2024年1月11日木曜日

-425 ヘロドトス 「歴史」 ヒストリアイ

  文字通り、世界最古の「歴史書」なのですが、歴史というものが生まれる前に、歴史、っていうコトバがあるのはおかしな話。


 原文タイトルである、ヒストリアイ、はヒストリア、の複数形で、その本来の意味は「研究書、調査書」って意味だそうです。だからそのまま訳せば「レポート」ですね。

 それがそのまま、ヒストリア、が「歴史」というものを指すコトバになった。


 最古の歴史書であるというよりも、最古の、物語、だと言えます。もちろんその前に、ホメロスの「イリアス」「オデュッセイア」というすべてのオリジンと言えるものがあるのですがこれらは「詩」です。そのほかにも古代の本は、すべて「詩」です。

 このヒストリアは、詩の美しさ、よりも、物語を重視した、本当のこと、を語るというものです。これが物語、の本来の姿で、フィクション、っていうのはずっと後に自分の作った物語を書くようになったもの、ノベル、ともいう。とワタシはカテゴライズしてます。

 物語ってのは基本的に、過去に本当にあったことを話すものです。


 だいたいすべての学問はギリシャ起源なんですが、こんなにわかりやすくルーツがはっきりしてるのも珍しい。

 ヘロドトスの記述は、もちろん正確かどうかは知りませんが、つい去年書かれたといっても違和感のないくらい、わかりやすくシンプルなコトバで書かれています。とてもじゃないけど2400年前の本とは思えない。

 内容はもちろんファンタジーに満ちていて、聞いたこともないような民族の、珍奇な暮らしぶりが書かれています。まさにセカイはワンダーランド。未知の謎がパンパンに詰め込まれています。

 大筋としては、ペルシャとギリシャの全面戦争を、キュロス二世がアケメネス朝ペルシャを建国するところから初めて描いていくというものです。

 いわばこれは、「イリアス」の続編です。ギリシャがトロイアを滅ぼすところからギリシャとペルシャの対立が始まっていくってことなので。


 ヘロドトスは、トロイ戦争がパリスがヘレネを誘拐したところから始まったという「伝説」をそんなくだらない理由で戦争するわけないし、第一女に少しもその気が無かったとしたら誘拐されるわけない、それはただの口実であった。と非常に冷静に分析してます、やっぱ当時の人もそう思ってたのですね。

 女が誘拐された、というのは大抵嘘で、真実は寝取られたってことです。


ヘロドトスはなぜかオシリスの名だけは口にしないようにしていて、多分オシリスの信者だったのでしょう、エジプトには実際自分の足で行ったようなのでオシリス信者となったのだと思われます。

 ギリシャの神のほとんどはエジプト由来であるとしてますが、時系列的にその通りだと思われます。 

 ただエジプトにはゼウス的な支配者的神は存在せず、アメン、ラー、はエジプト神話ではかなり後になって付け加えられたもので(テーベにエジプトと首都が移ってから)、地母神と天空の神の子である、オシリス(とそのライバルであるセト)、イシスそしてその子ホルス、が一番重要な神です。

 だから構造的にはかなり異なるものになっていますね。ギリシャ神話の神々が人間的であるのは、おそらく、実在の人間にモデルがいたからだと思われます、自分はヘラクレスやペルセウスの一族であるっていう人々が普通にいるので。ほいでその人々が、エジプトでアメン・ラー信仰が発展した中王国時代ってのもわかるわけですな。


 本のメインテーマは、いわゆるペルシア戦争、という-490年頃の戦争で、初めてペルシアとギリシャが戦った戦争についてですが、膨大なこぼれ話というか前日譚、みたいなのがあります、スキュタイ人とはどういう民族か、エジプトは、もちろんペルシアは、イオニアは、スパルタは、アテナイ、テッサリア、トラキア、フェニキアなどなど・・・

 実際にペルシア戦争について述べている部分は10%ぐらいで、ほかは民族の説明が主です。だから歴史よりも、実は地理、とか民俗学、が主です。

 

 有名なスパルタの王、レオニダスがたった300人で300万のペルシアの大軍と戦ったとされるアレです。

 実際のことはすべて2400年前の出来事なので闇の中です、すべてヘロドトスの創作かもしらん。でも歴史とはそういうもの、歴史、は創作です。ほとんどのことはわからないのだもの。

 しかしながら、ペルシア流の大戦争のやり方、連れていける人間をすべて引き連れて、支配している国から根こそぎ兵を駆り集めて戦うのは、愚策と見て間違いないようです。結局ちゃんと武力として使えるのは自国ペルシャの精鋭だけ。あとは逃げることしか考えてない。戦争は数で勝負といいますが、烏合の衆を何千万と引き連れても、なんの役にも立たないどころか、兵糧の無駄でしかないということですね。 


 ある民族は、ある年齢以上になった人間を、英雄として祀って生贄としていたようです。これはもちろん老害を排除するってのが目的なのですが、華々しく英霊としてたたえて送り出すというこのやり方は、みんなに疎まれて長生きするよりも、ずっと良いとワタシは想いますけどね。昔の人のほうがよく考えている。現代人のほうがよっぽど後先のことを考えなくなっています、未来のことなどどうでもいいとしている。

 古代人は、自分の祖先はこれこれで、子がこれで、子孫が反映するように・・・という縦の繋がりを大事にしてます、現代人は自分の祖先などまったくわからないし、子孫がどういう世界を生きるか、何も考えてはいやしない。これは良し悪しですけどね。