2024年1月31日水曜日

-1000~600  アヴェスター 

  ゾロアスター教の聖典とされるアヴェスター。


ゾロアスター教というものは3000年前くらいから存在していたようですが、それが文書になったのは、1400年前くらいなので、このアヴェスターが本当に、最初のゾロアスター、ザラシュストラ、の言ってたことなのか非常に怪しいですし、さらにそのほとんどがイスラムによる迫害で失われてしまっております。


 内容は正直まったく意味がわからない、一つも意味がわからん。こんな意味がわからん本は久々ですね、ほとんどが呪文というか呼びかけというか、文章ではありません。祈りの文句なのかもしらん。


 ゾロアスター教は一神教で善悪二元論、っていうふうに歴史の教科書とかには書いてありますけど、ほんとにそうなのか誰にもわからぬ。そう思ってるだけなのでは?実際は全然違ったってことが非常にありそう。


 アヴェスターの信頼性は置いておいて、ゾロアスター教という宗教があったのは確実なことで、中国まで伝来しておりますし、現在も少数ながら存在してます。


 世界最古の宗教とされていますが、正直、ほとんどがよくわからない、宗教です。

ただその曖昧さ、ファジーさが、いろんなものを「許せる」タイプの宗教であるということも言えそうです。ほとんどの宗教は排他的ですが、ゾロアスター教は移動する、動き続ける、という、まさに「火」をイメージした宗教なので、明示的な戒律やルールではなく、火のようにあるってことなのかもですね。深いね。

-370 パイドロス 饗宴  プラトン 恋について

   ギリシャの現代は シンポジオン  つまりシンポジウムです。

おぢさん達が集まって、エロースについて、恋について話すというあらすじだけ見ると非常に気持ちの悪いお話。


 しかもアテナイ人のいう恋、とは、「パイデラスティア」 少年愛のことです。ここでいう少年とは、ヒゲの生えない頃、つまりまぁ思春期手前、ロリータってことですね。

 そのくらいの少年を愛することが本当の愛、恋である。肉欲ではなく、魂を愛することだから。

 というYoutube噴飯ものの内容ですw 女性を相手にする恋は下品ともしていて、現代ならいろんな方面から袋叩きですね。

でもこういう衆道、男色のほうが高尚なものとされるのはアテナイだけでなく、歴史上ぽつぽつと現れては消えていくもので、日本の戦国もそうで、信長の恋人も美少年だったのは有名なお話。


ですが!そういう少年愛を賛美するだけの本が2400年も残るわけがない。真実の、愛することとは何かについて語ろうではないか・・・


 エロースは、神ではなくダイモンで、常に貧しく、常に美しさを求める物なり。とデオティマという伝説の巫女が教えてくれます。



 これもプラトンがピュタゴラス派の影響をどっぷり受けた中期の作品。「国家」と並んでプラトンといえば、だいたいこの中期の作品のことを指す場合が多い。初期の作品はプラトンの哲学というより、ソクラテスの哲学をそのまま書いたものだと思われている。

 後期はプラトンは政治的になり、哲学、からは離れていって形而下の話題に落ちていくことになる・・・

2024年1月29日月曜日

1980 山河ありき  寺山修司

  競馬エッセイもほぼ晩年の作品。


晩年というか寺山修司な1983年に47才で死んでおるので・・47才!若すぎだろ!

 死ぬ三年前の出版ということになります。


 寺山修司が死期をさとっていたのか知らないけれど、非常に暗いというか終わり、の話ばっかりです。名馬みたいなのはまったくとりあげられず、ほとんどが怪我で死んだ馬や、ちっとも勝てずに馬肉にされてしまった馬の末路。

 この時代といえば、爆発的な最強馬、マルゼンスキーの時代ですが、ほとんど触れられていない、こういうバカ強い怪物は趣味に合わないということです。 


 文章も正直精彩を欠いてきている。詩人、寺山修司は死んでしまったようです。


詩人、っていう職業は、ほとんど長生きを拒否しているみたいなもんです。詩なんかで食っていけるわけないのだから。長生きする詩人なんてのはダサいものです。詩人はだいたい20代で死んでる、松尾芭蕉も爺というイメージですが50で死んでますから、そこまで爺というわけではない。

 ほいで時代も変わってしまった、60年代が闘争の時代でしたが、70年代は転向と事なかれ主義の時代、保守主義の時代です。

 70年代は断絶の時代だともワタシは思う。60年代の闘争、は世界規模のもので、世界の若者たちは、他の国の戦争とか闘争を自分のことのように感じていた。けど70年代にそういった理想が次々と崩れて、みんな自分のことだけ考えるようになった(という理想を持ってた連中は学生運動とかで散ってしまい、バカだけが残ったといえます)

 そして80年代はバブルです。拝金主義の下品な時代。確かに寺山修司にバブルは似合わない。バブルに詩人、なんて人種の居場所は無いというわけです。

 競馬もギャンブルおじさんたちの最後の砦から、どんどんエンターテイメント、ファミリー向けをアピールしていくことになります、シービー、ルドルフ、とスーパースターが現れ、オグリで競馬ブームが爆発し、競馬が裏街道おぢさんのものから、みんなのギャンブルへと変わっていく。オールドスタイル競馬の終わりなのです。


 あと漫画、に関する言及が多い。そこはやっぱり寺山修司でして、はやくも漫画、が次のメディアの寵児になると見抜いてたみたいですね。「ガロ」、が漫画を子供だましから、最先端の文化を提供する媒体へと変えていったわけです。一番新しいものは、まず漫画から始まることになった。

1987 ダンジョンマスター

  これも洋ゲーRPGなのですが、とにかく斬新の一言。

 普通のRPGとはシステムが全然異なります。


3Dダンジョンなんですが リアルタイムバトル  シームレスなバトルが展開されます。リアルタイムバトルの3DRPGって初めて見た。

 いやそれは3Dアクション何じゃないか?って声もありますがかなり異なります。言葉ではとても説明出来ないですねこのゲーム。

 いろんなシステムが既存のシステムとは全く異なっているのです。別の世界線では、このゲームが主流となっていた可能性もある・・・、どうしてもっと流行らなかったのか謎です(実は今も熱心なファンがクローンソフトを作ってるらしい・・・)それくらい何もかも違う、別の世界からやってきたゲームって感じ。このゲームみたいなゲームを見たことがない。


食べ物だけでなく、水、も補給しないといけないし、魔法はルーンの組み合わせで唱えるし、カーソルドラッグで物をつかめるアドベンチャーっぽくもあり、物を投げられるし、パーティの左右の概念もあるし、装備できる場所も多いし、アイテムにも全て重量が設定されている・・・ 

 などなどなど、見たこと無いシステムのオンパレード。


 だがやはり、スーファミにはどう考えてもオーバースペックのゲーム、挙動がもさもさしすぎていて、楽しめません。次世代機で出してほしかった、いや実際出てるのですが、出来が芳しくなかった模様・・・、非常に惜しい作品ですね。

2024年1月26日金曜日

1987 Wizardry #4 Return of Werdna ウィザードリィIV ワードナの逆襲

  ウィズ本家の四作目でこっからウィズはおかしくなってしまいましたw

逆にこの4で本家ウィズがおかしくなってしまったことにより、ウィズ外伝、として日本で独自のウィズが生まれることにもなった、いろんな意味でマイルストーンな作品。


なんと1のラスボスだったワードナを操作して、魔物を操って冒険者を倒そう。というスーパートリッキーゲーム。4でこれ??1987年にこの裏というかメタな展開?? 

