2017年10月31日火曜日

2005 喧嘩商売 喧嘩稼業

 ワタシはマンガは全部終わってから読む派なんですけど、一部、あっこれ完結しないなw ってのはいつまでも待ってたところで永久に読めないので読むことにしてます。ワタシのSEIMEI、のほうが早く終わっちまうなってもの。



 つまり
「バガボンド」「ベルセルク」「HxH」そしてこの「喧嘩稼業」ですね、四大休載漫画と言われているw あと「ガラスの仮面」もそうっちゃそう。ただガラスの仮面はもうすぐ終わりそうな予感もある。バガボンドも作者的にはもう書きたいところは終わったからどうでもよくなってる感がすごい。最後には農業をやるっていうガッカリエンド・・・。



 そういうことを考えるとペースを崩さずにサクサク書いているJOJOの作者は超人マンなんだって思いますね、あの人ドラキュラだと言われてますけど、確かに・・・ドーピングでもしなきゃあの生産性はおかしいぜ・・。



 ワンピースも別な意味でいつまでも終わりそうにないですけど、ワンピの最近の迷走ぶりはひどくないですか?まぁ最近と言ってもそこまで読んでないけどちょっと期待薄。JUMPの悪いところが出ましたね、本当にカスッカスになるまで連載させるという、ドラゴンボールの二の舞・・・。


 この喧嘩商売というマンガもまぁ絶対に最後までいくことはないでしょうねw 第一巻からずっと最強の格闘技を決めるトーナメントを開催するということを前フリしてたのですが、そのトーナメントが始まるまで、にすでに10年以上経過してしまいましたw スラムダンクばりにひとつの試合が長くて数年にわたってひとつの試合をずっとやってますし、さらに作者は休みがち、いつ突然終了してもおかしくない。さらにHxHやベルセルクのように超売れ筋漫画ではないところも、いつ打ち切りになってもおかしくないヒヤヒヤ感があります。


 内容はいろんなマンガのいいところをパクリまくっているんですがw 最強格闘技トーナメントというのもバキの丸パクリですし、ほんといろんなとこから剽窃している。まぁわざとやってるんですけどね。

 作画は特殊で背景はほぼ完全に写真と3DCG、キャラ作画も顔と手だけは手書きであとはCG処理をしてるのが半分、動きがあるコマなどは手書きで書いています。
 
 バキのあのクセの強い作画と荒唐無稽なアクションが苦手な人には、ほぼフォトリアルで、うそくさいけど一応現実世界の物理法則にのっとっているので、こっちのほうが好きという人が多いかも(タダほんとぎりぎりのリアルですけどね、車に轢かれてもなんともなかったり、ビルから落ちてもすぐに立ち上がれたり・・)・・・がこれもこれでクセがあります、初期のバイオハザードみたいなCG作画が多いので・・・。あとかなり問題だと思うんですけど、漫画のカバーが全然面白そうじゃない。あんまりビギナーが手を取りそうな感じじゃない、もっと面白そうな感じにすりゃいいのに・・。ワタシはこのマンガラジオでケンドーコバヤシがオススメしてたので初めて知りました。そういうきっかけがないとあんまり手を出しにくいマンガです。


 けっこうこの半分だけCGを使うっていうやりかたはいいとワタシも思っていて、特に背景に3DCGを使うってのはこれから主流になると思います、理由は背景なんて誰も見てないから。とくにフォトリアルな建造物を手書きで書くのはただの時間と労力の無駄だと思う。ナウシカみたいにファンタジーな感じの世界観だと、ちゃんと背景も書かないと雰囲気は出ないんですけど、普通のビルだの商業施設だの手書きしたくはないですよね。
 
 それと服を3DCGでやるのにも利点があります、質感表現が出来るってことと、パターンを使えるってことです、2Dにテクスチャを貼るだけだと平面的になってしまうけど3Dならそれが出来る。よく考えれば気づくと思いますが、アニメや漫画のキャラにはパターン、柄物の服はほとんど出てきません、あってもワンポイントかトーンを貼ってるだけ。

