2017年4月29日土曜日

お笑いの話   柳原可奈子のワンダフルナイト

 結構長く生きてきて最近やっと気づいたんですけど、人にはそれぞれ好きな笑いってのがあって、万人受けする笑いってのは、つまりはエッジがなくてつまんないってこと、みたいな話しがあります。


 ワタシはネタ番組ってやつがキライで、それってただ単に劇場でやってるのをテレビでやってるだけじゃん、テレビ番組ってそういうもの??もっと何か作る、ってことをやれよ。そんなのスポーツ中継とかと同じでお笑い中継じゃん、って思ったりもするし。そもそもワタシはネタってのが好きじゃないってことに気づきました。

 ワタシの笑いのツボってのは天然様なんですね、狙った笑いが好きじゃない。神に選ばれた天然様の予想もつかない未知のパンチが好きなんですね。そーだったんだ!って自分で自分にびっくりしました。金田朋子とかみるとめちゃ爆笑してますもの、普段は声あげて笑うことなんてめったにないのに。笑ってはいけないとかでも、結局ジミーちゃんのとこで笑ってるし。あれってあらゆる種類の笑いを網羅してますから、自分はどういう笑いが好きなんだろうなってのがすぐわかりますよね。




 さて、そのキライなネタ番組でもふとした拍子に目に飛び込んでくるときがあります、すぐに消そうとするんですけど、ふと立ち止まる時がある、ハリウッドザコシショウとかエガちゃんみたいな壊し屋が出てたりする場合、それと柳原可奈子のネタなんですね。

 すごい違和感を感じるんですね、だいたいネタ番組ではかなりすべってる、すべってるというかアハハハ!!!っていう笑いを取るタイプのネタじゃないですものね、ニヤニヤさせるっていう感じのネタ。

 この笑い声が多きいほうが勝ち、少ない時間でどれだけ笑い声をとれるか、それで勝負みたいな、ネタコンテストの悪い影響ですよね、そのせいで、結局全員同じようなネタをやってるって気がワタシはすげーします。もぉいいよそれ・・・、全員同じじゃん。
 ネタで勝負するっていう発想自体が、お笑いってのに全然意味がわかってないんじゃねぇのって気もしますし。


 ともかく柳原可奈子のネタがどうしてテレビでやってるのかってのは不思議でつい見てしまうんですね、予想通りそこまでウケてもないんですけど、しかもだいたいはコンビのお定まりの漫才なのに1人だけピンのコントをやってたりする。妙なザワザワ感を覚える。
 
 でラジオを聞いててその謎が解けました。この人・・・!!!声がキレイなんだってことです。そこらのアナウンサーとかよりもずっと、だからなんか聞いてられるし、嫌な感じがしないし好感度が高いんですね。なるほどなー。別にネタとかどうでもよくて、声がいいんだ、極論何をやっても、嫌われないタイプの声質なんですね。
 声量がある、のと声圧、があるのがありますけども、絶妙な、声圧、があるんですね、声優としても相当売れると思う・・・。


 他にこの人声が素晴らしいっていう人は、深津絵里だとワタシは思ってます。こっちは他に誰も持ってない声質っていうパターンですけど。


 ワタシは声フェチというか音質フェチなんだなってのも最近気づいた事実です。
 

2017年4月28日金曜日

1974 Sabbath Bloody Sabbath 和訳 解説の コーナー

 超久々に帰ってきた歌詞和訳のコーナー。なんでもいいから早く本題へ行け。

You've seen life through distorted eyes
You know you had to learn
  歪んだ眼で人生を見つめても真実は見えてこない、自分でわかってるだろう、何かを学ばないといけないことを
The execution of your mind
You really had to turn
 さてオマエが改心するためには根本的に改革が必要だ
The race is run, the book is read
The end begins to show
レースはすでに始まった、魔術の詠唱は始まった、さぁ真実が明らかになりはじめたぞ
The truth is out, the lies are old
But you don't want to know
 真実は解き放たれた、虚偽は忘却の彼方へ、しかし貴様はそれを知ろうとはしないのか

[Chorus]
Nobody will ever let you know
When you ask the reasons why
 誰一人教えてくれるものはいまい、貴様が理由を尋ねたところで
They just tell you that you're on your own
Fill your head all full of lies
 奴らはこう教えるだろう所詮貴様は孤立無援
脳味噌の中に自己欺瞞でも詰め込んでおけ





The people who have crippled you
You want to see them burn
 貴様をカタワものにしたやつらが火あぶりにされるのを見たいだろう
The gates of life have closed on you
And now there's just no return
 生命の門は開かれたものなり、されど一度進めば二度と戻ることかなわず

You're wishing that the hands of doom
Could take your mind away
 滅亡の力をその手に欲するものよ
それは魂を代償にするものとしれ
And you don't care if you don't see again
The light of day
 二度と日の目を見ることかなわず、それをも厭わない覚悟があるのならな




[Chorus]

Where can you run to?
What more can you do?
 どこへ逃げようと言うのだ
他に貴様に何が出来るというのだ
No more tomorrow
Life is killing you
ミライなどはない
人生は貴様をいたぶり続けるだけだ

Dreams turn to nightmares
Heaven turns to hell
 儚い夢は悪夢となり、天国はいまや地獄となった
Burned out confusion
Nothing more to tell
 混乱のうちにすべては灰となり
それを語るものはなし

Everything around you
What's it coming to?
 貴様を囲んでいるすべてのもの
その行きつくさきはどこにらる


God knows as your dog knows
Bog blast all of you
 貴様の犬が知ってるように神もよくご存知だ
貴様は汚泥にまみれている

Sabbath, bloody Sabbath
 サバトよ集まれ、血の儀式を始めよう
Nothing more to do
Living just for dying
Dying just for you
 他にもはやなすべきことはない、生きることはただ死ぬための行い
死だけが貴様の運命だ



  ブラック・サバス、はこの手のヘヴィメタル?というのか、デスメタル?というのかゴシックロック?というのか、そういうものの元祖的なポジションですね。1970年デビューですから相当な初期です。
 こういう、ディストーションがバリバリ聞いたおもーーい音楽は別にサバス以外にも色々あるんですけども、重い上に歌詞の内容、がこぉ・・なんていうのですかね。ホラーチックというのか、オカルトチック、っていうスタイル、を確立したのはサバスだと思います。
 別にギターにディストーションがかかってるからといって、歌詞をホラーチックにする必然性は全然ないし、QUEENもヘヴィロックと呼ばれていた時期もありました。ZEPとかもヘヴィロック的な扱い。リフロックともいえますね、ともかくリフがあって、それをもとに作曲するスタイル。


 このHR HM系のオーディエンスっていうのは総数は少ないのかもしれませんけど、その熱量というか、忠誠心みたいなのはすごくて、いわゆるメタル、っていうジャンルはものすごい長持ちしてますよね。もうすぐ50年近くやってんですもん。ロック、という名前は残ってますけども、ロックといいつつ実態はPOPばっかしでいわゆるロックンロールなんてのは殆ど新曲では流れて来ません。



 メタルってジャンル分けがやたら細かったりしますね、これはデスメタルじゃない!これはスラッシュメタルだ!とかあのバンドはひよった、商業主義にはしった、などとすごい批判も多いセカイです。


 サバス、サバトっていうのは、日本に馴染みのない行事でしてw 当たり前ですけど、魔女が集まって開催する儀式のことですね。魔女は黒猫を連れて集まり、まぁドラッグなどを用いて乱交パーティをしていた、ということらしいです(今の海外セレブとやってることは変わりませんね)。教会は、それを利用して気に入らないやつにすべて魔女だっていう烙印を押して、異端審問っていう形でカトリックは敵対勢力を根絶やしにしようとしたことがあります。
 なんでカトリックがそんなことをしたかっていうと、いわゆるディケイダンスなんですよね、カトリックの勢力が信教とか、ルネサンス的な科学っぽい知識を備えた天才たちに削がれていったので、自分たちが落ち目かもしんない!と思ったカトリックは強硬手段に出たってことです。
  サイコちっくなふるまいとか残虐行為に走るやつらは自分たちが落ち目だってことに薄々気づいてるんですね、旧日本軍とかそんな感じ。ナチスもそう。今のJASRACとか・・・。
 


 そういう背景を踏まえて、サバトにはホラーチックでちょっとエロチック、そして血塗られた歴史っていう背景があって、血塗られたサバスっていう曲なんです。


 だいたい歌詞の意味は物語チックな感じで、たぶん闇の儀式の人身供養的なものに差し出された人間が、こんこんと説教を受けるっちゅう物語なり。

 ふ~ん、って思うでしょうけど、日本語でこんなことをイキナリ歌ってるバンドが現れたらどう思いますか?なんにせよ、とにかく自分たちのスタイルを持ってるヤツが現れたなって思うと思います。


