2015年9月17日木曜日

2000 - 2015 NARUTO

ナルトにかぎらずなんですけど、EVAの後の作品ってのは、少年誌であっても何かトラウマ、とか過去、みたいなものを抱えるようになりました。ドラゴンボールの悪役には悲しい過去とかそういう、悪く言えばお涙頂戴的なものは一切ありません、ちょこっとだけベジータの過去みたいなものもありましたが、ドラゴンボールで泣く奴はいませんでしょう。けどワンピースもナルトも、バトル漫画なのに泣けるって人が多いと思います。それはドラゴンボールにかぎらずEVA以前のものってそういうふうな悲しくなるような要素はほぼ無かったです、北斗の拳にしろキン肉マンにしろ、巨人の星にしろ。ガラッと地平が変わりましたね、1997年頃から。いいものを評価するときに「泣ける」ってのが評価のかなりの場所を占めるようになりました。ちょっとそれって右派っぽいやばさを秘めてるということもいえます。どんどん世間は右寄りに傾いてるってことでもあるというわけ。



 Iはいつもぬるっとしてるっていう言い方をするんですけど、そういうぬるっと感が21世紀の漫画の特色でありますわね。ただの破壊衝動丸出しの救いようがない悪役ってのは少なくなり、なんでこいつは悪いことをするようになったんじゃ?っていう種明かし、悲しい過去みたいなのが延々と語られるようになりました。特に最近のワンピースはそれが顕著な気がします。それもでもやりすぎると不幸自慢っていうか、エスカレートしていってモンティ・パイソンのコントみたいで、ちょっと滑稽になってしまいますよね~・・。オレは家族全員を殺された、いやいやオレのほうがひどい、街全体が滅ぼされた、いやいやオレのほうがもっとひどい、国が消された、いやいや、これのほうがもっととだ、オレの世界がオレの星が、オレの宇宙が、俺の宇宙と俺の並行空間が、歴史と過去が葬られた、ミライが葬られた・・・・・っていう風に。だからなんやねん!って途中でキレたくなる。



 ナルトもなんか最初っからえらく暗いっていうか、内面的というか、血まみれの漫画だって気がしましたね。ガキのころ読んだときは人死ぬのはやっ!って思いました。人が死んだりするのは物語の後半ってのはセオリーなのに、いきなしバッタバッタ殺されてっから、なんだこれは連載続ける気無しかって感じでした。
孤独、っていうモチーフが繰り返し出てきますし。マンガなんだから適当にぱらぱらめくってハハハハー!って感じじゃないんですわね。電車で読んでる人とかもなんかどっぷりした目をしてたもんです。電車でジャンプ読んでるヤツがすごい多い時代でしたから。


 でもなんでかIもいつしかJUMP卒業しましたねー。たぶんハンターハンターもナルトもワンピも、なんか覇気だのチャクラだの念だの、いや全部同じやん!って感じになったから飽きたのかもしれませんね。だいたいにおいて連載漫画ですから、最初のほうはよく練られた物語とかでも、途中で息切れして、いやこれからどうする~?でも連載描かないと・・ってなってダルダルになってしまうのですわね。



 いつ頃だろう?高校受験かな・・?高校受験Iはほとんど勉強したって思い出はありません、塾には行ってましたけど、殆ど自分で勉強してなかったです、というか勉強を家でやるっていう習慣も発想も無かったですから、塾にさえ言っとけばなんとかなるであろ~って感じ。それでもIは結構成績は上のほうでなんでこいつ勉強してないのにテストは出来るんじゃ、って周りのヤツにいっつも言われてました。それに顔もあんま賢そうな顔ではないので、それなのにテストでボロ負けするとすげー腹が立つ相手だったみたいですねw なんかガリ勉の女の子にヒステリックにキレられた思い出がある。何点だった~?おれ全然出来なかったわ、98点。みたいな薄いボケでマジギレされました。

 

そんな受験の思い出はどうでもいいんですけど、前にもどっかで書いた気がするんですけど、忍者モノってのはベタ中のベタ、王道中の王道なんですけど、里を守る、っていうコミュニティ要素っていうのは新しかったですね。今までの忍者といえばだいたい流れモノでめっちゃ強くて・・。先祖の怨みかなんかで復讐・・みたいなのがありましたが、ナルトは忍者の里でオカネを稼ぐ忍者ってわけで妙なリアリティがあります。


 この作者の岸本氏特に絵は上手くないというか、絵の緻密さで勝負するタイプじゃないと思ってたんですけど、あとがきとか作者のコトバみたいなのを見ると、絵をもっとうまくなりてぇ、大友克洋みたいに描きてぇ、っていう画力重視タイプだったんですね、美大出身らしいし。最近は同人作家とかイラストレーターで圧倒的に絵が上手い人がいるから・・・絵がうまいっていうか・・・、なんでしょうソフトウェアの力っていうのか、画力というよりはテクノロジーの勝利ですわね、ともかくマンガ家は画力では太刀打ち出来なくなってきてますから、画力をあんま追求してくのは良くないというか、無駄って感じがしますわね。
 
 Iはでも大友克洋が上手いとは思いませんが・・・、というか絵ってのは好き嫌いですわね、ある程度以上は。写実的だから良いってわけでもないし。好き好きですほんとに。


 ナルトですごい思い出に残ってることがあって、Iの前を中坊のガキが歩いてたんですわね、Iがもう高校生の頃。そしたらそいつがナルトはおもしれーんだけどさ、サクラとかいらねーよ、タリーー!!って中二特有の大声でしゃべってました。その仲間も、まーねーって感じでした。あぁ、こいつらバカだなって思いましたねw サクラのキャラがいいかどうかはともかく、そんなずっと延々と血みどろの殺し合いばっかじゃ、一年と持ちませんわ。なんか別の要素も入れないと・・・。何より作者の精神が持ちませんわ。