 けどこの漫画は白黒なんで、そのテクスチャが逆になんか汚いだけになってしまってるし、3DCGの技術も専門学校2年レベルっていうのか、稚拙です。カラーじゃなきゃ意味ないじゃん。
 まぁ手書きとCGで調和をとるってのは実はとっても難しくて、まだこれっていうやり方が出来てないのが実情なんだと思います。それと思ったよりも作業量は減らないしラクできないじゃんってのが経験的にわかっております。3DCGでモーションをつけるのは
、実は手書きしたほうがはやかったりします。めっちゃ複雑な服を着てたりしない限り。


 ただ下ネタと時事ネタはえげつなくて、女性キャラはほぼレイプされるだけに存在しているようなありさまw 喧嘩稼業になってからは女性は一人も登場しなくなりましたけども・・・。
 そういうのが苦手な人にはまったく向かない、いや、一握りの格闘マニアにしか受けないマンガですね。ワタシはテレビ全然見ないのでテレビネタも全くわからんし・・・ヤングマガジンって一回も買ったことないなぁ・・・。
 ギャグのセンスもマガジン独特のノリってやつがありますよね、GTOにもあるような、どういうのっていうと説明は難しいんですけど、闇金牛島君をちょいマイルドにしたようなダーティな感じ、うしじまくんはあれは・・・スピリッツ、小学館でした。意外にも。なんかそういうのが好きなやつっていますね、やせてるタイプのヲタクっていうのか。わたしはちょっとやっぱしマガジンのギャグセンスは肌が合わないのかも・・・。

 途中でいったん休載(3年も!)して、喧嘩商売、から喧嘩稼業として再スタートしたんですけど、主人公の顔が全然ちゃう!?・・・なぜ?作者死んだの?ほかにも同じ人間が書いてるはずなのに、作画が全然違う感じになっている・・、なんか怖っw
 鬱エピソードが隠れてそうなので退散!

2017年10月28日土曜日

1936 葉桜と魔笛

 太宰治ってのは私小説風の、自分の人生を切り売りする、自分の悪癖を暴露する露悪的な小説が有名なのですが、創作小説、つまりはフィクションでもものすごい才能人です。ただ、芥川と一緒で、大長編を書くということはとうとう出来ませんでした。

「ワタシにはまだ戦争と平和を書くほどの腕はない、だからすこしずつやるしかないのだ」と書いているように、最後まで「戦争と平和」のような、これぞ歴史的マスターピース、っていう作品は作れませんでしたね。

 しかし短編はほんと天才的、特に短めの作品の完成度たるやすさまじくて、凡人には100年かかってもこんな作品はかけません。一体どういう風にアイデアを考えているんだろう?ワタシがもしも小説家だったら落ち込んでしまいますね、こんなにうまく書けるわけない。


 特に太宰ってのは女性の書き方がうまくて、女性よりも上手だし、女性よりもさらに女性的な心理描写を出来ます、女性にもわからないはずの女性の心理を描き出せる、それでも女性を無駄に美化していて、うそくさいという感じじゃなくて、とにかくリアル、なんです。この物語は一応オチがあるのでそれをばらせないのですが、いやはや・・・。

 前にもなにかで書きましたが、作家とかものづくりをする人間ってのは基本モテない人間ばっかしですから、太宰みたいな、真のモテる男、顔がかっこいいとかそういう次元じゃなくて、運命的に女性に慕われる人間ってのが作家なのは非常に希有なタイプなんですよね、だからこそ女性をちゃんととらえて描写が出来る。漱石みたいなあたまでっかちはもちろんモテないし、漱石は女ってのは心の底から理解しあうことが出来ないってのをずっと感じているという気がしますし、芥川にしたって、モテ路線ではない。

 他に一人もいないんじゃないですかね?わたしは太宰以外にこのタイプのクリエイターってのを知りませぬ・・・。


ちなみにモテる、というのは、一緒に死のう、といって、わかった。といってくれるような相手がどれだけいるかってことです。一人くらいならいるかも知れませんが、それが次から次に現れるなんてヒトいますか?

