2018年3月2日金曜日

1916  明暗 夏目漱石

夏目漱石最後の作品であり、作者絶命により未完。

 未完ではあるけれども漱石の中で最長の作品であり、内容的にはまだまだ続くようなストーリーなので漱石は最後に超大作を計画してた模様です。


 でその内容なのですが正直に言うとワタシにはこの作品の狙いがよくわかりませんでした、未完ってのが何よりの問題なのですけど、この作品が良い作品なのか、最後に耄碌して駄作を残してしまったのかワタシにはわかりかねます。


 こんなことは珍しくて、ワタシはだいたい、作品を読んだら自分でパっと答えが出せます、他人の意見などどうでもいい、自分なりに、あぁこりゃひどい、とか名作やなー。って自分なりに答えが出るものですけど、この作品はずっと暗中模索。この作品本当に漱石が書いてるの?って疑いたくなるくらい、今までの漱石の作品とは異色であり、スタイルとかも全く違うのです。


 まず何よりもやもやしてよくわからなくなる原因は、主人公である津田、が全然いい人間ではないのです、といって悪の華というわけでもなくて、ただたんに、レベルの低い人間というか、ステレオタイプに囚われた凡俗な人間です。
 こういうタイプの主人公に据えたことは一度もなかった漱石なので、異例中の異例。またもう一人の主人公として登場する津田の妻、延、も断罪してしまえば、単なるスノッビーのいけ好かない貴族の娘であり、全然共感出来ません。


 共感しにくい主人公を置く、というのはものすごい挑戦的です。これが成功してる例を見たことが無い。やっぱりみんな主人公に自分を重ねてしまうので、だんだんムカムカしてくるわけです。


そのスノッビーな主人公たちに対して敵として現れるのは小林、という落ちぶれた貴族であり、彼は下層階級の人間なのですが、この小林も、悪い下層階級の見本というのか、ルサンチマンに囚われた人間で、素直にいい人間では全然無い。登場人物すべて、なんかスカっとする気持ちのいい人間が1人もいない、いやな感じばかり与えるようなキャラクターで構成されています。


 小説の大半はそのスノッビー達による、しょうもない腹の探りあい、見えの張り合い、足の引っ張りあい、みたいなことで消費されています。


 清子という、その津田と過去に付き合っていたのですが、急に他の人間と結婚したという女と出会うというところで小説は未完となっています。そんな昔の女にいつまでも拘泥してる時点で津田という男は、ほんと気持ちの悪い人間というか、かっこよさが無い。津田という人物が背の高い、ルックスの良い好男子という設定がキーにもなってます。 


 でもやはり未完なので、最後の最後で、この長大なフリをすべて回収するような、ものすごいオチがあったのかも、とも言えます。それにしたってフリが長すぎやしないか?って感じなのですが、やはり未完というわけでなんとも言えないわけです。


 ワタシなりにこの未完の筋を完成させるとすると、津田が清子をレイプする、っていう結末以外に何も思い浮かばないです。そして、清子が自殺する、吉川夫人が津田にそれを隠すように肩入れする、代わりに延と離縁し自分の愛人になれと勧める、延かあるいは津田が吉川夫人を殺す。津田が絶望して最後に残される、小林が最後にほくそ笑むが、彼はすでに貧苦に倒れ野垂れ死にをしてる・・・

 というシェイクスピア風の血まみれの結末しかワタシにはこのフリを回収して面白く小説を締めくくるってことが思いつかない、あなただったらどうしますか?

 大喜利としてやってみたいですね、この小説にどうやってオチをつけるかっていう。
ただ1916年の日本として、レイプなんて筋はつけられないだろうし、どうもこの血まみれ芳年みたいなのは新聞小説としてまだまだタブーでしょう。

 どちらにせよ未完が悔やまれる作品ですね、作品の構成メモみたいなのが残ってやしないのですかね?