2017年4月5日水曜日

2005 No direction home Martin Scorsese ノー・ディレクション・ホーム マーティン・スコセッシ

 ほんとにたまたま、普段テレビなんか見ないんですが、たまたま深夜のBSでやってるのにたまたま直撃して、たまたま見てしまいました。

 別に見ようと思わなかったのに、いきなり出会い頭みたいに出会う映画ってのがあってこれはそういうものですね、自分でDVDを借りたりしてみようって思わないですもの。ボブ・ディランのドキュメンタリーやらその業績を紹介しようとするようなものなんてもういくらでもあって、だいたいそういうのはボブ・ディラン大好きっ!大ファン!ビートルズよりも偉大!!みたいなヤツが作ってて、どうもそういうのってテンションの違いがありすぎて、はいはい・・えらいえらい。って感じでこっちがひいてしまうものが多いです。だいたいファンが作ってるものはなんでも手に負えないです。見てるやつもファンだったりして手に負えないです。そういうのが高評価、とかになってて、批評みたいなんでも高得点がついてたりすると、二度とこの批評サイトなり雑誌は信用しないって思うものです。たとえばキネマ旬宝とかぴあ、とか、クソかよっていうのに点数がついてたりして、もう二度と読まないって思ったものです。

 ワタシのおすすめは装苑っていう雑誌のメディア紹介コーナー。あっこのバンドの新しいの出てたんだ!ってのをチェックするには非常に便利です。


 まぁそういうわけでドキュメンタリーほど信用出来ないものは無いんですけど、この作品はスコセッシが作ってるってわけで、まぁ信用出来るのかもー、ってちょっと匂わせる作品ですね。別にワタシはスコセッシファンじゃないですけど、そこらへんのクズよりは信用出来るのは間違いないです、クリント・イーストウッドなんだからそんな最悪ではあるまい、みたいな。


 そういうわけでやっぱり少し良かったですね。ボブ・ディラン本人が語るってのもこの手の作品ではめちゃくちゃ珍しいですよね、ボブ・ディランが本人がしゃべってるのっていうのを殆ど見たことがないですもの。神話化されてないってのも良かったです。結構批判的であったりもする。

 ボブは1960年台、あの熱い時代のスーパーヒーローとして反体制的?なファークの英雄みたいな感じで絶頂期を迎えるわけですが、そのままやればいいのにっていう周囲の期待を裏切ってフォークにエレキ楽器を導入して、自分が作ったものをぶっ壊すってことを初めます。マイルスデイヴィスがビッチ~~で、電子楽器をジャズにぶち込んだみたいに。
  今となっては電子楽器を使っただけで、裏切り者!!とかクソ野郎!!商業主義かよ!!みたいに野次られることは、まったくのナンセンスですけど当時はそうだったようです。

 でもそれをオーディエンスはアホでミライがまったく見えてないっていう決断をするのは早計ってわけです。

 キーとなってるのは、商業主義的だ!!っていうやじなんです。今ライブとかをやって、商業主義的だ!!コマーシャリズムだ!!なんて批判をするやつは絶対にいないですよね、というかコンサートに言ってやじを飛ばすヤツなんていないし。コンサート、というものは商売以外の何者でもないし、高いチケット買ってそれに行ってるんだから、それに同意してるわけです。何を言っとるんじゃ??って話。

 でも60年台っていう時代には、そうじゃなかったわけです。コンサートに単なる商売以上の物を求めてるわけですね。

 オカネのために芸術をやってるわけじゃない、ってのは21世紀の今となっては100%嘘ですけど、本人はまじでそう思ってたとしても、契約してるレコード会社なりメディアなり、はオカネのためにやってるんで、その中に入ってその枠組で活動してる限り、オカネのためにやってることになります。自分が何をやってるかも理解してないアホってことです。
 というか会社法に、株式会社というのは株主のために利益の最大化を目指さないといけないっていう法律、が存在していて、この社会、というのは、オカネ儲け以外を認めてないんですね。法律でそう決まってるんです。やられた!って話しですねw 


 60年台にはでも、ガチでそういうのをやってる奴らがいたんですね、えっ!ガチでオカネ目当じゃないじゃん!!っていう輩が。(絶滅しました)
  リアルに反体制、反社会っていうヤツ。確かにボブディランのやってることは、その反体制側の仮面をつけて人気を獲得してから、商業主義に切り替えた。っていうのは、嘘ではないんです、売り込みのためにレベル、のフリをしたってのは事実であります。
 もちろん本人は、音楽的な直感とかインスピレーションに従って行動してるだけで批判されるいわれは無い。って言うのですけど まぁそりゃそう言うだろって話しで。時代の先読みがちゃんと出来てたとも言えるし、時代に迎合したとも言える。





 けどワタシが思うに、ライブとかでファンだけを集めて
「ね?いいでしょ?」
「いい!!」
っていう確認をしたところで一体それが何の意味がある?オカネ儲け以外の何の意味があるの?って思うのも事実。松本人志も同じようなこといってました、イエスマンを周りに集めて、イエスイエスっていう大合唱をしてカネを集めてなんの意味がある??そりゃオカネがほしけりゃ別ですけど、ある程度オカネが溜まったら、続ける理由を失うんじゃないの?って話しですね。

 カルト教団の教祖が信者を集めて乱交パーティしてんのと何がちゃうの?ってふと思ったりもします、ライブっていうのはなんか気持ち悪い奴らの集まりだな、ってふわっと感じたりしませんか?


 ふざけんなごちゃごちゃうるせぇ!いい音楽作っていい音楽を聞きたいそれだけでいいんだ!ばっきゃろう!っていう人もおって、それが多数派なんでしょうし、ワタシも割とそう思いますけども。
 それだと、歌、ってのは作れないですよね、何を言っても嘘なんだし、何も言うことは無いです。ただ耳ざわりがいい韻を踏むだけのものだったり、インストになるんでしょうか・・・・。