2015年7月31日金曜日

1967 日本のいちばん長い日 岡本喜八

ポツダム宣言受諾から天皇の玉音放送までのドキュメンタリーテイストの映画です。
 キャストはお馴染み東宝俳優、監督は岡本喜八なのです。
まぁ一応ドキュメンタリーですのでストーリー云々は最初っからオチが見えてるわけですわね。まさか青年将校たちの
決起が成功するわきゃあない。そいで陸軍大臣が三船みたいなかっちょいいおっさんであるわけもない。

 ただ内容云々よりも、東宝にはこの頃は役者がいっぱいおるな~って気がしますね、ゼロ戦のパイロットの超脇役の男の子でも
すごいいい顔つきをしてます。やれこの俳優出しておけばオンナの客が入って、それで集客率がこうこうで、スポンサーがこの企業で・・
っていう金のためにやってます、ってのが、そりゃあるに決まってますけど、気にならないですね。現代のそれを見てるともうワンカット
ワンカット、金のニオイがぷんぷんしてうぉえーーっ!!!って内蔵をぶちまけちゃいますけど。

 それとちょっと1967年っていうテイストもありますよね、ちょっとノリが学生運動っぽいっていうのか。終戦キッズ、たちが学生運動
キッズなわけです、終戦セックスで生まれたガキが丁度20そこそこ。そいつらが学生運動をやってるってことは結局、終戦に反対してる
人間はまだまだいるってことですわね。そして学生運動セックスで生まれたガキが90年台の世紀末キッズなわけです。90年台の
刹那主義的でどっか、終末論っぽい感じ、すぐにセカイを滅ぼしたがるEVA世代です。
 それはびみょーに学生運動をひきずってるわけですね。でも彼らはなんかフラストレーションが溜まってはいるけれどもかなりアメリカナイズ
されてますので敵がいないのですね。



 全然知らなかったのですけどこの映画のリメイクがこの夏公開なんですって、嘘だろって感じです。こんなフルくさ~い映画誰が見に行くの・・?
ほっっっっっんとリメイクを作る人間のモチベーションがIにはわかりません、黒澤のリメイクだとか、はぁ!?って感じ。どうせクソだっていう
のももちろんあるけど、仮に出来が良かったとしても、そんなに才能があるなら、その才能で新しい物を作ったほうがいいいでしょうに。
 宣伝に金がかからない、っていう、これもお金のニオイがしましてうげってなりますね。リメイクっていう時点、お金再回収としか考えられないもの。


 事実に即してるのかどうかわかりませんけど帝国軍の装備がわかるのはグッドです、あと侍従官とか普通の戦争映画で現れない宮城が舞台なのもなかなかへー、ってなりますね。

2015年7月29日水曜日

ブログのデザイン

ブログのデザインが変わったぜYEAH!!
 
夏らしくなったぞ! YEAH!

 さて・・テンション上げて疲れました・・、クソ暑いなマジで!キレそうです・・。
暑いっていうより何か死の危険を常に感じますね。よく野球なんかやってますよこの天気で・・・。

2015年7月26日日曜日

1986  マンガ黄金時代 60年台傑作集 文藝春秋

 

 いつの時代のいつの文庫本の話をしとるねん、って話ですけどたまたま読んだのでひとつ。

ちょこちょこ名作もあるのですけど、一番面白かったのは・・・一番面白いのはつげ義春のマンガですけどIは全集で読んでるので、一番興味をひいたのは最後の赤瀬川原平の後説でした。鋭いこといいよるな~って感じです。Iは解説ってのは作家同士が書くものだと思ってます、自分でも作品を作るひとだけが他の作品について語る権利がある。Iも一応作家ですのでね、赤瀬川さんの作品を別にいいとは思いませんけどw でも散文はズバリ、このヒトはマンガよりも文章に才能があるんじゃないですかね。
 以下にその論旨を書いときます・・・・


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忍者武芸帳 
カムイ伝
   白土三平

 白土三平と反権力エネルギー・・安保精神がみなぎっとると言われる



 ・・むかしの若者にはアメリカ支配を覆してやろうという闘争心を持っていた。
それが古き善き時代といわれる所以で、今は敵がいない。
いないというよりそれは見えないもので、見えないというより敵は分散して自分自身の中にも
入り込んでいるので若者が闘争しようとしても自虐的にならざるを得ない



白土三平が中心のGARO、手塚治虫中心のCOM、同人漫画雑誌のような2つの雑誌が青年向け雑誌の走りであった

前衛芸術はいくところまでいってしまって間が抜けた、それを突き抜けたところにマンガが現れた。
特につげ義春

 GAROの作家
滝田ゆう
林静一
佐々木マキ

マンガ自体が好きなわけではなく、面白いマンガ家の作品が面白いだけ。
 企業マンガが面白くない、会社の業績の為に線をひいてるのが見える。それはテレビと同じで平均点以上に面白くしてはいけない。
暇つぶしのためのメディアで、暇が無い人には向かない。

 ヤクザ映画というのは安保闘争がなし崩しに経済成長に切り崩されて、行き場のない闘争心のセンチメンタリズムとして始まった。

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Iは白土三平ってあんまし読んだことないんですよね、Iは時代物ってのが大嫌いなんです、というのは昔の封建制度で殿様はこんなに偉そうで不平等で農民は貧しくて悲しい・・みたいなことを言いますけど、知ったようなこと言ってんじゃねぇって思います、文章で読んだだけではほんとのとこどうなのかってのは誰にもわかりません、その時代に生きたヒトじゃないと、今の時代だってそう、歴史にはコンピュータが更に進歩し、経済発展が続いたが長い不況で・・・みたいなことを書かれると思うのですけど、知ったようなこと書いてるんじゃねぇって感じですよね?実際そんな簡単に割り切れるものか。実際生きて肌で感じたものだけがほんとです、それに同じ時代を生きてたとしても、人それぞれ全く感覚は違う。数行の文字は何も反映してない、それはどんな時代でもそうです、戦争だ、といって戦争だって全部違うし、一人ひとり全部違うものです。




 侍はこういうもので・・、忍者はこういうもので・・・、っていうの、絶対に嘘だと思う。実体験が無さ過ぎます。ほんとう、が無さ過ぎる。全部ほんとうじゃなくてもいいけど、Iはどれだけほんとう、が作品の中にあるのか、で作品を見ます。

 現代では書きづらいテーマをただ時代劇というパッケージをして、ほんとは現代の気持ちを投影してるのだ、ってよく言われます。しかしソ連の検閲くぐってるわけじゃあるめぇしなんでそんなまどろっこしぃやり方をしなきゃいけないのですかね?時代劇にする理由はただひとつで、形があってやりやすいからです、恋愛という形、ファンタジーという形、探偵、推理モノ・・・・形を覚えて少しだけニュアンスを工夫する。そのほうがやりやすいしわかりやすいからですわね。特に読む側がそれに安心するからです。


 でもまぁそれほど言うならおべんきょーも兼ねて白土三平読んでみます。Iは手塚治虫も大嫌いなんですよね、これは理由も何もなく絵面が嫌いなんです、拒否反応。内容など何も入ってこない、構図も線もデザインもすべてそりが合わないのです。



Iは昔のマンガそれほど詳しくないですけど、まぁのらくろとかつげ義春全集を読んでるってだけで、普通のヒトよりはかなり詳しいのかもしんないですけど、やっぱ芸術的にはつげ義春は図抜けてると思います、内容もそうだけど、つげ義春は絵が上手いです、構図、コマ割り、天才的です。そうかぁ?って思うヒトも多いと思いますけど、マンガ作家としては天才的です。うまさってのは鳥山明みたいなアメコミ的技術でも、井上雄彦みたいな写実的うまさでもなく、マンガ的上手さなんですわね。マンガ、というメディアの中での、絵の上手さですね。


水木しげるももちろんちゃんとした作家ですけど、もっと長い歴史で見た時に、つげ義春だけがこの時代の作家として古典として残るでしょうね。
 マンガなんてガキのもので読むとバカになる、なんてことを言う人が減ったのはちょっと悲しいことですけどw つげ義春なんてそんなバカ発言する連中にはまったく理解不能の高度な芸術ですから殆どの人間には伝わらないでしょうねー。


 企業マンガはテレビと同じでつまらん、という赤さんの意見はすげー同意です。Iも企業マンガ大嫌い。だから企業マンガじゃない、インディペンデントの漫画、エロ同人でもいいですけど、まぁ違うルートを持ったマンガが、これからのキーになるメディアだと思いますけどね、まぁ自己弁護でもあるのですけどw

 
 ちなみに裏世界2、あるいはSPECという同人作家、このヒト気が狂ってるんですかねw でも明らかに一般の表現のレベルから飛び抜けたこの作家が、時代の最先端だと思いますね。ともかくエネルギーがすげぇ、一体何者なんですかねー。潔癖症のヒトには絶対に勧められないけど、この作家が今の時代を体現してると思います。ただほんと知らない人にこの作家の作品を持ってるのを見られたらどえらいことになりますわね。違うよ、これはある意味芸術として・・・なんて言い訳通用するわけないもん。

2015年7月25日土曜日

1968 大菩薩峠 岡本喜八

 岡本喜八というと技巧派の監督でして、いわゆるアーティストアーティストですね、一般人よりもアーティスト仲間で評判が高い。
 構図やライティング、そしてとくにカッティングのタイミングが絶妙だと思います、テンポ。EVAの庵野監督も岡本映画でカット割りを勉強したようなので、タイミング
を比べてみると面白いかもしれませんよ。レイアウトでは宮﨑駿、カッティングでは岡本喜八、カラーの出し方はバーグマン、ライティングは・・レンブラントw
かなぁ、そのあたりから学びたいものです。
 ただもうそんな時代じゃないですけどね、そんな映画の基礎技術なんかよりまずCGソフトの使い方を覚えるのが今の映画ですわね。


