2015年7月17日金曜日

1901 タイフーン コンラッド /1903 男爵の運命 シュニッツラー

  コンラッドはIが思うんですけどすげー名文家です。別に文章を書くのが上手ければ小説が面白いというわけでもないのですけど。
いくら文章がものすごいひねりが効いてて整然としてても、アイデアが無かったらちっとも面白くはない。
ただえらく文章が上手なのは確かです、ヘミングウェイなんかよりもずっとずっと洒脱で鮮やかな文章を書く。
ヘミングウェイは明らかにOVERRATEDですよIに言わせれば。なんでヘミングウェイは全集とか出てるのにコンラッドの翻訳は
なかなかみつかんないのですかね。コンラッドがポーランド人だからか?英米文学、のメインストリームからはずれているからですか?
たぶんコンラッドの第一言語が英語じゃないってところも文章の綺麗さなんですよね、割りと第二言語で書く文章のほうが洗練されてるってことはある。
ある程度知恵がついてから学び始めるし、わかりやすい文章を書こうとするからかも。

 確かにコンラッドの書いてる物語が好きかどうかにはすごい個人差がありますね、海の物語が好きで、白鯨とかが好きなら楽しいでしょうし
まったく伝わらん、って人もいるでしょう。海のロマンです、刺さらない人にはちっとも刺さらないのでしょうね。女には特に。
ロボット戦争物、みたいに人を選ぶのですわねw 確かにヘミングウェイのほうが深遠なテーマや戦争やゲリラやなんやかんやセンセーショナルな題材を使ってるのは事実。
 コンラッドはひたすら、海、船、自分、空。みたいな調子。
 






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   抜き書き
ある人々は人生のうわずみだけをすくって一生を過ごし、ゆるゆる平穏な墓へと下っていく。
最後まで人生について何も知らず、そこに含まれている不義、暴虐、恐怖を知る機会を与えられていない
 こういう幸福な人間がいる・・あるいは運命にまったく相手にされていないのだ


 船をいつも風上に向けておく、言いたいやつには言わせとけ。けれど最もひどい波は風と共に来るものだ、立ち向かう・・常に立ち向かう
これが突破の唯一の方法だ。

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男爵の運命 シュニッツラー

 これはウィーン魂ッて感じの短編。シュニッツラーの話は初めて読みましたけれど、なるほどウィーンやなぁ、って感じ。洒脱で貴族的で、文化的で退廃的。ウィーンってのは国際都市でもあるし、金持ちにしか楽しくない都市でもある。国際都市っていうと人種が雑多に入り乱れてカオス的って感じですが、ウィーンは貴族とかブルジョアのたまり場としての国際都市ですので全然ホンコンとか、NYとは違いますね。

 ウィーンありき、みたいなこってす。Iはこの手の小説はあんまし好きではないw でもよく書けてるのは事実。




 この2つの小説はモームのテラーオブテールズ、っていうモームが選んだ100物語っていうのの、第三巻に入ってます。これを読みだしたきっかけはW・ジェイコブズの猿の手、っていう小説が読みたかったので、ついでに他の話も読んでいます。

 猿の手を読もうとした理由はノッティングヒルのナポレオンの中で猿の手が言及されてたからです、Iはこういうふうに作品中で紹介された本は読まないと気がすまないタイプなので芋づる式に本を読むハメになってしまいます・・・。


人は賢くなると、具体的なものから抽象的な物へ興味が移ると考えられて来ました。オトナになってマンガなんて読んで!っていう価値観。でも今は違いますよね、オトナだって映画を見るし(たしかにガキ向けの映画が多いのも事実)、ゲームだって年齢層は広い。小説は単純に読者を失っています、年齢に関係なく。小説ってのはぱっと見では面白いかどうかわかんないからですよね、もちろん冒頭から面白いものもあるけど、だいたいは最初は退屈です。それに耐えられないのですよね。最近のストーリーって、最初にいきなりテンポをあげてアクションシーンをぶっこんで、それからテンポを落として冒頭のアレはこういうコトだったんですよ、っていうものがすげー多い気がします。徐々に積み上げて最後にどんでん返しっていう王道ではなくて。

 なんかそれがでもあざとい感じがしてうんざりしてきましたね、どう?興奮したでしょう、興味わいたでしょう?ってのが鼻につく。