2017年10月26日木曜日

1608   アテネのタイモン  シェイクスピア

 シェイクスピアの晩年の物語は知名度が低くなっているわけですが、このアテネのタイモンもおそらく知る人はかなりまれな作品です。

 しかし、わたしはかなりこの劇はすぐれていると思いますね。これもまた晩年に特徴のシェイクスピアの単独による作品じゃないんじゃないか?という研究がされていますが、わたしはこの作品に関してはほぼ90% WSの筆によるものだと思われます。


 作品の内容は、タイモンという人のよすぎる貴族がいたのですが、気前よく贈り物をさらに良いもので返したり、誰にでも優しくすることで、すぐに破産状態になります。タイモンは大丈夫だ、ワタシにはこれまで親しく付き合ってきた友達という財産があるから。といって、ちょっと金を融通してくれとこれまで付き合いのあった友人に頼むと、その全員にことごとく拒否されてしまいます。タイモンはぶち切れて一人洞窟にこもってアテネの街全部に呪いの言葉を可能な限り浴びせかけて、最後には自殺します。


 なんの救いもない、なんの勧善懲悪もほとんどない。ただ単に、善良な人間はこの世界では生きていけない、特にお金に関してはこの世にはまっすぐな人間など一人もいない、いるとすれば、純粋な悪だけだ!と言う。人間嫌いのタイモン。となる・・・。



 このなんの救いも、普通の演劇のひどいことがあるけども最後には丸く収まるということのないという、型にはまらないスタイル、WSらしい作品で、すごいわたしは好きです。ペリクリーズが完全に型にはまった昔風の作品であったのに比べて、この作品はどんな作品にも似てない、斬新な作品です。
 批評家連ではかなり評価の割れてる作品で未完成なんじゃないか?とかアイデアノートなんじゃないか?ということも言われています。
 ワタシの予測ですけど、WSはなんか金銭トラブルみたいなことが実際あって、人間とカネということについて相当溜まっていたんでしょう、それを一気にぶちまけたという感じで、演劇としての構成、みたいなのを無視して、一気にずばっと書かれている感じがあります。


 ナボコフの非常に読むのが面倒な小説「Pale fire」 はこの劇からの引用らしいです、そういうところからもわかるように非常に玄人好みの作品なのかもしれません、ワタシは痛快だと思いますが、人によるとタイモンが全人類に対してひたすら暴言を吐くこの劇の目的がわからん、感動もなにもないじゃないか?と思うのかもしれませんね。



 このまったく善良な人物は、この世界で生きていくことが出来ないというテーマはドストエフスキーの「白痴」にも受け継がれていて、深く掘り下げると非常に、本質的、なテーマです。善いことをしようとすると自分の首をしめて死ぬしかない、それは現代でもまったく同じ、どうして? それがどうしようもなくいやになって、宗教の道に入るとか、自殺するというひとは今でも少ないながら存在すると思われます。正しいことをしようとするとこの世界に居場所が無い。 タイモンは世界には恩知らずの悪人ばっかりだといいますけれど、わたしは、本当は善いことをしたいっていう人は結構いると思います、ただ、そういう人間は、生きていけないから、出会うことがないってことなんだと思いますね。いることはいるんですが・・・ってとこですなぁ。

2017年10月24日火曜日

1607 ペリクリーズ   シェイクスピア ? 