 
 ただ岡本喜八の映画自体の内容やストーリーテリングの技術、テーマってのは?って感じです。まぁエンタメ映画だから・・・と割り切るにはそれほど
エンタメでもないし。
 ん?って思うものが多い。散々演出しておいて何が言いたいのかわからんって気がIはする。ともかく技術の監督ですね。ほんとに映画の技術は相当高いです
セカイでも指折りじゃないですか?基本通りだし、そして上手い。タルコフスキーみたいな超スーパーカット、みたいなのは無しできちんと絵コンテ描いて
きちんとコマを合わせるって感じ。是非テレビドラマを撮ってるような何の技術もないくせにプライドだけは高いクソ業界人どもは見習ってほしいですね。
 ただちょっとあざとい気がするのも事実、岡本映画には正面からのカットがやたら多いのと、ズームアップ、そしてドリーアップっていうのですか。カメラ自体を
動かすアップがかなり多用されてます、ん~・・、むぅ。まぁ好き好きなんでしょうけど、ちょっとやり過ぎって気もする。


 キャストがすげー豪華。若大将って若いころと今の顔がまっっっったく違いますよね、仲代もそうですけど人間ここまで顔が変わるものですか?それに引き換え
田中邦衛はずっと同じ顔w イケさんは顔が崩れるのでしょうなぁ・・・。演技派といえば仲代、っていうくらい仲代は演技派ですが、声がいいですよね。
 声ってほんと大事、いくら顔がイケさんでも声が二枚目ってことはひじょーにある。仲代の一番の売りは声だと思う。三船はオーラで何もしなくてもすごい。
三船は演技しませんよねwそのまま。いっつも三船。
 若大将の若いころからのファンって人は一体どれだけいるんでしょうか、黒澤映画にも出てるし、かなりいい映画にも出てる・・・それにこの人公爵の家系
なんですってね。本当に貴族じゃねぇか。ほんとに大将になる家系の人なんですよね。その超金持ちのボンボンの、イノセントな感じが加山雄三の味なんですけど
それはそれでいいです。
 この映画1968年ですけどまだまだ日本映画はそれでもちゃんとしてますよね、一体どのへんでむちゃくちゃになってしまったでしょうか?70年台のどこか
なのは間違いないけど急激にレベルが下がりましたよね。テレビに客を取られたというけど、だからっていきなりカメラの使い方を忘れるわきゃあねぇと思うのですけど・・



 昔の映画会社ってのは映画を舞台とする劇団で、だいたい同じ俳優とスタッフですごいペースで映画を作りまくってたのですね。それが解体(倒産)されて、映画を作るのは
制作会社、制作会社がスタッフや俳優を事務所からかき集めて映画をつくる、あるいはテレビ局がドラマの延長で映画を作る。テレビドラマを作ってるのも制作会社
配給、のメジャーっていうのか、マスコミっていうのは、リスクを取らないでただ横流しするだけで手数料を取る会社なんですね。いつだってギャンブルは胴元だけが
得をするように出来てる。映画ってのはギャンブルですから、自分で映画なんて作らないで、誰かに作らせたものを、放送するだけで金をせしめるほうがいい。
 だから映画をつくるチーム、劇団みたいな映画を作るチームってのがいなくなった。お抱えの俳優、銀幕スターってやつも。俳優は事務所が抱えて、企画ごとに貸出。
けどチームプレーがそれで出来るのでしょうか、結果はNOってことですね。この映画は東宝チーム、が作ってるわけです、劇団東宝が、だから技術がしっかりしとる。
 これはIが勝手に考えたお話で事実とは異なってるかもしんないけどだいたいそういうことですわね。

 
 だから舞台じゃなくて、映画を作る劇団、ってのを作ればいいのかもしんないですね。配給はメジャーを通さないで小さな小屋を使う。まぁ儲からないこと山のごとしw
まぁそこまでして、映画、ってものが存在する必要があるのかどうかですわね。映画っていうメディアはもう死んだんだし、死んだままにしておけ、歌舞伎みたいなもので
廃れるままに伝統芸能として見ればいいのかもしんないです。


 三船はスター・ウォーズのオファーがあったときにこんなくだらねぇ映画に出れるか、と突っぱねたっていう伝説があります。それを三船は映画の新しい時代についていけなかったと考えるのか、三船は映画っていうものが何かをちゃんとわかってたと思うのか。Iはもちろん後者ですけどね、映画の時代は終わったのですよね、スター・ウォーズってのは映画を絶滅に追い込んだ犯人です。



 ちなみにこの映画予算が無くなったのか最後まで筋を語らずに途中でぶった切られてます。顛末を語るっていうのがめんどくさくなったのか。まぁ筋はベタベタの時代劇ですので丁寧に筋なんて語らなくてもいいだろうってことなんでしょうね。
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遊びというのはくだらないほど面白い・・・

2015年7月22日水曜日

新作 スタイル  鉛筆水彩

新作のスタイルを今模索中なんですけど、こういう鉛筆X水彩っぽいスタイルに落ち着きそうです。アニメ塗りとかフルCG、イラスト塗り、古典的マンガ(つまりペン画)、とかあるわけですけど、あんまり綺麗な絵にしすぎると時間がかかりすぎるってのもあれですけど、エロマンガみたいになっちゃうんですよね。それに絵の綺麗さ、で勝負してもハリウッド映画とか、巨大なバジェットを持ったものに勝てっこないので、インデペンデントなアーティストってのはどんどんアナログ、自分にしか出せないスタイル、写実から離れるってのがテーマになってると思います。
 この絵はでもPAINTERだけでほぼ書いてるのですけどね。ニセアナログ。
 
 このおしゃまちっくな子は別に何の意味もありませんw ただガキの服装って絶対クラシカルなほうがいいですよね、ガキはカジュアルな服を切るべきじゃないとIは思うものなり。ガールならまぁ・・14、くらいからカジュアルにするべきで、いきなりカジュアルな服から始めると、崩す楽しさ、ってのが無いと思う。ヤリマンはいいのだけれど、純情な子がヤリマンになっていくのはいいけど、いきなりオサセではダメですよね。

2015年7月20日月曜日

1590 ヘンリー六世第三部

 第三部になってやっとこの演劇のメインテーマが現れてきます。
ヘンリー六世は信心深く、優しく寛容で知恵のある王でしたが、というかそれ故に、王としてふさわしくなく。内戦を産んでしまうのです。
 内戦により息子が父を殺し、父が息子を殺す、そういう悲劇を見て、ヘンリー六世は内戦の酷さをまざまざとしる・・・。
ヘンリー六世という演劇のテーマは実は内戦の悲しさ、だったのですね。2-5のヘンリーの独白シーンは見ものです。
 しかしほんとWSってやつは呆れるほどに才能がありますね、鮮やかすぎる。
同時代人が一躍人気作家になったWSに当てこすりをしてる記事が残ってるみたい
です、謙遜してるが内側には虎のような野心が詰まってると、でも実力がありすぎるのだから仕方ないですね。

 裏を返せばキリスト教に頼ってばかりで、実力行使をしないヘンリー六世は無能で国家を破滅させる、もっと狡猾で強権的な王でないとダメだ。と
言ってるようにも聞こえます。クリフォードも言うように。
 本文中にもマキャベリのように残酷にならないとな、というリチャードのセリフもあるように、WSはかなりマキャベリストなとこがあります。
そこがまたかっこいいのだw

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exterminating angel = 皆殺しの天使

1-4
王妃「・・・お願いおもいっきり泣いてIをもっとウキウキさせてよ・・・」
(捉えたヨークに向かっていうサディスティックなことば

ヨーク「・・ アマゾンの淫売みたいに勝ち誇りやがって・・・」

クリフォード「これはオレの誓いの為、そしてこれは父の死のためだ」
 といって剣をヨークに二度突き刺す・・。
(ドラゴンボールの元ネタはこれだったのか)

  
鳥の王者である鷲だけが、太陽へと向かって飛び、太陽を見ることが出来るという伝説・・・

2-3
ウォリック「おれはオレの馬を殺す、自ら退路を断つのだ」

2-5
息子(ただの脇役)「どんな風が吹いたとしても誰かの得にはなるだろう、オレが一対一で殺したこいつだって
少しは金を持ってるだろう・・・」
 息子は殺した相手が自分の父親だと気づく・・・

3-1
  戦に負けて王位を奪われたヘンリーに猟師が誰だと聞く
ヘンリー「身分は見た目以上生まれ以下のものだ。少なくとも人間だ、それ以下にはなりようがないからな」

3-2
 獲物には風下から近づくのだ
(ニオイを悟られない為にね)

3-3
リチャード「・・おれには笑顔がある、笑いながらヒトを殺せる・・・」
 リチャードは三男の上に、こぶだらけの奇形として生まれた、それにより彼は惡の華となり王位を狙う・・

5-6
リチャード
・・・ 見ろ哀れな王の死を悼んでIの剣も泣いている
 ・・年寄りどもがありがたがってる「愛」なんてものは似たもの同士の人間のもとに存在していればいいさ・・・
(カタワとして生まれたリチャードがヘンリーを暗殺し、他のあらゆる人にも宣戦布告する、孤独に闘う運命を背負わされたもの・・・
*悪役だけれど親近感がわく、これは上手いやり方)

2015年7月18日土曜日

1902 W・W・ ジェイコブズ  猿の手 

 たぶん殆どのヒトはこの話を読むことはないと思うのでオチも書いちゃいますけど。つまるところはなんでも願いが3つ叶うけど・・・。っていう魔法のランプシリーズのお話です。


