2017年6月13日火曜日

2007  らき☆すた

 いわゆる日常系アニメ、のヒット作なり。 京都アニメーション制作


 涼宮ハルヒシリーズが、深夜アニメでEVA以来のヒットを記録して、ちょっと京アニブレイクが到来してそのチームが次に作ったのがこのらき☆すたなのだ、というのをワタシは耳にしたことがあります。事実は知らん。


 女子高生がだらだらするのをカワイク描く、っていうあずまんが大王、からの日常系アニメをさらにテンション高めにして、セルフパロディを多めにしているのが特徴。


 芸術ってのはセルフパロディをするようになったら終わりだと言います、歌舞伎が歌舞伎のネタで笑いを取り始めたら終わりです。浮世絵が浮世絵のことを絵にしだしたらおしまい。バンドが昔の曲をセルフカバーするようになったら終わりっていう言い方が一番しっくり来ますでしょうかw


 それってつまりは一見さんお断りってことでして、新たな、視聴者にとっては意味がわからないってことになる、そういうことを繰り返せば当然、新しい視聴者、はどんどん減っていくわけで、どんどん少なくなるってのは自明の理。


 といって、批判がしたいわけじゃなくて、そうせざるをえないってことなんですよね。だってアニメ以外、に話題にすべきものがないんですもの。たとえば、松田優作みたいなかっこをさせて、松田優作じゃあるまいし!!ってことが出来ました、昔のアニメやマンガは。でも今、松田優作みたいに、ハッキリ元ネタとして成立してるアイコン、とか記号ってものがないんで、視聴者がクスってなってもらえる素材を探すと、結局ガンダムだったり、ジブリだったり、EVA、ワンピース、ナルト、FF、DQあたり、をネタにするしか無いんですよね。 でもハッキリパロにすると権利的にあやうい、というわけでで自分自身をパロディにする、セルフパロディっていうのに落ち着くというわけ。



 アニメは文化祭で終わってますけども、女子高生が学年をあがって卒業してく・・っていう大体の骨格もあずまんがそのままです。


 これもまたしても、素材、の枯渇でして、誰しもが共感できたり、同じ気持ちを共有できるっていうのが女子高生、っていう場、しかないんですよね。女子高生ってやつは人生の楽しいことをすべてをその3年間に味わい尽くさないといけない、ある意味舞台、でして、それよりオトナは次なる舞台に立つべきガキを育てる、それよりコドモはその舞台に立つまでの練習っていうくらい。
 女子高生、のみが、本番、っていう感じになってきてます。そんくらい死ぬほど女子高生モノが作られており、それ以外、の物語の作り方を忘れてしまいました。
 というより、それ以外の生き方、を知らないのです、それ以外の楽しいこと、の描き方がわからない。これは実は深刻な話しで、どうやってこの人らは楽しそうだな、こういうふうなんていいなぁって思わせる方法論がわかんないんです。
 
 誰か教えてくれw