2018年3月30日金曜日

2015 世の中ががらりと変わって見える物理の本  カルロ・ロヴェッリ   Seven Brief Lessons on Physics

 邦訳タイトルは現タイトルからかけ離れていて全然面白そうに無いタイトルですが、決行有名で流行った本です。


 量子重力理論、という、今流行りの理論物理学者が書いた理論物理学の入門の入門みたいな本です。

この物理学の本って結構ポピュラーサイエンスみたいなので売れてたりするのですけど、数年で言ってることが全然ちゃうやん、ってことになるし、実験的に確証が取れたみたいなことはずーーーっと進歩がありません。
 
 10年くらい前はスーパーストリングス、っていうのが流行りだったし、その次はマルチヴァース、多次元宇宙理論、みたいなのが流行りだったし、今はこの量子重力理論っていうのが一応最先端みたいですが、そのどれも、研究中、のままで確かなものは何一つ出てこない。まるでファッションみたいに流行りの理論だけがコロコロ変わっております。


 こういうまだわかってない途中のコト、を説明されるのって、不思議な感覚ですよね、結果的にはただの与太話なのかもしれないし、本当の真実だったのかもしれない、ただの時間のムダに終わる可能性も非常に大。そしてまぁそれが最先端、ってものなんでしょう。ビットコインみたいなのと同じですね、実際にそれがこれからの世界の単一通貨になる可能性もあるし、ただのバブル、最悪の詐欺、ってことにもなりうる、最先端の危うさですわね。


 どんどん進歩してるようで物理学はずっと停滞してるとも言われてるようです、一般相対性理論、標準理論、っていう100年と50年前の理論を最後にして、コレだ!っていうすごい進歩はなかなか出てきてない。


 作者はイタリア人でして、これが不思議な感じ。イタリアに科学者なんていたの?って感じもしますけどw 科学っちゅーかルネサンスの発祥地はイタリアですのにね。どうもイタリア人=破産しかけてるネアカの女たらし みたいなイメージがありすぎて、イタリアのインテリってのが想像出来ません。


 この本はでもイタリア人のセンスで書かれている物理入門書で、ふ~んって思うとところがかなりあります、数時間で読める薄い本なので興味があれば是非。

2018年3月28日水曜日

2016 動物たち  panpanya

 動物、というゆるいテーマを設けて作られた短編集。

動物といっても、メジャーどころの犬、ネコ、うさぎ、やら、動物園的マスコットのパンだ、キリン、ライオンのたぐいではなく、田舎と都会の境界線上に生息している地味な動物が主人公。

 貉、猯、など、田舎者にはなじみのある生き物が出てきます。あとバッタ。


ゆる~く、人間と動物との生存境界の奪い合いみたいなしんみりするテーマが入ってきているので、いつもよりも重めだと思ふ。

 
 人間が嫌いな人間には動物好きが多いものです、また動物が好きなことをアピールして仕事をもらおうとする芸人やアイドルなども多い。動物やコドモに冷たいと好感度が下がる。そういうやつらはたいてい、本当は動物よりもおカネが好きです。

 作者はおそらく、1980年頃の生まれだと思われまして、ワタシよりもちょっと古いくらいのセカイが残っています。エネルゲンなつかしす。

 今でも売ってるみたいなんですが全く見なくなりましたね。

 っていうか自販機が130円になってから一回も自販機でジュースを買ってない。どうも130円って高ない!?って思ってしまふ。500mlは160円。なんだその切りの悪い数字は。

 それと変わって1,5Lのジュースは昔よりも安くなってる、昔は確か安いスーパーでも230円くらいしましたけど、今はドンキとかで130円くらいで1.5Lを売ってる、どういうことなんでしょうね。だいたいスーパーで1,5L買ってそれを移し替えて飲んでますけど、炭酸はリッターで買うと確実に砂糖水になるので困る。あと早く飲めと急かされてる感じがしていや。

2018年3月27日火曜日

sasuke 2018

http://www.pandora.tv/view/keigoo/55948036/#31376494_new


 実はサスケファンなんですけど、今回もなかなかすごかったですね~。

 公園とかでちょっとクリフハンガーのマネごとでもやってみようとすると、ぶら下がってるだけで5秒も持たないってことがわかります。ぜってぇ無理だろ、あのクリフハンガーからのジャンプ、って思ってましたけども、いつしかアレは超えれる、その次、っていうような通過点になってる、いや進歩すごすぎるだろ。

 だんだんロッククライマー的な要素が増えてきてるんですね、ロッククライミングって、カラダがキレイに鍛えられていいなって思いますね、ムキムキになりすぎたり、サッカーみたいに下半身だけボーンってなったり、野球みたいにケツがでかくもならない。まぁ重くなったらそれだけ支えるのが辛くなるわけで、スリムで絞られた筋肉になる。

 まぁ始めようと思っても、まず始めるためのダイエットからやらなきゃいけないスポーツですけど・・w

2018年3月24日土曜日

2018 ハンターハンター 35巻

 もちろんこのブログのレヴューってやつは自分が読んだことを忘れない為っていうのが主目的なんですが、だいたい全部読んだものだけをレビューしてます。

 けどHxHは例外で、明らかに完結しそうにないので一巻ずつ書いているわけです、さて36巻が出るのは何年後でしょうねw

HxHは普通のマンガとは違うスリルがあって、うわっ、また物語の展開を広げてる!これは伏線回収出来ないで終わりそうだ!もうやめてくれ!みたいな心配を読者がしないといけませんw

 最近やってる、王子継承編みたいなのは、明らかに登場人物過多ですでにもう100人以上のキャラがいます、こりゃ~・・やりすぎてるのでは・・。


 富樫氏は最後まで構成みたいなのを作ってから描いてるのか、その時のひらめきで描いてあとでなんとか辻褄を合わせようとするのか、どっちかわかんないタイプですね。だいたい、あぁ文字コンテで全部書いてるな、ってのはすぐにわかります。アドリブで描いたなってのもすぐわかる。

 最後まで脚本を描くってのは実は問題があって、途中で破綻はしませんが、なにか神の一手みたいな偶然から爆発的に面白くなるっていうこともありません。それと描きてのモチベーションも下がってきます、終わりが決まっているのでノルマをこなす作業みたいになりがち。
 ひらめきタイプは当然のこと、空中分解するリスクを常にはらんでいます。大失敗に陥るのが90%以上。
 
 宮崎駿はアニメを作画しながら同時にコンテを描いていました、すでにアニメの作画が始まってるのに、まだ結末まではコンテを描いていないっていう。これはモチベーションを保って、どうなるんだろうなぁ、オレ?っていうのを楽しんでいるのですね、作画が出来てきてから、あぁこういう映画になったか・・じゃあオチはこうだっていうふうに変えようっていう。


 クラピーのエンペラータイムにも制約があるのだ、っていう設定が突然ぶっこまれてる点から見ても、最初から全部計算ずくってのは無さそうです・・・、でもだったら団長が強すぎるのでは・・?・・ちゃんと描き切れるのか、期待しないで待とう。