 猿の手のミイラには高位のインド僧による魔法が使われており、持ち主の願いを3つ叶える。それをもらった老人はあまり信じないで200ポンドくれや、って頼むと、息子が事故死してその保証金として200ポンドが与えられる。2つ目の願いで息子に帰って来て欲しい・・・って頼むと・・・・・っていう話です。


 こういう、型があるお話ってありますよね、特に短編は。こういうのって小説っていうよりは大喜利なんですわね。探偵小説を読んでてもそう思います、物語っていうよりはそれは大喜利に近い。そうじゃない短編も探偵物もある、雰囲気ものってやつです。特に何がいいたいかわからんけど雰囲気があるっていうの、キャッチャー・イン・ザ・ライとか、バスカヴィル家の犬とかは雰囲気ものです。


 まぁメモで書いてる記事なので短めに。

カズオ イシグロ  文学教室

http://www.myvi.ru/watch/N95Gf__EuUOxbCrF7mDjdQ2


 カズオイシグロの文学教室です。が、カズオイシグロを知ってるヒトがどれだけいるのか疑問です・・。Iは大学の頃になんでかわからないけど、ペーパーバックでイシグロの本を読みましたね。すげースノッビーな自慢に聞こえますねw
 けどなんだろうか、あの頃一番文章がきれいな、文章っていうか英語が綺麗な作家というとイシグロだったんです、あの頃っつっても5年前くらいの話ですけど。だからPBビギナーはイシグロから始めようみたいなノリがあった。それでよんだのはREMAIN OF THE DAYとWHEN WE ARE ORPHANでしたね。タダ、英語が綺麗なのは確かにその通りなんですけどイシグロの作品はすげー落ちるタイプの作品ですので、通学中に読んでがっくり暗い気持ちにさせられたのを覚えています。がくーーーーってなる。


 世界的には村上春樹より圧倒的にイシグロのほうが評価が高いと思いますね、ハルキなんて、まぁクソみたいなエンタメ小説ですからねw Iハルキが大嫌いなんで。ハルキがノーベル文学賞なんてとったら、ほんとにノーベルもここまで落ちたかって思いますわね。

 その点イシグロはマジな作家です。ちゃんと実力もある。その点日本で人気が出ないのもうなづけます。マジすぎるんですもん。海外で活躍する日本人ならだれでも飛びつくマスゴミも飛びつかないのは彼らの誰もイシグロの作品を読んでないし、読むようなタイプでもないからでしょうね。


 この講義?ただのトークショーでもマジな話をしてます。小説において舞台設定は実はどこでもよくて自由なのだ、だから自由故に選択に困る。ずっとそれで悩んでしまう、こんな小説家の裏話なんてあんまり聞かないですよね、でも確かにそう思う。マンガや映画は絵、を作らないといけないので、あんまし資料が無い舞台設定は困る、けど小説にはカンケー無いのは確かにそう。そして小説は語り手が真実を喋らないという方法を取ることが出来るというのもこれは確かにその通りですね。絵があれば、絵はこれは絵ではありませんでした、ってことは出来ないですからね。前半の部分の絵は本当ではなくて間違いでした、なんて種明かし。そんなことしたらブーイングの嵐です。小説では、この語り手のキヲクが揺らいでたみたいなことが出来る・・・。なるほどーーー。
 絵ってのは視点、をとらないといけないからですね、視点を持たない画作りってのは不可能です、完全な抽象画では物語にならんし。

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 さてお笑い芸人が直木賞をとったとかとらないとかで騒いでますけど、前もなんかやってましたよね?俳優かなんかが文学賞をとったって。そんなに金が欲しいかよ出版社、くたばれ。ってのが素直な意見ですけど。文学賞なんて99%ただの販売促進ですから、クソみたいなもんです。厳正な審査が行われてるとかいうけど信じられるわけないじゃんそんなの。一番売れそうな本を選びますよ。別にそれで出版社が儲けるのは別にいーんですけど、一番可哀想なのはちゃんとした小説を書いてる作家ですよね、よし頑張ってかこーっつって、結果は色物の芸能人が大賞?ふざけんなって話じゃないですか、出版業界は腐ってるってことあるごとにみんなが言いますけど、人間不審になりますよねそんなことされたら。そうやって、ほんとの小説ファン、色物に飛びつくバカじゃなくて小説が好きなヒトを減らすことになるのですよ。もう二度と小説なんか読むか、とくにこの出版社の・・・って思うもの。
 読んでもないのに文句言うな、本当に一番良かった作品なんだ、って言われても絶対にそれは無し。仮にそうだとしても別に賞やる必要がないもん、有名人に。賞ってのは無名の新人を世間に紹介するもんなんです。毎年大江健三郎に賞やるわけにいかないじゃん、他の作品がクズばっかりだといって。本当に面白い芸人を決める!みたいなことでも、毎年松本人志が1位。ってするわけにもいかないじゃん、でも実力だけで決めたらそうですよ。ここ30年くらいそう。

 今本屋とかでも店員オススメ、本当に面白い!みたいなポップが書かれてたりするんですけどまぁ死んでも読まねぇって思いますね。まずこの小説面白いです、っていう人間は面白くねぇですわ。感性が腐ってる。


 そう、イシグロが1つすげー良いこと言ってました。

Iは嘘は嫌いだし、人生を現実よりも楽なもの、楽しいものだってだますような嘘や作品は好きじゃない。

 これもイシグロ読者ならなるほどー、ですよね、落ち系の作品ばっか書きよるからこのヒト・・・。でも確かにIもそうですかね、あのよく老人が人生は楽しい、みたいなこと言うのはあれすげーうざい。別に楽しいなら勝手に思っておけばいいし、ほんとは楽しくないって思ってるから口に出して自己洗脳するんだろって思うから。いつでも前向きに、とかポジティブにって自己洗脳かけてるヤツはIは嫌いなんですよね。

2015年7月17日金曜日

1901 タイフーン コンラッド /1903 男爵の運命 シュニッツラー

  コンラッドはIが思うんですけどすげー名文家です。別に文章を書くのが上手ければ小説が面白いというわけでもないのですけど。
いくら文章がものすごいひねりが効いてて整然としてても、アイデアが無かったらちっとも面白くはない。
ただえらく文章が上手なのは確かです、ヘミングウェイなんかよりもずっとずっと洒脱で鮮やかな文章を書く。
ヘミングウェイは明らかにOVERRATEDですよIに言わせれば。なんでヘミングウェイは全集とか出てるのにコンラッドの翻訳は
なかなかみつかんないのですかね。コンラッドがポーランド人だからか?英米文学、のメインストリームからはずれているからですか?
たぶんコンラッドの第一言語が英語じゃないってところも文章の綺麗さなんですよね、割りと第二言語で書く文章のほうが洗練されてるってことはある。
ある程度知恵がついてから学び始めるし、わかりやすい文章を書こうとするからかも。

 確かにコンラッドの書いてる物語が好きかどうかにはすごい個人差がありますね、海の物語が好きで、白鯨とかが好きなら楽しいでしょうし
まったく伝わらん、って人もいるでしょう。海のロマンです、刺さらない人にはちっとも刺さらないのでしょうね。女には特に。
ロボット戦争物、みたいに人を選ぶのですわねw 確かにヘミングウェイのほうが深遠なテーマや戦争やゲリラやなんやかんやセンセーショナルな題材を使ってるのは事実。
 コンラッドはひたすら、海、船、自分、空。みたいな調子。
 






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   抜き書き
ある人々は人生のうわずみだけをすくって一生を過ごし、ゆるゆる平穏な墓へと下っていく。
最後まで人生について何も知らず、そこに含まれている不義、暴虐、恐怖を知る機会を与えられていない
 こういう幸福な人間がいる・・あるいは運命にまったく相手にされていないのだ


 船をいつも風上に向けておく、言いたいやつには言わせとけ。けれど最もひどい波は風と共に来るものだ、立ち向かう・・常に立ち向かう
これが突破の唯一の方法だ。

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男爵の運命 シュニッツラー

 これはウィーン魂ッて感じの短編。シュニッツラーの話は初めて読みましたけれど、なるほどウィーンやなぁ、って感じ。洒脱で貴族的で、文化的で退廃的。ウィーンってのは国際都市でもあるし、金持ちにしか楽しくない都市でもある。国際都市っていうと人種が雑多に入り乱れてカオス的って感じですが、ウィーンは貴族とかブルジョアのたまり場としての国際都市ですので全然ホンコンとか、NYとは違いますね。

 ウィーンありき、みたいなこってす。Iはこの手の小説はあんまし好きではないw でもよく書けてるのは事実。




 この2つの小説はモームのテラーオブテールズ、っていうモームが選んだ100物語っていうのの、第三巻に入ってます。これを読みだしたきっかけはW・ジェイコブズの猿の手、っていう小説が読みたかったので、ついでに他の話も読んでいます。

 猿の手を読もうとした理由はノッティングヒルのナポレオンの中で猿の手が言及されてたからです、Iはこういうふうに作品中で紹介された本は読まないと気がすまないタイプなので芋づる式に本を読むハメになってしまいます・・・。


人は賢くなると、具体的なものから抽象的な物へ興味が移ると考えられて来ました。オトナになってマンガなんて読んで!っていう価値観。でも今は違いますよね、オトナだって映画を見るし(たしかにガキ向けの映画が多いのも事実)、ゲームだって年齢層は広い。小説は単純に読者を失っています、年齢に関係なく。小説ってのはぱっと見では面白いかどうかわかんないからですよね、もちろん冒頭から面白いものもあるけど、だいたいは最初は退屈です。それに耐えられないのですよね。最近のストーリーって、最初にいきなりテンポをあげてアクションシーンをぶっこんで、それからテンポを落として冒頭のアレはこういうコトだったんですよ、っていうものがすげー多い気がします。徐々に積み上げて最後にどんでん返しっていう王道ではなくて。