シェイクスピアの晩年の作品のスタイルはロマンス劇と呼ばれるみたいですが、そうよんでるのはどうやら日本人だけのようです。

 物語の形式としては、主人公がたくさんの苦難に見舞われて漂流したりするのですが、最後にはハッピーエンドになるという、オデュッセイア的な放浪話、というか、物語形式。となっていて、これまでの演劇とはスタイルが異なっています。


 そういうこともあって、この作品は偽作がずっと議論されていて、確実にShがすべてを一人で書いたのではないが、かといってまったくかかわっていないともいえない。わたしもそう思います、随所に、Shらしくない、やり方というのか、スタイルがあるけれども、明らかにShしか書かないだろう、っていうスタイルで書かれている、Shらしい部分もあります、とくに売春宿の下りですね、こんなに上手に書けるのはShしかいません。SH監修、で劇団の若い作家に書かせたという感じだと思われます。


 プロットは大変複雑のようにみえてすごく単純で、まぁいろんなことが起こるのだけれど、丸くおさまる。というお話で、同時代人にはかなりヒットしたと同時に、こんな古臭い陳腐な劇が人気なのはおもしろくない、という意見もあったようです。

 たしかに、ものすごいふるいタイプの、童話とか神話みたいなプロット、を使っていて、これはすごくSHらしくない、たぶん別の人のアイデアで、それに味付けを加えたということでしょう。また、本当に誰も死んでいないハッピーエンドというのも全滅エンドばかりのShとしてはまったくらしさがない。これも別の人間のアイデア。


 というわけで名作とかそういうふうにレビューするのは難しい作品です、けど明らかにShの手が入っているところで、良いシーンなどもあり、なかなかどうして侮りがたい作品でもある・・・。

2017年10月22日日曜日

Frontier frs509/23a パソコンが爆発 (電源ユニットが爆発) 分解  画像付き

ワタシのメインのパソコンがとうとう爆死してしまいました。
 なんかいやな予感がしていたので、本当に必要不可欠なファイルだけはバックアップをとっていたので、これまでの数年の苦労の成果が0ってことは無かったですが、一週間分くらいの仕事データと、消えたとしてもまた手に入るファイルはたぶん死にました。HDDを取り出したので近々データをサルベージしようと思いますので乞うご期待。

 私はそれほどなパソコンフリークではないのでなかなか分解に手間取りました。ネットで情報を探しながら試行錯誤しました。


 まず分解するまえのBEFORE写真





パソコンの中ってややこしそうだな・・・と思わせるのは、ATXPOWERってやつのせいですよね、みるからにややこしそうなコードびっしりのやつ(メモリの横に刺さっているやつ)あれが初心者には、どうもこいつは嵐になりそうだぞ・・・っていう気分にさせるたぐいのものです。
 まず全面ガードを外します、これは必要ない。
するとドライブが丸出しに。Frontierの公式サイトでは電源の外し方が書いてなかったのでここで詰まってしまいました。えっ?・・・どうやって外すの?
 プラスドライバーがさせるようなところはなく、あのどう考えてあかないだろうっていう丸い穴の固定具みたいなのしか見当たらない。はて・・・・



    バゴーーーン!!!こういう方向に開くのだ!これはもうすべて取り外したあとの写真になってしまいましたが、まさかの観音開き。すべてのコードが電源から飛び出しているのかと思いきや、前面からのUSBケーブルがあってこれは取り外す必要なし、というか物理的に手が入らないので取り出せない。この写真の右側の真ん中から二つ出ている灰色のコード。右上はドライブ。
 わたしは最初右上がHDDだと思っていたらHDDはこの画像だと空になっているドライバの下の空間に刺さっていました。黒いネジを四本外すととれるようになりました。HSSがSAMSUNGだったことを初めて知る。それ以前に私はこのパソコンは1T容量があるんですが、パーティションでDドライブがあったので、二つHDDがあるんだと思ってましたが、仮想で分けられていただけだったんですね。そんなのあたりまえじゃん、って思われるかもしれませんがワタシはそれレベルの初心者だったのです。


で、取り外した電源ユニットを分解して魔女狩りです、どこが爆発したのか?ちなみに電気が焼き切れた時の臭いがぷ~んとしていてこいつが爆発したのはどうやら間違いない。バチバチいってましたし、それ以前に1月くらいまえからハーレーダビッドソンかよっていうヴォンヴォン唸り声をあげていました。
 当然ほこりがびっしりなんですけど、電源ユニットのファンを分解して掃除するなんて普通のユーザーには不可能ですよね?そんなことしてる人いる??まぁほこりが原因で爆発かな・・・って思いました。カラフルなコイルみたいなのが見えますが、どうやら臭いがしてるのはこいつだし、なんかぬるぬるしてる、白いボンドみたいなのは中国のメーカーが適当に塗りたくってるのではなくてこれは普通にあるものみたいです。


 さらにkwsk....