2018年3月22日木曜日

2013 足摺り水族館 panpanya

 点描を使ってるマンガ家を久々に見た。

 水木しげるが死んで最後の点描マンガ家が死んだと思っていたら新しく点描家が生まれていた

 つげ義春がインタビューで、もう作品を描かないという境地に達したと言っていた

ランボーも途中で詩作をやめて普通の人間に戻った

 いつまでも現役であり続けるのはダサいという

いつまでも生きているのは見苦しいという

けど舞台で死ぬのは俳優冥利に尽きるともいう

 絶頂期に死んで落ち目を見せないのはかっこいいという

けどオスカー・ワイルドのようにボロボロになって野垂れ死にするのも、芸術家らしい生き様だと思ふ

誰にでも好かれようとするのがかっこわるいのだと思ふ

いつまでも昔の自分でいようとするのがかっこわるいのだと思ふ

ただしく生きようとはおもわないのである

かっこよく生きたいと最近は思ふのである

ある日本の版画家は飢えて死んだ

このマンガはどことなくその版画家の絵に似ているのである。




1883 宝島 スティーヴンソン

  わたしはこういうエンタメ小説の古典ってのに何故か手を出して来ませんでした。ハックルベリー・フィン、トム・ソーヤーの冒険・・・。
 ワタシの読書歴っていうのは、まず世界文学全集ってやつを読んでみるか、世界の最高峰を集めたんだから良いものに違いないってことで始まってますから、だいたい世界文学にはエンタメ小説は入ってこないんですね。

 世界文学は一応純文学っていう扱いだと思うのですけど、純文学の定義は変遷しまくっています。ダンテやミルトン、は明らかに純文学っていう扱いだと思うのですけど、内容は宗教物語、みたいな感じ、あるいはシェイクスピアもこれは純文学だってことになるのかもしれないけど、エンタメ的な要素を多分に含んでいる。というか演劇、なので文学ではないとも言える。ユーゴーやデュマは明らかにエンタメ小説なのに世界文学に含まれているけど、スティーヴンソンはたいてい入っていない、マーク・トゥエインとかも外れる。

 世界文学ってのは一体なんなん?ってのは世界文学を全部読んだワタシにもわかりません。だいたい20世紀中盤以降の作品は含まれていないし。


 さて世界文学批判はいいのですけど、宝島、だいたいあのカリブの海賊・・、みたいなのオリジナルはおそらくこれなんですよね。もちろん伝説の海賊の埋めた宝物をめぐる冒険物語なんですが、物語の展開、ってのはかなりえぇ~そうなる?そういう展開?っていう普通の予想、をかなり裏切って来ます。だいたいこうなるだろうな・・、という読みての予想をあえてなのか外して、なんでそっちから手を出す?っていうやり方を取ります。
 それがこういう古典として生き残っている理由なのかもしれません。

 ただ海洋用語っていうのはやっぱり帆船に乗った経験の無い人間にはどうも絵が描けないですよね、艫綱がどうしたとか、船舷がどうしただの、向かい風でメインマストが・・と言われても、全然わからん。現代で帆船に乗る経験ってのをすることはほぼ不可能なのでね。自分のカラダで体感しないと全然伝わらないものですからなぁ・・・。

 子供向けの本では全然無いです、結構ガシガシヒトが死んでいくし。


 しかしこういう海賊ってのはほんとうにいたのかなっていっつも思います、ドレークだの実際に海賊がいたってのはわかるんですけど、いわゆるこういうノリの海賊、ヨーホーホー、あるのはラム酒ただ一本!みたいなヤツラ。現代だって海賊はいますけどただのボートに乗ったギャングで、歌なんて歌わないし独自の文化とノリもない。


 17、18世紀っていうのは大航海時代、冒険の時代です。日本はもちろん鎖国で冒険をしなかった。本当にこれが悔やまれる。目先の安定と平和を求めて冒険をしないってことは、本当は確実に滅びの道を歩むリスキーな行為なんですね。殻に閉じこもって新しいものを見つけようとしない。
 日本にも大航海時代があれば、もっと面白い物語や冒険譚があり、たぶん現代の私達にも帆船のノウハウが残されていて、おいスターボードじゃねぇか!みたいな帆船を元にした言い回し、も残ったハズですから。何してくれてんねん江戸幕府!w



2018年3月21日水曜日

2018 二匹目の金魚 panpanya

 panpanya っていう下ネタ?みたいな名前の作家によるマンガ。おそらく女性。

 同人誌から活動を初めて商業でも出版されるようになったという、連載週刊誌出身じゃないマンガ家です。
 最近こういうタイプが増えていってるのではないでしょうか、単行本系の作家というのか。

 「君の名は」、の新海誠も同人アニメーション出身といえます、大手アニメスタジオ所属じゃなくて、短編アニメなどのコンペに出品してだんだんと規模を大きくしていったというわいけ。
 君の名は、がめちゃくちゃ売れたことにより、フォロワーが続出することでしょう。


 雑誌系のマンガが頭打ちってこともあると思います、誰にでもわかりやすく!より多くのヒトが買うように!っていう作りのマンガって、なんか説明過多だったり、ほら面白いでしょ!?っていう押し売りがイヤな感じがしてくるものです。CMを読まされている感じになる。


 企業所属じゃない利点はたくさんあります、編集者のいいなりにならないですむこと、締切を決められないこと、フォーマットを統一しなくていいこと、上がりのピンはねが少ないこと。デメリットはもちろん資金が少ない、PRする方法が少ないなどなど。


  ワタシもですけどマンガをスマホで読むようになり、デジタル出版が主流になってくると出版社を通す理由はあんまり無いです。変わって口コミがもっと重要になり、漫画読み、っていう職業も現れるんじゃないですかね、口コミストっていうのか。結局口コミが一番信用出来る、ニセモノだって投稿出来るってよくいいますけど、文章を見ればフェイクかどうかもわかるし、そいつの他のレヴューなどを見れば、あぁステマね、なんてすぐわかります。逆に、む!このヒト信用出来るっていうヒトが見つかるとぐんぐん新しいセカイが開ける。



 前置きが長くなりましたが、このマンガ、何系っていうのですかね?ガロ系とかつげ義春風、ってwiki などにも書いてありますけども、日常系xガロ っていう感じですかね、つげ義春の主人公を女子小中学生?にして暗い部分を無くして現代にブラッシュアップした感じ。ほぼペンと鉛筆だけで書かれていて、パースがぐるぐるしていて、ワープしてるような絵面です。70年台にタイムスリップしたような感じ。

 つげ義春とかが好きなヒトには絶対に面白いです。かなりおすすめ。

 作者が何者かわからないけど実はインテリな感じがします。っていうかいくつなんだこのヒト?謎ばかり膨らみます。
 このヒトもいつか、爆発的ヒットとなるかもしれませんね。