 なんかそれがでもあざとい感じがしてうんざりしてきましたね、どう?興奮したでしょう、興味わいたでしょう?ってのが鼻につく。

2015年7月15日水曜日

1590 ヘンリー六世 第二部 W・S

 ヘンリーシリーズ、は薔薇戦争四部作の3つです。なにを言ってるのだ、と思うかもしれませんけど。

 これは歴史物ですので、歴史を知らないヒトにはわからないというヤツですので、実際のこの演劇を見たことがあるヒトはイギリスに住んでいない限りは皆無に近いでしょうね。

 でも1590年に書かれたものなのでこの作品自体がすでに歴史でもあるわけです。イギリスはものすごい進んでるなぁと思いますよね1600年頃に、昔の歴史を題材にして演劇を作ろうというアイデアがフランスを除いて他の国家には無いですから。ただの歴史書、ならあるけど、これは歴史に加えてフィクションや創造も書き足したものです。ヘンリーシリーズはWSのデビュー作だと言われているのですが、その第一部はテクストが失われて、誰か他のヒトがキヲクを元に書いたものじゃないか、とかWSが見習い作家としてほかの俳優との共作だろうとか言われていて、第二部こそ、正真正銘のWSのデビュー作らしいと言われています。

 
 第二部は戦争につぐ戦争、謀略に次ぐ謀略、とまさしくWSらしい作品ですので人気が高いのもわかります。しかしその複雑に入り組んだプロット故に、知らないヒトにはまったくわからないというのも事実。でもイギリス人には当然わかるネタであるわけです、日本人が上杉と武田、って言われるだけでイメージが湧くように、他の国のどれだけのヒトが上杉謙信なんか知ってるかって話ですからね。

けどそういう歴史物特有のネタに加えて演劇の構造ってのをきちんと捉えないといけません。

 まず大きな枠として

イギリスとフランス、の100年戦争があるわけです。

 そしてイギリス内部にランカスター派
ヨーク派
 という内部分裂がある

 更に第二部ではジャック・ケイドという民衆の蜂起がある。

 ケイドの裏を引いてるのはヨークであり、ランカスター派にはフランスから嫁いできた王女マーガレットがいて、フランス寄りである。そこに海賊、やら魔女やら肉屋やら、精霊、呪術師、などが登場して演劇を盛り上げてくれるというわけ。でもこのころのW・Sは道化をまだ使ってはいないのですね。歴史物には道化がいないのか・・。


 ともかく当たり前だけどすげーよく出来てます、場面の切替も絵変わりしますよね、やれロンドン、フランス、精霊召喚の儀式、海峡、ケントの田舎、戦場、市街戦、と次々に場面が入れ替わって見てて飽きさせません。 
 そいで王侯貴族たちのセリフ回しも上手いのに加えて、ケイドや肉屋などの下賤の人々のセリフ回しも鮮やかです、WSはその最初期から完璧な天才なんですよね。これはほんとに実在の人物なの?って疑わしくなるのもわかる。うますぎるのですもん。どうもトリックがあるとしか思えない。


WSが歴史物を選んだのもわかるのです、新人の作家としてフリが効いてるものがいい、名前を知らない作家だとしても、ナポレオン戦記、みたいなマンガがあったら、Iは読もうと思いますもの。ナポレオンの戦記ってなんかわかりやすくて読めるものってのがなかったから。WSも、薔薇戦争を主題としたものなら、ちょっと見てみようよ、ってなるな、っていう頭が働いてるんだと思います。ただやっぱりそれも疑わしいですよね、まだ若い作家がそこまで考えられるか?って思う、大作家が裏で書いてるとか、劇団全員で架空の作家を作ってるって思うのが自然です。


 WSはその存在自体が芸術界最大の謎ですね。
 映画ってのは演劇に非常に近いので、まだセカイはずっとWSの影響下にあるって感じです。物語の作り方、っていうのが・・・

 それとやっぱしWSは面白い演劇になるように、って考えてると思いますね。自分の気持ちを自由に表現したろうってむちゃくちゃな作品を書いたりしない。
 そういう観客に迎合しないような作家を新進気鋭だとか若き天才、みたいにもてはやしてますけど、なんかそれにもうんざり来たって感じがIはするんです。といって数字さえとれりゃいいっていうおっぱいアニメもうんざりですけど。バランスが大事ですよね。
 

2015年7月13日月曜日

ウィンブルドン  制汗剤 デオナチュレ

 ウィンブルドン決勝。JOKERが勝ちましたけど、なかなか見応えのある試合でしたね。最初のセットのタイブレークを落としたのがやっぱ痛すぎでしたわね。
 フェデラーがひたすらスーパーテクニックで点を取るのに対し、JOKERはほぼ返すことだけに専念して相手のミス待ちって感じ。結局フェデラーが自分の技に酔ってw 自滅でした。ラリーになったら負けるって思ってフェデラーはボレーとかする作戦だったのですね。

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  全然ちゃう話ですがクソ熱いです。クソが道端に落ちてたんですよ、触ったらね・・扱ったんですよ。
 なんておきまりのネタやってる場合じゃねぇくらいw 熱い・・・、熱いと制汗剤が大事なわけですけど、大事っていうか、こいつ超クセー・・・、って思うことが多いだけに、はっ!自分もか!?って恐ろしくなるわけです。Iは結構鼻がいいんですよね、すぐにニオイに反応する・・・。
 結構しかも制汗剤って割りとなくならないじゃないですか、1つ買うとワンシーズンくらい使うことになる。あんましこの香りはまってないんだよなぁ・・・って思いつつも二ヶ月くらいまぁいっか・・って使うのはなかなかストレスです。だから一番いいのを選びたいけど種類が多すぎてワケワカ。Iの人生のキャリアの中で色んなのを試してみたけど・・・

 
 スプレー系はダメです。服に付くだけでほぼ何の意味もないし煙たい。捨てるのもめんどい。あとシャワー系。ファブリーズみたいなの、これもダメです。狙ったところに当たらないで無駄にするってのがよくある。 よって液体をヌルかロールオンがいいのですけど、ロールオンの液体って逆さにすると出てこないので、固形じゃないとダメです。液体を手にとって直に塗るタイプ、こいつはグッド・ヴァイブレーション。そいでリップスティックの巨大なのみたいなやつ、これは脇汗にはグッドモーニングベトナム。色んなのを試して来ましたが



 脇汗には=デオナチュレ ストーン
カラダのクールダウンにはシーブリーズの青いやつ(これはただニオイがIが好きなだけ)
が最強です。シーブリーズのやつは白い液体で精子みたいなので、手につけてるところを見られると誤解される可能性があるのが唯一の弱点。こいつ手に精子つけてなにしてんだ・・って思われるから。
  

 そいでデオナチュレって、最近話題ですよね、お店とかでもよくみるし、ネットランキングでも上位独占。デザインがうさんくさいメキシコの会社みたいなデザイン、そして、販売元がシービックというまったく無名の貿易?会社なのでほんとにだいじょぶなんかこれ・・?って思いますが、効果は本当にすごい。ニオイを抑えるっていうよりは、汗をかかなくなるんですね。汗をかくところにフタをする感じ。逆転の発想ですね、ニオイをいい匂いで抑えるのではなく、汗自体をかかなくなる。脇汗びちゃびちゃでうわぁ・・・エロオンナめ、っていう目に合わないですみます。変態の人にはちょっと残念なお知らせかもだけど。
 やや割高ってのだけがたまに傷だけど、数百円分の価値はたしかにあります。



 ともかく大手製薬会社はあぐらかいて仕事してないってことですわね。

2015年7月11日土曜日

ウィンブルドン /  ツール

 ウィンブルドン決勝はジョーカー、フェデラーというおなじみの顔合わせになりました。おなじみだけれども結構いいカードですね、順当すぎるほど順当なので。
 準決勝を見る限りではフェデラー有利だなって感じです、めちゃ調子いいです、全盛期のフェデラーみたい。
 Iはワンハンドのほうが好きなので断然フェデラーの応援ですね、フェデラーってやつはなんであんなに簡単にリターンを打てるんですかね、みんな必死こいてサービスにくらいついてるのにフェデラーだけはかるーいタッチでリターンを打つ、もちろんリターンエースにはならないけれど、ラリーにはちゃんともっていけるくらいのリターンをキチンキチンと打ちます。きっちり返されると運とか調子ではなくて実力がもろに出てしまいます。そこで地力と技術でフェデラーはしぶく勝つのですわね。
 フェデラーのリターン革命っていうのか、それまでテニスはビッグサーバーの時代だったのに、フェデラーが現れてリターンが強い選手こそ勝つっていうリターンの時代になりました。ジョーカーもリターナーですからね。


 NHKは超意気込んで錦織選手特集とかやってたのになんと一回戦後に怪我で危険という、しょーもな!って結果になってしまいました。Iのワウリンカ時代が来るんちゃうか、っていう予想も大ハズレ。結局ランキング通りの試合ってことですね。


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 ツールは今年はフルーム返り咲きって感じですね、去年は実力選手が殆ど出場しなくてニバリの圧勝でおもんない展開でしたが、今年は実力者が一杯いるけれども、そうなるとやっぱフルームがすっ転んで骨折しない限りは勝つでしょうね、特にフルームは登りにもつえーから。けどクラッシュ続きなのでハプニングは何かしら起こるでしょうけど。カンチェラーラも骨折したしマイヨジョーヌが次々骨折してグッバイツールしてますから。
 ってかチャリってのはすぐ骨折すんだなって感じです、そりゃ時速60キロでほぼタイツ一枚しか来てないんだからコケればおしまいですけど、それなのにコケやすいようにコースを作ってんですもん、ドSの集まりです。
 ツールってのは裏側ではドーピングギリギリのホルモンだの、筋力増強だの、疲労を感じない麻薬だの、サイボーグみたいに選手を鍛えてて、それをやんなきゃ到底勝てないんだって言われてますけど確かにみんなややジャンキー系の顔つきをしてますわね。ドMの集まりでもあります。しかしほんと日本ではびっくりするくらい盛り上がりませんなぁツール・・・・