おやおや・・・?

 きゃーーーーっ!!w



真ん中の丸い円筒形のやつ(コンデンサ、あるいはキャパシタというのだ)がひしゃげてますがな。こいつが爆発した正体のようです。





 まぁこのパソコンはもう8年近く使っていて、電源ユニットって寿命は5年らしいので、仕方ないかなって感じですね。パソコン自体も8年もてばまぁ元は取れたかなぁという感じ。ヤマダ電機に早朝並んで限定何台っていうやつをかったんですな。たしか7万くらいだったと思われる。(23.6ワイドモニタ付きです)年でいくと一年8000円くらいと考えると、まぁまぁ・・・お疲れ様でした。って感じですかね。まだモニタは生きてるはずだし。
 そこまで不満は無かったのですが、カードリーダは3カ月くらいでぶっ壊れましたし、スリープモードも速攻でぶっ壊れて、何故か自動で電源が入ってしまうので常につけっぱなしにするほかなくなったのは残念。あとそれによってLEDがピカピカ鬱陶しい。それくらいだったので、frontierのパソコンには特に文句はありません。デザインはダサい。
 あとスモールPCなのでグラボを増設しようとした時にロープロしかつけられない、それ以前に電源ユニットが250Wしかなくて、拡張できないのが残念。それはまぁおまえが先に調べとけって話ですけどね。
 

 最近小さいパソコンばっかり売ってますがスリムタイプなのは後で拡張出来ないってことをみなさん覚えておいてください。かといってタワー型の拡張可能なやつは最初からグラボがバンドルされて売っているのがほとんど。自分で後から改造する必要はないようになっています。


タワー型で電源容量たっぷり、好きにカスタマイズしてね、っていう製品は私は探してみたけどどこにも売ってませんでした。BTOパソコンはカスタマイズをすることで儲けているみたいなので、カスタマイズをユーザまかせしたら利益率が下がるんでしょうね。それがやりたかったら0からケースを買い、マザボを買い、CPUを買い・・・って自作するほかないようです。けど自作すると結局バラでパーツを買うことにより値段的にグラボがバンドルされているのと同じかそれ以上の値段、さらに組み立てる労力を差し引くとマイナスになるんで結局バンドルされてるゲームパソコンを買うのが一番のようです。

 けどそういうケースからマザボを選んで・・っていうのがシュミレートされてちゃんと使えるパーツのみが選択肢にあがってきて仮想のマシンをくみ上げられるっていうサービスがあってもいいのにって思いますね、まぁ製品の発売数が膨大でアップデートがすぐに間に合わなくなるし、この会社の製品妙に上にあがってくるけど裏でつながってんじゃねぇのってことにすぐなるから無理なんでしょうな。
 



 ただ!自分で分解したり組み立てたりすると、経験、というかけがいのないものも手に入ります。前面にUSBをつけてるのがケーブルの配線をややこしくしてるんだな、便利だけど、コードがぐちゃぐちゃになるんだ。また実は思っているほどパソコンの配線はややこしくないってこともわかります、ケーブルの一個一個がまとめられていて本数が多いのでとんでもなく複雑そうに見えますけども、結局はマザーの刺すところは決まっていてそっから伸ばしてるだけなんだ。パーツ数でいくとガンプラとかとたいして変わらない。精密機械でパーツひとつずつがもろくて高いっていうのを除けば、難易度は大型のプラモくらいの単純さであるということがわかりました。
 
 ただ一日完全につぶれるけどな!!w

 

1925  檸檬 梶井基次郎

 檸檬という漢字はレモン感がまったく伝わってこない漢字ですよね。とくに、もん、のほう、なんだこの漢字は。もんごるのもん、ってこと?