 
 曲的な逸話として、この曲の最初のリフ、ダダダダダーンダダダダダーンっていうリフ、はものすごいスランプに陥っていたトミー・アイオーミ(変な名前!)、がたまたま昔の録音を聞いた時にこのリフを思い出し、そこから怒涛の勢いで曲が書けたという逸話があって、この曲がサバスを救った、といわれております。
 曲の構成としても、リフー強弱のある展開ーソローリフとコーラス、っていうニルヴァーナまで受け継がれるヘヴィロックの構成となっております。

 Cardigans、がカバーしてますね。 サバスはメタル、的なバンドの中でも頭がガンガンするような感じでもないし、とても聞きやすい部類ですやたら曲が長いってこともないし。そしてアレンジがすごいしっかりしてます、だからメタルだけじゃなく信者が多いんですなぁ。

 

1999 デ・ジ・キャラット

 ゲーマーズというAMG(アニメ・マンガ・ゲーム)系のショップが作ってるアニメってことで、流通とかいろんな意味で斬新なアニメです。

 ワタシ、このアニメがヲタク向け、と完全に名指しで作られたアニメの初だと思いますね。ヲタク、がキャラとして登場するし。そんなにハッキシと言い切ってるのはこれが初めてだった気がする。というよりヲタク向け、というのをパロディにした、メタヲタクアニメなんですわね。ヲタク向け商品を扱う、お店が作ったアニメですから。デジキャラ以降、このスタイルってのはおみかけしません。ドンキホーテのドンペンのアニメとか無いですもの。

 最初は3分アニメで、オープニングアニメだけで終わったりするアニメなんですが、スペシャルやらなんやらかんやらでちょこちょこと続き、最終的には普通のTVアニメにもなりました。


 内容はエピソードごとのばらつきがえげつなくて、つまんないのは相当つまんないし、面白いのは相当おもしろいです。ワタシ的には、やっぱりワンダフル版のすげー短いやつがとっても面白いですw ちょっとシュールでもあります。置鮎さんはいい仕事しやがるでありんす。デジ子こと真田アサミの声だけはすげー耳に残ってるって人も多いんじゃないですかね。





 デ・ジ・キャラット NYOのオープニングアニメはオープニングアニメとしてはとっても素晴らしい出来ですw。曲もいい。ワタシはアニソン好きでも全然無いんですが、デ・ジ・キャラットの曲はすごいよく出来てますね。耳にへばりつく感じ。Welcome to~~ のやつも、あきはばーら、あきはばーら、のやつもすごいメロディが素晴らしい、こいつやりおる。CMソングとか書かせるべきですね、こぉいうキャッチ、あるいはフック、の能力がある人っていますよね。ローリング・ストーンズのギター、キースもこの、とにかくバキッ!!と耳に食いつくようなメロディのセンスを持った人間といわれております。

 エピソードとしてはマジカノミスキーツアーというエピソードがすごい名作回なので時間が無いひとはこれだけでも見ることをおすすめします。

2017年4月27日木曜日

山下達郎 

ここ最近は邦楽を聴いてみようブームが来ています。これまでワタシは邦楽ってのをほんのちょっぴーりしか聞いたことなかったんですけど。

 というわけで山下達郎をガーーーっと全部聴いてみました。


 世間で山下達郎というとクリスマスソングのヒトで特に若い人にとってはそうで、あとはなんかドラえもんの映画の歌とか月9の歌も歌ってたりしましたよね。

 ワタシの「きっかけ」はたまたまラジオで聞いた「アトムの子供」っていう曲で、ワタシの勝手な山下達郎のイメージってやつと全然違っていたので、えっ?こういう曲なん?って思って聞き始めました。


 音楽のジャンルとしてはなんなんですかね~こういうのって?AOR、とかいわゆる「おしゃれ」な音楽っていう路線ですよね。おしゃれ、っていうのはダブルミーニングでして、それは聞いててストレスにならない、っていうのもありつつ、毒にも薬にもならないならん、メッセージ性が無いっていうのの裏返しでもあります。


 今ではまったく違うけども、ロック、パンク、レゲェ、ヒップホップ、ラップってやつは、反体制的な音楽でした、 過去形ですけども。まだ今でも反体制的な匂いを残してるのはラップですかね、特にアメリカとかのギャングスタ・ラップ、みたいな未だに根強いところは、かなり社会におもねらない空気を残しています。


 今ではNHKの紅白に、大人気ロックバンドの◯◯ですぅ~~

「みんなぁ楽しんでいきましょう~!東京ありがとー!」

的な勢いですもの。えっ?????それって違くない?ってことは誰も思わない。 あれはでもロックのテイストを借用したPOPソングなんですよね。ロックバンドの応援ソング、なんてコトバだけの意味ですと、はぁ??って感じです。

 
 そんなことはいいとして、山下達郎氏、はそれでもやっぱ才能があるんだと思います、アイドルとかのくだらない曲にしては、これはなんか才能を感じるな、ってのはほぼこのヒトが絡んでますね。なんでしょうもないアイドルグループなのにこんな曲は完成度高いの??って思った記憶があります。

 CMソングとかでもそうですね、なんか妙にこの曲はセンスがいい?どうして??たかが企業ソングなのに・・・って思うと山下達郎のカバーだったりします。

 一応歴史的な話をすると SUGAR BABEっていうバンドを最初組んでいて、当時の曲が一番ポップで人気のある曲です「パレード」とか。
 そしてソロになって、なんか、ん??わかりずらい・・・?っていう感じになるのですが Ride on time、のアルバムくらいから、もっとポップな感じになり、そして曲づくりのスタイルなども固まっていきます。

 そしてアカペラアルバムなどを出したり、アメリカンポップスのオマージュをしたりしつつ、「クリスマスが空前の大ヒット、後は自由にカネの心配せずに曲が作れるようになり、なんか最終的にはトモダチっていいよね、みたいな子供向けみたいな歌を作りはじめました。「アトム」もそういう感じの曲です。


 実はこのヒトって学生運動直撃世代のヒトで、それなのにSUGARBABEの曲は当時の時代、の色とはまったく違うテイストで相当浮いた存在だったみたいですね。当時の70年台初期なんてのは学生運動がカルト化していく一方で絶望主義っていうのか、くらーい感じの曲とかになってた時代です、それなのにすげーPOPで明るいアメリカの匂いがする曲、えっ??っていう感じでした。
 でもいま思えば、時代を20年くらい先取りしていたってことなんでしょうね。今では、あのくらーくておも~い曲だったり、プロテストソングみたいなのは完全に廃れて、世界はPOP一色に染まっていますし、世界のどこに行っても、アメリカのPOPソングをカラオケしてるみたいな曲ばっかり流れています。先見の明があったっちゅーわけですわね。



 しかしこのいわゆるニューミュージック世代ってのは息が長いですよね、荒井由実、中島みゆき、長渕、このへん。80年台とか90年台のアーティストってのはすぐに活動停止したりいなくなるのに70年台組ってのはなかなか引退しませんね。なんか80年台には短く活動して辞めるのがかっこいい、尾崎豊イズムみたいなものがあったからでしょうか。

2017年4月25日火曜日

劇場版 ペルソナ3  1,2,3,4  

 なんと1,2,3、4の四本あるんですね、劇場版で。

 ゲームのアニメ化で劇場アニメ四本作るって他にないんじゃないですか?もちろんテレビアニメクオリティで何クールもやるってことはありますけども。劇場アニメは劇場に耐えられるくらいの作画をしないといけないのですごいカネ、がかかります。カネ持ってるんだなぁアトラス、すごいって感じ。上映はしかも単館というか全国ロードショーではない、ペイ出来るの??って心配になっちゃいますね。スクウェアが映画で失敗して破滅したのを知ってるヒトには心配が募りますw


 まぁいらぬ心配なんでしょうけど。

ともかくゲームをやらない人にもP3のシナリオを体験してほしいってことだと思います。
 ゲームとしてはP3は相当な名作です、ワタシの好きなゲームトップ10にも食い込むくらいです。


 アニメはかなり作画がキレイです。まぁ3DCGはアトラスのCGチームが出来るし、本気を出せば3DCGムービーだって作れるわけで、動画さえアニメ会社に頼めば、イラストレータだってデザイナーだってATLUSにはいるわけで、ぶっちゃけた話、3DCGってやつはちゃんとマニュアルを呼んで、ちゃんと図面を渡せば、誰にだってキレイにきちんと出来ます、個人の才能とかは必要ない。フォトリアル的なものを作るのなら特にそうです、ちゃんと手順を踏めば、才能が無くたって大丈夫。
 うまいこと手書きと3DCGを組み合わせていてかなりキレイに仕上がっています。もはやゲーム会社とアニメ会社に区別は無いも同然ですね。いずれはアニメ会社ってのはゲーム会社の下請け1部門になるのかも。

 なんでかわかりませんが制作は途中で会社が変わってます、2,3,4は1よりも3DCGが多めになってて、ちょっと手を抜いた・・?って思えます。それはでも
ワタシみたいに3DCGをちょっとかじったことがあるヒトにはわかるだけかもしれませんね。一般のオーディエンスには気にならないのかも。
 でも特に最後のDEATH、を作画じゃなくてモデリングでやったのはちょっとどうかと思うなぁ・・・まぁ作画するのはしんどいデザインなんですけどね。それにしたってラスボスなんだから気合でやって欲しかったですぅ・・・

