2015年9月25日金曜日

1990 total recall 映画  トータル・リコール ポール・ヴァーホーヴェン  PKD フィリップKディックのハナシ

 古っw  こういうバキバキドカン系の映画って古い映画を見るヒトはめっちゃ少ないですよね、エファメラ、っていうのか、古典には成り得ないものです、アクション映画、特にSF映画ってものすごい速度で時代遅れになっていきますから。

 でもこの映画が見れるのは原作がPKD フィリップ K ディックだからですね。PKDを知らないヒトはいないと思います。PKDを知らなくても、PKD作品に触れないで生きていくことは不可能なほどSF映画の殆どはPKD原作が多いですし、そうじゃなくて最近のSFでPKDの影響下から逃れ出るのは不可能ってほど、むしろ最近のになればなるほど、PKDっぽい、タイプのSF映画ばっかりになっています。

 だからストーリーは、ハリウッドのスクリーンプレーヤーが描くようなものとはやっぱり違うのですね、簡単に言うとレイヤーがあるのです。物語に重層的に色んな要素が含まれてる。スクリーンライターたちは映画、をストーリーの効果、として描くのに慣れてますから、つまりここは説明シーン、ここで盛り上げて、まず最初の山を作る、あきさせないようにここでアクションシーンを入れて、最後のフリを作る・・・・、みたいに映像の尺とストーリーの効果を考えます。それが仕事ですから。ただそうやって作った物語はあざとい、っていう感じがして、ペラペラの感じがします。急に家族と「この戦争が終わったらこの子と結婚するのだ」って語り出す感じ。おもいっきりフリを作ってんな・・・って感じる。漫才でいうと

「最近タクシー業界は変わってきましたな」
「何が変わってん」
「サービスが充実してますわ」
「どんなふうに?」
「ほなやってみよー」

 っていう漫才コントのフリみたいに、あざとい、ですよね。でも必要な効果、があるので省くわけにはいかん。小説が台本としてある場合、最悪小説を読んでるからいいだろ、って説明シーンを省けるし、映画の中では説明しない、小説を興味があったら読んでみてね、っていう逃げも出来るってわけです。

 なんて書きつつ、Iは小説原作の映画ってクソだと思いますけどねw なんのこっちゃw なんにせよ、最近のSF映画はすべてPKDの世界観って感じがします。

 
 PKD原作だけでも、ブレードランナー、マイノリティ・リポート、トータルリコール、スキャナー・ダークリー、間接的にはブラジル、12モンキー、マトリックス、などなどなどなど、平行世界や神秘系のハナシ、ミライのハナシ、キヲク系の物語、そういうのはPKDの手から逃げられないって感じですね。ほぼ全部やん、ってくらい。


PKDについてちょっと描いてみましょう。ディックはチンポっていう意味です。だからディックっていう名前は敬遠されがち、近藤武蔵、みたいなもんですね。コンドーム刺し。中田将、なかだししよう、みたいにいじめられる可能性99%の名前です。ディックはでも1928年生まれ、戦前にはそうやって下ネタでいぢめをやるってことは少なかったのかもしれません。

 もともとはもちろんディックはチンポっていう意味じゃありません、RICHARD、がRICKになり、リックリック、といううちに、ディックになったというわけ。ディックがじゃあなんでチンポになったかというのは謎とされてますが、チンポというよりは糞野郎という意味から始まったのだろうと思われます。リチャードというと日本人は知らないかもしれませんけど、リチャードライオンハート、獅子心王リチャード、ロンドン塔の亡霊リチャード二世、そして奇形の悪魔、リチャード三世と、ダークな王を輩出してるんですわね。ライオンハートは特に、十字軍の戦闘に立った、生粋の、侵略者です。十字軍なんてもぉめっちゃくちゃな理由による侵略以外の何者でもないので、嫌われるのは当たり前という感じ。リチャード三世の悪いイメージはシェイクスピアの演劇によるところが多いです。吉良上野介みたいなもんですね、決定的に悪役にされてしまってます。



ディックの名前だけで書きすぎましたけれど、ディックはSF作家ですけどSFのジャンルを遥かに飛び越えて、今の文学の一番の主流、純文学風のエンタメ小説 系のパイオニアの作家なんですね。純文学なんてものはすでに存在しなくなりましたから、存在するにせよ、売れませんし流通に乗らないから存在してないのと同じです、文学、LITERATUREという名目で売られてる本のほぼすべてが純文学風の、エンタメ小説です。


 それとディックの特徴は、アメリカの貧しさ、っていう側面を出すところですね。アメリカっていうと物質的に豊かでハッピーな種族、アメリカの貧困層の作家なんてあんまり聞いたことが無い。ディックっていうのはアメリカの負の側面を表舞台に引き出した作家なんだとIは思います、だからアメリカの闇を描こう、って思うと必然、ディック風のSFになっていく。現代みたいに、もうアメリカダメだろ、っていう感じのセカイになれば、ますますディック風の作品が増えて行くに違いありません。逆にアメリカは夢の国、アメリカンドリームだ!っていう好景気の時代になれば、ディック風の作品は消えていく、けどそうはならないと思われますのでこれからも、ずっとずっとディック風の作品が増えていくと思いますね。
 

 ディック自身が貧しい作家でして、典型的汚らしいジャンキーのおっさんです、ハインラインにカネを恵んでもらったりというエピソードもあります。
  そういうアメリカの、アンダークラス、ワーキングクラスの作家ってほんと他に聞きませんものね。バロウズとかビートニクは生まれはボンボンだし、ヒッピーってのもみんな金持ちの息子たちです。リアルにアメリカのアンダークラスってのは表舞台にはまったく出てこない。アメリカは階級社会なんですわね、はっきり決まってて、境界を突破するのはほぼ完全にシャットアウトされてる。

 ともかくディックは巨匠がいないと言われるアメリカの文学界の中で屈指の世界的影響力を持つ作家となっています。



 映画にハナシを戻すとヴァーホーヴェンの絵って色彩がドギツイですね、古い映画ですんでCGやっすぃなぁ・・・、とかチープなSFセットやなぁというのは抜きにしても、色彩がグロいっていうか、なんにせよナマいです、ヴァーホーヴェンはそういうなまぃのが好きなんでしょうね。そういえば最近のアクション映画ってこういうなまい血は流れなくなったな、って思います。もっとコミックテイストでファンタジーですからね、ドクドク血ぶしゅー!ってのは無くなって来たのかも。そういうのはゾンビ映画にまかせてってすみ分けが出来てきたのでしょうね。