 どう考えても、すべてにおいて早すぎる、20年は早いゲームシステムです。


 ほいでノーヒントアットオール、殺人的ノーヒント。謎解き要素が多いけどどうすればいいかまったくわからないという、時代に逆行する鬼畜レトロゲームへと逆戻り。

 さらにレベルも上がらない、キャラメイクも無い、とそれまでのウィズとは全然別のゲームに。

 もともとウィズは本家版ではパロディとかギャグの要素が多くて、このⅣではそれが大炸裂したと言えます。バランスももちろんぶっこわれ。

 はっきりいってしまえばクソゲーです。でもクソゲーというにはあまりにも斬新なアイデアがもりもり詰め込まれている。

 もしこのゲームがウィズの4作目じゃなく別ゲーとして発売されていたら、驚くほどの天才が作った早すぎたゲームとされていたかも。

 説明書もすごくて、この意味不明の4を攻略するためのデータが山盛り記載されてます。日本での販売元は説明書で補完するしかないと判断したのでしょう。


 意味がわからんすぎる。ということで長らく歴史から抹殺されていたソフトでしたが、プレステの時代(10年後)になって、「ニューエイジ オブ リルガミン」として一応遊べるレベル??になって発売されましたが、やっぱ評判はいまいちだったのか、もう時代が変わってしまっていたのか(もうFF7とかの時代)、あまり話題になりませんでした。が、それによってプレミアゲーム化。実質Ⅳを遊べる唯一のソフトなので今手に入れようとするとかなり高い貴重ゲームとなっています。


 Ⅳのアレンジバージョンというプレイ出来るところまでリメイクした作品と、極悪であったオリジナル版を収録しているし、さらにⅤも遊べるという、ソフトとしての出来は親切で嬉しいゲームです。明らかにウィズのファンが作っています。


 それにしてもこのゲーム、日本ゲーでは考えられない悪ふざけというか、すごいノリのオンパレード、やっぱ洋ゲーなのだなぁ、海外のギャグセンス理解できぬって感じがありますね。

2024年1月25日木曜日

1988 スナッチャー 小島秀夫

  メタルギアシリーズの小島秀夫氏の作ったアドベンチャーゲーム。

古いですねー。こんな昔から仕事してるのですなぁ。


 小島監督、というくらい他のゲーム作ってる人とは別の仕事をしてます、ゲームのプロデューサーなんて基本的に名前なんて出ません、一人で出来ることなんてたかが知れてるし、かなりの規模のチームでやってるんだろうから、監督っていうよりはまとめ係って感じです、小島氏はほぼゲームというよりはシナリオライターですよね。

 確かにそんじょそこらの作家なんかよりもよっぽどきちんとした作品を作っています。ゲームじゃなくて普通に脚本家としてもやっていけると思う。

 ただ脚本家ってのが、どういうふうに出世していくか、という道筋、みたいなものが無くて、だいたいはただのコネみたいなので決まるわけですが、だから映画の脚本ってのはつまんなくて、原作ありき、そしてもっと堕落していって、マンガの映画化、二次創作しか作れないということになってしまいました。(あと古い映画のリメイクやリブート)

 良い脚本家を発掘、育成するっていうことを一切してこなかったのですわ。いくら才能あっても脚本家になれないというわけ。


 さてこのゲームは未来の神戸?でスナッチャーという人の皮をかぶって人間になりすますアンドロイド?みたいなやつを倒すという感じの話。ブレードランナーに影響を受けたとありますが、ほぼそのままといえます。レプリカントですね。


 シナリオは結構めちゃなところもあるんですが、それはゲームとして成立するためだったり、物語の整合性よりも映画的盛り上がりを優先してそうなってるってことでして、全体としてこの手のゲームでも相当しっかりしている、と言えます。良作判定ポン!


 ただメタルギア、っていうロボットも出てきますし、小島テイストはものこのころには確立されていたようです。SFチックな世界観で、固有名詞がやたら多くて、本物っぽい、専門用語を多用し、それでもシリアスばっかりにならないようにコミカルな部分も多めに入れていくって感じですね。ドラゴンボール風って感じですか。あと声優に名が売れた大御所ばっかり使うってことですかね、新人やアイドル声優を使わない。


 ただグロ描写が異様にきついので、苦手な人はかなり嫌な気分になりますね、よくこんなのが審査通ったなってぐらいグロい。またドット絵のグロってのは、奇妙なリアリティがあって、目に焼き付いてしまいます。任天堂だったらまず許可されないです。


 しかしグラフィックは、1988年とは思えないくらいバラエティに富んでるし枚数もギミックも多いし、相当作り込まれています、誰が描いたのかしらないけど、めっちゃ仕事しています。オリジナルはPC88、ファミコンではまず不可能なデータ量を使っております。なんとフロッピーディスク5枚。それが何メガなのか知りませんが5枚も使うとは。


 あと音楽も凝っていてよきです。すごいですね。やっぱバブルなのか金があるのですな。



 総じてこれは良作ですね。グロだけ注意ってとこです。

-380? パイドン (魂について) プラトン

 話の舞台がソクラテスが毒杯を飲んで死ぬその日の物語なので、弁明、のすぐ後に書かれたように見えますが、実際には、プラトンがシチリアに行って、ピュタゴラス派にどっぷり影響を受けた中期以降の作品です。


 プラトンの本は、すべてソクラテスがしゃべる、対話型の構造を持っているのですが、これは本当にイカれた所業と言わざるを得ません。どれだけ尊敬していた師匠であろうと、自分のすべての作品の主人公をその人にするってのは完全におかしい、です。

 むしろ、自分の考えを勝手に自分の師匠が言っていたように書くってのは、やってはいけないこと、だと思って控えるのが道理ってものです。むしろソクラテスが一番糾弾しそうなやり口といえます。

 このプラトンの狂気じみた振る舞いの裏には、絶対になにかがある、と見るのが普通です。だから、ソクラテスなんてほんとはいなかったのではないか?プラトン、という人物も本当はいないのではないか?みたいな憶測が生まれるわけです。


 まぁそのプラトンの異常さはさておいて、この本の主題は「なぜ自殺してはいけないか?」という、カミュが言うには、哲学においてたった一つの問題を取り上げたものです。哲学の問題はつまりこれに尽きるというわけ。なぜ自殺せずに生きているのか?それだけが本当の問題だろうと言うわけです。


 基本的には、自殺してはいけない理由は、神が人間を作ったのだから勝手に死んではいけないというシンプルな答えなのですが、そこにプラトンは イデア論 という彼がピュタゴラス派から学んだ概念を登場させるのです・・・


 他にもなんで魂は不滅だと考えられるのか、想起論(アナムネシス)、哲学者の魂は死後の世界で幸福になれるが、肉欲に縛られたものの魂は不幸になる、みたいな哲学宗教みたいなことになっていく、最後には天国と地獄の描写があります。明らかにこのへんはプラトンが、オリエントから影響を受けてる部分ですね。


 ソクラテスは聖人で、知のために死んだけれど、プラトンはそうではありませんでした。その他多くの学者と同じく言行不一致、死を避けるべきではないと言いつつ、迫害を恐れて逃亡したり、政治に関与してみたり。ようするに口先だけの人間でした。結局師匠を超えられなかった勇気の無い男、がプラトン。いろんな屈折、があるのですね。

 

 けどもプラトンが根性なしだったおかげでこうして本は残ったわけです。

 


 

2024年1月24日水曜日

2007 Appleseed: Ex Machina アップルシード エクス・マキナ

  フル3Dのアニメーション映画。


監督はジョン・ウー、音楽は細野晴臣と、金はかかっているようですし、ちゃんと作ってはあります。


 が、ほとんどの3Dアニメーション映画と同じく面白くはないです。


 なんで面白くないのかちょっと考えて見る必要がありそうですね。


 モデリングに関しては、特に悪いところは無いと思われます。メカのデザインもなかなか。出渕テイストですね。

 ただ髪の毛のモデリングがワタシ的には気に食わない、変ですこの毛束を増やす感じ、特に主人公が可愛くないのは致命的。あとシェーディングが、モデリングはアニメ調だけどシェーディングは普通のシェーダー+線画って感じで、ふ~む・・・、いまいちって感じですね。