 
 作画は最近流行りのグラデ塗、一段、二段影にプラスして、さらにグラデーションをかけて、色調が変わるようになっています。一手間余分にかかるわけですが、でもちょっと多用しすぎって感じがしないでもない。カラフルすぎてちょっと見づらいという気がします。まぁキレイです、上手いです。特に作画崩れしてるとこは殆どない。最近はアニメーターの質が下がってるみたいなことを言いますけども、全然そんなことないです。



 シナリオはゲームの強制イベントをほぼ忠実に拾ってるという感じ・・・。これはでもゲームの良さがあんまし出てないかも・・、ゲームのシナリオってやつは世界そのものを描くっていう感じで円的なものですがアニメってやつはストーリーを線的に見せてくものです、ゲームはいくつものシナリオが同時進行で動いていくけどアニメにはそれはなかなか無理。P3は街のいろんな人たちとコミュニティを築いていく、というゲームなので、アニメには向かなかったかもかも・・・、強制イベントだけ拾っていくと普通のジュベナイル学園モノみたいな感じでペルソナの良さが出てません。もっと普通のトモダチ、とか絆、が大切だよね~~っていう一般論を言うだけじゃない深さがゲームのほうにはあるんですけども。あとブラックなギャグとか下ネタもあるんですけども、そういうアトラス臭がするとこはカットされちまいました。マーラ様召喚なんてするわけねーよなw


 ゲームでは主人公のキャラ付けはされてませんが、映画では主人公のキャラがカヲル君でファルロスもカヲル君ですので、主人公とラスボスというひどいダブルキャストです。狙ってそうなんかもしれませんが・・。主人公は死ぬのが怖くない感情喪失綾波レイタイプのキャラ付けをされてます。これは・・・まぁまぁ良しw。ただ結城理(ゆうき まこと)って名前は・・ダサ・・勇気と真・・・・愛と誠じゃあるまいし・・・。


 他のキャラはかなりキャラデザはいい感じなんですけど主人公のデザインがちょっとイマイチじゃないですか?これはゲームやってた時から思ってました。ん~~・・・ちょっと違う。なんか鬼太郎みたいですもん。あとファルロスもちょっと違う・・。リョウジは更に違う。リョウジはもっとクールなデザインにして欲しかったなぁ。


 まぁこぉいうことは言うなよってことなんかもしれませんけど、やっぱしまだまだEVAの影響力ってのは甚大でして、EVAっていう壁を超えられないってのが日本アニメの状態です(って庵野監督自身が言ってました、だからEVAをリメイクを作るっていう意味はよくわかんないですけど)。特に今のアニメーターってのはEVAを見てアニメーターになろうと思ったっていうヒトが多いでしょうから、深刻に影響くらってんなぁという気がします。この構図見覚えある・・・このカット見覚えある・・って思っちゃいますね。

 
 至極簡単に言うと、なんかわけのわからん理由によって世界が滅びそうになるけど、絆とか友情で頑張ってそれを防ぐ。っていうこの形、でEVAを超える作品を作るってのはもうムリなんじゃないかなって思ったりもしますね。1つの答えがもう出てるって気がする。
 もう死ぬほどヤり尽くされてますもの、この型。水戸黄門みたいに最初から最後までストーリーがわかってしまうんですよね、途中で誰か死ぬだろうな、それで一回落ち込んで、でもまた励まされて頑張って、最後には奇跡を起こす。全部同じっちゃ同じなんですなぁ・・・。最終的には家族の愛だよね~みたいなことも、あぁ・・・またそれか・・・って感じ。

 宮﨑駿が言ってました、物語をかいてるとすぐに腐敗臭がしてくる、この腐敗臭ってのがこの、全部だいたい同じ型、の物語の構造になってしまうってことなんですね、散々使い古されて、殺されては蘇って、腐敗しまくってる。宮﨑駿はそれを打破するために、作品を作った結果、千と千尋以降のアレです、なんだか意味がわからん、ストーリーがむちゃくちゃっていう評価を受けることになり、最終的にはさらに一昔前のベタ、病気で最愛のヒトをなくすっていう一番のメロドラマを作りました。でもまた復活するとか言ってますけどねw あのじーさんの引退宣言はほんと・・・w 

 オーディエンスってやつは、それでも水戸黄門が続いてるのを見てわかるように、その腐敗臭がしていて、もうそれ食べれないよ~・・・って作りてが思ってるものをガツガツ食らうし、やっぱし安心して見れるそういうのが好きなんです。最後に胸糞悪いバッドエンドだったり超展開をすると酷評の嵐。

 ワタシですらそうです、ベタベタなヤツがやっぱ良かったりするなぁ・・昔のテレビドラマは面白かったりするなぁ、このペルソナだって、それでもやっぱいぃなぁと思っちゃいますw じゃあいいじゃねぇかって話でもあるんですけど・・難しい問題ですね・・・。
 全部だいたい同じだからこそ、共感できて感動できる、まったく新しいものを作りたいってのは1人だけ新しい言語でしゃべるみたいな無謀なことだともいえます。

 もうアニメってのを一回作るのを辞めたらいいんじゃない?って思う、まぁそんなのワタシが思ったところで、って話ですけど。10年くらい、休んでみたら、ふっと何か新しい感覚、っていうのが出てくるような気もするし、アニメ、っていうものじゃなくて、もっと、ほんとに、ほんとの意味で絆を生み出せるような新しいメディアというのが生まれるかも、しれ・・ま・・・せ・・・

2017年4月22日土曜日

1989  機動警察 パトレイバー 1

 パトレイバーは2が有名なんですよね、悪名高いというかw
2は押井守節全開というか、押井監督というスタイルを初めて打ち出したという感じ。1のほうはまだ押井の独裁という感じではなくてロボットアニメと警察、ならではの刑事ドラマ風のやつで、押井守的な衒学的なイリュージョンというか、ポストモダン的無駄話みたいなのw、はそれほどありません。その分バランスが取れていて映画としてよく出来ていると思います。

 けどOSに仕組まれた暴走プログラムという設定は、当時はまだ1989年なんて一般にパソコンが普及してない時代ですから、一体なんの話をしてんだ??って話だったでしょうね、一部のマニアにしかわからん。
 
当時のヲタク、と今のヲタクってのは全然違ってて、昔のヲタクってのは人が知らないことを知ったり覚えたりするのを自慢して無知なトウシロを見下すのが趣味みたいな奴らでした。鼻持ちならないヤロウどもですw(そして実際にその知識を発揮するためのインフラとか予算を持たない人間です) でもやつらはそれなりに言うだけあって頭も良い場合が多かった。でもエヴァ以降、ヲタク文化が表に出てしまって、ヲタクはなんかむしろネアカっぽい、ネアカというかなんか、妙なエネルギーに溢れてる、気持ち悪い奴らで、知識、とか知能、みたいなのはガクーーンと下がった気がします、勉強しない、アイドルだののグッズを買い漁ったりするだけで、四元数の学術書などを読んだり、そういうタイプの、ヲタク、ってのは消滅したのか地下に潜ったのか、いなくなった気がします。ヲタクは昔はカモにされるのを嫌ってました。今ではヲタク向け、っていう企業のいい顧客でして、進んでパブロフをやってます。
 確かに昔のヲタクは鼻持ちならなかったけども、今となっては割とストイックだった彼らが懐かしい。この映画にはその当時のヲタク感が充満してますね。あ~、こぉいう感じだった!っていうの。

 この作品のプロット、もインテリというか、文学マニアっぽい作りなんですね、今のアニメというのはプロットなんてすごく簡単というか感情的でして、結局は主人公がうわぁああああっっ!!!って本気を出せばどんなことでもなんとかなるものです、なんとかなったことに裏付けとかはない。
 ロボットなんだから感情とか関係ないんじゃない?ってことは誰も気にしない。この作品は違ってて、なんでロボットが止まるのか、という理由付けがある。おっぱいとアイドル声優で客を呼ぼうというあざとい演出もない。このころはまだ純粋だったよなぁ、面白い作品を作れば客が来てくれるってまじで思ってるフシがある。いい映画だからって売れるわけじゃない、それは今、とかじゃなくてずっとまえからそうです。黒澤明なんて日本映画の代表、みたいなことになってるけど、興行不信で干されて映画がとれなくなったりしてますからね。









 作画もあぁ懐かしいこの感じ!っていうヤツです。背景は絵筆のストロークが残っていて、こってりしてます、今のアニメ背景ってやつは基本、アナログ的な手で描いた後みたいなのは残さないってのが基本ですので、ベタっとした塗り方が懐かしいです。
 そしてキャラの作画はダサすぎるの一言ですね、今では信じらんない。変な顔だ・・・。でもキャラは難しくしない、影とか線を少なくってのは当たり前でしたものね、のっぺりした顔になる、今のアニメはほんとキャラを描き込みすぎ。しかし今ではモブキャラでももうちょっとしっかり描くよっていうデザインです。
 そしてギャグもなんか古~~~い。