 ツールはやっぱむちゃくちゃすぎんですかね、超危険だし、超ダーティだし、スポーツでありながらお祭り要素もあって、たぶんスポーツっていう感覚だとチームカーの後ろについてチャリこいだり、メカニックに背中押してもらったりは、えっ!?それありなん!?って思いますよね。
 フェスにはつきもののフーリガン的酔っぱらいやデカイサングラスしたツンツンビッチとかもいて、ついていけないってのは確かにありますね・・・

2015年7月10日金曜日

1678 クレーヴの奥方 ラファイエット夫人

1678年と言われてもちっともイメージが湧いてきませんね、なんのこっちゃわからんと言ってもいい。
けどシェイクスピアは1600年頃だし、この17世紀ってのが、今のあらゆる表現の故郷になってるのは
間違いないことです。
 
 いわゆるなんでしょう、王朝物の恋愛小説なんですけど、数々の消えていったジャンルでも、この王朝物ってのは
最たるものじゃないですかね、昔は文学のメインストリームでもあったわけです、シェイクスピアもほとんど半分は王朝物
ヘンリー、エドワードなどなど、歴史物とも言われるけど、王朝史に主題をとってるわけです。王、王妃、王太子、王女・・・
 日本では源氏物語があるんですよね。源氏物語ってのは超特殊な巨大な小説で、しかも特異点みたいに急に現れてるんですよね。
世界の文学史の中でも際立って妙な作品です。けど他の芸術ではオンナってのはほとんど活躍してないけれど文学では重要な発端を担ってるのですよね、オンナと文学ってのは相性がいいんでしょうね。



 決して面白くはないんですけどねw いやーどうなんでしょうね、Iが恋愛ものが嫌いだから面白くないのかもしんない、今でも
くそくだらない恋愛小説、ケータイ小説とかを読んでる女の子ってのはいますものね。源氏物語だって面白いと思う人がいるのかもしんないです
このクレーヴの奥方も。
 
 この小説ほとんど情景描写とか場所、の描写は存在しないでひたすら、心の動きをしつこく追っていくのですね、クレーヴ婦人は恋心が・・・・
 あまりにも強い切なさによって・・・恋の焔がまた燃え上がり・・・ムッシュクレーヴの影が心に浮かび・・・・罪悪感を感じ・・・

みたいな調子です。その日はしとしと雨が降っていた・・・通りには雨を除ける馬車の音がする・・・ぱらりとカーテンが風に吹かれて・・・

みたいな物、の描写がほとんど無い。あるのは人物と心、そしてサロンと王族、というひたすら観念的な調子なんです。

ただ300年以上前の作品ですので、それがめちゃ面白いってのはありえないですよね、しかもこれは17世紀に描かれているけれど、16世紀の中頃を舞台
とした歴史フィクションでありますので、雰囲気、ってのがつかみずらいです。江戸時代に書かれた室町時代の小説みたいなことで、いや江戸時代のアレも
わかんない上に、室町のソレもわかんないよぉ・・・、さらにフランスの王朝ってのをたぶん当然知ってるでしょこの話?フランソワ王といえばアレだよね
っていう知識もないのでなかなかしんどいです。

 でもわかってくるとこのへんは面白いんでしょうけどねー、えー、この王朝はイスパニア王と結んでこの時代力を強めて・・、だからオレンジ公は・・えっ
エリザベスはこの家の孫娘にあたるのに・・!それに新教と旧教でこことここは、実権を求めて宗旨替えをして・・・
 みたいな権謀術数が楽しめるようになれば楽しいのでしょうけどね。

 しかし現代には王朝ってものが存在してませんのでこの類いの小説は存在しようがないんですよね。現代のシェイクスピアは何を題材にするんでしょうかね・・・


 階級、クラス、家柄、血筋、ってのはあったほうがいい、とIは言いませんけれど、物語としては、非常に魅力的な装置です。物語ってのは、おかしい、とか
ぎこちない、むちゃくちゃだ、ってもののほうが面白いから。もっというとフリがやっぱ聞いてるのですよね、王様はだれでも知ってる、王様の話ってのはフリが
聞いてるのです、現代ってのはフリを効かせるのがむずかしい、総理大臣なんて知らないし、みんなが知ってるあの話・・・、ってのが無いからパロディにも
できないしレイヤーを産むのが難しいですね。

2015年7月8日水曜日

1934 工場日記  シモーヌ・ヴェイユ

  相当の好きものでしか読みこなせない本です。
資本論並につまんないけど、恐ろしく大事なコトを語る本・・・

 Iは口先だけで語るやつが大嫌いです、それが良いことを言ってる場合でも・・。
こうやって本当に行動をする、本当に優れた人間がいる・・。本当に口先だけの人間というのは多いです
ヴェイユが行動することを選んだのはやっぱマルクスの影響なんだと思います。
マルクスは理論家だけでなく実際に行動しようとしました、失敗しましたけどね。
でもやっぱし何か行動を開始したってのは、ただ机の上だけで何もしないのとは劇的に異なるわけです。
どんなに正しいことを言ってても、何もしないなら0、0に何をかけても0ってわけで、失敗して0.1だったとしても
雲泥の違いですからね。
ヴェイユってのはなにか気になる人間ですよね、こういう英雄的な人生を歩んだ人は、たぶんこの時代にはちょこちょこ他にも
いるはずです、やっぱカミュが言ったように
「ヴェイユの選んだ道は、孤独な道だ」
 ってのが的をえてるのかもしんないです。

 ヴェイユはまぁ女としては超エリートとしてアグレガシオン、教授資格、を取得して、労働運動に参加してたのですけど・・・
ここがまず現代の感覚としては妙ですよね、社会のエリートでありながら左派的運動に参加するのって・・?ってことなんですけど
昔はそうだったのです、インテリでも左派的運動に参加するってのは普通でした、むしろそっちのほうが普通でさえあった・・・
本当に労働というものをしたことが無いってのに引け目を感じて、工場で働くことを始めるわけです。まぁこんなことをする人は皆無。
 その目的は、まず労働者の経験を持つこと、そして労働者をそのままの姿で愛するようになりたいと願ったのです。
 これがマルクスと違うとこです、マルクスは労働者の為に戦ったけれども、果たして労働者自体を本当に好きに成り得たのかってことです。
絆が大事だの、支えあいだのほざいていても、ホームレスが寝ててもガン無視して通りすぎて、休日はウィンドウショッピング、みたいな
ことが出来るのです、鈍感と不感と使い分けってわけで。
 マルクスだって、じゃあそのへんに失業者が飢えてくたばっていたら、自分の家に招いてちゃんと介抱したのかって話です、もちろんそんなこと
出来ませんわね、マルクスだってエンゲルスのヒモみたいな生活だったわけですし。
 ヴェイユはそれを真面目に考えるタイプの人だったのです、そういう人間は若死せざるを得ないし、孤独な道を歩む、これは必然です。

 英雄的な行動ってのは戦争で大活躍したり、自殺テロみたいなことをするよりも、工場でひどい肉体労働を上司から怒鳴り散らされて、仲間からも
冷たくされながらも、地道にこなしていく、生活こそが一番英雄的な行為なんですわね、だって誰もそんな生活したくないもの。内戦に参加して人民戦線として
闘う、のほうが、工場で10時間労働を1年、なんかより死ぬほど楽です。ほんとに生活ってのはサイアクの中でも最悪。戦争よりもひどい。
 そりゃ映画とかで考えりゃわかります、戦争映画なら俳優が、決死であってもどこかいきいきしてるけど、毎日工場で地味な作業を繰り返すなんて
地獄以外の何者でもないですわね。けどそこにほんとのリアリティがあるのですね、この本はそういう誰も見たくないようなリアリティが満載です。


 特に刺さったのは下の引用にも書き出しましたけれど、人はひどい抑圧の状態、奴隷状態におかれると、まず反抗するということができなくなる
何にでも隷従するようになってしまう、それが抑圧の最も恐ろしい効果なのだ、ってとこです。
 
 経験からしか出ないようなコトバです、コトバだけで何か知ったような気持ちになる人は、なんでこんなに痛めつけられてるのに誰も立ち上がって戦おうと
しないのか?って思うでしょうけど、まず抑圧はそういう反抗する、という心を打ち砕いてしまうのだ、と。
 
 そういうわけで社会を見れば、なるほどね!オトナってやつはすでに、反抗する、っていう意思を最初になくしてしまったんだな、ってわかります。
ガキの頃はわかりませんでしたものね、なんでオトナってやつはあんな退屈そうななんの面白みもないようなことを毎日繰り返せるんだろう。
死ねばいいのに、って。その答えがここにあったってわけです。


////////////////
 引用

 工場勤めの生活をしている、このような生活の最も強い誘惑に殆ど抵抗することが出来なくなった。
それは考える事をやめるということだ、それだけが苦しみから逃れる唯一の方法なのだ・・・
 じっと苦痛を耐え忍ぶ牛や馬と同じイキモノになってしまう・・



 バスに乗ってる時に不思議な感じがした。なんでIなんかがバスに乗っていられるのだろう。
隷属状態に長くいるおかげで自分に権利があるということを忘れていた、それがすべて恩恵のように思えた。
・・・他の仲間は自分たちが奴隷状態にあるということに気づいてもいないので、正しいことなどわからない、すべて正しくない
状況において・・


