2013年1月19日土曜日

random review スタジオジブリ・レイアウト展/ 各国史 フランス 山川 / サイボーグ009

・レイアウト展 
 ジブリのアートブック系は絵コンテも含めて色々と出ております、レイアウトは絵コンテをそのまま拡大して線を綺麗にして、塗りトレースも入っているので、実際アニメーションを作るひとにはかなり参考になると思います、しかし原画のサイズがわかんないし、縮小印刷されてしまうと、自分がレイアウト切るときに縮尺が合わないので、きちんとオリジナルのサイズとかを書くべきですね、アマチュアの仕事です、ジブリ出版局、まぁアニメスタジオの一部なんだから仕方ないのかもしんないですけど。規格サイズ、移動ショットのタイムコードは中途半端になっていると一番困る、レイアウトというのはそもそも撮影の指示なんだから一番大事なそこが抜けてると、特にジブリは絵コンテの絵自体は駿さんの絵コンテの時点でもう完全に決まってるので、全然意味ないです。アニメーション文化の育成とかなんとかいいながら、詰めが甘い。だいたい、日本というのは後身の育成というのが出来ない文化です、ワンマンで終わる。教育、ってのが下手くそな人種なのかもしんないですね、ケチケチして大事なとこを教えない。偉大な教育家というのがほぼいない、福沢諭吉?丸山真男? 教育ってのが現役じゃない二流がやるものっていうのがあるんですよね、むしろ教育ってのは一流の人にやらせないといけないのに、ファインマンとかに物理の基礎コースをやらせたりさ。教団に立つ人のレベルの低さは著しいです。黒澤が後継者を一人も残せなかったのが今のザマです。


・各国史 フランス 

福井 憲彦

山川出版

 日本語の文献ではフランスの通史ってのはほぼありません、というか日本以外のどこの国の通史も満足できるものは無いです。かといって英語ではあるのかというとあるにはあるけど、それはフランス語からの翻訳です。英語のトランスレーターが頑張ってるのかというとそうでもなくて、西洋語(全部ラテン語の方言みたいなものだから)は基本的にコンピューター翻訳でかなりの精度で文が成立するからすごく簡単なのです。後は不自然なのをブラッシュアップすれば読めるくらいにはなる、小説とかの芸術作品は別にして。特にフランスとイギリスは同じ国であったのだし、王朝が同じこともあったのでほんとに方言みたいな違いですからね。
 まぁそんなところで、歴史の教科書よりもちょっと詳しいくらいのものでしかないのですけれど、その分、全体の流れを把握するにはいいのかもしれません、こういう学術書にありがちな専門の人がその時代の章を担当しているって感じの本は、歴史観が混在していて、相互に矛盾してます。ある部分では香辛料は肉食のヨーロッパには不可欠なのだ!ってウォーラーステイン系の定義がなされてるとおもいきや、百年後には香辛料ブームは終わって東インドは斜陽になったとか、書かれてる、無茶苦茶いうなよ、不可欠なのにブームが終わるってどういうこと?かといえばアナール学派的な説明、シャリヴァリなどを文化人類学的なコトをことさら強調してみたり、フーコー系のポスト・モダン的なアプローチ、ドゴール系の現実主義的アプローチ、左巻きの考えなど、視点が混在していて、歴史として成り立ってません。(右派は一人もいないってのはわかる、フランスの歴史を学ぼうという人で、フランスの右翼に興味があるなんて奴はいないから)通史というのは一人で書かないと意味がない、歴史ってのは事実に基づいたフィクションです、ミシュレは一人でフランス史を書いたし、ラッセルは一人で西洋哲学史を書いた、1つの頭脳の中で整理されないといけない。特にこういうコンパクトな通史は、1人の1つの視点でまとめないとぼっこり抜けてるとこが各所あります。多少偏ってたり、独断があっても、1つの意見、物語として成立してないよりはマシです。ただ単に事実を並べるだけなら、年表で十分だし、歴史を学んで未来への視座を得るという本来の目的から完全に離れている、たこつぼ学問の弊害です、じゃあこれからどうしよう?っていうビジョンが全くない、あれもこれも重要だ、慎重に考えようばっかり、人は選択して、決断しないといけないんですよ、教授ってポストに収まってあとは定年までテープレコーダーのように毎年同じ話をしてるのはいかがなもんですかね。マルクス歴史学は、自分の都合のよいように歴史を編集してるというし、多分にその通りだけれど、改善案をまがりなりにも自分で考えて用意している時点で、こうしよう、が何もないノープランの職業学者より格段に優れていると乙は思います。 
 