 エロ、じゃない同人作品ってのももっと出てきて欲しいものです。同人マンガ=エロマンガだと思われてるフシがあるし。

 同人ってのは語源的には、同じ趣味をもった人たちの集まり、という意味で、1人では同人とは言わないのですけど同人作家、なるコトバも生まれていて、もはや意味が変遷してます。インディーズって言えばいいんですけどね。


 

2018年3月19日月曜日

1961 ニュルンベルク裁判  

 アメリカの映画のほう、実際の裁判のほうではありません。

 ものすごいお硬い映画ですが、キャストはスーパースターを勢揃いされたお祭り映画みたいなキャスト。お祭り映画なのにめちゃくちゃシリアスというのが本物志向の60年台ならではです。


内容はひたすらヘビー路線。特にブルドーザーがコンセントレーションキャンプを掃除するところなんて、うわっち!ってなります。


この映画には黒歴史として消去された過去がかなり出てきます

断種法。これがこの映画の結構なテーマ。
 断種法っていうのは簡単に言うと、精神障害者や知的障害者にパイプカット手術を強制する法律のことです。ナチスはこれを当然障害者だけでなく、反ナチスの人物に誰でも適用するようになります。

 WOW。

しかしこの断種法っていうのはナチスが生み出したものではなくて、優生学ということで19世紀末から世界的に存在していたものです、ナチスはその適用範囲を遺伝的障害だけでなくて、誰にでもあてはめるようにしたということ、あいつは精神障害者だ、と決めつけて強制的に断種手術を行う。
 しかれども、ナチスが落ち目になるともはやなんでもありで、断種なんてまわりくどいことはせずに、裁判無しで強制収容所送り、ガス室に直行ということになったようです。

 さて、この断種法ってのは、もともとは、社会保険料の削減を目的とした、財政策として出てきたものだそうです、障害者給付金などは財政を圧迫するので、断種により財政を改善しようというわけ。(ワイマール憲法は社会保障を充実させた憲法だったのでそれが裏目に出たということらしい)
 遺伝的疾患の持ち主を減らして、遺伝的に優秀な個人だけを残そうということ。


 これだけを聞くと、過去の話というよりは、ミライのSFの政府、ビッグブラザーみたいな響きがしますね。遺伝子に障害がある人間を排除するなんて、ミライの話みたい。そしてすごく現代において、痛切に響くものがあります。社会保障を充実させたせいで財政が逼迫、結果として、社会が安定するはずが、負債に喘いで破滅に向かうという。
 断種法は復活しないと思いますけど、優秀遺伝子保護法案、みたいなのは出てきそうですね、それによって社会保障を少なくしようっていうことです。



 他にもこの映画の中には、ナチスの強制収容所の映像を見せることで、アメリカはナチスを倒したことを正当化するけれども、同じようにヒロシマやナガサキの映像を見せてナチスを正当化することは許されない。というような、ドイツ人の本音なども出てきます。アメリカの映画ですが、部分的にしろ、ドイツ人の心情も拾っている。よく出来た映画です。終わり方を秀逸。名作ですね。




 
 

2018年3月17日土曜日

1988 沈黙の艦隊

 今の40~45才、くらいに世代にすごくヒットしたマンガです。

 秘密裏に建造された日本初の原子力潜水艦が独立国を宣言して、事件が起こるって言うマンガ。

 まぁ設定とかめちゃくちゃで、んなわけあるかよ、ってことのオンパレードなんですが、夢のあるお話ではあります。まだソ連が存在していたギリギリの物語なんで、今にしてみるとソ連、なつかし~、ってなりますね。

 その脱走した原子力潜水艦と手に汗握るバトル!っていう社会派バトル・アクションって感じではないです、むしろ原潜をめぐってのアメリカと日本の関係っていうのが主題の政治的なマンガ。潜水艦のバトルは約10%くらいしかなく、ほぼ政治的な論争が占めています。こぉいうのがそこまで人気が出そうには思えないんですけど、でも流行ったようです。


すごい文句を言いたいところはいくらでもあるんですが、なかなか良いことも言っています。

「日本というのは正義が無い国だ」

 これはほんとにそう思う。別にそれはそれでいいんですけど、悪なら悪らしく、悪であることを認めたらいいのに、自分たちがいい人間だとマジで信じてるやつらが9割以上で、自分が悪であるということを認識してないのが癪にさわる。

「少しでも多くのヒトに元気を与えられたらって思います!」

みたいなことを平気で言う。まぢかよこいつ

「少しでもアメリカの手先となって自分の国の経済成長だけを考えて頑張ります!」

ですよ、これが日本の目標。もっと開き直って三下の悪役の手下らしく、ひたすら下劣に、殺した時にカタルシスを生むようなヒールを演じたらいいのに。何を陰謀家の二枚目悪役をやろうとしてんだよって、それはアメリカの役じゃん、日本の役割っていうのは、「最初に殺されるザコキャラ」、同情の余地ない小市民で臆病物の糞虫。これです。自分の役割をちゃんとわかって舞台を盛り上げないといけません。

 敵、もザコ、も必要な役割です、舞台を面白くするには必須、ちゃんと自分の役をこなしましょう。日本人、というのはそういう役割をする一族なんだと思います、閉鎖的で保守的、自己中で公共心に欠けるが、ずる賢くて残虐、利己的でプライドや思想がないので、小狡いことをするとなかなか達者。


 このプライドや思想、ってのが無いってのはビジネスマンとしては必須のポイントだとワタシは思ってます、ビジネスってのはつまり、どんだけ恥知らずな真似が出来るかということで、ひたすらペコペコして、ひたすら嘘をつく。毒ガスを撒いて、ガスマスクを売る、これがビジネスの本質だとワタシは思ってます。


 話を最初に戻してなんでこんなお硬いというか真面目テイストなマンガが受け入れられたかというに、やっぱり景気が良かったのだと思います。余裕があった。80年台マンガってかなり真面目な作品やネガティブな作品が多いのです。エリア88とかナウシカとかもそう。自虐的みたいな社会批判する作品が多いのは、読み手がカネに余裕があって好景気なんですよね。だから娯楽としては硬派でシリアスな作品を読む余裕がある。



 逆にバブル崩壊以後はずっと不景気ですから、娯楽としての作品でこ難しいものやシリアスなものを読む気になれない。ライトで明るいものを好むようになる、ドラゴンボール、スラムダンク、ワンピース、ポケモン、全部明るいテイストです、社会批判など全くしない。若者は政治的なものを毛嫌いするといいますえけども、それは経済的余裕が無いからだとワタシは思います。政治とかを考えてる余裕がない。そんなことに頭を使いたくない、目先にとらわれるなというけれど、目先の生活をする余力が無ければ考える能力なんて持ちようがない、あるいは鼻からもう全部諦めている。