 精神的に自主独立の心を保つ力・・、いつまで続くかもしれない潜在的屈辱的立場におかれながらも、自分の精神をはずかしめられたと
感じずに保つ力・・


 重要な事実は苦しみではなくて、屈辱である・・・

過酷で容赦の無い抑圧に対して現れる反動は、それは反抗ではなくて、服従である
 *抑圧は人々を反抗的にするのではなくて、奴隷的にしてしまう、反抗する意思をも奪ってしまうそれが抑圧の最も恐ろしいことだ・・・

専門化は堕落を招く

注目すべきこと、これまで出会った中で自分の仕事を幸せだと思っているヒトは2人しかいなかった・・・


 工場では常に人の下にいるということです、常に屈辱を感じて・・・

 
反抗心を持つと、いらいらして、仕事を失敗し、首になって食いっぱぐれて死んでしまうので、反抗することは出来ません・・



 一日8時間労働でも、ぐったりと疲れて他になにかやる気を失ってしまう、手紙を書くことも困難である・・・

 恋愛には相互の人生をひどく制限してしまう危険がある、自分が相手の為に人生を縛られることもあるけれどより危険なのは
相手から愛されている場合に、自分の気持ち1つで相手の人生をどのようにも制限出来るようになってしまうということ
 ・・・恋愛にあまり深くのめり込まないほうがいいと思うのです、特に若い時には・・・

2015年7月7日火曜日

NBA  トレード情報

 ゾクゾクとトレードが発表されてますけど、うそぉ!みたいなのが結構ありますね。なかでもやっぱSPURSとCAVSはゴリゴリカネを使ってますね、SPURSは確かに毎年引退間際のダンカン、ジノビリの後釜を探さないといけないから必死ですけど、オルドリッジとウェスト獲得ですって!えぐいな。オルドリッジ、ウェスト、レナード、パーカー、ダンカン、ジノビリ6th マンで闘うの? ひきょーだわw  全員オールスターチームじゃん、しかも玄人好みの派手さよりも堅実なプレーが出来るツワモノばかり、穴無いぜこれは・・・。
 キャブスをゾクゾクと戦力固めしてますね、ジョー・ジョンソン、モーウィリアムズ獲得・・・

 レブロン、カイリー、ラブ、ジョー、後1人はどうですか、モズコフか、ウィリアムズ、シャンパート、・・これも4人はオールスター選手という、ひきょーですw 
 それにクリッパーですよね
ポール、グリフィン、ピアース、レディック、バーンズですか。なんとなくスマートなチームですね、マッチョ感が無い。


 それにしたって大本命はこれではSPURSですね、GSW包囲網がちゃくちゃく結成されていると・・それとレイカーズがあまりの成績の悪さにてこ入れに動いてますけどね。あのレイカーズがねぇ・・・、一時期なんてもぉ見飽きるぐらいレイカーズのイエローばかりを見てたのに、いまではハイライトでもチラとしか出てこない。おそろしす。

 もうSPURSのレジェンドが有終の美を飾って引退っていう絵が見えるようですな・・・、ポポビッチも引退すんじゃないですか、今度優勝したら・・・。

 スラムダンクで晴子氏はスパーズのシャツを着てるのですけど、渋いなぁ~(SPURSというと厳しい規律とチーム優先の固いバスケで有名)と思ったもんです。でもSPURSのユニフォームかっこいいですよね。モノクロ。割りとロゴも好き。

2015年7月6日月曜日

1972 犬神家の一族

聞いたことはあるけど実際には読んでないシリーズでも大きなものですねこれ。犬神家の一族、ことあるごとにパロディにされたり、湖から足が突き出てる死体、のシーン、あれは映画なんですかね?を見たりしましたけど、一体どういうお話なのかというのはまったく知りませんでした。それが金田一耕助シリーズだってのも知りませんでしたわ。
 スケキヨもあるいみ日本のガイ・フォークスみたいな有名なマスクになっているのにね。

 
 




さてこっからはネタバレなので注意。











探偵物のオチを書くのは本来はタブーですけどこんだけ有名な話だし、かなり昔の作品だから別にいいでしょう、それに犯人が誰かってのが問題になってるような類いの作品でもないし。というより犯人はほぼ最初から割れてますわね、超美人の珠代、最初に怪しいとされる人物、最初から怪しい人物が真犯人なんて、まぁ何周もして裏を書いたものじゃない限りそれもありえない、何より美人が犯人ってのはまずない。あまりにも当たり前すぎるからです。そしてその召使の猿蔵、知恵の足りない怪力の持ち主ですが、これが犯人ってこともない、カジモドじゃないけど、白痴が犯人ってのはまずないです、ゴリラが犯人でも無い限り。三兄弟は殺されてしまうし、松竹梅の誰か、になりますけど、最初っから描写がやたら多い松、性格描写や見た目の設定がはっきりしてる松が犯人に決まってます、姉妹の夫が犯人でした、では、誰!?っていう20世紀少年みたいな残ないことになっちまいますから。
 そういうことではなく雰囲気ものなんですねこの作品、猟奇的で、信州長野の澄んだ空気と秋から冬、っていううら寂しくて、おどろおどろしい感じ、ホラー要素もかなりあるのです。

 トリックはよく出来てるとは到底おもえませんなぁ・・、だって偶然偶然、偶然が重なった、ってそんなのわかりっこねぇじゃんって感じだし、Iが勝手に思ってるだけかもしれないけど探偵小説ってちゃんと考えれば最後の謎解きのシーンまでには読者が賢ければすべての謎が解けるっていうふうになってないといけないものだと思うのです、そりゃ消去法で犯人はわかるのですけど、はっきりすべての謎が見えてくるわけじゃない、ってのは本来はダメだと思うのですけどね・・・、Iの勝手な考えなのかもだけど・・。

 それに文体もそれほど優れてるってわけでもないです、特に気になるのが話法は三人称、いわゆる神様目線なのに、言い忘れていたが・・・、とか おそろしいではないか・・・、みたいな完全な神様視点ではなく、ある事情通の後日談みたいなスタイルになってるのですね。ドストエフスキー話法っていうのか、あんましそりゃ成功しませんよね・・・。それとなんで昔のヒトってのはやたら四文字熟語とか漢語をぶっこみたがるのですかね?それでなんか文章が優れてるわけでもない気がする・・・、そういうことが出来るのは夏目漱石だけで、無闇に漢語をぶっこむのはやめて欲しいです。


 なんて文句たらたらですけど、これが流行ったってのはわかる気がします。それは探偵小説ってだけじゃなくてホラー、怪奇!みたいなのと絶妙に組み合わされてるのがハマるのでしょうね、スケキヨの仮面、残虐な殺人方法・・ってのもそのこわーーーっ!!きゃー!っていう一般受けに一役買ってるんでしょうね。Iホラーが大のニガテでぜっっっってぇにリングとか見ない。なんでカネ払って怖い思いしなきゃいけねぇんだよってタイプなのであぁいうのが好きなヒトの気持ちはまったくわからんのですけど根強い人気があるんですよねーそういう、ホラーテイスト。ホラー大嫌いなIでも、結構楽しめます。エンタメとしてやっぱりそこはよくまとまってるからだと思います。

 探偵物ってのは、ミステリーっていうのですか、エンタメ要素としてはほんと大事ですよね、Iも次回作は面白いものを作りたいってのがあるので、勉強中です、謎、っていうのはオーディエンスに続き、を見たくさせるのに必要なんですわね。ものすごい美しい映像とかはすぐに飽きる、でも謎。謎ってやつは気になってしまうのです、人間の心理で怖いもの見たさ、好奇心、そこをもうこちょこちょやるわけで、しょうもな・・・とか思っていても、ちくしょう、犯人気になる。って最後まで読ませてしまうわけですな。

 あとやっぱ時代設定でしょうね、戦後まもなく、ってことで、戦争経験者の作家にはそういう技が使えます、戦後の混乱、とか、兵隊で取られていたから・・とか。兵隊帰りの佐清も静馬もだから死体の使い方とかに慣れてるのが納得出来る、松は4人もヒトを殺すわけですけど、兵隊として佐清とかはもっと多くのヒトを殺してるわけですからね。平和で四人も殺せば殺人鬼ですけど戦場では殺せば殺すほど英雄なわけ。だから松が悪いっていう感じはしないで、むしろその意思の強さにあこがれてしまいます。

 犯人の動機、モチベーションってのは探偵物の肝なわけで、ただの快楽殺人者とかキチガイにしてしまうと、とたんに探偵っていうよりはヤバイやつとの戦争、になってしまう。けど普通の人間がそんな面白おかしい殺人をするのはおかしい、ってわけでどういうモチベーションがあったのか?ってのがコアになるわけですけど、この小説では母が溺愛する子を思う為の犯行ってことになるのですけど・・・・それはでもベタ中のベタですよね、人間の証明でもそうだったけど。ん~~~~、母は強しっていうのか・・・、それってでも納得出来るようで納得出来ない、っていうか愛情から来た殺意だったんだ、みたいな納得はIは出来ませんなぁ~、でもほんとむっかしぃですね、モチベーションを考えるってのは。所詮嘘ですから、リアリティを持たせるのは骨が折れる・・・・。


 酒鬼薔薇聖斗の獄中小説?か何かが話題になってるみたいですね、まぁ出版社にしたら話題になること自体が目的みたいなこともあって、まんまとそれにのっけられてるだけなんでしょうけど、別にIはそれを悪いとおも思いませんわね。だって戦争に行った作家全員が、実際に戦場に行かなくてもそれを支持した全員共犯なわけで、みんなヒトを殺したことくらいあるだろうに、そりゃ現代でも同じですわ。シリアやあのへんの内戦、自分たちがオイル欲しさに独裁政権を担ぎあげたくせに、何もしらんぷり、ってのは殺人を黙認なわけですし、やっぱり全員共犯です。少年Aはその残虐さ、がやっぱ問題なわけですけど、Iは別にアミニズムにかぶれてるわけでもないので別に死体に何されたってどうでもいいですけどね。蘇りにも期待してませんし。まぁしかしわざわざ首を切る必要は無いですよね。武将に見せたら褒美くれるわけじゃないし。
 でもやっぱし話題にのっけられるのがイヤなので読みませんけどね、わざわざカネ払って読むようなもんじゃねぇです。


