2019年10月4日金曜日

1841 モンテ・クリスト伯

 ワタシは学生の頃に、世界文学ってのはザザーっと一通り読んだのですが、デュマは通ってこなかったですね。
 だいたい世界文学全集ってやつには、デュマが含まれてるのと含まれてないのがあって、デゥマは大衆小説、と文学、のちょうどライン上なんですよね。だからデュマが含まれてる方は、軟派は文学全集、デュマとかラブレーとかがなくて、ミルトン、バニヤン、とかが入ってるのが硬派というわけ。

 デュマのスタイルってのは新聞連載のエンタメ小説です、読み手、への配慮がめちゃくちゃしっかりある、読みやすく、わかりやすく、そして読んでいて面白いように、意識して書かれています。デュマは、プロ、の作家です。物語を売ってカネを稼ぐ。

 たぶんガチの文学、ってのは、読み手、のことなんて何も考えてないものです。一冊も売れなくても良い。
 最近思うのですけっど、死ぬ直前の漱石の小説、あれが文学なんだと思いますね。はっきり言ってめちゃくちゃつまらない、というか読むのが苦痛になります、敢えて、読み手がうんざりするように描いてる。けどそこには、真実がグサーっ!!っと書かれておるというわけ。いっぱい売ってカネにしようという気などサラサラ無い。


 そういうわけで、デュマはプロ中のプロ、超一流のプロですが、文学ではないんかな?とワタシは思いますね。別に文学が偉いとも思わないし。ただカテゴリとして文学、ではない。

 よく本がつまんないっていう人はそこを勘違いしてます、面白いものが読みたいなら、文学に手を出しちゃいけない。面白がらせるというのが目的のものじゃないから。面白いものがほしいなら、ゲームをやるべき。



 さてデュマの文体なんですが、デュマはハムレットを見て、劇作家を志したというもともと劇作家で、そっから小説家という経歴。
 よってシェイクスピアの影響が大きいと言われますけど、大きいというかそのままやん!って感じ。シェイクスピアが長編小説を書いたらっていう感じ。そこらへんの二流がそれをやったら当然失敗しまうけれど、そこがデュマの一流たるところで、それを成功してます。
 なんでもビートルズやん、っていうのと同じように、結局なんでもシェイクスピアなんです。それはビートルズやシェイクスピアが天才だったのはもちろんですけど、生まれる時期、ってのが大事で、最初に、手をつけたやつがやっぱり王者なのです。先手必勝。先に一番わかりやすくて、一番ストレートなテーマを扱えるから。
 面白いものを作ろうとするとシェイクスピアに似てくるし、いい曲を書こうとするとビートルズに似てきてしまうわけ。


 実はワタシ最後まで読めませんでした。牢獄からの脱出編・・まででこの小説は十分です。後半は・・・