆がそれを求めているのは興行収入を見ればわかるだろうと切り返しました、ワタシは芸術を作ってるのではなくて、夢を作ってるのだ。ってわけです。ウォルトは現実逃避のカミサマですねw けどそれこそカネになるものでもある、現実逃避なのに至極現実的、現実的でシリアスなものは現実には誰も求めない。

 
 ムーミンはむしろその逆に、現実のイヤな部分をどんどん見つけていくって感じです。誰にも好かれることのない、嫌われ者のババァのモラン、明るく前向きだけどデリカシーに欠けていてほんとはみんなに嫌われているが誰もはっきりと言わないヘムレンさん。そういうなんか人間関係のイヤな部分を出してきます。それを大衆は嫌がるのでしょうけど、まぁムーミンはそれをうまくファンタジーに包んで大衆にも耐えられるようにしてるってわけです。


 大衆向けにつくるってのはほんと嫌気がさしてくる、ってこともあるし、逆に大衆向けにつくる見返りもある、オカネ、地位、名声、こういうのは大衆が持ってきてくれるものです。宮﨑駿ははっきりとボクは売れる映画しか作らないし、当たりそうな映画しか作らない。そうじゃない映画はつくっちゃいけない、と言ってました。まぁ確かにそうなんですよね、映画はたくさんのヒトを巻き込みすぎる、そんな採算がとれそうもないことは1人でやりゃいいだけの話。


 昔のワタシなら、大衆向けの作品を作ってるやつらなんて残らずクズだ、死んでしまえって平気で言ってましたけど、今となっては、まぁどっちも必要っちゃ必要ですので勝手にして下さい。くらいなオトナ?なコトもいえます。口に出して言ってるだけで腹の底ではくたばれって思ってますが。


 ムーミンはでも勧善懲悪システムというか、感動の公式、みたいなのにあてはめようとしないからいいですよね、日本人が勝手にやってるアニメとか映画はその公式に当てはめようとする、なんでも型にハメたがる日本人の金型嗜好がゴリゴリに入ってますけど。


 でも物語をつくってる以上、この感動の金型をぶっ壊してやりてぇって思うのが普通だと思いますけどね、Iはもう金型恐怖症で、本とかマンガとかを読んでても、うわっクサっ!型にはめようとしてる!って思うとすぐに投げてしまいます。腐ってやがる!ってクワトロのセリフを吐きたくなる。けど大多数はきちっとそのお決まりの型にはまりたいんですものね。
 たまにワタシはもっと大衆よりのクズでバカに生まれりゃ良かった、そうしたらもっともっとたくさんのことを楽しめたのにって思って、もしそんなクズに生まれたら即自殺したろうなと思っています。