 あとこれは大事なんですが、メカデザインは出渕裕が担当してます、ほんとアニメのメカデザってやつは出渕以前以後では全然違うってくらい革命が起きてて、出渕メカは内部機構が存在するんですよね、まぁうそディテールにしろw なんかいろいろなギミックがあるように(見える)。出渕以降のこの時代にこういうなんか内部機構が凝った作りになってるメカってのが出てきたという気がします。(メタルクーラみたいなの)
 
 でもワタシあんましロボットアニメってのが好きじゃないんですよねw根本的な話しですけどw

 どうしても、そんな動き方するわけなくね・・って思ってしまって入っていけない。ドラゴンがぐわーんとかならわぁ!ドラゴンだぁ!って見れるんですけどw ロボットだと、ん~~・・・、このロボット重さが無い、慣性を無視してる、とか思ってしまう。ドラゴンは翼の浮力じゃなくて魔法力で飛んでるのでね。
 男の子はみんな巨大ロボットに憧れるというんですけど、ワタシは全然ぐっと来ないですねぇ、ワタシは人間同士が戦うものが好きです。ゾンビとか怪物とかマシーン相手だと燃えないんですよなぁ・・・。サイズ的に大きい!というのにもあんましです。原爆の燃料なんて小さなものですけどエネルギー的には十分でして、威力とサイズってのはそこまで相関しないんですよね。

 それと敵がバケモノとかだと絶対に悪でしかないから、戦うってことに迷いがなさすぎて嫌なんですよね~。ドラマになりませんし。

2017年4月21日金曜日

1945 生命とは何か シュレーディンガー 

* いわゆる分子生物学(生物も、何の矛盾もなく原子レベルの物理法則によって説明しようとする分野)の幕開けを示す本。シュレーディンガーは波動力学で量子力学の創始に貢献した、ビッグ3の一人でもあるわけで、現在の自然科学のコアを二つも作ったということになります、偉い。
 シュレーディンガーの猫が余りにも有名なおかげでなんか、科学者的な変態っぽいイメージがありますが、むしろイメージどおりですw(なんで猫なん?ってとこもあるし、猫は死んでしまうのでね) 結婚制度を否定してましたのでフリーセックスだったし、しかもロリコン、バキバキのマテリアリスト&東洋哲学支持者というわけで、量子力学のフェティッシュでなんか気持ち悪いところを体現したような存在ですね。
 でもこの本の本題はたぶん、DNAは分子でそれが生命のコードであるということではなくて、生物や意識や、魂やら、が、やはり原子のレゴブロックで積み上げられたものであって、キリスト教的、もっといえばソクラテス、プラトン的世界観に最期に止めをさしたのでしょう、ニーチェに言わせると、彼岸の哲学。
 
彼岸は、存在しません。此岸だけが世界のすべてです。
 (これがこの本が一番言いたかったことなのだと思うし、私もそう思う。けれど今でも彼岸的物語を語る人々がいて、そういうエンターテイメントも多い、私は結構それにうんざりしてる・・・)

 出版年である1945年という年がそういう年であったと私は思うのです。シュレーディンガーはそれに変わる世界観として、生物もこの世界も原子のレゴブロックなのだから、私たちは世界そのもの、神そのものなんだぞ。っていう、汎神論的な(彼曰く東洋思想的な)ものを、なんというか精神的安定剤として導入したって感じですかね。
 またSDはアインシュタインと並んでコペンハーゲン解釈の批判者であります、神はサイコロを振らないのアレ、SDはそんなことは言ってないけれど。私も調べて見たんですけど、やっぱ(当たり前だけど)わかんない、答えの出てない問題なんでCP解釈が当たってるのかどうかは今でも誰にもわかりません。



引用
・√n の法則、統計的誤差はその系に含まれる分子量の根で与えられる
ex100ならば ±10

・3次元系に時間を加えた情報を含むものを四次元型情報という。
卵ーおたまじゃくしーカエル というふうに
 遺伝子は四次元情報である。

・2の50、60乗は 100兆~1000兆なので、人間の身体は、50~60代目の細胞分裂で完成できる。

・系統発生(地質学的、ストラトマイトー原核生物ー・・)のような生命の流れ
⇄個体発生 個別の生命の発生過程。
*なぜ生命は単純から複雑へと進化するのか、もっと未来にはもっと複雑な生命が生まれるのか?

・生殖細胞は細胞分裂の最初の過程で保存された細胞群であり、他の細胞とくらべて分裂数が少ない、これは染色体がコピーされる過程で破損するのを防ぐため。

・DNAは二対あるが、一対の情報だけでも正常に個体を発生できる、異性生殖は個体の進化を促すため・・

・遺伝子の大きさは300Åなので、たった数百万の原子で生命の情報全てが与えられる

・量子、とは中間の無いということ。1.2、3・・・のように、飛躍があって段階的ではない。(1と2の中間状態、が存在しない)
*原子の存在していない、空間、とは何なのか?空間も質量と同じように違うエネルギーなのでは?加えて時間とは本質的には何なのか?


・ダーウィンの段階進化説は誤り、個体の特殊形質は遺伝しない。遺伝子の変異は量子的突然変異により起こる、突然変異体は遺伝する。(quantum leap)。突然変異は良い結果も出る場合もあるが、あまりにもおおい突然変異は系そのものを破壊していしまう。

・ティゲトス山   古代のスパルタ人が障害者、知遅れの子供を埋めた岩穴のある大山のコト→姥捨て山、プラトニクス

・これまでの戦争は生物的適者生存の逆で生命力のある若い人間が、弱者である老人子供よりも積極的に殺戮されてきた。(*ではいずれ適者生存戦争も起きるのでは?)

*光子や電子よりも小さいものを見ることは実質不可能であるけれど、SSのようなそれよりも下部の組織があっても、それは存在しないのと同じなのではないか?そういうものが積み重なって事象を起こす場合、それは見えてるとみなす。見えてないものは存在してもしていなくても変わらない。ゲーデルの証明不能の命題と同じ・・・

・遺伝子がエントロピー増大の影響を受けるほど小数の原子で構成されているのに高度の持続性を持つ理由は遺伝子が、分子として存在して変化は同位体、異性体として起こるから、全体としての秩序が保たれる。X線によって突然変異が誘発されるのは、X、ガンマ線によって分子構造が破壊されるから。

・死とはエントロピーが最大化して平衡状態にいたること(水溶液の媒質が均等に拡散するように)、生きているとは、負のエントロピーを摂取して、分子が拡散しないようにすること

・自我の占有性  人格、自我は複数存在していても同一時間には1つしか発現しない。多重人格、ブンレツ、精神錯乱においても、人格は一度には1つである。夢の中においても、人格は1つにクローズアップされる。(夢の中では二人の人間が同時に思考する、しゃべるということが起こらない)

1929 永久革命論 permanent revolution トロツキー.txt

これは非常に読みにくい本である、そして興味あるヒトにしか楽しくない。

要約で充分、つまりロシア社会主義はスターリンらの一国社会主義という
無茶苦茶な理論で崩壊を選んだ。
・マルクスの考えた事を実際に実現していく
方法論でトロツキーとレーニンは対立したり誤解があったりした
、がスターリンらの一国社会主義は共産主義ですらなく
ただの官僚主義である。

最も重要な点、なんで永続革命は誤解されるかということ、それは大衆が善良で無知、ここまでなら想定内だったのですが、無能であるという事。これをプラトン以来インテリは無視してきましたが、
大衆にはある程度以上複雑な理論は理解されない、永続革命もまた理解されないしこれからもされることはない、それは大衆の過半数以上が正確に相対性理論を理解してるのを想定してるのと同じだから、そんな段階は来ない。
何がいいたいか?民主主義は失敗するということです、大衆に基礎を置いたプロレタリアート独裁も社会主義も、必ず失敗する、頭の良い人というのは常に少数派だから。
コトバを変えればマジョリティ独裁では人類は愚劣であるということ。



そして現在ソ連の崩壊が社会主義
ひいては共産主義も一緒くたに失敗したと断罪されていた段階から
リーマンショックによる新自由主義の失敗(の露見)、70年代から
ちっとも何も進展しない環境問題、帝国主義の再燃焼
アメリカ、ヨーロッパ、日本の破産。



この光文社古典新訳のラインナップは明らかに共産主義的な理想を若い世代に
植えつけようという魂胆が見え透いているのですが、僕個人はそれを支持します
それ以外にいくつか方法があるけど、有力な方法論ではあるから

 by infin de siecle

1928 バタイユ 眼球譚

さてたまに凶悪な下ねたをぶっこんで、検索エンジンからはねられることでも有名なこのブログですが、今回はスーパーX クラスの内容なので、純朴な青少年(マルセル)、は読まないように。