 あとワタシも3Dモデリングするようになってわかったのですが、やっぱ3Dモデルは表情に乏しい、演技出来てない。ロングならいいけど、アップになるとやっぱ全然駄目です。これはモデリングをちゃんとやれば上手くいくという問題じゃない気がする。アニメっぽい表情は物理的に壊れてますので再現不能、でもそこが一番大事なとこなのですわね。2Dと3Dをうまくミックスさせるしかないと思われる。


 これが一番の欠点ですがストーリーが薄すぎる。未来のサイボーグ社会でメインコンピュータが乗っ取られるって話ですが、もうこすられすぎです、どんだけメインコンピュータハッキングされとんねんって感じ。スカイネットでもうこれは打ち止めでしょう。 

 アクションがメインなのでストーリーは薄いといって、薄すぎる。あまりにもベタ。


 あと雰囲気、ってものが無い。ちゃんとモデリングしてありますってだけで、絵に詩的な要素がなんにもない。建物のCADのモデルじゃないんだから、絵としてちゃんと成立させるようにしないとダメです。これじゃただの模型です。プラモデル屋さんのほうがよっぽど、雰囲気、を作るのが上手。


 あと主人公その2の名前がブリアレオス、って言うのですけど、語感が悪すぎる。マンガとして読み文字だったらいいけど音にすると耳障りが悪すぎ。6文字は長すぎる。ギリシャ語源で意味があるんだろうけど、これは変えなきゃ駄目です。アリオス、とかでいいのでは?


 量感、が無い。アニメーター力量が一番出るところだと思います、アクションにいかに、重さ、をつけられるか。これは単純にアニメーターの実力不足ですね。キャプチャーモーションなのかもしれませんが、動きが軽すぎる、ロボットなんだし、もっと、重み、が必要ですわね。

2023年ベスト・アルバム 番外編  SuiseiNoboAz  を知ってますか?

  だいたいこの時期に2023年のベスト・アルバムを発表してます。でも今回はその番外編。今年はまだまだ全然2023年のアルバムをディグれていません。


 でも最近発見したバンドがあるのです


SuiseiNoboAz 


読み方はまったくわからん、スイセイノボアズ?? このバンドの知名度が低いのはこの意味わからんバンド名のせいな気がする、もったいないような。Suisei だけでいいのでは?


 ある人が、一人だけ、今年のアルバムはこれ、と紹介してたのです。


まずこのバンドの3020 って曲を聞いてみてください。


こんなぶっ飛ばされるような曲を聞いたのは、相対性理論初めて聞いた時以来って感じです。


しゃべってるやん


まったく歌ってません、しゃべってるだけ。ロックが衰退して、ラップがそれに代わりほとんどの曲がヒップホップとラップになって、いい加減もう飽きた。ラップを超えて、ただしゃべってるだけになりました。もう韻を踏んでダジャレ言ってるやつらはダセーのだ。

 ポエトリーリーディング、と言われてますが、そういうわけでもない。とにかく新しい感じがしました。そしてなんかようやく2020年代、っていう世界の方向性を与えてくれるような気がしますた。

 なんやねんこの曲!って言う人と、すげーバンド現れたやんけ、ってはっきり二分する感じだと思われます。でもどちらにせよ、新しい、のは間違いない。必聴です。


 やっぱ埋もれているだけで、こういうすごいバンドってのはいるものなんですよね、ほんと日本人って音楽が嫌いで、真面目に音楽作っても何も浮かばれませんけども、肥溜めの中にこそ、輝くダイヤモンドが隠れているものです。このなんにも音楽が評価されない社会で音楽作ってるのだもの。

2024年1月23日火曜日

-399 ソクラテスの弁明  ソクラテス プラトン

 絶対に過去に読んだのですが、このブログの記録に無かったので書きます。


-399年、ギリシャである老人が裁判にかけられた、70才の老人の名はソクラテス。

ソクラテス学校というところで無料で教育をしていた男・・・


 すべての学問の始まり、とも言う本です。こっからすべてが始まりました。

 その裁判でのソクラテスの弁明を、弟子のプラトンが記録した、ということらしい。プラトンが改作してソクラテスという聖人を創造した、という人もいますし、初期のプラトンの著作は、ソクラテス自身のコトバだと言う人もおります。他の同時代人がソクラテスについて述べたものもたくさん残ってますので、ソクラテスという人物が存在し、学校のようなもので論理、を教えていたのはほぼ事実としていいでしょう。


 短い本であり、論理は非常に明快。


 言いたいことは一つだけです。もう一つそこから導かれることだけ。


「自分が、何も知らない、ということを、知れ」


「無知の知」です。


はじめの学問の答えが、逆説であるというわけですね。


 自分が知らないってことを、まず認めることによって、学問が始まる。自分が全てを知った、と慢心した時点で、学問は終わりです。

 ソクラテスは、あなたは何かを知ってるというけど、全て間違っていますよ、あなたは何も知らない。ということを丁寧にも教えてあげたことによって、人々は怒り狂ってソクラテスを処刑した。


 これは本当にまったく現代でも同じことでして、誰かに、間違っているよ、と指摘することがいかに危険なことか、そしてそれをごまかさないではっきりと言うこと、これこそ学問の姿であり、志の高さ。なのです。ソクラテスは学問のために殉死したということになる。まさに聖人です。


 現代には一人もいませんね、間違ってる人間のところへ、わざわざ出向いて行って、おまえは間違っているぞ、と言うような人間は一人もいない。それで死ぬことになっても、自分の信念を曲げない人間は一人もいない。世界には80億だかの人がいるみたいですが、一人もいないのです。影で悪口を言う人間はイナゴのようにいるけども、真正面から言うような聖人は一人もいない。


 正直者はいっつも損をする、と文句を言ってる人は、正直であれ、という意味を正しく理解してません。正直に真実を吐けば、絶対に損をするとわかっているからこそ、その茨の道を歩むものに誉あれ、ということなのです。真実を吐くだけで殺されるかもしれない、それでもなお、真実を述べる勇気、それが学問なのでした。


 そしてもうひとつ。


死、もそれについて何も知らないのだから、死を恐れてはならない。


 もしソクラテスが今生きていれば


・・・尊い命が犠牲になりました

 命を救うために・・・


みたいな国営放送の、命が云々って言ってる連中の前に現れたでしょう。

 あなたは死、について何か知っていて、死は避けるべきだ、ということをさかんに述べているが、ぜひ教えてほしい、あなたは死について何を知ってるのか?

 もし何も知らないのであれば、死を避けるよりも、真実を述べることを大切にするべきではないのか?


 もし、一冊だけ本を選べと言われたら、この本を、選ぶべき、なのでしょうね。もっと楽しい本を持っていきたいとは思うけれど。とにかく、これが、すべての始まりの本なのです。

1982 Wizardry #3 Legacy of Llylgamyn  ウィザードリィII リルガミンの遺産 LOL

 この2が本家の3でありまして、これも、追加シナリオで、本家は3ではキャラを作ることも出来ません。1,2、から引き継ぐのみ。


 リメイク版というかローカライズ版ってことですが、それでも本家から6年ぐらい後になってるので、かなり時間かかっておりますね。当時はそれぐらいアメリカと日本が差があったということなのかも。


 ゲームシステムとかはほぼ同じです、アペンドなのだから当たり前の話。ダンジョンなどが違うのみ。

 ただし2は善パ、悪パじゃないと侵入出来ない部分が存在するので、なかなか厄介です。

N戦士x3 N盗賊 N魔 善悪僧侶 または 善悪ビショップ って感じになると思う、しかしこれでは上級職が作れない。かといって中立にしないと使いまわしできない。中立戦士を二枚にして、善悪戦士を作り

G戦士→侍

E戦士→忍者

僧侶→ロード、侍? にするか・・・?でも能力足らねー!

