2012年3月6日火曜日

L'Ettranger  文字コンテ ep1 plot

 次回作の文字コンテを公開していくことにしました。これはアイデア段階でこれから推敲とビジュアルと音楽をつけていきます・・ただ単にHDDがクラッシュした時に悲しくならない仕掛けです。



                             A
                     終わり無き夜への旅
              

                         1 企画
アキ(学校の屋上の手すりに鉄棒でやるように足をかけて、上下逆さまになりながらビデオカメラで空を撮っていると色んな想念が押し寄せてきた。まずわざわざ自分が逆さまにならないでもカメラを逆にして持てば良かったということ。もしくは後で編集ソフトで180度反転させれば良かったということ、空は6月の晴れ間でまっ青に晴れ渡っていてどちらが地平線かを気にかけてはいなかったということ。高校三年になって私たちの同世代にはこの青空とは真逆な厳しいリアルライフという怪しい乱気流が押し迫っていること。彼らはどんどんプレス機にはめられて、きちんとリクルートスーツでパッケージにされて、教育という工場から出荷されて魂を持たない何か泥の塊になってしまうということ。私はカメラの使い方と編集ソフトの使い方を学ぶためにたった一人で短編映画を撮ってそれをたまたま雑誌で見つけたコンペに送ってみたけれど、私自身それは全然賞なんか獲れっこないし、そもそも賞が欲しいのかどうかすら疑問だということ。パンツが丸見えだということ。私たちの自由は、労働から解放された日曜と祝日に浮島のように、トルストイとその妻の仲がいい時みたいにぽつんと存在していて、自由であればどこにだって自由に行けるのだ、とエジプトの革命家が思ってるものとは全然違い、せいぜい東京の汚い海か旅行会社によって冒涜された観光というチンケな感動が精一杯だということ。本当にどこかに自由に行くと、結局野ざらしを覚悟しないといけないということ、私たちは貧困と重力と社会のルールの法律と、マナーとかっこ良さと、常識と道徳と、そのたもろもろのものでがんじがらめで縛られていて、結局はどこにも行けず、最大限の自由を獲得したはずの現代であっても、行き交う旅客機を見つめ、無限の青空を眺めるくらいが最高の贅沢だということ(それは奴隷にだってできたんじゃなかったっけ?)結局、私たちの奴隷に対する軽蔑は奴隷というコトバに対するもので、それがパートナーだとか、仲間だとか、妻だとかというコトバに変わっただけで、むしろ好ましいと思っている事、それは奴隷を所有するほうではなくて奴隷自身が。私たちは奴隷になりたい。自由を得るために。私は大審問官みたいな事を言ってる。結局女は、いつまでたっても身売りをする以外に食べていく方法が無いということ。次の映画に何を撮ったらいいのか皆目見当もつかないということ。映画はその歴史の終わりに属していて、斜陽の芸術であるということ、芸術そのものが、斜陽にさしかかっているのではないかということ、人間すら、急激な上り坂の後の長くてひたすら退屈な下り坂にを歩いているのではないかということ。青空は大気汚染の影響でその青さを失い、太陽からの光は100年前と比べて30%も減じたというような話を聞いた。月が隠れた夜は真っ暗で、源氏物語や平安時代の夜に対する恐怖は現代人には想像もつかないと、国語の教科書が教えてくれたけれど、1000年前の澄み切った夜空は、天の川がきらめく光の海であったのではなかったでしたか?現代人は1000年かかっても彦星とおりひめのお話を作ることができないだろう、星が見えないから、私たちは夜空には星が有るということをすっかり忘れているということ。ともかく次の映画のネタが何一つ浮かんでこないということ、それはもうこの青空のようにさっぱり何も思い浮かばない。処女作は今日は私にとって特別な日です、というキャプションからずっとサイレントである少女(私)の一日がPOVで移されて行って、最後にビルの屋上に立ち、もしかして特別な日というのは少女の最後の日なのではないか?と期待させておいて、実はその日は少女の誕生日でしたという、我ながら恥ずかしいような、大好きな作品になってしまったということ。
 放課後の一瞬の静寂は終わり、部活にはげむ体育会系たちの掛け声と、吹奏楽部の現代音楽風のアドリブが聞こえてくる。ここ最近ずっと何を撮ろうかという事ばかり考えているけど、唯一なんとなく決まったのは、今度は一人でなくて一人でもいいから他人を使ってみようということくらいだ。別に寂しいからとか、作業が大変だからとかではないのだ、むしろその作業が好きだから始めたのだし、私の寂しいセンサーはいつの間にか故障してしまっていて、むしろ今はあらゆる人間から距離をとっていたい気分のほうが強い、でもやっぱ他人を使ってみればアイデアが浮かぶかもしれない。何かポスターを書こう・・・
 コンピューター室でフォトショを使ってポスターを作ってみた(案外ここのコンピューターは設備がいい、特にソフトの)、ニルヴァーナのバンドメンバー募集なみにこれは魅力がなさすぎると思って、私のセクシーショットでもサブリミナル的にオーバーレイしてみようかと考えた。もしくは女性器をブラシに使って、よーく拡大したらすべての文字が女性器で書かれているみたいな感じにしようかと思って辞めた、そんな天井桟敷じみたハリボテ感は好きじゃない。それに全然面白く無いヤツが来ても困る、何か特別に面白い人だけがひっかかるようなポスターにしないとダメなんだよな、ポスターを作るときのセオリー通りにみんなに見栄えが良さそうなのを作ってしまったのを反省していたら、もう6時になってコンピューター室のとなりの部屋にいる情報技術という謎の授業を受け持つ能面みたいな顔の男にしっとりと追い払われてしまった。彼は湿度10%の砂漠にいても湿度を失わないであろうコケみたいな存在です、湿度と彼の存在は密接に結びつきすぎているためにドライになった瞬間に彼自身も消えてなくなってしまうに違いない、かといって夏の水たまりのような清々しさは欠片もない、しかしどうして学校の教師って変態が多いんだろう、けっこう人気の職業のはずだし、ここは案外に進学校なのでもっと私の大嫌いな「出来る人間」みたいな鬱陶しいタイプの人間が教師をやっててよさそうなものなのに・・・。
 学校に泊まれないのは失敗だった、なんで寮生の学校にしなかったんだろう?別に家が嫌いとかではなくてこの登下校っていうタイムロスが最大にイヤダ、たぶん行かないだろうけど大学は絶対に寮があるとこに行く・・・)