 この小説を読んでる間、梅雨でずーーーーと雨でした、まさに小説にぴったりの暗鬱ッて感じの空気にどっぷり浸かってしまったけど、それはまぁそれで良かったのかもです。入って行けましたね。そいでこの作家、横溝正史の70才くらいの作品なんですね、それもびっくり、そんな老人の書いたって感じは全然しない。ほえぇ、やるねw 他の金田一シリーズも読もうかな・・・・。
 

2015年7月4日土曜日

1936 少年探偵団 怪人二十面相 江戸川乱歩 

 江戸川乱歩の子供向け推理小説シリーズとして少年探偵団、っていうのがあってその第一作目がこの怪人二十面相なんですが、怪人二十面相というタイトルだけでは一作目かどうかわかりませんよね、第一話 怪人二十面相、とかにしてくれりゃいいのに。図書館でどれが1巻なのか探してしまいました。


 まぁ最初は1巻で完結として書かれたのかもしれませんわ。大事なのはこの本が1936年だってことですよね。どうもIが感じるのは、日本の歴史、ってこの1910~1939、大日本帝国の時代ってのがばっさりブラックボックス化されてるっていうのか、日露戦争に勝ってから第二次大戦まで、っていうのがなんとなくよくわかんないことになってますよね。そりゃ文字だけでは、大正デモクラシーだとか、盧溝橋事件だとか言われても、実感として、どういう生活だったのか?っていうのが全然伝わってこないのです。帝国の日常、ってのがさっぱり実感がわかない、何食べてるのとか何を着てるのとか、何が楽しみなのか、とか。それと並んで、戦後から1960年くらいまで、もなんかぼやかされていてちっとも伝わらない、いきなり東京オリンピック、もはや戦後ではにゃい。ってぶっ飛ばされるわけ。朝鮮戦争についてヒトコトもしゃべりたくないってのが真相ですけど。つまるところは朝鮮戦争で日本は裏商売にせいをあげて戦争商人として働いて漁夫の利を得た。これで財閥がヤミ金を蓄えて復活したってことなんでしょう。



 たぶんその理由はその時代が黒歴史っつーのか、闇が支配してるっていうのか、愉快で楽しすぎる時代だったのですわね。裏社会っていうのか、財閥がやりたい放題やり、ヤクザが暗躍し、軍人が好き放題えばり散らして植民地でファックしまくり、エログロが流行るっていう・・・倫理のカケラもない、ハッピーな時代だったわけです。戦後はその逆で、奴隷のようにアメリカに媚びへつらい、お◯◯こくぱぁで外貨を稼いでたというわけ。



 この小説を読む限りでは、1936年が、戦争間近の緊迫した時代ってのはちっとも伝わってこないです、明智探偵は海外に旅行に行き、タクシーを乗り回し、ホテルで食事、なんて、今の成金とちっとも変わりません、変わるのは明智探偵が下関から船で海外から帰ってくるってとこくらいです。明智探偵は黒のスーツを着てて、見た目も今と変わらない。



 推理小説としてはガキにもわかるようにトリックが見え見えだったり、ほぼネタバレやん、みたいな丁寧な説明がしてあったり、そんな簡単にいくかよ、っていう二十面相の作戦だったり、うまいとは言えませんけど、まぁガキにもわかるようにしなきゃいかんのでそりゃ仕方ないのでしょう。でもこの少年探偵シリーズが、流行って、当時のガキはみんな知ってたってのが大事なんですよね。戦後も含めて、当時育ったガキのココロにちゃんと根付いてる。共通体験ネタなんです。そういう共通体験をフリに使うことってのは、一番簡単に共感を得る方法なんですな。


 Iは今、そういうコトバだけは聞いたことあるけど実際まったく知らん、ってのを確認してくのをやってます・・・・・、フリをちゃんと作るってのはマジで大事ですね。昔なら聖書やシェイクスピアをフリに使えばいいのですけど、今はまったくそれは通じないですからね。


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 ちなみにクリッパーのジョーダンはマブスに移籍ですって、これでチャンドラーを放出でどこがチャンドラーを獲得するかですね、チャンドラーこそ、Iが思うにクリッパーにマッチする基礎が出来る優秀なセンターだと思うな。ほいでロンドとベリネリはキングスへ移籍。ロンドのプレーIは好きなんですけど、どうも性格にすげー難ありらしくてw プライドの塊みたいなタイプらしいので、ちゃんとハマるかはHCの手腕しだいでしょうね、セルティックス時代はやっぱドックが上手くロンドを操っていたんですな~。最近のNBAはことあるごとにドックの偉大さが身にしみてわかります。

2015年7月3日金曜日

雑談   DISSIDIA FF OST   ピアースクリッパーズに移籍   bjork

 雑談コーナー。最近どっぷり梅雨でクソみたいな天気でテンションもまっったくあがらず死にたい度急上昇してるでしょうけど。

 最近音楽を聞いてます、というのはダンスをちょっと始めたからですね。
 



まずDISSIDIAというPSPのゲームのサントラ、植松伸夫、とアーティストになってますけど、40曲くらいあるのに(まぁアレンジが殆どですけど)全部作曲やってるんでしょうかね?そんなタフネスがあるのでしょうか・・?
 かなりよく出来てますねー、いつからかクラシックな感じから、ハード、ちょっとデス寄りなロックにハマった時期がありましたよね、一曲はいっつも入ってる。これも植松氏が全部やってるんでしょうか?ものすごいアレンジ上手いし、音作りもよぉできとるさけな~、って思うのですけど、歌ものはQがガクッッッッと下がる気がしてしゃあないですね。やっぱまったく別の才能なんでしょうね、歌ものとインストの才能って、坂本龍一も久石譲もクインシー・ジョーンズも、軒並歌もののセンスはひどいですものな。別にクラシック的な作曲法が歌もの弱いってわけでもないんですけどね、バカラックとかは歌もの抜群に上手い。やっぱあれでしょうね、歌じゃなくて音を聞いてしまうんでしょうね?えぇ歌やなぁっていうのよりも、いぃ音だなぁ、のほうに耳が言ってしまうのでしょう。極論歌ものなんて演奏なんて殆どの人は聞いてないですからね。


 それとBJORKの新作、新作っつっても半年くらい経ってますけど・・・wも聞きました。ぱっと聞くと・・ん・・?イマイチ・・・って感じですけど、ヘッドフォンをして大音量で聞くと、なるほど!ってわかります。エレクトロのビートとクラシックの弦楽器がバック、っていうスタイルで作られているのです、最近ずっとそうですよね。バンドサウンドを避けてるっていうのか。こぉいうでも大音量で聞かないとじぇんじぇんわからん、っていうのは、ミュージシャンと一般人ではなんかヴォリュームに関する感度が違うのですよね。ミュージシャンとかスタジオでは超爆音で聞いてますからね、ドキュメンタリーとかで見てもわかんないけど実際にスタジオとかに行くと、えっ!?こんな音量でやってんだ、耳がキンキンする!っていう音量でやってます、クラシックの作曲家ですらそうでしたもの、こんなにデカイ音で聞いてるんだ・・ってカルチャーショック。よくオーディオ機器で99とかまでメモリあるけど15くらいで十分で誰がこんな大音量使うねん、って思うけど、ミュージシャンは余裕でぐいぐいヴォリュームをあげるのですよね。


 だからBJORKのチームも、スタジオで爆音で聞きながら、いぃねぇこの低音、って感じでプロダクションやってるのですわね。ある程度いいヘッドフォンとかじゃないと聞き取れません。イヤホンじゃでんでんダメ。

 特にFAMILYっていう曲が良かったです。

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 話変わってピアースがクリッパーズに三年契約っていうビッグトレードがありましたね。トレードっていうよりピアース引退すんじゃねぇか、って思ってたのでまず現役続行ってのがグッドニュースでした。そいでクリッパーズだとドック・リバースとのコンビ復活でこれもすげー楽しみ。たぶんドックが説得したんじゃないですかね?ほいで大事なトコだけ大事に使うって感じになると思います。これはクリッパーには超いいニュースですけどウィザーズはどうすんでしょう?誰かウォール、ヴィールともう一人点取り屋がいりますよね~。

 クリッパーも、ポール、グリフィン、ジョーダンをキープ出来るのですかね?ジョーダンはトレードって噂になってますけど。ん~、確かにジョーダン放出でいいかなって気もする。スターがいるチームですからもっとセンターはビッグプレーするような選手じゃなくて、地味で泥臭い、そいでフリースローもちゃんと入るような基本に忠実なセンターがいいと思いますよね。パワープレーはグリフィンがいるんだし。

2015年7月2日木曜日

1904 ノッティングヒルのナポレオン   The Napoleon of Nottinghill

  レビュー
この本の設定は1905年のロンドンの80年先のミライ。というわけで1985年、そしてその20年後の2005年がだいたいの場所なんですけど、不思議な偶然というわけでオーウェルの1984と一年違いのミライを描いた小説なんですね、チェスタトンの1985、ってわけで。


 内容はこっからネタバレしますけど、ロンドンは愚者専制政治という国王をくじ引きで選ぶという政体になっています、それでたまたま選ばれた国王、クウィンは天性の道化であり、あらゆるものがマネーゲームと化した近代世界を中性的な王政みたいなものへと戻そうとする、その冗談を真に受けたアダム・ウェインという青年がノッティングヒル帝国を作る戦争を始めるっていうお話です。
 アイデアはすげー面白いし、特に前書きがよく出来ていると思うのです。

 チェスタトンってヒトは元は詩人で、しかも親が勝手にじゃなく自分でカトリックになった、しかもデブというなんでしょうね~・・、こういってはなんですけどクズみたいなヤツなんでw 
 ただ善人ほどくそ面白くもないイキモノはいないわけで、悪人こそが面白いものを生み出すのですな。
 この小説を読んでなんか違和感というか飲み込めない感じを覚えるヒトは、本を書くようなヒトは偉大で賢くて良い人なんだっていう思い込みがあるのですよね、チェスタトンって人は、それほどクズ中のクズってわけじゃないけど、お人好しの善人なんかじゃ絶対ありません。


 ノッティングヒル帝国というロマンティックな擬古典主義の帝国っていうのは、これはナチスそのものですわね。チェスタトンの予測はびったし一致したわけです。ナチスは現代の観点では信じられないような神話的なロマンティックな政体でした。

 すごくいい文句があるので下に書き出してますけど一番刺さる文句はこれじゃないですか?