 みたいに、パーティ編成が難しいです。パソコン版は善悪混成でもダンジョン攻略できるチートがあったみたいですが、スーファミでは封じられてますし、それをやってしまうと、ほぼゲーム性がなくなるのでおすすめしません。

 そういうわけで、今回アラインメントが変わってしまうと計画が崩壊するので、善パでは見逃す、悪パでは戦う、っていうふうに切り替えていく必要もある。


 あと今回ボーナスがかなり厳しくて、二桁ボーナスが出ない気がします、少なくともワタシは全然出なかった。だから転職もむずい。特に序盤の厳しさは過去最悪w 雑草にも勝てないw 勝てる確率50%みたいな序盤です。ダスターという文字通りゴミみたいな敵にバチボコにされます。


 ほいでなかなか経験値がおいしい敵がいなくて、レベル上げに苦戦するってのも2の特徴。でもこれは、普通のロープレになった、といえます。今までがバランスがインフレしすぎていた。

 そういうわけで、レベル13まで行かないと思います。レベル11くらいでなんとかクリアするというのがLOLの楽しみ方だと思う。


 ダンジョンは6Fで、善悪で半分ずつなので非常に短い。だけど上述の理由で2パーティ育てないといけないし、なかなかレベル上げしにくいので、結構時間かかります。

 例によって中立の魔法使いがマロールと核を覚えると、別の世界が開けます。これがウィズの醍醐味でもある、マロールが使えるようになったあとの開放感。そしてそれを失った時の絶望。


難易度は経験値も敵の強さもナーフされている、とレビューにありますが、むしろバランス調整されて、いい難易度になったと言えます。チート的レベル上げの手段が無くなっただけ。相変わらず相手のブレス先制でイゴるのは日常茶飯事ですけどw

  

 6Fの難易度がかなりいかついです。正しいアイテムを手に入れないと脱出不可能・・・デュマピック禁止、しかもそのアイテムの手に入れ方も非常に難解、キビシーとしかいいようがない。っていうか普通に死にます。まずエルケブレスを通過するのが難解すぎるものな・・・ノーヒントだと95%詰む、わからんだろこれ・・


 ダンジョンの出来はいいとLOLは言われますが確かにそう、3Fの押し寄せる壁、これ考えたのはまじで天才。悪パの的は天使、っていうのは、女神転生にダイレクトに影響を与えております、っていうかこれそのまんまやん。

 西洋は宗教にうるさいから神々と戦うメガテンは海外ではタブー、と言われますが。LOLで普通に天使と戦うのですけど?天使が敵に出てくる、を始めたのはウィズが先です。

 善と悪を超えて、中立のココロを得よ、っていうメッセージは非常に深い。っていうかウィズの物語は実は非常に深い。ストーリーなど無いに等しいのですけど、ズドンといいところをついている。やっぱすげぇわ。

 作者であるロバート・ウッドヘッドは大の日本好きで、日本人と結婚しておるようです、ウィズに忍者や侍、ティエンルンが出てくるのはそういうわけ。ロバートは学生時代にウィズを作ってそれが大当たりして、そのあとはあんまゲームに関わってないで、普通のプログラマーとしていろんなソフトを開発してるみたい。稀にゲームのアドバイザーみたいなこともしてるようです。

 善と悪を超えて、中庸を得よ。というのも、東洋好きのロバートならではのアイデアといえます。ニーチェよりも、陰陽道だと思われる。

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 1.2.3とやってきましたが、1がやっぱり最高傑作だとワタシは思う。1はやはり初代というサプライズがでかすぎたというわけです。よくRPGの始祖はウィズとウルティマといいますが、ウルティマは正直、今ではゲームとしてプレイはほぼ無理です。そんなの当然の話、ウィズは未だに1がプレイ出来るし、おもろい、これは奇跡です。

 ウルティマはドラクエみたいなトップダウンワールド、これが確かにその後のRPGの主流となりました、わかりやすい。

 ただウルティマはグラが弱くて、敵とかもちっちゃくてイラストみたいなものは無い。ウィズは敵がイラストであって、やっぱそこが最大の魅力だと思います、敵を見るのがおもろい。ウィズにはいつまで経っても色褪せない魅力がある。ウィズ直系の作品は40年後の今でも作られ続けてますものね。

 RPGの「面白さ」のエッセンスみたいなのはウィズにすべて含まれてる気がする。プレイのしやすさとか、グラの進化などが変わっただけで、面白さ、の根源自体は何も変わってない。ウィズをハクスラ、とカテゴリする人もいますが、それは違うと思う。ハクスラで死んだら全ロストなんてきつすぎるゲームは無い。あとハクスラにしては敵が強すぎる。

 RPGの不思議のダンジョン、がウィズだと思います。常に死と隣り合わせ。何十時間もかけたものが一瞬で消える、それがウィズの魅力。

 たぶんギャンブルにハマる人はウィズにハマる気がする。圧倒的な喪失感。


 ウルティマのトップダウンと、ウィズのイラスト的戦闘、これをいいとこどりしたのがドラクエ、さらに天才イラストレーター、鳥山明を確保できた、これは売れるに決まってるわけです。でもやっぱり、ウィズとウルティマがなければドラクエは存在しなかった。この二大始祖には感謝をいくらしても足りません。

 でもウィズファンからするとやっぱドラクエにはスリルが足らない、地道にレベ上げすりゃ誰でも攻略出来る。 

 ウィズインスパイア系のゲームは今も出続けてしますが、キャラロストする、ハードウィズなゲームは少ない。昨今のヌルゲーマーにはキャラロスは耐えられないのですな。

 ほいでゲームのボリュームを増やすと、キャラロスのダメージは精神崩壊レベルになってしまうw 50時間育てたキャラロストとかだと、95%の人はココロがおられてしまうでしょうしね。このダンジョンが10F、だいたい最高レベルは13みたいなボリュームだから成立している。

 でもハードウィズのスリルってのは、完成されたものだから、ずっと色褪せることはないのだと思います。このゲームは完成してる、麻雀とかトランプみたいに、もう完全体です。今でもシナリオだけ変更してずっと出続けるのは理由があります。



 ある人が行ってましたが、ウィズの目的はクリアするのではなくて楽しむこと。それはTRPGからの伝統です。TRPGも、最短効率でクリアを目指すのではなく。物語を自分たちで楽しむのが目的です。そこのボーナスガチャで厳選してる君w 

 ボーナス5で生まれたそのキャラクターの物語、を楽しみなさい、ボーナス5の人間の物語を自分で生み出すのがウィズなのだ。

2024年1月21日日曜日

1976 競馬への望郷 寺山修司

 私の祖母は、若くして発狂し、桜の咲く日に、一人で死んだ。


 たったこれだけの文章で、やっぱ寺山修司って文章が上手だなぁと思いましたね。桜の咲く日に というのが一個入るだけで、ただの悲しいお話が、色鮮やかなポエジーになる。

 祖母が若くして、発狂して死んだ。ものすごいドラマチックな話ですなぁ。祖母が若くして死ぬだけでドラマティックなのに


 ハイセイコーの寄せる詩も載ってますが、さすがとしかいいようがない。

今回は、お気に入りの馬と騎手を取り上げて述べるっていう感じです。過去の本との重複も多数。カブトシロー、ワカクモ、クモワカ、キーストン・・・まぁ伝説の馬達ですな。それとは逆に未勝利からまったく勝てない馬たちの物語・・・またそれに賭ける人々もすげー人々ばっかりです。祖国を追われた韓国人、隻眼のヤクザ屋さんや、結核持ちの風俗嬢。ドラマすぎる。