 
 さて特に戦後の歴史学で抜けるのは、なんで戦争の帰結がそっちにいったのか?という戦略的な問題です、第二次大戦が開戦した、1ページ後にはもうヴィシー政権が誕生してるんです、なんでそんなにフランス軍は弱いの?っていう説明が全くない。軍事的側面の軽視は、アメリカ支配でキリスト教倫理を植え付けられた国にはどこでも見受けられます。現代以前の歴史はむしろ逆でどうやってカエサルは勝ったのか?どういう国の制度、政治をすれば勝ち残れるのか(マキャベリ)など切実な問題を扱っていました。たぶんそれは平和ボケというのではなくて、所詮学問なんて実際の政治には何の力も無いっていう諦めのように思えます。所詮ブルジョアがロビイングで法律作るだろうって、乙が思うには、21世紀になって、先進国が高齢化していき、拝金主義がはびこり、女性人口、参政権が多い世の中は、バカが増えるので、簡単に洗脳されやすくなってるという感触があります。だから洗脳のやり方次第でどっちにも振れるなって感じがします、テレビが平和主義をうたえば何も考えずに表面的にそれを受け取るし、丁はやらねばならんって対中戦争やテロとの戦争を重視すれば、そうだ国益を守らないといけないってすぐになる。社会がどんどん幼稚で痴呆化してるので、少しの変動、恐慌で一気に極左にも極右にも流れるのではないでしょうか、まぁメディアを資本が占有してるってのはあるけれど・・・、資本のメディア独占を突き崩して、洗脳をかければどこにでも転がせるのではっていう感覚があります。




 核の均衡も実際の核の射程、威力、被害というのはブラックボックスです、核戦争が起これば世界は破滅というけれど、しかし太平洋の島々とか、ポリネシアの島すべてに核をまんべんなく打ち込むの?あなたのいう世界ってのはNY パリ 東京 ロンドン ベルリンとかの都市の点だけの世界なんじゃない?って思います。世界の大都市をほとんど破壊することはたぶん可能ですけど、地表全部をまんべんなくというのは相当難しいです(特に海底に潜行する原子力潜水艦へどうやってミサイルを当てるの?)核の冬シナリオも、ただの予想で、実際の気候変動はカオスでしょう。あるいは核で冬を実現できるなら、放射能を取り除いて部分的に利用すれば温暖化を抑えることも出来るじゃんって話にもなります。
 
 そもそもなんでフランス史を読んだのかというと、まずパリ・コミューンについて知りたかったのと、フランスが今マリに侵攻してって、アルジェ戦をまた始めてるからです。これは確実に失敗すると思います、なんで今アフリカなの?というのはギニア湾の油田が世界の標的になってるからですね、第二の中東はアフリカ西海岸というわけです。だからここでバキバキ戦争が絶えない。国連が支持するのは、西洋諸国がこのアフリカ西海岸を第四世界に渡したくないからですね。イスラム教はなんだかんだいいつつ第四世界の代弁者として、地道なレジスタンスをやってくれるということになる、視点を変えれば。他に誰も助けてくれないんだから第四世界がイスラム世界と手を結ぶのは当然っちゃあ当然です。そしてこういう市民に紛れ込んだゲリラ戦で勝利する方法ってのは結局、武力行使派以外も含めた市民を全員殺すっていう全滅作戦しかないのだから、ヴェトナム、イラクでも出来なかったようにここでも耐久ゲリラ戦は、フランスが財政危機を迎えるまで終わらないでしょう。一次的に収束してもね。
 前にも書きましたけど、やっぱり何の関係もない国がガスを吸ってるのはおかしいもの。発展に貢献したといいますけどね、haha are you sure?