  1つ前の記事で、パキスタンの惨状があまりにもひどくて、落ち込んだという、ひどく真人間らしいコトバを書きました、そしてそれはウソじゃないです。

 けどその後ひどくゴロゴロしたものが下っ腹に溜まったので、まぁマスターベーションをしたわけですけど、それが非常に良かった。

 というのは残虐さが、性欲を高めてくれるから。というか・・それは同じものだから・・・

 それでたまたま借りていたバタイユの眼球譚を読んだわけです。丁度、セビリアの僧侶を絞め殺してその死後硬直したペニスでセックスをし、眼球をえぐりだして、それをまんこにいれながら、中でこすらせてセックスをして、まんこの中にマルセルという天使を見つける場面。

 

 完全にこいつは頭イカれてると思われたでしょうけど、実際眼球譚は実在の書物で、この話は作り話ではありません、そしてマルセルつながりでプルーストと並んでバタイユは、今では伝説の物書きになっている・・・・


 そのへんの有害図書とか同人の中でもエクストリームレベルでもこんなのは無いですよね、えぐりとった目玉をローター代わりにまんこでこすらせるて、絶頂に達するなんてことは・・・・


 戦争をするとセックスしたくなるというのは、ただ時間が無いから恋をするという、宮崎駿的、表通りの解釈と、バタイユ的に、その残虐さ、灯油で中国人で焚き火をするような、爆発的な凶悪さ、残虐の限りが、戦争は悲しいといいつつ、強烈に勃起させるという、あるいは歓喜、虐待、拷問の、喜悦・・・っていう暗黒面での解釈があります・・・


 どちらも事実なんですよね。あんな切れ味の悪そうな短刀で、目隠しした人質のクビを跳ねる・・それが肉体にはたまらなく心地いい、精神にはダメージを負うけど・・・


 それはたぶん肉体に刻まれたコトバなんですよね、無茶苦茶に殺戮をした後に、その強力な精子を♀に叩きコム、生物のキヲクなんです・・・だから精神にはどうしようもない。


 Iは自分の作品の中でそっちがわ、バタイユ側の、ニーチェ側の、梅毒病み側の・・・世界を描いたほうがいいんだろうか?そっちを無視するってことは、結局ウソをつく、ホントウを見ないっていうIの信条に反するわけですが、ますます!これは読んでくれるヒトを激減させるでしょうねw


 2ヴァージョン用意しましょうか、カラダ編とココロ編。


 カラダ編はもちろん、暗黒面ですw そしてたぶん、そこから目をそらしていては、やっぱり何も見えないんでしょうね、駿先生はそれを無視している。



 あとがきで知ったことなんですが、バタイユは梅毒で脊髄をヤラれたっていう本人曰く、サイアクの死に方、をやはり自分でもやったみたいですね。ニーチェも晩年、梅毒に脳を汚染されて、うんこを食べてたというのは有名な話。眼球譚に語られるようにバタイユの父も、失明したうえに精神汚染で、そこら中にクソを撒き散らしてたという話です・・・・
 静かなる決闘という黒澤映画でも梅毒による脳髄汚染が語られていますし、確かにこれは、最低最悪の死に方なんですよね。

 EVAでアスカが使徒に精神汚染されるシーン、弐号機が捕食されるところよりもやっぱりあそこが、なんかIには一番印象に残っているんです、はっ!すべてが重なった!っていう気がした、汚染のイメージ・・・脳を犯される感覚・・・・穢っていうもの・・・あっ! 
  

 エクスタシー・・・・・






 ほんとこの記事はすぐ封印かもな・・・w




・普通のヒトには世界はまとものように見える、彼らの目は去勢されているから

1869 巴里の憂鬱

明日の朝果たして君たちはどこにいるだろう
 les petite vieilles

僕はあの雲を愛する 
 l'Etranger

Qui aimes-tu le mieux, homme énigmatique, dis ? Ton père, ta mère, ta soeur ou ton frère ?
- Je n'ai ni père, ni mère, ni soeur, ni frère.
- Tes amis ?
- Vous vous servez là d’une parole dont le sens m'est restée jusqu'à ce jour inconnu.
- Ta patrie ?
- J'ignore sous quelle latitude elle est située.
- La beauté ?
- Je l’aimerais volontiers, déesse et immortelle.
- L’or ?
- Je le hais comme vous haïssez Dieu.
- Eh ! qu'aimes-tu donc, extraordinaire étranger ?
- J'aime les nuages... les nuages qui passent... là-bas... là-bas... les merveilleux nuages !

 標題
家族や祖国や、友情よりも、雲を愛する・・

「一番好きなものは何かい、いってごらん謎めいた人よ、父親、母親、妹、それとも弟かい?
  「わしには父も母も、妹も弟もおらぬ
  「じゃあ友達かい?
  「そんな言葉は、今に至るまでわしの知らぬ言葉じゃ
  「祖国かい?
  「そんなものがどこにあるかも知らぬ
  「美かい?
  「女神や不死神なら、好きになっても良い
  「金は?
  「あんたが神を嫌いなように、わしは金が大嫌いじゃ
  「いったい何が好きなんだ、変わった異邦人よ
  「わしが好きなのは雲じゃ、あそこに浮かんでるあの雲、あのすばらしい雲じゃ

1795 永遠平和の為に

 この時代ってのはなんて簡単に証明が出来るのかと、羨ましく思う。
カントは自然といっているが、カントが自然と語っていることはやっぱり
神そのもので、その自然はどうやら人間が平和のうちに暮らすことを
望んでいる、少なくとも人間がすべて滅んで永久平和が達成されることを
望んでいないのだそうです。

 カントが自分で言ってることを厳密に論理式にすれば絶対に神を信じる事、の
根拠はどこにもないのですが!カントの哲学は自分を否定するのですが、まぁ
それはいいです。それがカントの時代だったし、理性ってやつが、キリスト教を
拒否するものだというのが決定的になるそこから近代が始まる・・・
 

 それでもやっぱりこれを読む意味はあると思われます、そしてカント用語
を使ってないので翻訳も読みやすいのでいいと思います。カント用語自体が
外国語ですから。ただ文学としてです、これを読んで永久平和を目指す人が
いればそれでいいし、特にいわゆる平和主義者に永久平和と彼らが守ろうと
する平和と言うなの、権益の違いをわかってもらう為に読んで欲しい。不可能な
願いですが。
 

1778 孤独な散歩者の夢想 ルソー

 晩年のルソーが市民に愛想をつかして、民主主義から、厭世主義に変わったことの告白・・・

Iは今の世間にも、そしてこれからの世間にもまったく期待しない。
 まるでどこかの惑星からやってきた異星人のようだ


 自分のためのウソは詐欺、他人のためのウソは欺瞞、人を傷つけるウソは中傷、誰にも害を与えないウソはフィクションである・・・


 Iは誰よりもお人好しだったから、人々には偽りと嘘しかないと認め。人間嫌いになった。
Iは自分を愛しすぎているから、人を徹底的に憎むことが出来ない。人を憎むことは自分を小さくする(相手と同じ型枠にいれてしまう)
 Iはもっと宇宙へと広がっていきたい


 優れた人となるには、ダイモンと自由が必要なのだ。弱さや従属は悪意しか産まない。

社会とは所詮、拘束、強制、義務がすべてであり、Iはそれを受け入れられない

 自由とはやりたいことをやることではなく、嫌なことをしないでいい権利だ

2017年4月20日木曜日

2004 Dejital Devil Saga アバタールチューナー

 メガテンシリーズのスピンオフ。3dモデルとか戦闘システムとかは殆どメガテン3と同じです。同じ3Dアセットを使ってシナリオが別のゲームを作ったって感じですね。モデリングした悪魔は使い回しですw

 違うところは悪魔を仲間にするのではなく、悪魔に変身できる仲間たちと一緒に戦うというスタイルなんですね。

 よって悪魔としゃべることもなく、悪魔を合体させることもないので、メガテンらしさはまったくないともいえます、普通のロープレです。能力の強化はマガタマと同じ感じで、曼荼羅を装備してそれを習得していくという、マテリアスタイルといっても良いですね。FF7をやってるみたいな感覚。


 複雑なところが一切なく、サクサク進めていけるシンプルなロープレ、しかしシナリオはメガテンらしく重めです。いつものように東京が滅亡することもなく、まったく未知のディストピアなSFチックなセカイが舞台となっています。


 攻略情報

 ともかくザコ戦でも気を抜くとすぐに全滅するメガテンシリーズは、ドラクエみたいにMP節約とかは出来ません。プレスターンなので、一気にゴリ押しして何もさせないで勝つ、が基本です。特に今回はバステ対抗の手段が少ないので、テンタラフー、極上の肉体、色即是空は常に全滅の危険をはらんでいて恐怖です。しかもまじかよ!ってくらい連発してきたりします。やられる前にやるべし!バステデストロイアは最後まで必須。
 MP自動回復であるチャクラウォークは激便利、カネが不足しやすいゲームなのでかなり大事。
 マンダラの習得方法なんですけど、弱点属性をまず覚えて、弱点ストロンガをつけて弱点を無くします。後は役割を決めます。
まず弱点をつくキャラ、全属性の魔法と回復をつかえるようにします、アルジラかゲイル。物理攻撃兼ハントキャラ、ヒートかサーフ、たぶんサーフ。攻撃と速だけあげまくって、屠殺、暴飲暴食、APディバイダって感じ。そして補助回復キャラ、ランダマイザ、デカジャ、デクンダ要員。
 順番が大事で、弱点をついて、食らう、次に回すっていう順なのでハント担当は後にすべし。