 4白、という話もおもろいですね。馬の足が白くなってる馬がいますが、その数で運命が決まり、全部白はだめ、3,2はまぁまぁ、一本だけ白の馬は絶対に手放すなという話。

 エクリップスがまさにその一本白であり、イクイノックスも一本白です。だからまさにその通り。一本だけソックスを履いた馬がいたら、大勝負してみるべきですね。


 個人的に印象に残ったのは、やっぱり福永洋一、ですね。つまり福永祐一の親父。


福永洋一と岡部幸雄、二人の騎手は同期なのです、花の15期と呼ばれています。岡部も新人ながらものすごい活躍していましたが、福永はまさしく「天才」で、すぐにリーディングを独占するようになった。岡部でも全然敵わなかったってことですね。

 洋一は、はやくして両親を失って兄弟だけで育つという、まさに少年漫画の主人公。この本の中ではそんな貧しい生まれから、天才としてリーディングまで駆け上がっていく、完璧なヒーローというところで物語は終わってますが、まさにその挫折を知らないヒーローは、突然の悲劇に見舞われ、落馬で予後不良、生死を彷徨い、もちろん騎手引退ということになる・・・

 物語はそこで終わらないで、息子、みなさんご存知の福永祐一が騎手になって、父の無念を晴らすべく騎手になる、天才洋一の息子、確かに美談だけれども、天才の子が天才なんてのはこれはほとんど無い話・・・・、が、実際息子も天才だったのですわ。岡部、武、福永さえ買っときゃいい時代がかなりありました。オールド競馬ファン的には、福永、という名前を見ただけでドキリ、とするのです。

 騎手を引退して、調教師になり、さて福永厩舎はいかに・・・続く。


ってわけ、馬、だけでなく、騎手もドラマにあふれているのです。


競馬ってのは、超長編ドラマだとワタシは思う。登場人物が死ぬほど出てきて、代替わりしてく、過去の因縁や、悲劇、あるいは栄光、それが絡みあんでいるドラマなのです。わかりやすくいうと100年近く続いているワンピースみたいなものなのです。


 ちなみに武豊の親父の武邦彦はひょろながくて、クールで、魔術師みたいな人間とあります、顔は息子とほぼ同じですw これも天才の子が天才だった珍しいケース。だいたい天才の子は甘やかされて放蕩息子になり、孫に才能は隔世遺伝するものなのですけどね。

1997 フロントミッション セカンド

  フロントミッションシリーズのナンバリングの二作目。


とにかくロードが長い


 ことでクソゲー扱いされていますが、今ではゲームアーカイブ、さらにはリメイクまで発売されて、ようやくプレイ可能になったという感じです。プレステ1にはオーバースペックだったということですわ。

 そんなの開発中に気づけってことなんでしょうけど、開発にはもっと高性能のワークステーションで開発は行ってて、実機でプレイしてみたら、激遅だったということなんでしょう。


 それとPS1は、実は本来発揮できるはずのスペックを出せていなかったらしいです。おいこらソニー!話がちげぇじゃねぇか!!ってことなのかも。

 クラッシュ・バンディクーはPS1のシステムをハッキングして本来の描写力を出したという、ハッキングゲームとして有名。こんなの今では考えられないことですわ。


 ただロードが長いのみならず、このゲーム、ムズゲーであります。非常に複雑。なんで複雑になったかというのも理由があります。1でマシンガンが強すぎて他はいらね、だったのを改善するために、格闘には格闘が有利な性能、遠距離は遠距離が得意な性能、足のパーツの差別化、とにかく強い武器ゴリゴリに乗せるだけではなくて、軽いパーツをのせることのボーナス・・、などなど、いらないパーツ、ってのが出ないようにそれぞれに特徴と長所短所をつけていった結果、パラメータが膨大になったというわけです。一番大事なのはもちろんAP、アクションポイントで行動に縛りが出来たこと。

 武器属性、武器種別、射程、重さ、AP消費、エンジン出力、シールド、装甲属性、地形効果、高低差、オナースキル、CPU・・・考えることが膨大にある。ちゃんと考えてセットアップしとかないと普通に負ける。戦ってる時間よりもセットアップしてる時間のほうが長いくらい。装備やアイテム間違えてるだけで致命的なことになる。


 さらに前作みたいに闘技場でレベル上げもできなくなり、育ってないキャラはベンチ行き、実質死亡。というシビアなゲームバランス。難易度自体は闘技場でカネを稼いでとにかく最強装備にすればまぁまぁ勝てる、が、ややムズといえます。逆にいうと装備が整っていないとまず死ぬ。


 育成が非常に厄介です、序盤はロングの武器が弱くて当たらないし、後半になるとレベルが低くて当たらない。ショートや格闘も同じく、育ってないと後半当たらないのでレベルを上げることが出来ません。さらに経験値は与えたダメージなのでとことん弱い能力は育てる方法がない。特にロングは序盤からかなり重点的に経験値を稼いでいないと後半からは挽回不可能。

 だが後半ロング持ちがいないと非常に苦戦することになる・・・


 CPUをクロックアップさせると性能が上がるのですが、これを見逃しがち。かなり説明不足だと思われる。カネのちからでグイグイこれを改造して命中率を上げないと駄目。


APシステムにより単騎特攻は絶対に自殺行為、それは敵も同じで囲んでしまえばフルボッコできる。


オナースキルも非常に厄介。撃墜数を増やすと特殊能力を得るってことなんですが、正直普通にプレイしていては撃墜数増えないし、降伏させてアイテムゲットなどもほぼ絶対無理だと思う。これは単純にムズすぎる。


 武器種別が多すぎるってのはまったくその通りでして、対空ミサイルと、ミサイルの種別が違うのが意味わからん。ロケットも同じく。予備弾倉持ってないとすぐ弾切れしますが、アイテムにも丁寧に重さを設定しやがっているのでなかなかそうもいかない。普通のミサイルが対空に使えないのは、まだやむなく納得出来るとして、対空ミサイルが地上に使えないのは意味わからん。当たるだろ。


 さらにシナリオもいくつかのパーティに分かれて、それが入れ替わっていくので、とくに前半、誰をどう強くしたか、どうセットアップしたかとか覚えてないし、なかなか強くなっていかない。


ネットワークによる情報集めも、やり方をわかってないとチンプンカンプン。このメインストーリーでは抑えきれなかった情報を、ネットワークなどの機能で補完するってのはFFⅧでスクウェアが不親切だとバッシングされたシステム。でもよれは良し悪しでゲームのテンポを維持するのと物語のレイヤーを深めるのには必要。でも情報を入手するのにパスワードがいるのは不親切でしかないです。


後半になると、得意なスキルはけっこうすぐにカンストしてしまいますが、例によって他の武器種をレベルあげようにももはや一切当たらないのであげようがない。しかしまぁカンストしてれば強いので別にあげる必要もないし、後半に行くに連れてスキルが揃ってくるのでどんどん簡単になっていきます。

 ただ、バグなのかなんなのかわかりませんが、Veteran、という敵に隣接すると、必ず先制攻撃され、ボディに一撃で即死で殺されます。こっちのレベルなども完全無視。

 これはまったくの謎。遠距離でボコすしかない。相手から攻撃してくる場合にはこれは発生しない。遠距離を育てて来なかった場合、ここでほぼ詰む可能性ある。またEscape持ちの敵はこっちの攻撃がカットされて無しにされるという理不尽スキルもあります。戦闘バランスは後半に行くに連れてかなりめちゃになる。まぁゲーム全体を通して良好なゲームバランスを保つってのは特にシュミレーションゲームだと大変みたいですね。スパロボも後半オーラが無双するし、タクティクスでは雷神、FMでは伝説武器持ち、が無双してしまいます。信長の野望とかだと、籠城作戦で絶対に負けなくなったり、D&Dも魔法が超火力だったり、連続攻撃持ちで瞬殺だったり・・・バランス調整がむずい・・・またそういうバランスブレイカーがいないとかなりのゲーマーじゃないとクリアできなくなるので、上手い人は縛りプレイするなり自分で難易度調整してってことなのかもね。

