2013年2月24日日曜日

op9 making 22 call it a fate / essay


 openingが一応描けたので、音楽を作り始めました、メロディと詩は一応完成。曲はまだまだです、しかし作曲とのは恐ろしくしんどい。消耗が激しい・・・ともかく、伝統的な楽器は使いたくないので、なんか新しいフォーマットで曲を作りたいと思います。

U always said to me

if U gone just call it fate

and i always teling you

mind won't go that way


tell me why the world is so alone

can you fixit or you meant to leave it

 gimme the life that

i think i never have....

everytime i feel so looonely

i just huddle up myself

everytime i feel so emotionless

you did smile to me


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 消耗が激しいということでふと太宰が、金に困ってない身の上なら、そもそも芸術などしないほうがいい、と書いてたのを思い出しました。太宰がひよったといわれてる時代の作品・・・けどコトバ通りの芸術否定ではなくて、芸術なんてやっぱり精神の切り売りでしかないんだってことでしょうね、普通の労働者が肉体を切り売りするみたいに、グラムいくらで精神を秤で売ってるようなものです。そしてだからこそ、本質的なものになりうるって事でもあると思います。ドストはトルストイを地主の文学と言って軽蔑しましたし、トルストイ自身が、自分の作品を貴族向けのくだらないものと断定しています、この二人ってかなり同時代人なのに全然交わらないのですよね。口には出さないだけでずっと意識してるのでしょうけど、アンナ・カレーニナはスタヴローギンに影を落としているし・・・(ドストは借金魔王です)
 太宰=ダメ人間のステレオタイプですけど、それを超えるのはやっぱドストしかいないでしょうね、革命未遂で死刑判決、シベリア送り、赦免、刑務所上がり、ギャンブル中毒、ロリコン、足フェチ、癲癇持ち、それに並んでゴッホですけどゴッホはただ単に失業者で弟のヒモってだけです、でもやっぱ太宰が正しいですよね、金に困ってなきゃ、人間にとって普遍的なものなんて何も出てこないもの、何も持っていないから、本質的なものを取り出すのでしょうね・・・
 だから金持ちの芸術家なんていないといってよいでしょう、金持ちの芸術家は、サラリーマンかよく言って職人、一般にはカスみたいな連中です。


 +マクルーハンのメディア論もたぶん同じことを言ってるのだと思います、もちろんマクルーハンは何を言ってるのかわかんない広告文の描き方をしますから、輪郭はぼやけてますが、芸術なんてものは、メディアであって、メディア自身がメディアとしてのメッセージを有しているのだってことらしいです、たぶん芸術には内容や出来、なんてものはなくて、XXという人間が、存在を証明している、メディアを用いている(伝達している、他者へ発信している)、ことが本質であって、他者への存在証明(他者の存在確認)、が根源的なものだってことだと思います。Usたちが、メディアに依存する要因も、メディアの内容ではなくて、そこに他者の存在を確認する、それだけが大事なのだということらしいです。


 あるいはそうかもね。ですね「人間はみな孤独である」、パラドックスです。人間はみな孤独である、という文は他者に読まれなければいけないし、他者がいなければ意味を成さない文だから、人間は皆孤独であるは、人間は孤独ではない、という前提でしか存在出来ないというわけ。