 ラスボスは強いというか倒し方がわからんと瞬殺されてしまいます。倒し方が大事なボスですね。

 まず一撃でプルパが落とせないくらいのレベルの時は、金のプルパを弱らせる、パワーブースト、回復、次のターンに金のプルパを落とす、ブーストつきの屠殺なり物理全体攻撃をする、これでプルパが全部落ちます。あとはタコ殴りするだけ。1ターンに2人で1個のプルパを落しているんでは確実にジリ貧になって負けます。パワーブースタは必須(魔法ブースタだとクリティカルしないのでパワーのほうがおすすめ)。というかそれがあれば楽勝。けど初見でそんなのしらねーってスキルをつけてないとほぼ詰み状態。パワーブースタはほぼここ以外使いみちが特にないスキルなので、みんな恐らくつけてないので、これに気づくかどうかっていうパズルみたいなラスボスでもあります。まずプルパの意味がわかんなくてとりあえず全体攻撃したら跳ね返ってきて瞬殺される、がたぶん普通だと思います(ワタシがそうでしたw)、ラスボスでも色即是空対策のバステ無効は必須中の必須。魅了、混乱、だけでも防がないとだめ。

 攻略サイトではメシアライザーがあると良いって書いてありますけどもメシアライザーを覚えるくらいのレベルまでいってるならメシアライザーなんてまったく必要無い。リフレクト系も不要。



 ネタバレでプロットに関してなんですが、次回に続くぅ!!的な終わり方をするのでいいとも悪いともいえません。1,2となってますが前編、後編って感じです。ラスボスなんて今まで一度も出てきてない全く知らないヤツでして、何も説明無しで終わります。これってでも・・ちょっと詐欺なのでは・・・。

 あとちょっとストーリーも短いです、36時間くらい、もっとたぶん早く33時間くらいでクリア出来ます、ワタシのRPGの合格ラインは50時間遊べる、が基準なのでこれはちょっとボリューム不足ですね。

2017年4月15日土曜日

1996 遊☆戯☆王

 初代のマンガの遊戯王。

 ワタシは遊戯王の第一波の時代の人間というか、ちょうどワタシが10代の頃に遊戯王が流行りだしたころだったので、非常に知っています。


 けど当時なぜか知らないけれどTCGブームが到来していて、遊戯王派、ギャザ派と真っ二つに分かれていました。ワタシは遊戯王のマンガを途中まで持っていましたが、ギャザ派の人間ですので実際のカードに関してはよく知りません。

 っていうか未だに遊戯王カードってあるんだ!!ってのをたまたま見かけて初代のマンガがあの後どうなったのかを確かめてみたくなったので読んでみたというわけです。やっぱりワタシが思うに、ペガサス戦以降の展開ははっきりいってメチャです。特に古代エジプト編にいたってはこれはひどいw なんじゃこのマンガは・・・。あれですね、読者の意見によってコロコロ展開が変わるアジアの連ドラみたいに、たぶん人気が出るように出るように、ってすぐにプロットを変えているんでしょうね。ほんと無茶苦茶ですw


 ただちょっとしたひらめきで投入したカードゲームというものが、独り歩きしまくっていつのまにかカードゲームマンガになってしまって、作者の手を離れてカードゲームがものすごいでかい市場になってしまってもぉなんだかよくわかんないっていう、非常に珍しいタイプの漫画ですよね。遊戯王カードってのはギャザ、MtGのパクリ(とギャザ派のワタシは言っちゃいます)パクリというか日本人受けするようにローカライズされたものなんですね。

 確かにギャザのイラストはまだしもストーリーはアメリカ人が考えつくやつで、すごく単純に言うともさい、おおざっぱでざっくりしていて、コミック漫画みたいに、オチとかストーリーが単純、キャラも弱いです。そして洋物の女キャラってのは全然可愛気が無いというか、アメリカ人ってアホなんだなーって心の底から思いますw。

 これは日本人には受けないですね。ただルールとかゲームの形式、みたいなのはギャザのほうが圧倒的に完成されてました。特に初期の頃の遊戯王カードなんて強いカードを出したヤツが勝つという、レベル高いやつが勝つオンラインゲームみたいにゲームとしてほぼ成立してませんでしたもの。
 漫画の作者も描いてますが、カードゲームを漫画にするにあたって、普通のカードゲームみたいに対等な立場の戦いだとドラマチックにならないから、極端に強いカードとかそういうのを出されるが大逆転っていうものになってしまうって書いてます。

 特にワタシがひどいと思ったのはフォースっていうカードで相手のプレイヤーのライフを半分吸収してそれをモンスターの攻撃力にプラスするっていうカードです。こんなのありえませんw わらっちゃいますw。 よく考えたらこのカードはほぼ確実に1ターンキルが出来るってことだし。

 これより後に、禁止カードとしてプレイヤーを直接攻撃する禁止カードというのが出てくるんですけど、それでも400くらいしかダメージを与えられないんです、極悪なプレイヤーが使うのですが、いや、じゃああのフォースっていうカードはなんやってんw 禁止カードレベルじゃないですよ。


個人的にはカードゲームが始まる前の遊戯王がワタシは結構好きでした、なんか今までにない題材を取り上げてるという感じでガキのワタシは初めてTTRPGとかアメコミとかソフビの人形とかそういうものを知りましたもの。それとちょっと妙なエロチックな感じとダークな空気がわりと良かったです。
 バクラとのTTRPGはなんか新しくて良かったと思います。漫画の最後にもう一度それが出て来るのは作者もアレはなんか良かったなぁっていう手応えがあったんでしょうね。


 たぶん今の遊戯王カードはもっとバランスが調整されたものになってるんでしょうな。でも未だに続いてるなんてすげぇことですわ。こんだけゲームが進歩してるのに紙のカードを集めたいっていうのは何でしょうね、たしかに紙のカードで対面でバトルするほうが、ビデオゲームよりも、ゲームをしてる!っていう感覚が強いですし面白いです。なんとなく公平、という感じがする。ビデオゲームって公平性、にかけているんですよね。時間とカネをかけたもんがちじゃん、って気がする。格闘ゲームにしたって、ゲームのクセを見切ってコマンドの順番を覚えるだけでけっして反射神経とかそういうので戦ってるわけじゃありません。それにコントローラーの質で技が非常に簡単に出せたりする。オンラインゲームもPCの性能によってばらつきがでるし、やっぱり時間をかけてるガチ勢にはかないません、ゲーム会社も商売ですからいっぱいカネを落してくれるやつが有利になるようにいい思いが出来るようにしてしまいますしね。


 カードゲームってのも確かに湯水のごとくカネを使ってすべてのカードを揃えてるやつが有利ですが、それでも圧倒的ではなくて、ギャザなら完璧に構築した補充デッキとかにでも、赤の速攻デッキとかフルバーンデッキみたいなカードゲーム屋で2000円くらいで揃えたデッキでも勝てたりします。

 ゲームってのは公平性がすべて、といってもいいくらいで、時間に余裕がある金持ちが勝つならそれは実社会と同じですものね、ゲームになってないです、じゃあ普通にアルバイトするわってなってしまいます。

2017年4月14日金曜日

1599 ジュリアス・シーザー  ユリウス・カエサル   W・シェイクスピア

 まず初めになんでCaesar を英語ではシーザー、と発音するのかってのが気になりませんか?オリジナルのラテン語ではC、はカッ、と読むので、カエサルってのがオリジナルのラテン語での発音でして、ちなみにカエサルというのは髪の長い男という意味らしいです。実際にはカエサルは中年になるころには禿げていたという話です。


 さて英語というのは比較的新しい言語でして、それはラテン語とフランス語、ゲルマン語、そしていわゆるイングランド語、がまざったのもので、殆どの英語の単語というのは、ラテン語が変化したフランス語から輸入されたものなんですね、ローマ、パリ、ロンドン、という風にコトバが旅をしていったわけです。フランス語ではCはSの発音だったらしく、サエザー、からシーザーっていう風になったらしいという話、あくまでそう言われてるってだけで真相は謎です、コトバってのはそういうもので、なんでそういうの?っていうのに根本的な理由とかは無かったりします。


 ちなみにカエサル、がゲルマン語になって、カイザー、皇帝、を意味することばになり、ロシア語でもツァー、ツァーリ、として皇帝、の意味となっています。元をたどれば、カエサルという人名、が皇帝という単語になってるんですね、もちろんドイツ皇帝は神聖ローマ帝国の皇帝、ロシアも東ローマ帝国の皇帝というわけで、カエサルの後継者というのを名乗っていたわけです。



 さて本題に入りますと

「ブルータスおまえもか!
Et tu, Brute?   
  Then fall, Caesar!