 バブル崩壊以後のスタイルとしてもう一つセカイ系、っていうジャンルもあります、エヴァを筆頭として、自分たちのいる小さなセカイ、とセカイ全体。しかない。学校の中での行動だけでセカイが崩壊したり、セカイがなくなったりする。学校ー社会ー世界、じゃなくて学校、自分のいるサークル、がセカイそのものでセカイのすべて。
 下手をすると、自分、と恋人、しかいなくて、恋人との関係だけでセカイが終わったりする(涼宮ハルヒなど)。


 セカイが終わるからシリアスなのかというと実は違くて、セカイが終わるというハッピーエンドの話なんですね、自分が活躍したり、関係を持てそうにない、社会が消えてなくなってしまえば良い、という願望を叶えてくれる、前向き、な話です。
 学校を出て、社会の一員となり、少しずつなにかを変えていくっていうビジョンが全く描けない、リアリティがないものだから、学校から即セカイ全体というワープをしてるわけです。これは歌とかでもそうで、セカイ系のものって非常に多い。セカイに家族とか恋人とか、めちゃくちゃ狭いサークルのことしかない、けどそれだけが生存の理由だったりする。


 今セカイではやっているものというとアメリカではずっっとスーパーヒーローものの映画をアホみたいに作っています。バカのひとつ覚えかよ、っていうくらいに。つまり現実はその真逆、現実はアメリカは誰も助けようとしない、むしろ弱い者いじめをしてるから。ヒーローがいない。よって娯楽にはヒーロー、正義、を求めるわけですね。

 
 だからまだまだこれから20年、下手すると30年はライトで内容薄め、明るい調子、っていう娯楽が続きそうですね。というかもはや、シリアスで暗い調子の作品ってのは二度と現れないのかもしれない、特に商業作品では、死ぬほど前向きだったり、現実とのつながりが希薄なものになりますでしょう。
 おカネが欲しいクリエイターはそれを念頭に置きましょう、ただワタシはイヤですけどね。

2018年3月16日金曜日

1918 有島武郎 小さき者へ

能登麻美子 おはなしnoteで取り上げられて、ニコニコにまだ動画があるので朗読を聴きたいヒトはぜひ検索してみるのを勧めまする。


 有島武郎が妻を結核で亡くして、残された幼い息子たちに向けて書かれた短編小説。いわゆる涙腺崩壊ものでして、かなりの重くて暗い話を聞かされることになります、覚悟せよ。


 こういう結核もの、っていうのが戦前の文学にはもはやジャンルとしてありましたね、江戸時代とかにも結核はあったんだろうけど、そういうものはあまり聞いたことがありません、もちろん西洋にだって結核もの、サナトリウム文学、みたいなジャンルがあります。


 戦争、コドモ、病気、障害者、牢獄。いわゆる賞を取れるビッグ5があります、なにか賞を取れるような作品が作りたかったらこのテーマを行くべし。テレビで視聴率が取りたかったらエロ、ラーメン、ペット、この三本柱をやれっていうのと同じ。

 この作品はコドモと病気、っていうのを扱ってるので当然、感動的な作品です、そりゃそうだろっていう感じでもある。母親が病気で死ぬ作品で、むしろ感動的じゃないほうにするほうが難しい。


 でもワタシはなんか・・・おや?・・、と思うところがありました。本文中にもありますように有島武郎一族はかなりの富豪でして、恵まれすぎてる、これも一つ、あとなんか・・・、なんか・・・、このヒト・・、自分に酔うタイプの人間では?っていう感触がしました。実際に、有島武郎の人生ってのはその後はかなりはちゃめちゃです、wikiで確認するとよろし。この作品の世界観がぶち壊しなるので読まないほうがいいかもしれませんが。

 
 宮崎アニメってのもかなりこのサナトリウム文学っぽい伏線があって、となりのトトロもそうでしたし、風立ちぬはモロに結核物でしたね。


 若い女性が結核で死ぬ、こんなキレイな死に方は無いです。男ってのはロマンチストだからいつまでも女に夢を見てる、結核で若くして死ぬと、女のいやらしくて悪い部分ってのが見えないで死ぬことになりますので、男はこういう物語が好きなんでしょうね、黒澤明のスキャンダル、っていう映画もそうでしたわ。純粋な少女が結核で死ぬ。これは陰のタイプのイノセントな女性像ですがこれが陽のタイプだとアイドルってことになるのでしょう。


 純粋無垢で気高い女性・・・、う~~~ん・・・、ワタシはこれがすごい苦手なんだと思う、なんでかはわからないけどアイドルを見ると虫唾が走るし、どうも・・。そんなヤツいるわけねーだろ、っていうココロの奥からの呼び声が邪魔して入っていけません。至極簡単に言うとワタシはオンナが嫌いなんですわねw

 本当にまっすぐで、純粋で気高い男ってのは極少数ですがいます、実在します、ワタシはそういうヤツにあったこともある、こいつ本当にいいヤツじゃん!まぶしっ!ワタシの穢れた目が溶けてしまうっ!ってのw
 けどそういうオンナってのはいないと思うのですなぁ・・・、全然リアリティが無い。というかそういうカリスマ的な男性像を、オンナに当てはめて偶像化するってのがそもそも間違ってんじゃねーのって思います。男女平等ってのは、オンナにオトコの役割を与えることじゃないんじゃないですか?っておもふ。

 
 今ハリウッドなどでセクハラNO、Me Too、みたいな運動が流行っていまして、セクハラ上司的な人物が次々と追放処分されてます。が、やっぱこれもちょっとひっかかるんですよね、じゃあ別に女優やんなきゃいいんじゃねーの・・・。そんなの女優にそういうことを要求されるなんてバカじゃねーんだからわかるでしょうに。そういうところに足を踏み入れなきゃいいだけじゃん。歓楽街を歩いていて、ナンパされると、ナンパとか超迷惑なんですけど、ツン!みたいなことですよね。じゃあ家でおとなしくしてろよ。

 女優なんて結局はセックスアピール以外の何者でもない、演技力なんてほーーんの少しの映画マニアが評価してるだけ。そういう仕事です。ある種クソみたいな仕事、ヨゴレた薄汚いセカイです、だからこそ「ワタシは女優よ!」っていう開き直りがかっこいいんです、クソみたいな仕事だからこそ、強く自分を持って、それでもやるんだ!っていう見栄を切るわけ。そしてそこに魅力があるわけです。
 「ワタシは医者だ!」っていうのとはまったく違う。



 また元に戻りますけども、ワタシはやっぱり弱々しくて純粋無垢でカワイイっていう女性像が反吐が出るほど嫌いで、強くてかっこいいオンナキャラが好きですね。  

2018年3月15日木曜日

2018 ポプテピピック

 ワタシがテレビで流れてるアニメをリアルタイムで見るのなんて何ぶりでしょうか?そもそもテレビが今無いのですけど、だいたいリアルタイムでアニメを見たのなんて・・・ポケモン以来ですかね。ポケモンなんてずっとやってるからどのポケモンだよ!って話でしょうけど、初代ポケモンです、レッド、グリーンのあのポケモン。第一話からリアルタイムで見てました。あのストロボ事件も見てたし。
 調べてみると1997年!!ジーザス!20年ぶり!? 
ハルヒとか21世紀のアニメは全部放送終わった後に後乗りで見たという感じですからね。