 まとめ
Vincent de Beauvais のスペクトルム・マーイウス は世界最初の百科事典、中世の百科事典

・13世紀、フランスの3つのバラは、教会 サケルドーティウム、王権 レーグヌム 、大学 ストゥディウムであって、フランスは歴史的に学問にも権力がある→5月事件

・テンプル騎士団は十字軍であったが、金貸し団体になりフランス国王も多額の負債をかかえていた、国王は司教とつるんで、テンプル騎士団は修道士なのに金貸しをしているといちゃもんをつけて燃やし、借金も踏み倒した→国家の借金の踏み倒し方、現代でも国債を踏み倒せるか?

・1347年以来の黒死病流行は人口の40%ほども減少した、労働人口が減少し、労働市場の黄金期になる→人口削減政策は失業対策になるか?人口調整としての生物兵器、生物兵器は核と違い環境に悪影響をほとんど与えない。

・特権は絶対王政化する上で、乱立する権力者をシステムに取り込むために与えられるもの、特権はいずれ消滅する、一度譲歩するとそれを失うまで譲歩することになる→魔法の夜

・1500~1800年までの300年間の間、150年間がなんらかの戦争状態であった、(戦争を通して国民国家が作られる)

・貧者は16世紀ごろまではキリスト教的倫理の体現者として社会悪とみなされていなかった、それが社会悪とみなされるようになったのは、キリスト教が廃れて、産業が勃興してきた17Cより、そのころから時間、というものが、循環するものから、進化論的時間論に変わった。→フーコーによる精神病と分析と同じ


・1793、1、21 国王処刑  革命は自ら退路を断った。

・1794、7、27 ロベスピエール処刑 テルールの終わり

・1799、11,9 ナポレオンによるブリュメールのクーデター、革命の終結宣言

※ヴェルサイユ行進は初めての女性主導による革命

・フランス革命が芸術の大衆化を勧め、MUSEUM、博物館を作った

・ナポレオンはメディア戦術に長けた軍人で、そのために肖像画を何パターンも作らせた、情報操作に長けた軍人はヒトラーまで現れない。

・1804 皇帝ナポレオンへ、選挙では圧倒的支持、民主的支持により帝位についている。

・1815 ナポレオン島流し、国内はユルトラ (極右の王党派)の立憲制

・1830 七月革命 栄光の三日間 ルイ・フィリップの(ブルジョア)立憲制
  ブルジョアVSプロレタリアートの図式へ 社会思想が生まれる
フランス式(空想、オカルト)社会主義 サン・シモン(サンシモンはスミスなどと同じように最終的にキリスト教的友愛で社会がよくなるという、オカルトを信じている)
メリットクラシー(有能者支配)
プルードン 無政府主義 

・1848 2.28 二月革命 第ニ共和政 
プロレタリアートの意図は無視される
六月蜂起 「パンか銃弾か、自由か、死か?」 
カヴェニャックによる血の鎮圧、軍事独裁
 12月 ルイ・ナポレオンが当選 右傾化
1851 ルイ・ナポレオン クーデタ  第二帝政
 前半は権威主義的だが後半はややリベラルになっていく・・、民衆の支持に基づいた権威独裁→ファシズム
 1870 普仏戦争敗北
 パリ・コミューン プロレタリ独裁 (プロイセンより開放された政府軍、プロイセン軍との対決) 対独悪感情の萌芽
  第三共和政
 1889 パリ万国博覧会 植民地パビリオンによる帝国主義の正当化

・サンディカリズム 武力行使、ゼネストで社会革命を目指す運動

1905 ライシテ(非宗教化) 政教分離 神を信じない国民国家へ

1914 6.28 サライェボ事件 WW1
 ロシアとの同盟により参戦するが、ロシアは革命で離脱、ロシア借款も踏み倒される

1919~30 資本主義化
30~37 左派系の政治、恐慌対策の失敗 、バカンス、旅行、文化政策など労働者の文化を促進、文化の保護国としてのフランス。 二流国への転落
32 セリーヌ「この世の真実は死だ」

