2024年1月29日月曜日

1980 山河ありき  寺山修司

  競馬エッセイもほぼ晩年の作品。


晩年というか寺山修司な1983年に47才で死んでおるので・・47才!若すぎだろ!

 死ぬ三年前の出版ということになります。


 寺山修司が死期をさとっていたのか知らないけれど、非常に暗いというか終わり、の話ばっかりです。名馬みたいなのはまったくとりあげられず、ほとんどが怪我で死んだ馬や、ちっとも勝てずに馬肉にされてしまった馬の末路。

 この時代といえば、爆発的な最強馬、マルゼンスキーの時代ですが、ほとんど触れられていない、こういうバカ強い怪物は趣味に合わないということです。 


 文章も正直精彩を欠いてきている。詩人、寺山修司は死んでしまったようです。


詩人、っていう職業は、ほとんど長生きを拒否しているみたいなもんです。詩なんかで食っていけるわけないのだから。長生きする詩人なんてのはダサいものです。詩人はだいたい20代で死んでる、松尾芭蕉も爺というイメージですが50で死んでますから、そこまで爺というわけではない。

 ほいで時代も変わってしまった、60年代が闘争の時代でしたが、70年代は転向と事なかれ主義の時代、保守主義の時代です。

 70年代は断絶の時代だともワタシは思う。60年代の闘争、は世界規模のもので、世界の若者たちは、他の国の戦争とか闘争を自分のことのように感じていた。けど70年代にそういった理想が次々と崩れて、みんな自分のことだけ考えるようになった(という理想を持ってた連中は学生運動とかで散ってしまい、バカだけが残ったといえます)

 そして80年代はバブルです。拝金主義の下品な時代。確かに寺山修司にバブルは似合わない。バブルに詩人、なんて人種の居場所は無いというわけです。

 競馬もギャンブルおじさんたちの最後の砦から、どんどんエンターテイメント、ファミリー向けをアピールしていくことになります、シービー、ルドルフ、とスーパースターが現れ、オグリで競馬ブームが爆発し、競馬が裏街道おぢさんのものから、みんなのギャンブルへと変わっていく。オールドスタイル競馬の終わりなのです。


 あと漫画、に関する言及が多い。そこはやっぱり寺山修司でして、はやくも漫画、が次のメディアの寵児になると見抜いてたみたいですね。「ガロ」、が漫画を子供だましから、最先端の文化を提供する媒体へと変えていったわけです。一番新しいものは、まず漫画から始まることになった。