 アキは一人暮らしのマンションに帰った、アキが一人暮らしをしてる理由を語るにはおよそ200ページ必要なのにもかかわらず、アキと親の関係はたった一言で説明出来る。普通である。アキがちょっとした事故で記憶喪失で幼年時代の無い人間だということを覗いては。アキにとって両親は他人だった、というよりも他人というあり方以外に二人の人間のあり方があるだろうか?家族という幻想は、おそらくはただの経済的問題である。親から独立できる資金を持った子供はいつまで親といたがるだろうか、おそらく思春期を迎える前に子供は親を見捨てるだろう、もっとハッキリ言えば、必要がなくなったらすぐに見捨てるだろう、家事をやってもらう奴隷だと考えれば、耐えられないものではなくなるかもしれないけど、それは個人の好き嫌いであるに違いない。プラトンは国家論の中で家族システムを社会にとって害とみなして排除している、もちろん民主主義も、2000年も前に。幼年時代だけが幸せだとトルストイは言うし、ほとんどの老人もそう思っている、けどそれは本当はすべて惨めだった人生を記憶の曖昧な子供時代を脚色して輝かしいものにしてるだけのように思える、フロイトならそうすることで精神バランスを保とうとするのだと考えたろうか?ともかく幼年時代が無いアキには何の関係もない話である、アキは幼年時代が無いのに別に精神に異常をきたしてるわけでもないから(きたしているのか?)恐らくこの仮説は放棄される。
 アキの食生活は恐らくパスカルと同じくらい質素なものだ、一日パンと牛乳と、コーヒーを食事というよりも間食的にパクつく程度のものだから。極度に吝嗇とも言える、彼女は電気を使わないで家に帰ったらすぐに寝てしまうし、部屋にはほぼ折りたたみベッド以外には何も無い。起きたら着替えてすぐに図書館やらどこかに出かけてしまうし、シャワー着きユニットバスなので風呂にも入らない。月々の生活費はなんと家賃込みで三万円である。夕刊とチラシを配るアルバイトをしている、朝がニガテなの絶対に朝刊は配らない。月の収入は4万ほど。それほど熱心なアルバイターでもない。最近の図書館はハイテク化が進んでパソコンも完備してるので、アキが持ってるガジェットはビデオカメラ(これはいいもので中古で20万もした)と外付けHDDが三枚。アキは本も買わない、すべて図書館で暗記する、自分の家の本棚にある本ほど絶対に読まない本もないからだ。まるで古代人のように起きたらすぐに外へ出て、暗くなったら眠るのがアキのライフスタイルである、成績は学年でもトップ10である、しかしペーパーテストで順位を決めることへの情熱はからっきしない。ちなみに部屋は、部屋というよりは牢獄で、ラスコーリニコフ的な部屋を探していたアキはこの月8000円の部屋を見つけた時にはそうとううれしかった。オーナーは陰気なユダヤ人の老婆ではなかったけれど・・建物自体はコンクリート造りでそれほど古くもない、ただこれはマンションではなく倉庫として建てられてその一部を部屋に改造したようなものだった。
 アキは友達が少ないほうでは全然無かった、けれど高校二年くらいからこの卒業したら二度と会わないであろう同学年の人々との友達ゲームから降りてしまった。別にはぶかれているわけでもいじめられてるわけでもなく、ただそのゲームから降りてしまったのだ、アキは見た目的にもいじめられるようなルックスではない、むしろ人々の畏敬の念を起こさせ、尊敬されるようなルックスである、あまり愛されはしない、巨匠の大理石の彫刻のレプリカのレプリカみたいな感じである。美人である事には誰一人異論をさしはさまないが、どういうわけか同姓からの嫉妬も集めない美人であった。ともかくアキは透明な壁を何重にも広げて自分のスペースをどんどん広げていった。特別な用が無い限りは誰も近づか無いように城壁をこしらえた。