「ヒトを老いさせるものは帝国であれ大企業であれ矮小なものです、ヒトを若くするものは戦争であれ恋愛であれ偉大なものです」

 アダム・ウェインのセリフですけど、アダムということからもわかるようにウェインは始まりのヒト、という役割を与えられてる。暗く沈滞して無気力な時代を戦争が何度でも若返らせてくれるというのは、110年後の現代を生きてるIたちにはすげーわかってしまうことですわね。世界は老いてる、これはほんと間違い無いことだと思います・・・・


 チェスタトン自身この小説は若書きの作品で、あんましうまくいってないと言ってますが、確かにその通りで、アイデアはすごいいいし、やりたいこともわかるんだけど、ちょっと中だるみっつーか、テンポが悪いですわね、あんましギャグがうまく決まってなかったり、そこ広げる?みたいなとこでページを使いすぎてたり。
 話法を次々と変えたり、詩、擬古典的な書き方とかを駆使してるのですけど、それもちょっとなんか、これも使ったれ!みたいであざとい気がする、荒削りです、ようするに。でもこういう荒削りだけどアイデアとひらめき、そしてなんかエネルギーが伝わってくるってのはいいものですね。


 邦題は「新ナポレオン奇譚」となってますがこれはもうサイアクもサイアク、くたばりやがれって感じで、全然的外れです。すげーおもんなさそうなタイトル・・・。ナポレオンってそれほど関係ないし。ノッティングヒルっていう小さな街の名前とナポレオン、対比こそ意味があるタイトルなのに、なんじゃこれ。Iがタイトルつけるなら・・別にそのままノッティングヒルのナポレオンでいいと思うけど・・・そうだなぁ・・・
 
  ロンドン大道化戦争

 ってとこかな・・・。あるいは浅草国の信長。
  
 そいで訳文もなんかふるめかしくて冗談が伝わりづらいし、なんか上手いと思ってるのかしらんけどことわざやら述語をぶっこんでくんなって思います、で、よくみたら訳してるヒトがもう死んでるヤツとババァってわけでこりゃあかんで、って感じ。大昔の全集のやつを文庫にしてるだけなんです、ひどいなぁ・・・。

 昔この本のカバーイラストを宮﨑駿が書いてたんですね、これは初めて知りました。まぁ駿氏の好みそうなものはふんだんに含まれています、っていうかチェスタトンと駿氏の世界観は似てるって気がすごいしますね。本当の本当はまったくいい人じゃないヤバイヤツ、あっちがわのアレなんだってところ。びみょーーに生まれる時代を間違えてるってところとか。


 ともかくこの本は今の時代にこそ刺さる小説なので是非興味があれば読むべしです。


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 書き出し
予言者遊び。
(予言者にミライを語らせてそれとはまったく異なるミライを実際に成すことが人類の楽しみだった)

 しかし20Cになり、賢者が多くなりすぎ、予言も多くなりすぎ、予言を裏切ることが出来なくなった。

人類は個々でみると理性なども備えたニンゲン、であるが、全体として人類は気まぐれで不可解で愛嬌があるオンナ、である。
 (よって1985年のロンドンはほぼランダムに王を決定する愚民専制政治という政体となった。それは民衆という烏合の衆よりは、どれを選んでも愚劣なことでは同じだが、個人、のほうがマシだと考えたから。民主政治こそサイアクの政体である、革命は迷信であるとして・・・)

 革命は信仰である。革命は論理ではなく何か神聖で奇跡的な、信仰によってのみ遂行出来る。そうでなくてはすべての秩序をひっくり返すようなことは出来ない。

・セカイはますます近代化され、ますます実利的になり、ますますあくせく忙しくなり、ますます合理的になることによって、ユーモアを台無しにする・・・


古いポスター、15年前の戦争のポスターだ
 なんでこんな古いものをとっておくのです?
最後の戦争の記録だからです、戦争ってのが趣味なんだ

日常世界の平和を世の終わりまでかき乱す選択
 太く短い人生、短くて愉快な人生を選びとったのだ

クロムウェルが発見したのと同じことを発見した
 分別のある商人こそが最良の名将になるのだということ、人間を売り買いできるものは、人間を指揮して殺す事もできる

 社会が戦争が出来ずに沈滞していると、最も曖昧で、最も当たり障りのない、最も楽観的な新聞が生き残るのだ・・・

 帝国は1つの様式、1つの生き方を生み出し、何度でも世界を若返らせるナザレのようなものです。
 かつて暗い時代に賢者たちは鉄道はもっと速くなり、世界は1つの帝国になり、月まで鉄道が走ると考えました、Iはそうではなく、きっともう一度十字軍に行ったり、市の守護神を奉るようになると思いました・・・

 ターンブル指揮官
「おれには青春があった」
 ターンブルは斧を持って敵陣に突っ込んでいった・・・

 愚か者よ、貴様らは慌ただしく地上の王国をめぐりあるく、自由主義者であり、賢者であり、世界主義者であるだろう。だがそれらはすべて悪魔がイエスに与えようとしたものであり、にべもなく追い払われた・・

 ヒトを老いさせるものは帝国であれ大企業であれ矮小なものです、ヒトを若くするものは戦争であれ恋愛であれ偉大なもの

 すべてのものが同じように見えるのはそれが新しいからです、ヒトを夢中にさせ陶酔させるのは古いものだけです、古いものほど古びていかない

聖剣伝説 children of mana DS

 聖剣シリーズを1から全部やってるってのは珍しいんじゃないですかね?かくいうIも4はやってないんですけどね。ただあのGBの1をやってるヒトは超少ないと思います。もとはファイナルファンタジー外伝聖剣伝説、だったのを知ってるヒトも激少ないでしょう。ターラーラー・・っていうリズムはでも初代から変わりませんね。



 I聖剣2がすごい好きでしたね、2のデザイン、マナの木のデザインってのがすげー良かった。子供だましの絵じゃなくて、なんでしょう、ちょっと純絵画タッチなのですよね、それだけじゃなくボスキャラのデザインとかもすげーカッコ良かった。攻略本の出来もかっちょいい感じでしたわ。
 
 ゲームとしての聖剣2はボスに対してほぼ魔法連発するだけのゲームバランスが壊れたゲームでしたし、聖剣3はケヴィンだけがやたらめったら強くて他のキャラが霞むっていうこれもゲームバランスぶっ壊れてました。

 今回のDS版は魔法があんまし使い物にならんし、ダンジョンがループ構造で不思議のダンジョンみたいになってます。聖剣シリーズってやたらダンジョンが長くてザコがうーようよしてるってのは相変わらずですね。腐るほど敵がおる。

 不思議のダンジョン系のゲームって嘘みたいに急に飽きませんか?Iだけかな・・・、なんか楽しくなってきた!アイテムも揃ってきて!っていうとこから、急激に飽きる。ラスボスもめちゃ弱い。ラスボスの1つまえのボスのほうがめちゃ強かったです、
 いや弓矢のロビンフッドってのが強すぎるだけなのかもだけど・・・。

 DSのゲームってのはスーファミのゲームをやってるのと同じ感覚です、スーファミクオリティが、やっぱゲームとして人間に親しみやすいボリュームなんでしょうな。モバイルゲームとしてはそれなりですが、なんかもひとつ足りないっていう気がしないでもない・・・。ジェムの種類がすくねーっつーかつけられるジェム少なすぎ。ってとこかも。カスタムするにしたってだいたい必須のものをつけたら9割埋まってしまうのですもん、選びようがない。あと装備にレベル制限があるので、どうせ装備できない、って思って宝を開ける楽しみがないです、装備出来るレベルになったらもうその装備いらね、ってなってたりするし。

2015年7月1日水曜日

ごぶごぶ 幻のラーメン屋  オレンジ

https://www.youtube.com/watch?v=Ju0-cqVnnZ0


 ごぶごぶっていう番組はたまに大ヒットを打ってくれる最近では稀なナイスな番組なんですけど今回のエピソードはその中でもTシャツ肉離れ事件に並んで屈指の名エピソードになりました。


 北海道のスイーツ特集という企画に興味が持てないH氏が、北海道にうまいラーメン屋があったからそこ行こうぜ、という発言から始まる一時間の大捜査線ですが、やっぱDTのH氏は持ってますなぁ・・・お笑い運を、ここまで降りてくるかね!ってくらいのキセキの展開ですわ、すげー。


ほんとH氏ってのはお笑いを嗅ぎ分ける嗅覚が並外れてんですね、松ちゃん=天才、というのに注目しすぎてわからないかもしれませんが、ダーハマの強運は鷲巣もビックリです。
 やっぱり松ちゃんというボケをスカウトする、っていうビッグプレーもダーハマの強運なのですものね、そういうわけで芸能界一の引きの強さなんですなぁ・・・


やっぱテレビの面白さってのはハプニング、なんですよね。大事件が起こって、それを映すのがテレビ。