 それくらい珍しいことです。

きっかけは、たまたま本屋でカバーを見かけて、その絵面がガッ、と脳内に刷り込まれて、これ一体なんなん?アニメやってるんだ、見てみるけ、という流れ。


 21世紀になって良いアニメを見分ける方法がすごく単純化されました。美少女が可愛くないアニメはだいたい良作なんだろうなってことです。ヲタクに媚びないで存在できてるってことは、何か他に強烈な強みがあるんだろうな、ってことです。
 狼の群れの中に羊が一匹混じっていたら、その羊はとにかく何か特別な能力を持ってるに違いないってことです。やばい病気を持ってるのか、最強の羊なのか、サイコ野郎なのか、ただたんにいぢられているのか。
(ちなみに20世紀にはゴールデン帯、夜7時にアニメをやってました、今はそうではないらしい、とりあえずゴールデン帯のアニメはチェックしとけば良かった。でもあれって親はやっぱ迷惑だったでしょうね、飯時にアニメをやってるとガキがテレビに張り付いてメシを食べない。ドラゴンボール、るろうに剣心、ポケモンとかがゴールデンアニメだった記憶があります、メシ食いながら見るアニメではない・・かな?で親父とかが野球を見ようとするとガキと戦争になるというわけ)


 そういうわけで、このアニメ、クソアニメ!の触れ込みにかかわらずすげぇですねw めちゃくちゃ・・・w

 クソ、かどうかはわかりませんが、すごい尖ってる。


特に再放送システムは斬新ですね。

もともと15分アニメの予定で制作していたのが、30分枠になってしまい、前半、後半を同じ絵を使いまわして声優などのキャストだけを変えて流すというシステムなんですが。これのおかげで、声優、に焦点が当たるアニメになっています。こういうふうに演技するのか、この場面はあっちのほうが良かったな、みたいに、比較出来る。
 ワタシは全然声優マニアじゃないんですけど、声優好きのヒトにはすげー面白いと思います、声優って面白そうだなって思える。
 声優って今は違ってますけど、顔出しをしないからルックスよりも実力が重視されるセカイでした、アイドルとかは25をすぎるとだんだん消えていくけど声優は実力があればずーーーーっと現役ですものね。だんだん女のタレントが年をとるっていう経過を見れるのは声優だけ。顔出しの女優はちょっといなくなったと思ったらまた整形、顔変わり過ぎだろ・・っていうのを繰り返していきますけど、声優はそうじゃない。
 俳優は年をとっても年をとった役をやれるから生涯俳優、みたいなことを言いますけどそりゃ大嘘ですものね特に日本は中年女性の役、なんてほぼ無いに等しい、あってもチョイ役、若くてキレイな女の役が9割でしょう。男もだいたいそう。
 よく言われるのは25までに売れなければその後に役が入ることはまずない、って役者のセカイでは言われています。


 が!最近は声優もアイドル声優ってわけで女性は顔出し前提でルックスも重視されるようになってしまいました、すぐにCDを出す。悲しい限りですね、ブスに生きる道はなし!w でもそのおかげでどうも・・実力は下降気味って気がしてるのはワタシだけでしょーか。
 
 
 同じ理屈でラジオもそうですよね、ルックスよりも実力、話が面白いかどうかが問われる。ラジオを聞くと芸人が本当に面白いのかどうかがわかります。テレビ番組自体はまったくおもしろくなくても、くりぃむしちゅーはすごい実力あるし、有吉弘行だって実力者です。テレビ関係者としてはそれがわかってるからキャスティングしてんですけど、テレビ自体がクイズだったり、グルメだったりでまったくおもしろくないんで伝わらないけど、やっぱりあの人達は実力あるんですよね。面白いものを求めてないのか、わからないのかテレビを見てるヤツのほうに問題があるんですけど、そのテレビを見てるヤツのレベルを低くしたのもやっぱテレビのせいなんでまぁどっちもどっち。


話をもどしますけどこの再放送システムのおかげで、ちょっと聞けばあのヒトだ、ってわかるタイプの声優、キャラが立った声優がキャスティングされています。だいたい売れ筋のアイドル声優二人組と、ある意味色物みたいな声優っていうふうに。


 悠木碧っていうヒトはいい声してるなーっていうのを今更知りました。一体何を言ってんねんバカか!?ずっと前から超有名じゃ!とたぶん言われるんでしょうけど、ほんとワタシは美少女アニメは見ないので昨今のアニメ事情には疎い・・。さすがに千葉繁や若本規夫はわかりますけどね。


 この再放送システム、って昔ハルヒでやってましたよね、エンドレスサマー。絵をほとんど使いまわしで、微妙にディテールを変えるっていう。大不評で大失敗w ものすごいクレーム殺到だったようですが、でもだいたい、新しいことのヒントってのは大失敗のほうに隠されているものです、大成功したものと同じようなことやっても、新規参入したって追いつけるわけない、大失敗からパクるってのはいいアイデアの作り方だとワタシは思っています。
 
 えぐみは旨味。ちょっとひかせる、ちょっとうわっ、となる、くらいが実は最高のバランスだってことです。



 それと音楽がやたら強烈、BGMのヴォリュームがでかくてボイスにかぶってたりしますがいいQしてます。オープニングの曲もかなり良いです。
 最近の言い方をするなら今季のアニメはこれで決まりだ!w

2018年3月12日月曜日

Bluetooth イヤホン 使い心地レビュー

 スマホになったのでイヤホンはBluetoothにしてみようと思って買って使って見たのでその感想を書きます。

 どのBTイヤホンかっていうのはあんまり問題じゃなくて、BTイヤホンそのものの感想。


 有線イヤホンだと、コードがひっかかってスマホごと落下、スマホ崩壊、イヤホン断線、という最悪の事態が起こる可能性があります。昔みたいにMP3プレーヤーだとMP3プレーヤー自体が軽いのでそこまで重症になりませんでしたけど、スマホは重いし、画面も脆い。みなさんフィルムだのケースだのと買っていると思いますけど、コンクリにバキっといくとやっぱり恐ろしい。画面が割れてるヒトは30%くらいいるんじゃないですかね。

 だからBTはその危険を減らします。これがBTの最大の利点だと思います。スマホを破壊することがない。


BTの最大の弱点はイヤホン自体が充電が必要だってことです。操作部がついてるタイプはやっぱり重い、首にペタッとくっついて邪魔。マフラーとかネックウォーマーをつけてるとつけ心地悪いです。完全ワイヤレス、のタイプも充電しないといけないという面倒くささからは逃れられません。

 ものによると思うのですけど8時間くらいしか電池が持ちません、ワタシみたいなヘッドフォナー(外にいる時は常にヘッドフォンつけてて外界を遮断してるタイプ)には8時間は短い。家に変えるまでにやっぱ12時間、余裕をみて16時間はないと困る・・

