2012年3月5日月曜日

華氏451 ブラッドベリ  1953

少し進む・・ゾーンに行けそうですねこのゲート。

 
 名前だけは知ってるけどなかなか読む機会が無かった本、なんか、痴愚神礼讃みたいにこいつはマッカーシズムみたいな野郎だと思って途中で読むのを辞めたくなりましたが、最後まで読めばまぁ違うとわかります、そんな赤狩りみたいな本が名作として残ってるわけないですからね、でも感情を込めて書かれすぎていて本当はどっちを言いたいのかわからなくなる、痴愚神礼讃もそうだって渡辺教授が言っていました。大江の作品にも右派の青年を描いたものがあったけど、たぶんそれは、それを意識したものでしょう。ドストの作品もそういうとこがある・・アリョーシャよりもイヴァンのほうがキャラクターとして生きている気がする・・

 でもちょっと反動的すぎる、って気がしますね。芸術家は前衛ではなくて、激烈な反動主義者だというのは大方正解だと思います、だから体制と敵対するのでしょう、リベラルなアーティストってのはまぁいませんから、みんなナチスよりもぐっと右で、ぐっと民族主義者ですよね、自然に帰れ・・・ってわけだ
 ピカソは芸術を前に進めないで、全速力で後ろに走って行きましたから、そしてラスコーの壁画が最高の芸術だと言うに違い有りません。そういう人は多いですね、ソローみたいな生活をして人間の尊厳を取戻せみたいな事いう人、ハイジみたいな・・ ・

 私達に昔ながらの生活が人間の本性に合ったものだと思えるのは、私達がまだ昔ながらのコトバを使い、そのコトバを使って世界を見ているからだ。あらゆる価値感の全面的変更が必要だ。
 とニーチェは言いました。ニーチェはそのあらゆる価値の大転換を初めてすぐに 、馬に抱きついて人間失格になりましたが、最近の研究ではその後の療養期間が長すぎることから梅毒転移ではなく、本当に精神的な崩壊・・・・、もしくは本当にあらゆる価値の大転換が成功したのかもしれないとという面白い話になってます。

 確かに本質的な価値の大転換ではある。