 ロード時間だけでなくやっぱ問題有り、のゲームです。


 そのシナリオなのですが、100年後のバングラデシュが舞台(!)、ヴァンツァーというロボット兵器がメインになった戦場で、自国の独立だとか、革命だとか、愛国者だとかが入り乱れて戦う、という第三世界の複雑な情勢を舞台にしてます。そんなの大丈夫なのか?と思われますが、当然バングラデシュから抗議されたみたい、これはそりゃそうだろって感じです。別にバングラデシュを悪く言ってるわけじゃないのですけどね。ガッツリ実名すぎる。

 世界観はどっしりとしていて、シビアです。メタルギアっぽい感じですかね。オープニングムービーを見れば、渋い世界観がすぐにわかります、人間が一人も登場しねぇのだもの。バングラデシュという国の雰囲気もあって、独特の世界観。好みがわかれますが、シナリオは◯です。

 

 一応主人公はアッシュで、空気主人公と言われてますが、アッシュは主人公じゃありません(!)実質、主人公は敵のヴェンです。主人公の戦う目的は、友人であるグリフというおぢさんを助けるため、というなかなか感情移入しずらい動機、確かにいいヤツなのだが・・おぢさん助けるために命張れねぇって。惚れた女のために戦うというジョイスのほうがよっぽど主人公してます。

 一応もう一人の主人公的なのがリザ。こっちはスクウェアの女主人公ってだいたいこれっていうタイプ。金髪のショートのクール系美女、スクウェアはほんとこれが好きですね。

 ただしリザは普通にパイロットとして弱いのが困りどころ・・・。


ラスボスはめっちゃ弱い、というかラスボスはエピローグみたいなもので、本当のラスボスは最後の一個手前。こいつはかなーーり強い。

 ボスを倒してからもわんさか敵がおしよせて耐久戦になる。うまいこと敵を引き寄せて通路を塞いでしまうのが吉。ただ戦い方がわからないとかなり追い込まれることになる。このラスボスが特にロングで削らないとやばい。というか近接だと、先制攻撃されて腕破壊されてダメージがまったく入れられないこともある。ロングでボコせば楽に倒せる。


 そういうわけでやっぱし、後半に育成が不可能になるのがバランス的にかなりきついゲームですので、ロード時間を差し引いても良作とはいえませんが、シリーズとして楽しみたい人はクリアせねばなるめぇゲーム。シナリオは、とにかくしぶい、の一言。めでたしめでたしでもない・・・



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ネタバレ注意報


1は衝撃的鬱展開が待っていましたが、2も一個爆弾を抱えています。

 ロッキーという、こいつが主人公だろ、っていうイケメンがいますが、実は主人公のことが好きだ、というホモセクシャルカミングアウトをします。わぉ。

 ゲームに初めて登場したホモセクシャルなキャラとしてゲーム史に残っております。君も目覚めてしまうかもしれないね。

2024年1月18日木曜日

-2000 筑摩世界文学大系01 古代オリエント イナンナの冥界下り ウル哀歌 エヌマ・エリシュ ギルガメシュ叙事詩

  世界文学全集ってやつを手に取るようなのは、作家みたいな特殊な人間だけです、さらにこういう古典に手を出すのは。

 作家っていう職業は、みんなが読まない本を読んでそれを面白く再構成して普通の人にも楽しめるものにするという仕事だと私は思っています。

 ちなみに全集の中ではわたしはこの筑摩のやつが好きです、本がしっかりしていて読みやすい。他の全集はすぐにボロボロになってしまうか、意味わかんないくらいバカでかくて読むのに適していない。


 全集ってのはだいたい60~80年代で最近のものは河出書房新社の全集以外には無いですね、もう日本は実質本を出版するのを辞めたと私は思っている。もちろんすぐに消えるカスみたいな本は出てますけど。日本に限らず誰も本なんて読まないのだもの。今TIKTOKとかを見てる子供が大人になったら、さらに本なんて誰一人読まないですわね。ハリーポッターは最後のヒットした本ということで歴史に残ると思う。


 さてこの本はユダヤとギリシャを除くオリエント世界の古典というか、断片、を集めたものです。まともに完全に残ってるものはほとんどない。それもそのはず、シュメールとかエジプトってやつは、旧約聖書の2000年も前から続く文明なのです。旧約聖書が世界の始まりとしてるところから2000年の前から文明があるのです、時間間隔がバグりますよね。

 西暦ってやつはまじでまぎらわしくて、歴史、ってものとほぼ関係ない年数です。明らかに、年数がわかっていて確実に存在するものから始めるべきです、だれがどう考えても実在は疑いようがないのは、バビロンのジッグラトか、エジプトのピラミッド。これを疑う人はいない、明らかに存在してるのだから。それでいくとやっぱりエジプト古王国をスタート、現在人類の歴史は4500年目ってするのが断然わかりやすい。

 オリエント世界は正直世界のすべてです。中国もあるのですが、中国は、切り離された独自の文化を持った田舎ってことになりますね。

 だいたいのことの起源をぐいぐいさぐっていくとやっぱし、エジプトか、メソポタミアにたどり着く。

 そのなかで小さな小さな民族である、ユダヤ人の小さな国家でしかないユダヤ王国の宗教が、やがて世界を支配するなんて誰が予想できましょうか。まじで謎としか言えません。


 そのオリエント世界を、ペルシャというこれも結構謎の国のキュロスとその子孫達がぽっと現れて、一気にすべて統一します。これも謎としかいいようが無い。なんで??って感じ。メソポタミアは一体何をしていたのやら?さらにそのあと、ギリシャ、地中海世界を含めて、インドまですべてをアレクサンダー大王が制覇します。これもなんで???って感じですよね。アテナイやスパルタあっさり負けたなぁ。

 なんでオリエントの国ってやつは、大きな流れに対してこんなに脆いのでしょう。ドミノのようにダダーっと全部倒れる。実際はほとんど戦わないですぐに降参、和議を結んでるわけで、戦ってもないのです。独立、というものにこだわらないってのが古代の感性のようです。

 ほいでもちろんキュロスや、ダレイオス、アレクサンダー、みたいなカリスマが死ぬとガラガラと崩壊する。歴史の流れってのはほんと謎、ミステリーですねぇ。

2024年1月11日木曜日

1999 ホーホケキョ となりの山田くん

  全然おもしろく無いでおなじみの高畑勲アニメ。


 これはでも原作マンガありきなので、原作漫画がつまらないのですけどね。つまらないというかワタシが、家族もの、と恋愛もの、が大嫌いなのでってのもおおいにあるのですが。


 作画も非常に手数を少なく、削ぎ落として単純化して作っております。ある意味非常に挑戦的ですね、どれもこれもアニメは綺麗に、エフェクトもりもりな絵作りをするようになってますから、収斂させていくってのは挑戦であります。確かにとりあえずグラデかけとけ、フィルタかけとけっていうやり口は関心しません。作画が適当なのをごまかすな!って思う。アニメーターなら線、で勝負しろって思う。


 あえて面白くなくして作ってるんだと思いますけどね、みんなが面白いと思うものって、同じようなものになってしまいがち、つまりハリウッド映画みたいなバキバキドカンです。だから面白いものを作るのはもううんざり、面白くないものだったら、無限のバリエーション出せるよってことなんでしょう。


 でもほとんどの人は、面白くない!って怒るでしょうね。

 

夏目漱石も後期の作品はあえてつまらなくして面白くないものを描いていました。そうやって、閉じていってしまう表現世界を、こじあけて広くしていきたいっていうことなのかもしれませんね。