 それとワタシみたいに音楽じゃなくて動画を音声だけ聞いたり、ラジオを聞いてる人間は、イヤホンの通信が途切れると動画がまた最初から再生されてしまうのがすげー困る。

 そこまでしょっちゅう途切れるわけじゃないんですけど、やっぱりたまにブチブチします。やっぱこれはすごいストレス。服の素材によるってこともわかりました。ダウンみたいなシャカシャカ系にすごい弱いみたいです、総じて冬に弱いです。着込むと良くない。


あとやっぱりイヤホンしてるってことに気づかれないでなんだこいつ?っていう目で見られることがあります、これは完全ワイヤレスだと相当なリスク。


 ジムでランニングマシーンとかでスマホをキカイに置いて使う、みたいな時にはすごい良いと思います、フィットネス向きです。ダンスとかは有線だと実質不可能ですし。

 ずっと使いっぱなしにするには有線のもののほうが良いと思います、使い分けが大事ですね。音質といいますけど、ワタシはイヤホンにそこまで音質を求めてません。どうせすぐに壊れますし。本当にじっくり聞くときはステレオやごついヘッドフォンを家で使ったらいいのではと思いやす。けど最近そこまでじっくり聴き込まないといけないようなアルバムはないし、元の音源自体がレベルの調節が高額ステレオなどを使わないで聴くように調節されてますしね。

2018年3月8日木曜日

Rock and POP is too dead

今年のフジロックのヘッドライナーはケンドリック・ラマーになったんですって。サマソニは行ったことあるけどフジロックは行ったこと無いんですが、これはなかなかのニュースですよね。


 ロックちゃうやん。FUJI HIP HOPですやん。


ってツッコミたくなるのはやまやまなんですが、でもその選択、間違ってない。ここ5年、いや10年?ROCK とかPOPの衰退は著しくて、唯一、進歩してるっていうか変化してるのはHIP HOP、とHIP HOPを取り入れた何か、だけだって気がします。 グラミーとかを見ても、HIP HOP部門だけ攻撃的でパフォーマンスも圧倒してます。

他は全部、誰やねん、っていうのと、アイドル、アイドルって感じです。これは日本もしかり、アイドル、アイドル、アイドル、ずーっと同じことの繰り返しのラブソング、サクラ関係の歌、卒業ソング、両親にマジ感謝!ヨロシクぅ!ですものね。


フジロックの運営者は頭柔らかいんだなって思いました、偉い。もうロックっていうネーミングを無くしたほうがいいんじゃないですかね、フジミュージックフェスとかにしたら、ロックの求心力は今地の底に落ちたというところ。


 一方サマソニはノエルギャラガーとベック・・・、いやいや、90年台で時代止まってんのかよ。おっさんじゃねぇか。


 個人的な話なんですが、最近歌ものの音楽を聞かなくなってきました、音が良くても内容がくだらなかったりするともやもやする、変わってゲーム音楽、サントラにシフトしてきました。これからの音楽はそうなっていくのかも、と思います、言うことがなさ過ぎるから、歌、じゃなくなってくるのでは?



2018年3月6日火曜日

2015 the Martian オデッセイ

 火星に1人残されてしまった宇宙飛行士を救い出す。

という一行で説明出来るタイプの映画です。映画は一行で説明出来るもののほうが良いというのはよく言われること、とくに売上的な問題で。映画ってのは長くて3時間しかないわけで、3時間で語れること、に焦点を絞ったほうがいいので。


 最近こういう宇宙サバイバル、みたいな映画が流行ってるのですね、そんな最近ってわけでもないですが。ゼロ・グラビティもそんな感じでしたものね。

 無重力空間っぽく撮影するノウハウが完成したってことなんでせう。


 けどこの映画の火星がどうも火星っぽさが無い気がするのですよね、火星って地球より重力が弱いはずなんですけど、まぁさすがに地球で重力を調節して撮影するわけにもいかないのですが、やっぱ赤い土の地球で撮影してるな、っていう感じしかしません。


 ただ映画としては、なんかポピュラー・サイエンス的な面白さがあって、かなり嘘こいてるところもいっぱいあるんですけど、全然宇宙物理学なんかわかんないってヒトにも楽しめるように出来ています。

 コドモに「僕もアストロノートになる~~!」って言わせたいという為の映画って感じですね。


 こういうたぐいの映画はやっぱハリウッド以外には作れませんしね、NASAの協力が無いとどうしようもない、資料とか実際の部品とか、そういうリアリティを作れませんから。


 途中で中国の宇宙開発局もNASAに協力に加わるんですが、これが昔のアポロなんとかっていう映画と違うところですし、時代を感じますね。中国に応援を要請するんだ・・・、時代は変わったねっていうとこです。


 ただちょっと長い気がする・・・。もっとコンパクトに出来たのでは・・・。


 オトナになると宇宙開発で一番難しいのは物理的、エンジニア的な問題じゃなくて、どうやっておカネを集めるかという資金繰りの問題だってのがわかってしまうので宇宙にそんな夢を抱けないですよね、宇宙開発の8割は資金集めですから。

2018年3月5日月曜日

板チョコ 味比べ

 ワタシはカフェインを摂らないようになったので、その変わりにチョコ中毒になっておりますw
  カフェインって取ると確かに数時間は集中力アップするんですけど、その後にすごい脱力状態に陥りませんか?そっからさらにコーヒーを連発すると脳がフラフラに疲れてるのに眠れない、っていう最悪のループに入ります。
 頭脳労働者はコーヒーに頼りがちなんですけど、実はコーヒー飲むと全体の生産性は下がるってのがワタシの持論です。コーヒーショップで5年働いてたクセにワタシがいいますw


 で、チョコと言えば板チョコ、加藤一二三効果もあってちょっと板チョコブームになってる気がします。ワタシなりにレビューしてみます。


・ガーナチョコ 
  あの赤いやつで、どういうわけかいっつも大量に陳列されている、大して値段は変わらないんですけどさも安売りですよ!って感じでいっぱい並べるという戦略で売られています。ガーナ以外であぁいうふうに棚占領して並べられてるのはあんまり見ません。
 で、ガーナチョコというと植物油脂が使われていて不味い、ロッテは韓国の企業だし、気に食わないっていう意見が特にネットでは支配的。ネットってどっちかというと右寄りだし、自由で先進的な人々が使ってるようでめちゃくちゃ保守的な人間が多いというのがワタシの肌で感じた感覚。
 植物油脂かどうかなんて問題ではない、自分の舌を信じろ!とワタシは言いたいw 原材料はアレだから・・、っていうのはこの作品はシェイクスピアだから、っていうような感じでコトバに思考を支配されすぎであろう。無名の新人作家を酷評しても誰も起こらないけど、人気作家を酷評すると、わかってない、とかアンチ、だとか、ただの妬み嫉みっていう扱いをされるのと同じ。ブランドに踊らされてるのはほんとはどっち?