 で有名過ぎるほど有名なアレです。しかし実際のこの劇を見たことが有るヒトはめちゃくちゃ少ないし、プロットを知ってるヒトも非常に少ない。

 ブルータスという人物は高潔で潔白というので有名な人物であって、誰からも信用されて、好かれていて、カエサルもブルータスを可愛がっていました。
 しかしカエサルが(歴史を説明するのは面倒なんですが、ともかくカエサルは強力になりすぎていたので、元老院たち年寄り達には面白くなくてカエサルは何も悪いことをしてないのに反逆者にされてしまいました。カエサルはルビコン川軍隊を伴って渡り、口先だけの元老院にガツンと一発くらわします)。元老院とか議会を無視して武力で権力を奪うというのは、確かにこれは独裁の始まりです。やってることはその通り、カエサルの行動は反逆者のそれなんですが、カエサルという人物は天才であり、カリスマ中のカリスマ、給料なんていらない、カエサルのために死にたい、みたいなごりごりの親衛隊もいるくらい男に好かれる男で、作戦を考えれば天才のひらめき、演説をさせれば軍隊のモチベーションはうなぎのぼり、それだけに収まらず、文章を書けば名文家であり、戦争だけでなく統治力にも秀でていてガリア、そしてブリテン島まで平定します。
 ともかくも万能のスーパー超人でして、こんな天才ほかにあんまりいません、人類最高の指揮官は?とくればカエサルという感じ。
 こんな天才を敵に回すなんてどう考えても元老院は無能な他人の成功を妬む無能なジジィの集団であるのは間違いありません。
 けど!!だからってカエサルの独裁が許されるということではない。


 一般的に、カエサルを暗殺したブルータスは悪者、という扱いですけど、実はそうじゃないんです。カエサルがいかに天才であり、最高のカリスマを持っていたとしても、カエサルが独裁者としてローマのためになるかどうかはわかりません。実際に1人の超天才が国を率いてそれが上手くいったという試しは歴史上一度も無いんです。不思議とそれは失敗するんですね。なによりカエサルだって年をとる、カエサルが年をとったら後継者はどうする?まさかカエサル一族が皇帝の血筋ということになるのか?それも危険です、天才の息子はバカというのもこれは歴史の事実。世襲相続で名君が二代続く試しは無い。
 カエサルも年を取ったら耄碌するかもしれない、若い頃はあんなに素晴らしかったのに年を取ったら目も当てられないってのはこれもよくある話、秀吉とかがそうですね。
  

 というわけでブルータスは、カエサルの独裁を防ぐために、あんなに自分を世話してくれたカエサルの暗殺を企てる、すべてはローマのために。
 ブルータスはクズではなくてローマのミライを真剣に考える愛国者という立場なんですね。この劇はブルータスが主役です。実際の!ブルータスがそういう人物だったかどうかはわかりませんが、少なくともこの演劇でのキャラ付けではブルータスは本当に高潔で愛国的な人物。

 カエサルもそれを知っているから「ブルータスおまえもか!!(あの高潔で私利私欲もないブルータスですら、カエサルの独裁を防ごうとするならば、それは仕方ない!)という意味が込められているんですね。
 オマエまで裏切るのかこの恩知らずのクソ野郎!!という意味では無いんです。 カエサルもアホではないわけですぐに自分の運命を理解しブルータスの思い、も理解できたのですね。


 シェイクスピアもかなり成熟してきて、こういった、一筋縄ではいかない、勧善懲悪ではない、時代劇的なお決まりの展開、に陥らない、複雑な心理描写の作品へと変貌していきます。


この作品はシェイクスピアのエリザベス女王に対する痛烈な意見が秘められているとも言われています、つまることエリザベス女王の後継問題はどうするのか?ブルータスのような憂国の士はいるのか?ということです。実際にはエリザベス亡き後のイギリスには大波乱の革命が待ち受けておるわけです。


ちなみに歴史の真実としてはカエサルが暗殺されたことにより、その養子候補であったアウグストゥスが結果的には初代ローマ皇帝となり、ローマの最盛期を作ることになります。もはや年をとったカエサルではなくて、まだ青年のようなアウグストゥス、血縁相続ではなくて、実力主義の相続がなされたことにより(アウグストゥスはその能力の高さで養子にとられたような男ですので無能なわけはありません)、元老院も、裏切り者も一掃出来た上に若返りまで出来て、ブルータス自身は反逆者として死んだけども、ローマの為になったといえます。


 アウグストゥスという人物はカエサルのような歩くカリスマというタイプではなくて、クールでイケメンそして冷徹、頭脳派のキレ者という、女の子に激モテするような、男には、ちぇっなんだよあいつって思われるようなキャラの男です。アウグストゥスはこの演劇の中のような激昂するようなタイプではなくて戦場ではあまり活躍しないで、割と病弱でマッチョとは一線を隠す人間だったらしく、戦争とか肉体労働はアグリッパという右腕にまかせてパクス・ロマーナを確立しました。そこもなんかかっこいいですねw アウグストゥスがイケメンだったというのはこれはかなり確実だった様子、金貨とか銅像でも、修正があまりいらない顔だったらしい。ワタシもアウグストゥスというヒトの顔っていうのはまさにこれぞローマ人、という模型みたいな顔だと思います。髭がない、というのがこのヒトの若さを表す特徴の1つ、現代っぽくてスッキリした感じを受けるのもそれですね。

  でもブルータスの行動、みたいに本当にその後の歴史をガラりと変えてしまうことってのが本当にあるんだって話しですよね。カエサルそのまま皇帝になってたら、本当に全然、その後の歴史が変わってしまいますもの。 少なくともヨーロッパの地図は全然違うものになります


 


  

2017年4月7日金曜日

シリア 政権側へのアメリカのミサイル攻撃の話

 あれですね~、これまでIS、いわゆる反体制派の弾圧をやっていたアメリカなんですが、政権側が化学兵器を使用したっていうわけで、体制派に今朝ミサイル攻撃をしたというお話です。


 体制派にミサイル攻撃をする。これはWAR 以外の何ものでもないわけで、アメリカという国は10年に一度必ず戦争をしないといけない。それは軍産複合体の決まりごとであるので何者も逆らえない。っていう噂?がありますけども

 朝鮮、ヴェトナム、 湾岸、イラン、イラク、そしてシリア、が始まったというわけ。今回も10年サイクルが実現したというわけです。


 そのためにトランプが当選するための筋書きがすでにできていた、っていうまぁ都市伝説的な話しも真実味を帯びてくる感じですね。というか結局はリパブリック、が政権をとるたびに戦争が起こり、それに失敗するとデモクラティックが政権をとりまた負債を増やす、これを繰り返してんです。


 イエスマンである日本も当然それを支持。ロシア、中国は当然反発、EUは無視を決め込むと。ほんとに10年くらい前とまったく同じことをやってます。


 アメリカは好き勝手に戦争を初めて良いという権利があるんですよね。化学兵器が使われた、大量破壊兵器があった。まぁそれはいいとして、アメリカだけは、戦争やっていいってことに事実上なってる。じゃあ、ルールとか国際法とか、もうどうでもいいってことじゃん、なんなんあのサミットだの国連だのっていう時間の無駄はって話しですね。


 レーガンの時代にアメリカのスターウォーズ戦略みたいなのが噂になりました、アメリカは地球を監視して、アメリカに反発する国には衛星からレーザーを打ち込む、サテライトキャノン作戦です。サテライトキャノンは実装されてないとはいえ、衛生での監視と、ミサイル攻撃は実現してますので・・・でもアメリカは何様なん??この星の支配者なん??って誰もが思っていますでしょうね。



 何をいいたいかというにまたこのアメリカのSHOWが始まったなという感じだということです。また平和を訴えるけどなんの力もないバカとか、それを扱ったドキュメンタリーだとか、アメリカの闇、みたいな知ったかぶりの批判めいたヤツとか、同じようなことをやるんだなって感じです。


2017年4月5日水曜日

2005 No direction home Martin Scorsese ノー・ディレクション・ホーム マーティン・スコセッシ

 ほんとにたまたま、普段テレビなんか見ないんですが、たまたま深夜のBSでやってるのにたまたま直撃して、たまたま見てしまいました。

 別に見ようと思わなかったのに、いきなり出会い頭みたいに出会う映画ってのがあってこれはそういうものですね、自分でDVDを借りたりしてみようって思わないですもの。ボブ・ディランのドキュメンタリーやらその業績を紹介しようとするようなものなんてもういくらでもあって、だいたいそういうのはボブ・ディラン大好きっ!大ファン!ビートルズよりも偉大!!みたいなヤツが作ってて、どうもそういうのってテンションの違いがありすぎて、はいはい・・えらいえらい。って感じでこっちがひいてしまうものが多いです。だいたいファンが作ってるものはなんでも手に負えないです。見てるやつもファンだったりして手に負えないです。そういうのが高評価、とかになってて、批評みたいなんでも高得点がついてたりすると、二度とこの批評サイトなり雑誌は信用しないって思うものです。たとえばキネマ旬宝とかぴあ、とか、クソかよっていうのに点数がついてたりして、もう二度と読まないって思ったものです。