-425 ヘロドトス 「歴史」 ヒストリアイ

  文字通り、世界最古の「歴史書」なのですが、歴史というものが生まれる前に、歴史、っていうコトバがあるのはおかしな話。


 原文タイトルである、ヒストリアイ、はヒストリア、の複数形で、その本来の意味は「研究書、調査書」って意味だそうです。だからそのまま訳せば「レポート」ですね。

 それがそのまま、ヒストリア、が「歴史」というものを指すコトバになった。


 最古の歴史書であるというよりも、最古の、物語、だと言えます。もちろんその前に、ホメロスの「イリアス」「オデュッセイア」というすべてのオリジンと言えるものがあるのですがこれらは「詩」です。そのほかにも古代の本は、すべて「詩」です。

 このヒストリアは、詩の美しさ、よりも、物語を重視した、本当のこと、を語るというものです。これが物語、の本来の姿で、フィクション、っていうのはずっと後に自分の作った物語を書くようになったもの、ノベル、ともいう。とワタシはカテゴライズしてます。

 物語ってのは基本的に、過去に本当にあったことを話すものです。


 だいたいすべての学問はギリシャ起源なんですが、こんなにわかりやすくルーツがはっきりしてるのも珍しい。

 ヘロドトスの記述は、もちろん正確かどうかは知りませんが、つい去年書かれたといっても違和感のないくらい、わかりやすくシンプルなコトバで書かれています。とてもじゃないけど2400年前の本とは思えない。

 内容はもちろんファンタジーに満ちていて、聞いたこともないような民族の、珍奇な暮らしぶりが書かれています。まさにセカイはワンダーランド。未知の謎がパンパンに詰め込まれています。

 大筋としては、ペルシャとギリシャの全面戦争を、キュロス二世がアケメネス朝ペルシャを建国するところから初めて描いていくというものです。

 いわばこれは、「イリアス」の続編です。ギリシャがトロイアを滅ぼすところからギリシャとペルシャの対立が始まっていくってことなので。


 ヘロドトスは、トロイ戦争がパリスがヘレネを誘拐したところから始まったという「伝説」をそんなくだらない理由で戦争するわけないし、第一女に少しもその気が無かったとしたら誘拐されるわけない、それはただの口実であった。と非常に冷静に分析してます、やっぱ当時の人もそう思ってたのですね。

 女が誘拐された、というのは大抵嘘で、真実は寝取られたってことです。


ヘロドトスはなぜかオシリスの名だけは口にしないようにしていて、多分オシリスの信者だったのでしょう、エジプトには実際自分の足で行ったようなのでオシリス信者となったのだと思われます。

 ギリシャの神のほとんどはエジプト由来であるとしてますが、時系列的にその通りだと思われます。 

 ただエジプトにはゼウス的な支配者的神は存在せず、アメン、ラー、はエジプト神話ではかなり後になって付け加えられたもので(テーベにエジプトと首都が移ってから)、地母神と天空の神の子である、オシリス(とそのライバルであるセト)、イシスそしてその子ホルス、が一番重要な神です。

 だから構造的にはかなり異なるものになっていますね。ギリシャ神話の神々が人間的であるのは、おそらく、実在の人間にモデルがいたからだと思われます、自分はヘラクレスやペルセウスの一族であるっていう人々が普通にいるので。ほいでその人々が、エジプトでアメン・ラー信仰が発展した中王国時代ってのもわかるわけですな。


 本のメインテーマは、いわゆるペルシア戦争、という-490年頃の戦争で、初めてペルシアとギリシャが戦った戦争についてですが、膨大なこぼれ話というか前日譚、みたいなのがあります、スキュタイ人とはどういう民族か、エジプトは、もちろんペルシアは、イオニアは、スパルタは、アテナイ、テッサリア、トラキア、フェニキアなどなど・・・

 実際にペルシア戦争について述べている部分は10%ぐらいで、ほかは民族の説明が主です。だから歴史よりも、実は地理、とか民俗学、が主です。

 

 有名なスパルタの王、レオニダスがたった300人で300万のペルシアの大軍と戦ったとされるアレです。

 実際のことはすべて2400年前の出来事なので闇の中です、すべてヘロドトスの創作かもしらん。でも歴史とはそういうもの、歴史、は創作です。ほとんどのことはわからないのだもの。

 しかしながら、ペルシア流の大戦争のやり方、連れていける人間をすべて引き連れて、支配している国から根こそぎ兵を駆り集めて戦うのは、愚策と見て間違いないようです。結局ちゃんと武力として使えるのは自国ペルシャの精鋭だけ。あとは逃げることしか考えてない。戦争は数で勝負といいますが、烏合の衆を何千万と引き連れても、なんの役にも立たないどころか、兵糧の無駄でしかないということですね。 


 ある民族は、ある年齢以上になった人間を、英雄として祀って生贄としていたようです。これはもちろん老害を排除するってのが目的なのですが、華々しく英霊としてたたえて送り出すというこのやり方は、みんなに疎まれて長生きするよりも、ずっと良いとワタシは想いますけどね。昔の人のほうがよく考えている。現代人のほうがよっぽど後先のことを考えなくなっています、未来のことなどどうでもいいとしている。

 古代人は、自分の祖先はこれこれで、子がこれで、子孫が反映するように・・・という縦の繋がりを大事にしてます、現代人は自分の祖先などまったくわからないし、子孫がどういう世界を生きるか、何も考えてはいやしない。これは良し悪しですけどね。


2024年1月3日水曜日

1997 グランディア ゲームアーツ

  ファイバリットゲームにこのグランディアをあげる人々が結構いますね。


ルナシリーズでおなじみのゲームアーツの作品、作風もほぼルナの後継作品って感じです。いわゆるジュベナイルファンタジーって言えばいいのでしょうか。主人公は14才でかなり子供だし(14にしてはガキすぎる気もするが・・)、なんとその仲間は8才の少女です。こんなガキだけで大冒険するのは珍しいゲームではないでしょうか。

 ラピュタみたいな感じです。というかラピュタですこのゲームは。


 オープニングムービーとかめちゃくちゃ凝っていてほぼジブリ。正直ムービーの出来はめっちゃいい。

冒険を夢見る少年が、親父の形見である精霊石を手に、大冒険に繰り出す!という非常に夢のあるファンタジーとなっております。昨今のRPGは、やれ人種が、やれ宗教が、やれ国家が、やれゾンビが、科学技術がみたいな重たいテーマを扱いがちなのですが、グランディアもそういうとこもあるのですが、基本的には夢のあるファンタジーの王道です。

 

 ゲームアーツは手堅い作りで完成度が高いのですけど、まず効果音というか環境音がものすごいクリアなのに驚きます。プレステとは到底思えない。

 BGMもかなりしっかり作ってます。


戦闘システムはFFVのアクティブタイムバトルと、軌跡シリーズの場所を移動して攻撃するのを合わせた感じです、行動が回ってくるのは素早さによってゲージの溜まった順から行動でき、場所、によって範囲攻撃をくらったりします、さらにアクションによって発動時間も異なります。

 コトバで説明してもあんまわからないのですが、やってみるとかなり戦略性の高くておもろいシステムです。ようはいかに相手の行動をキャンセル、ディレイさせるか、が重要で、ただ攻撃してるだけではボスには勝てない。位置取り、も相当大事、ただこの位置取りが自由に動かせずセミオートなので、思ったように闘うのは困難だったりする。

 アクションディレイも大きなファクターで、ノータイムで発動できる、「防御」がめっちゃ大事だったりする。防御にフォーカスが当たるシステムってあんまない。ほいでこの手のリアルタイム要素があるゲームは「素早さ」が最重要になります。はやく動ければ相手に何もさせないで勝てる。