 なにせ舌というアナログな感覚器官をコトバで表現するのは所詮無理。
 
さぁその味とは・・・?

 ねばっとしてあまり美味しくないw 

 褒めるのでは?というフリをしといてこれが結論です。ネットの口コミ・・ただものじゃないw とにかく後味がなんか悪い。ネトネトする・・これは勧められません。

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・森永
 パッケージがかっこいい。パッケージというかフォントのがかっこいい、なんていうフォントなのコレ?アール・ヌーヴォー的なデザインを感じさせるデザイン。これも植物油脂だ、と叩かれています。ふむ・・・。

 味は甘さがちょっと控えめという感じがして、香りが良い。けどあんまりチョコ食ってる!っていう感じがしない。パンとかケーキに乗ってるチョコを食べてる感じです。主役としてやってくにはちょっと・・顔が可愛くないかな~・・、っていう感じです。

 オトナ向けですね。

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 明治


 だいたいチョコ好きは明治を推します。ピュアなチョコなんですって。チョコにピュアもクソもあるかよって思いますけども、原材料的にはこだわって作っているらしい。ただパッケージはシンプルすぎるというか、パンチがない。しかしキミ・・チョコは味だろ?


 味は良くも悪くもウルトラスタンダード。これが平均点だ!というヤツです。けど・・・、何故か料が少なく感じる、これはチョコのカット割りに問題があるようです、板チョコってなんか模様みたいなのが入っててそれに沿って割って食べると思うんですけど明治はそれが小さくて、なんかせせこましい感じになってしまう。割らないで直に食いつくのはあんまり見てくれが良くないし歯型がつくとなんか食欲が失せる。


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 ブルボン


 ブルボンに板チョコなんかあるの??っていう意見がほとんどだと思いますが、ドン・キホーテのスーパーだけで販売されてる様子。

 そしてこれがワタシの一押し。カット割りが大きくて、なんか高級なチョコを食べてるような錯覚を覚える。味がしっかりしてて、しっかり甘い、けど後味はベタベタしない。甘いもの好きにおすすめのチョコです。甘すぎるのが苦手なヒトにはしつこいかもしれません。ただそんなやつはチョコなんて食うなって話ですw せんべいでも食ってろ!


 ワタシの舌はブルボンとのシンクロ率が高いようです。

 次点で板チョコではないんですが、ダイジェスティブチョコビスケットという、わたしの一押しクッキーもブルボンです。このビスケは市販のビスケの中で一番美味いと思う、マクビティみたいな高いビスケの味がするのに安いしいっぱい入ってる、無敵かよ!

 アルフォートもブルボンなんですがこれはおすすめ出来ません、理由は一つでチョコが少ないからです。


 ワタシの死ぬほど好きなドリンクはチョコミントなんですが、チョコミントってなかなか売ってないのですよね、これはほんと死活問題・・。ブルボンさん!チョコミントドリンク!どうですか!?w

 どうもでもチョコミントにはアンチがいるようで定着しないですよねー、歯磨き粉固めて食ってるみたいっていう馬鹿舌どもがw 

1930 闇に囁くもの  the whisperer in darkness ラヴクラフト

 たぶんこれはかなりラヴクラフトチック、な作品であり、クトゥルフ系にかなり大幅な枠組みを与えてる作品です。

 クトゥルフ神話とはこういうことなり・・・、っていうふうな一冊の聖典みたいなのがあるわけじゃなくて、アンソロジー的にそれに関わる作品群が存在するっていう形でクトゥルー系が出来ているようなので、底が知れないですね。

 
 とっても気が狂った人間が考えたゲームの設定を説明されてるみたいに、ラヴクラフトが作った造語のオンパレードであり、その世界観もものすごい。冥王星ことユッグゴトフい、外宇宙、この宇宙より別の宇宙からの使者がやってきており、一種類ではなくていろんなタイプがいて、そっち側、の世界はものすごく入り組んでおり、ニャルラトホテプがいたり・・深淵が広がっておったり、惑星内の洞窟があったり・・・・

 一つ前の記事でガンパレード・マーチはとんでも超展開の設定があると書きましたがまさにそういうとんでも超展開の原型がここにあります、1930年の作品ですからね。


 ただ普通のイカれた作家の考えた設定と違うところはラヴクラフトにはやっぱり才能があって、そういうカルトチックなものが好きなヒトにはビンビン来るようなものがあります、わたしはそこまでナードチックな人間じゃないのですが、これは好きなヤツにはスゲー好きだろうなぁ・・っていうのが伝わってきます。ニャルラトホテプというネーミングもものすごい数引用されてますものね、ペルソナ2みたいにラスボス的に登場したり、ゲーム関係ではおなじみのネーミング。


 脳髄だけを手術で摘出してそれに発音モジュールみたいなのを付けることで、無限に生きられるし、宇宙観をワープ出来る。という「脳だけで生きてるモンスター」っていう今ではおなじみのイメージも、このあたりがそのオリジナルなんでしょうね。
 すごくゲームっぽい感じ、ってのをラヴクラフトにはワタシはすごい感じます。

2018年3月4日日曜日

2000 高機動幻想ガンパレード・マーチ

 かなりいわくつきのゲームです。

ある人は20世紀最高のゲームだと言うし、普通のヒトにはなんだかよくわかんないゲーム、ある人にはペルソナ3、の原型だと思われるし、サイコなゲームでもあります。


 学園アドベンチャーフェイズ、と戦闘フェイズが存在しており、学園フェイズではクラスメートと仲良くしたり恋愛したりして、戦闘フェイズではひたすら敵を倒すというゲーム。


 戦闘フェイズが、なんかスゲー昔のシュミレーションゲームのようなチープな作りで、ダンジョン探索型ターン制バトルというスタンダードなペルソナとの大きな違いはそこです。

 ワタシはなんの情報も見ないで適当にプレイした結果、Dランクとなりました。ハッキリ言って攻略情報なしでは絶対に一周目でグッドエンドにたどり着くのは不可能だと思います。自由度が高いゲームと言われますが、自由すぎます。何をしたらいいのかさっぱしわからんし、条件開放が謎すぎる。


 あとロボットがやられると故障を直さないといけないのですが、これが本当に面倒くさい、本当にただの時間泥棒、まったくおもしろくない作業を繰り返さないといけません。とにかく面倒でワタシは完全にココロが折れました。故障を直さないでいるとバトルにも参加出来ないので必然的にバッドエンドになります。


 それとワタシはなんにも知らないでプレイしたので、いきなりパイロットを配置換えになってしまったのをほっておいたのですが、これは絶対ダメです。パイロットを降ろされてたらすぐに陳情して戻してもらわないと確実にバッドエンド。でもなんの情報もなしではわかんないぜよ・・・。