梶原一騎メソッドとキャラクター軸とセカイ軸

 長編マンガの型、は梶原一騎が巨人の星で作り上げたものです。次々に強敵が出現し、そのたびに修業などで強くなり、困難に打ち勝ち倒す。それを繰り返す。こういう物語をキャラクター軸といえます。セカイ、や周りの環境ってのは変わらないで、キャラクター達が強くなったりして変わっていく。世界軸の物語というのは、大きなセカイの中に主人公がいて、その歴史の中で主人公が活躍する。ガンダムなどがそれに近い。世界軸の物語というのは連載には向かない、最初に終わりまで全部ストーリーをデザインして、そこに主人公を配置していくから、終わりが初めから決まってないといけない。EVAもキャラクター軸です。セカイは殆ど止まっていてキャラクターの動きがセカイを変えていく。まるで主人公たち以外にセカイには他者が殆ど存在してない。ナウシカもどっちかというと世界軸ですね、世界が動いてその動きに主人公は振り回される。
 でも本当は2つの軸が同時に回っている物語というのが理想です、しかしそれはすごい難しい。時間、をちゃんと考えないといけないからです。修行だ~!みたいなことで、でもそれだとこの事件に間に合わない、この場所にこいつがいるのはおかしい、みたいにすぐに破綻してしまう。
 ジャンプの長期連載はほぼ間違いなくキャラクター軸の梶原一騎メソッドです、キン肉マンも、北斗の拳もドラゴンボールも、ワンピースもスラムダンクも、他者、ってのはほぼ存在してない。他者が勝手に世界を動かしたりしない。主人公たちがすべてを解決しないといけない。主人公達が進まない限り、他者は現れないってわけ。だからこそ先に全部考えないでも後から新キャラを追加していけばいい。両軸を回すと時間軸とキャラクター軸を両方回さないといけないから大変です。でもそういう、時間、がちゃんと流れている物語ってのは緊迫感があって面白いのですけどね。
 これはすごい大事な話でした。



  作家の殺せない病
 もう一つ大事な話ですけど、これはほとんど避けがたい病ともいうべきものなんですけど、長編とか長い物語を作るとどうしても、キャラクターを殺せない病になってしまうのですね、実は死んだと思わせて生きてました、実は蘇りの禁術があるのでした。なんとか筋をめちゃくちゃにしても、死んだキャラを登場させたくなる。
 キャラは作者の分身ですから、蘇らせたいのはわかる。けどそこをストイックに切り捨てて行かないと全部が破綻してしまいます。と、頭ではわかっていてもやっぱり逃れられない病なんですよね、これって。中毒とも言えるかもしんない、わかっていても逃れがたいものなんです。ナルトも途中からそれがこらえきれなくなり、死者を蘇らせまくってしまっております。やっぱりでもそれはやっちゃダメなんですよ。よく幽霊物とかでもそう、幽霊になれるなら、全員幽霊になっちまえばいいわけで、わざわざ生き残ろうとする理由がなくなっちゃいます。もし蘇りが使えんなら、だったら最初からやっとけ!!ってことになり、結局タイムマシンと同じでどうあがこうとストーリーは破綻する。

 絶対にそこに整合性はつけられないのですわね。そういう殺した人間を本当に振りほどいて、ストーリーの完成度だけを追求できるある意味冷酷で完璧主義な作家はシェイクスピアだけです。ただ単に猟奇的なグロ話とは違って、心血を注いでキャラクターを創造しつつ、それをバッサリと切り捨てられる、ほんと稀有なこの病への耐性を持った天才です。けれど、この病を持ってないヒトってのは作家として、というか人間として本当が無い、ってことにもなるので、完全な耐性を持っていてもそれはそれで作家としてダメでもある。シェイクスピアは特別その矛盾を昇華できる天才でしたけれど、シェイクスの作品をやっぱり無慈悲すぎる・・・って感じるヒトもいますでしょう。簡単にヒトを殺しすぎるって。劇を盛り上げるためだけにヒトが殺されてく、ってあるミュージシャンが批評してましたけれど、それが出来ない人間は作家失格なんです、ストーリーテラーとして破綻する・・・ともかく逃れがたい病なんです、これ。死に至る病。


 さらにその病が悪化すると、庵野監督みたいになっちまいますからね。作者の岸本氏はそれを振りほどいて新しいものを作って欲しいものですね、死んでもNARUTO 2 リメイク、みたいなことをしちゃダメです、それってゾンビだから。けどカネが稼げればなんでもいいっていうヒトはフリが効いてて何かと予算を集めやすいNARUTO2を望むでしょうけどね。


 しかし長編マンガを書き終えた作家はたいがいダメになってしまいますね、二作目が成功した作家なんて・・鳥山明くらい?バガボンドよりやっぱスラダンが好きって人のほうが多いでしょうし。あー、我らの富樫大先生くらいですかね。それにしたって休みすぎだw結局ダメになってるのかもしらん。昔の自分を超えられない、こりゃてーへんなこってす。
  
 NARUTOが終わっちまってジャンプはワンピースにすべてのしかかってる状態で辛いですね。まったくジャンプなんて最近読んでないですけど、新しい才能は発掘されたのでしょうか?