 ナチス台頭「ヒトラーかスターリンか?」
39、8、23 独ソ不可侵条約
9,1 WWⅡ

40、5月 敗戦 ヴィシー政権、自由フランス
ヴィシー政権はカトリックと組んで旧態依然の教権主義、対独強力。
44、6 ノルマンディ作戦 ナチス敗北へ・・

44、8、25 パリ解放 自由フランス、レジスタンスが結合 第四共和政
 冷戦 親米反ソ体制 
共産党を封じ込める連立内閣
 植民地政策
46ー50 インドシナ戦争
54 アルジェ独立戦争
58 ド・ゴール復位 ドゴール体制 第五共和政
60 アルジェ放棄
61 冷戦緩和 
ド・ゴール政治 ゴーリズム 「偉大なフランス」
イギリス抜きのヨーロッパ統合、核武装、自立路線、テクノクラート機構、経済成長、階級、貧富の拡大
1968 5 5月事件 学生、プロレのデモ ドゴール体制の終わり
左派化
73 オイルショック
81 ミッテラン ケインズ流左派社会主義→失敗
86極右の国民戦線が躍進、右左の連合(ミッテラン、シラク)
92 EUへ。





・サイボーグ 009 
 昔の作品なのでそれほど文句言っても仕方ないんですけど、説教臭いです。アイデアはけっこういいのに何かふる~い善悪二元論の説教を聞いてる感じで入っていけません。絵ももうすこしがんばれって感じですかね、石森。たぶん本人もあんまり漫画家に向いてないってのはわかってたんでしょうねだからいろんなものに手を出している、テレビだとか特撮だとか。ずば抜けた才能が無い人ってのがこういうマルチアーティストっていうのになりますね。でも空間力とデザイン力の無さは致命的です、だから映画監督としても成功はしなかったと思う。脚本家としても中途半端ですけど(作品の芸術性よりも自分の言いたいことを優先させてしまうから)資料集めをしっかりやってるのと、どんどん新しいことに挑戦するっていう気概は買いたいです。真面目なんでしょうね。
 
 9体のサイボーグの同じキャストで色んなストーリーがあるっていう劇団方式をとっているので、線的なストーリーではなく、構成がややこしいことこの上ないです。9体もやっぱヒーローもので9ってのは無いから挑戦したんでしょうけどやっぱ多すぎますね、ほとんど役に立ってないのが4体ほどおるし、001がサイコキネシスなんですけど、最強すぎます。なんでもありです、001一体でいいじゃんって感じ・・・。昔のSFってだいたいそうなんですよね、なんか超自然の能力があって、色々ごちゃごちゃと小さな闘いがあったわりには、最期はその超能力で全部ぶっ壊して勝利なんです、じゃあ今までのいらんじゃんって話です。ファンタジーはだいたいそうなので、最期まで超自然の力にたよらない、科学的な視野にたって、ロジスティクスと、兵力の分配が優れていたから勝利した、みたいなものがあれば面白いのかもですね(地味な勝利w) あの歴史上の人物を美男子と美少年で書き換えたようなのは大嫌いですけど。

 けれど中でも神々の闘い編、というのがあって、これは未完で終わっている有名なモノで、実際にアクションは無しで、ただ神々、という心へ直接攻撃をしかけてくる相手と戦うという、ちょっと前衛的で面白い作品になってます、未完になってるというより、未完で終わるしかなかったという感じですかね、たぶんソラリスからアイデアが来てるんでしょう。宇宙戦争的なバキバキドカンのSFが鳴りを潜めてこういう、哲学的っていうか、何も起きない系の不条理SFが流行った時代がありましたね。しかしこういうプロットもだいたい、最期は昔の恋人だとか、愛だとかぬるっとしたもので決着をつけてしまうもので、終わりがどうも描けない種類の物語になりますね。
 もう一つ天使編、これは直接的に生物を生み出した、天使たちと戦うというものですが、これはただ単に書く前に作者が死んで終わっています。
 それでも乙は手塚よりは石森のほうが好きです、説教臭いけれど、ちゃんと現実を見ようっていう勇気があると感じられます、手塚はなんかポピュリストなんですよね。人間的深みが無い。