 要するにバランスは無茶苦茶です、チュートリアルはめちゃめちゃ多いのですが、それでも、要するにどうすればいいの?ってのがわかりませぬ。



 攻略情報、裏技を駆使するとまったく違うゲームに変貌するようです、ワタシは実際には見てないですけど、仲間の少女が改造人間だったり、ある人が実はクローンだったり、敵は実は悪くないやつだったり、異次元の世界が存在したり、第五世界が・・宇宙が・・・実は神という兵器だったのだ・・・、おれは人間じゃない!幻獣だったのだ!はっはぁ!しかし・・実はすべてパラレルワールドの話さ・・・みたいな調子。


 冗談みたいですがグッドエンディングのほうに向かうと、そういう超展開、スーパーオカルト鬱ファンタジー、みたいな展開になるようです。普通にプレイしてても、なんか・・・なんだこりゃ・・?みたいなことが置きます、食料難になるとコドモが餓死したり、一緒にパイロットやってるヒロインがワタシは世界を征服してやるんだ、っていう電波なことを言い出したり、幻獣はほんとに悪いヤツなのかな?と言うと暗殺されたり・・・。

 そういうなんか、気が狂ってるような世界観にビリビリくるようなヒトには神ゲー!ということになるんでしょう。そうか思い出したぞ!この時代ってそうだったわ、エヴァンゲリオンロス、でなんかクリエイターがみんなおかしな方向に行ってた時代の話だ・・ってのを思い出させてくれます。世紀末の香りがします。

 
 結構文句を行ってますが、クソゲーではありません。斬新すぎる、尖りゲーですね。マニアゲーといっても良いかも。刺さるヒトには強烈に刺さるのは間違いなし、そしてシステムもものすごい斬新、実験精神に富んでいて作り込みもかなりされてます。これをもっと一般向けに昇華するとペルソナ3になるのだなーという感じ。

 ゲームっていうメディアは作るのに膨大な予算と時間がかかるわけで、実験的システム、みたいなのがすごい作りづらい業界です、だからだいたい全部同じようなゲームになりがちだし、同じようなシステムでシリーズを続けたりばかりで新しいものがなかなか生まれにくい。ゲームで挑戦的なことをするってのは決死行なわけで、それだけでも褒められてしかるべきです。


 ワタシは何周もするほどドハマリしませんでしたが、とにかくすごいゲームであるというのは確かです。万人には決しておすすめ出来ませぬ。


 あとイラストがもっと可愛げがあればなー・・、わたしこういう80年台アニメ塗りっぽい絵面がすごい苦手なんですよね、絵面で物語がちっとも入ってこないのです。ワタシ手塚治虫もほぼ呼んだこと無いのは同じ理由なんですよね、絵面がまったく受け入れられないからどんなに名作なのか知らないけれど、何も眼から脳みそに入ってこない、角膜あたりですべてブロックされちまうのです。

2018年3月3日土曜日

1920 死体安置所にて In the vault  ラヴクラフト

ラヴクラフトによる短編で、クトゥルフシリーズとは関連の無い物語。

 鈍感でやや愚鈍な葬儀屋が、死体安置所に閉じ込められてしまって・・・という話。ブラック・コメディと紹介されてますが、独特の雰囲気を持った作品。

 ラヴクラフトはグロに走らないで、雰囲気作り、を重視する作家のようです、実害とかアクションより、世界観、を大事にする、これにもそれがよく現れてますね。

2018年3月2日金曜日

1916  明暗 夏目漱石

夏目漱石最後の作品であり、作者絶命により未完。

 未完ではあるけれども漱石の中で最長の作品であり、内容的にはまだまだ続くようなストーリーなので漱石は最後に超大作を計画してた模様です。


 でその内容なのですが正直に言うとワタシにはこの作品の狙いがよくわかりませんでした、未完ってのが何よりの問題なのですけど、この作品が良い作品なのか、最後に耄碌して駄作を残してしまったのかワタシにはわかりかねます。


 こんなことは珍しくて、ワタシはだいたい、作品を読んだら自分でパっと答えが出せます、他人の意見などどうでもいい、自分なりに、あぁこりゃひどい、とか名作やなー。って自分なりに答えが出るものですけど、この作品はずっと暗中模索。この作品本当に漱石が書いてるの?って疑いたくなるくらい、今までの漱石の作品とは異色であり、スタイルとかも全く違うのです。


 まず何よりもやもやしてよくわからなくなる原因は、主人公である津田、が全然いい人間ではないのです、といって悪の華というわけでもなくて、ただたんに、レベルの低い人間というか、ステレオタイプに囚われた凡俗な人間です。
 こういうタイプの主人公に据えたことは一度もなかった漱石なので、異例中の異例。またもう一人の主人公として登場する津田の妻、延、も断罪してしまえば、単なるスノッビーのいけ好かない貴族の娘であり、全然共感出来ません。


 共感しにくい主人公を置く、というのはものすごい挑戦的です。これが成功してる例を見たことが無い。やっぱりみんな主人公に自分を重ねてしまうので、だんだんムカムカしてくるわけです。


そのスノッビーな主人公たちに対して敵として現れるのは小林、という落ちぶれた貴族であり、彼は下層階級の人間なのですが、この小林も、悪い下層階級の見本というのか、ルサンチマンに囚われた人間で、素直にいい人間では全然無い。登場人物すべて、なんかスカっとする気持ちのいい人間が1人もいない、いやな感じばかり与えるようなキャラクターで構成されています。


 小説の大半はそのスノッビー達による、しょうもない腹の探りあい、見えの張り合い、足の引っ張りあい、みたいなことで消費されています。


 清子という、その津田と過去に付き合っていたのですが、急に他の人間と結婚したという女と出会うというところで小説は未完となっています。そんな昔の女にいつまでも拘泥してる時点で津田という男は、ほんと気持ちの悪い人間というか、かっこよさが無い。津田という人物が背の高い、ルックスの良い好男子という設定がキーにもなってます。 


 でもやはり未完なので、最後の最後で、この長大なフリをすべて回収するような、ものすごいオチがあったのかも、とも言えます。それにしたってフリが長すぎやしないか?って感じなのですが、やはり未完というわけでなんとも言えないわけです。


 ワタシなりにこの未完の筋を完成させるとすると、津田が清子をレイプする、っていう結末以外に何も思い浮かばないです。そして、清子が自殺する、吉川夫人が津田にそれを隠すように肩入れする、代わりに延と離縁し自分の愛人になれと勧める、延かあるいは津田が吉川夫人を殺す。津田が絶望して最後に残される、小林が最後にほくそ笑むが、彼はすでに貧苦に倒れ野垂れ死にをしてる・・・

 というシェイクスピア風の血まみれの結末しかワタシにはこのフリを回収して面白く小説を締めくくるってことが思いつかない、あなただったらどうしますか?

 大喜利としてやってみたいですね、この小説にどうやってオチをつけるかっていう。
ただ1916年の日本として、レイプなんて筋はつけられないだろうし、どうもこの血まみれ芳年みたいなのは新聞小説としてまだまだタブーでしょう。

 どちらにせよ未完が悔やまれる作品ですね、作品の構成メモみたいなのが残ってやしないのですかね?