 ワタシのおすすめは装苑っていう雑誌のメディア紹介コーナー。あっこのバンドの新しいの出てたんだ!ってのをチェックするには非常に便利です。


 まぁそういうわけでドキュメンタリーほど信用出来ないものは無いんですけど、この作品はスコセッシが作ってるってわけで、まぁ信用出来るのかもー、ってちょっと匂わせる作品ですね。別にワタシはスコセッシファンじゃないですけど、そこらへんのクズよりは信用出来るのは間違いないです、クリント・イーストウッドなんだからそんな最悪ではあるまい、みたいな。


 そういうわけでやっぱり少し良かったですね。ボブ・ディラン本人が語るってのもこの手の作品ではめちゃくちゃ珍しいですよね、ボブ・ディランが本人がしゃべってるのっていうのを殆ど見たことがないですもの。神話化されてないってのも良かったです。結構批判的であったりもする。

 ボブは1960年台、あの熱い時代のスーパーヒーローとして反体制的?なファークの英雄みたいな感じで絶頂期を迎えるわけですが、そのままやればいいのにっていう周囲の期待を裏切ってフォークにエレキ楽器を導入して、自分が作ったものをぶっ壊すってことを初めます。マイルスデイヴィスがビッチ~~で、電子楽器をジャズにぶち込んだみたいに。
  今となっては電子楽器を使っただけで、裏切り者!!とかクソ野郎!!商業主義かよ!!みたいに野次られることは、まったくのナンセンスですけど当時はそうだったようです。

 でもそれをオーディエンスはアホでミライがまったく見えてないっていう決断をするのは早計ってわけです。

 キーとなってるのは、商業主義的だ!!っていうやじなんです。今ライブとかをやって、商業主義的だ!!コマーシャリズムだ!!なんて批判をするやつは絶対にいないですよね、というかコンサートに言ってやじを飛ばすヤツなんていないし。コンサート、というものは商売以外の何者でもないし、高いチケット買ってそれに行ってるんだから、それに同意してるわけです。何を言っとるんじゃ??って話。

 でも60年台っていう時代には、そうじゃなかったわけです。コンサートに単なる商売以上の物を求めてるわけですね。

 オカネのために芸術をやってるわけじゃない、ってのは21世紀の今となっては100%嘘ですけど、本人はまじでそう思ってたとしても、契約してるレコード会社なりメディアなり、はオカネのためにやってるんで、その中に入ってその枠組で活動してる限り、オカネのためにやってることになります。自分が何をやってるかも理解してないアホってことです。
 というか会社法に、株式会社というのは株主のために利益の最大化を目指さないといけないっていう法律、が存在していて、この社会、というのは、オカネ儲け以外を認めてないんですね。法律でそう決まってるんです。やられた!って話しですねw 


 60年台にはでも、ガチでそういうのをやってる奴らがいたんですね、えっ!ガチでオカネ目当じゃないじゃん!!っていう輩が。(絶滅しました)
  リアルに反体制、反社会っていうヤツ。確かにボブディランのやってることは、その反体制側の仮面をつけて人気を獲得してから、商業主義に切り替えた。っていうのは、嘘ではないんです、売り込みのためにレベル、のフリをしたってのは事実であります。
 もちろん本人は、音楽的な直感とかインスピレーションに従って行動してるだけで批判されるいわれは無い。って言うのですけど まぁそりゃそう言うだろって話しで。時代の先読みがちゃんと出来てたとも言えるし、時代に迎合したとも言える。





 けどワタシが思うに、ライブとかでファンだけを集めて
「ね?いいでしょ?」
「いい!!」
っていう確認をしたところで一体それが何の意味がある?オカネ儲け以外の何の意味があるの?って思うのも事実。松本人志も同じようなこといってました、イエスマンを周りに集めて、イエスイエスっていう大合唱をしてカネを集めてなんの意味がある??そりゃオカネがほしけりゃ別ですけど、ある程度オカネが溜まったら、続ける理由を失うんじゃないの?って話しですね。

 カルト教団の教祖が信者を集めて乱交パーティしてんのと何がちゃうの?ってふと思ったりもします、ライブっていうのはなんか気持ち悪い奴らの集まりだな、ってふわっと感じたりしませんか?


 ふざけんなごちゃごちゃうるせぇ!いい音楽作っていい音楽を聞きたいそれだけでいいんだ!ばっきゃろう!っていう人もおって、それが多数派なんでしょうし、ワタシも割とそう思いますけども。
 それだと、歌、ってのは作れないですよね、何を言っても嘘なんだし、何も言うことは無いです。ただ耳ざわりがいい韻を踏むだけのものだったり、インストになるんでしょうか・・・・。

能登麻美子 サマーアクアリウム

 能登麻美子っていうのは声優さんでして、ワタシ的には、ペルソナ3の山岸風花役です、これがまさに風花っていう感じの声で、こやつ何者!?って感じで調べてたどり着きました。



 声優のタイプとして、とにかく特徴的、非日常な声質で、現実感が希薄な声のヒト、金朋とか、 犬山犬子みたいなタイプ(このタイプはほんと生まれ持った天性のものです)。

 ルックスも良くてアイドルと声優を掛け持ちみたいな感じのヒト、アイドル声優タイプ、これは今ではいっぱいいすぎるほどいます。

そしてとにかくいい声、の持ち主ってのがいますよね。能登さんはまさにこのいい声の今極北に位置するって感じですね。

 えぇ声やな~~~、って大阪のおばちゃんみたいに思ってしまいます。


「みなさんメールありがとうございます、本当にみなさんのメールが嬉しいです」


 こういう超社交辞令みたいなセリフがあるじゃないですか、はいはい台本丸読みね、って99%のヒトが読んでもそう感じるのですけど、能登さんはこの社交辞令は本当、に聞こえます。
 
本当にメールが来て嬉しいと思ってるんじゃないか??って信じてしまいそうになる、本当に!声の通りのピュアな人間なんだとしたら、それはそれで、イノセント過ぎるだろ!?まじかよって感じですし。

 ほんとは、キモヲタばっかりメール送ってきよるな~って思いつつも、演技で感謝をしてるにしても、真実性がありすぎる!!まぢかよ!!ってどっちにしても驚きです。


 メールを送ってきよるやつも、なんか妙に媚び媚びした、アイドルラジオにメールを送るような一番気色悪いリスナー層なんです。「応援してます!」みたいなことをメールの最後に書くような・・きっしょい・・・・。



 しかしそれを感じさせない、イノセントな声質。わたしはこういうヒトには、ものすごいダークサイドが実は広がっているんじゃないかってうたぐってしまいます。ただ、ワタシはそういう恐ろしいダークサイドを持ってる人間が好きなので、ちょっとこれからもさぐっていこうと思いまする・・・・

2017年4月1日土曜日

1602 merry wives of windsor ウィンザーの活発な妻たち (ウィンザーの陽気な女房たち) シェイクスピア

この作品には伝説があって、エリザベス女王が、シェイクスピアに何か面白い劇が見たいわ、みたいなことを言ったのでシェイクスピアがほぼ即興的に書き上げた劇ということです。

 だいたいこういう伝説は嘘なんですが、なにかそれに近いことがあったことはあったんでしょう。この時期のシェイクスピアにしてはなんか構成が練れてないというか、あっさりと淡白でして、オチのつけかたも昔使った方法の焼き直し、真夏の夜の夢からも自己パロディみたいな感じで使っています。即興的にバーーっと書き上げたというのはたぶん本当のことだと思います。お気に入りのキャラ、フォルスタッフのスピンオフ的な作品。





 シェイクスピアはある種のフェミニストでして、その劇は女性が活躍することが非常に多いです。でもそれは現代のフェミニズムみたいに、女が、男性と同じ、男性のように活躍するのではなくて、女性が、女としての強みを活かして活躍するという感じ。貧しい人間には悪党にも、それぞれに果たすべき役割があるっていうシェイクスピア的な全肯定主義みたいなのがあるんですけど。それぞれが一番生きる形の役割を与えるっていうのは、ワタシはこっちがやっぱし正しいと思いますね。



 まぁ女性が活躍するというのはエリザベス女王の時代の作家ってのも大きいのでしょうけどね。イギリスってのは超珍しい王国でして(イギリスってのは王国なんですよね、王国って!ファンタジーみたいな響きですけど)、王国であるっていうことは、王国でなくなるきっかけが無かったということ、つまりイギリスはほぼ世界で唯一一度も戦争で完敗したことの無い国です、だから王国、のままで残っているというわけ。アメリカは王国?があったのかどうかもわかりません、植民地にされてしまったので。


 劇の内容としては、フォルスタッフの馬鹿話とその子分たちのボケ、に対して貞淑な人妻が知恵を発揮してフォルスタッフをいぢり倒し、その一方でその馬鹿騒ぎを利用して、ヒロインであるアンが望まれない結婚から駆け落ちする計画を練る、という奴です。シェイクスピアお得意の、複数のプロットが絡み合ってオチをつけるという、もう眠っていても使える、十八番の構成です。