 魔法はレベルごとの回数制、つまりD&Dシステムです。強化システムもD&Dっぽくて、レベルもありますが、武器、魔法の熟練度を上げることでステータスが上がります。なんだかかなりD&D味があります、D&Dファンがおるようですね。

 魔法を覚えるためのマナエッグは貴重品で大事に使え、とありますが全部の魔法を覚えられる数が存在しますので、別に気にしないでOK。が、拾い逃すのは激痛ですのでマナエッグだけはちゃんと拾わないとダメです。グランディアは基本二度と戻ってこれないが原則なので、拾いミスは命取り。まぁムズゲーじゃないので、この魔法ないとやばいみたいなのはないので別にいいっちゃいいのですが、戦闘の幅が狭まります。 


 なぜかは言えませんが、スキルが優秀だからってスーを主力にするのはやめましょう、ドーピングアイテムは主人公、魔法はフィーナが担当するのが良き。


 ゲームとしてのボリュームも相当ある。本当に大冒険です、まぢで。大冒険故に、一度去った場所へは二度と帰れないので注意。もちろんルーラとかそういう便利な魔法は一個もない。


ただワールドマップが地図選択式なのが残念。ワールドマップ好きのワタシとしては、ワールドマップがあるとセカイが広がった気がして楽しいのですが・・・


あとこのゲーム装備がとんでもなく高い。その時点の最強装備揃えたいコツコツゲーマーには地獄。別に何も買わなくても拾った装備だけで進める。ただ高い分超強力な装備が売っている、普通のゲームなら一個しか手に入らないようなレア装備・・これはどういうバランスなのだ・・?


ストーリーは冒険者を夢見ると少年が、過酷な運命を背負った少女と出会ってセカイを救うっていうどちゃくそ王道なので、手堅い作り、といえますが、よくよく考えると変だな??って思うことがいっぱいあります。

 特に序盤あたりのミューレンとリーンの行動が後半に全然繋がってない気がします。やってることがめちゃです。リーンがなんでこういうことになったんや??っていう説明がほとんどないし。 

 まぁゲームという制約上、序盤に真実を明かすわけにもいかないし、最初から全力で倒しにくればえぇやんっていうツッコミがもちろんあります、これはゲームだからいたしかたないのか・・・。

 ただ大冒険をするのだ、という世界観、っていうのか雰囲気、みたいなものが素晴らしくよく出来ておりますので、雰囲気ゲームと言っていいのかもですね。





ネタバレなのですが、最終的にどのキャラを育てればいいか問題。

主人公 これは当然 もちろん物理、ダメージソース 龍神剣連発係、魔法もスキルもまんべんなくあげるべし

フィーナ これもヒロインなので当然、とおもいきや! 一番肝心なところでいないので戦力外と思って良いです。

ラップ  こいつが一番重要。抜けそうで抜けない。最後までいます、まぁ声優のランクからしてちょい役じゃないと気づきたいですね。だからちゃんとこいつの魔法スキルを伸ばすしきっちり育成すること。継承アイテムはラップに使うのが吉。スピードを活かしてアイテムとバフを担当するべし。

リエーテ  リーン、あるいはミューレンが仲間になるんじゃないかという期待を裏切って、最終メンバーはリエーテになります。加入時期が遅く打たれ弱い、武器も一種類で育てにくい。完全なヒーラータイプで、ドーピングアイテムは主人公に突っ込んでいいのですが、HPアップ系だけはリエーテに残して置くと嬉しい。

 最終的に弓を持てるやつが一人もいないので弓持ってても無駄です。



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問題点

・作戦でオート戦闘ってのはあるのですが、予め行動を全部セットする、いわゆるマクロ、が存在しないのがめんどいです。呪文とかは使わないと成長しないのですが、オートだと狙った魔法は使わないし、いちいち入力しないといけないし、演出も長いし育成がかなり至難。


ヌルい。子供向けゲームなんで仕方ないですが、敵が弱いです。戦略はいっぱいあるけどそんな考えなくても勝ててしまうのがもったいない。特にザコが弱いです。まぁ誰でもクリア出来る無難なバランスとも言えるのかもですが、ちょっと歯ごたえ無さすぎか・・・

 ラスボスもめっちゃ弱い。なんにもさせずに勝つことが出来る。一応エンドコンテンツダンジョンがあるのですが、行けるタイミングが特殊で、ラスダンも、というか終盤に入ると一切戻れないので、いや、基本的にこのゲームは一度行った場所には戻れないので、普通にやってると100%見逃してしまうと思います。なんでこんな中途半端なところにあるのだって感じ。これはまだまだ、裏面が充実してないころのゲームなので不親切ですね。ラスダンの途中から戻れる、みたいなことも一切無い。物語的に仕方ないのですが・・・


・3Dマップの宿命ですが、マップが非常に見ずらい、これはでもどうしようもないっちゃない。そしてCG初期なので解像度がギャジギャジです。これも当時の技術的にどうしようもない問題です。

 FF9みたいに、カメラを固定して、そこにテクスチャを張ったほうが、見栄えとしては絵画的で美しくなる、見ずらいのは変わらないけど。でもワタシはFF9方式が一番良いと思いますね。


 ゲーム内のイラストは90年代のファンシーな感じなのですが、説明書などのイラストはとびきりダサい。1997?87年じゃないの?って感じのイラスト。

 主要キャラ以外のキャラデザがちょっと・・・ラップのキャラデザもザコっぽすぎないかい?もうちょっと親しみやすいものにしたほうが良きかも、キャラの出入りがFFⅣ並にあるのですが、育成の引き継ぎがちょっとしかなくて、えぇっ!?ってなる。

 ほいでドット絵はやはりカプコンに軍配が上がりますね。ちょっと荒い。特にドットの目の描き方が雑ですね。


 これは個人の趣味の問題かもですが。ラスダンがきしょすぎる。ラスダンはおどろおどろしくも、荘厳で美しい、ってのがいいと思う。このゲームのラスダンはただただ気持ち悪い。ガイアっていう虫の体内みたいなとこなので・・・・


 総合点では、非常にしっかり丁寧に作ってあって、音楽もすごいし、明らかに名作。だがいろんなところがちょっとずつ惜しい。あとここが良ければ!!みたいな惜しいポイントの連続。でもやったことない人は是非やってみるべきゲームだと思われます。最近HD版も出たらしいし。

2024年1月2日火曜日

1912 歌う白骨 オースティン・フリーマン

  最初に犯人が犯行を犯すところから始まって、探偵が後から捜査を始める。という最後に犯人が明らかになる、というのを裏切った「倒錯型」の推理小説の元祖と言われる短編集です。

 

 まだまだ推理小説が創成期で短編が主流の時代です。倒錯型、なので鮮やかなトリックというよりは、捜査の進め方、みたいなのが主軸になっていて、その捜査の方法が、当時の「科学的手法」によっています。

 

 証拠品を顕微鏡で調べてみたり、薬品で検査したり。いや、顕微鏡で見たってそんなことわかるわけねーだろ、なんてのは野暮です。当時はそれで良かったのです。


「刑事コロンボ」などが人気なことでも、このスタイルはそれからずっと廃れずに残っていて、ワタシはこれは、推理小説、とはまったく別物の「捜査小説」っていうジャンルだと思いますね。最初に犯人がわかるので「ミステリー」ではないし。


 ちなみにオースティン・フリーマンは文章が上手だと思いますね、ミステリ作家はアイデア勝負なんで、文章ヘッタクソってことはよくあるのですけどフリーマンは文章が明確でスッキリしていて上手な珍しいタイプ。名文家です、名文家って作家今では本当にいなくなりましたね。まず小説家と呼べるようなのがいないので、名文家は消えたのですな。

 

 短編推理傑作選、みたいなやつにも必ず選ばれる作品です。