 蜜柑という感じはなんとなくミカンだという感じがする。

 蜜柑というと芥川龍之介を思い出し、檸檬というと梶井基次郎というわけですね。林檎は・・・林檎の歌か、今では椎名林檎ですかね。椎名林檎というとメンヘラーの女神w メンヘラーというと、メルヒェンに造詣がありそうな響きだから、メンタルヘルス、じゃなくてメンタルディスオーダー、メンディサーとしたほうがよいと思いませんか?
 メンタルヘルスってヘルシーだから精神が安定してるみたいだし。



芥川に対して梶井のほうは知名度は低いですが玄人に言わせると基次郎のほうが、世界観を持っているというわけで素晴らしいという人が多いようです。あの三島由紀夫が褒めたということが大きいみたい。

 三島というと最後にファンキーな死にかたをしたことをどうしても思ってしまいますね。やっぱりクリエイターは死に様というのが大事で、どぶ川で入水した太宰、おなじように入水のウルフ、睡眠薬自殺の芥川、火山に身を投げた哲学者、無実の罪で毒ニンジンをあおったソクラテス。どうやって死んだか、というのが遡及的にその人間の作品の真実味というのか、そういうものを規定していく気がします。どんなにすごい作品を書いていても、死にかたが残無いと、なんか価値が下がる気がするし、たいしたことを書いてなくても、死にかたがセンセーショナルだと読んでみようという気がするし、付加価値がかかる。

 三島はどうかと思うけども。私は三島由紀夫が文章上手いとはあんまり思わないんですよなぁ・・・。


基次郎は肺結核で31で死にました。でもまだ檸檬のころは結核はそこまで進行してなかったみたいですが、体調はよくなかったみたいです。

 24歳くらいの作品で、ヴァガボンド的な生活をしている基次郎がその憂鬱を振り払うために京都の街を歩き回るというお話。まぁいわゆるニートですが、ニートってどんどん意味が変わっていって本来の意味とは全然違うことになってて使いにくい言葉になってしまいましたね。ニートって「教育を受けてもいないし、働く気がない」、無気力状態を示す言葉だったはずですが、今では「金持ってないやつ」、がニートってことになってませんか?フリーターも、売れない作家も、バンドマンもニートと呼ばれている気がする。何の仕事をしてなくても、金持ちであれば、趣味人ということになるんだろうし。

 本来の意味であれば、いくら金持ちの息子でも、何もしてなければニートだし、いくら売れてなくてもなんか目標があってがんばってる人はニートじゃないはずなんで、基次郎も作家として本を書いてるからニートじゃありません。

 クズ人間、という言葉をやわらかくしてクソニートとして呼んでいるという感じですわね。

 
 話が戻りますけど、肺結核で若くして死んだということが、基次郎の作品の半分以上だと私は思いますね。長生きしてたら、だれも注目してないと思う。文体は芥川よりも素晴らしいといわれているといいますけど、私は芥川派ですかね。芥川って、天才ちゃんです、普通に、単純に頭が良いんです。それと結核で自分の意思と関係なく死ぬよりも、自分の意思で自殺するほうが、ワタシ的にポイントが高い。ODで中毒死したジミヘンよりも、ショットガンを使ったカートのほうが高得点です。


 そうはいってもこれはすぐれた作品であることは間違いなくて、基次郎タッチというのは、上段からふりかぶってないし、共感力という点で芥川よりも優れています。芥川はやっぱり頭がよすぎるところがあって、どっか、これがわかるか凡人ども?っていう臭いが少ししていますし、自分の弱いところなどを見せないタイプですものね。いきなり漱石に認められるというエリートコースの芥川にたいして、基次郎はなかなか作品が認められずに、ようやく認知された頃に死ぬという、みんなが食いつきやすい経歴を持っています。

 天才の孤独と失敗者としての焦燥、どちらが共感できる人が多いかというに圧倒的に後者ですものね。天才の孤独を理解してあげられるやつなんて、基本的には数人しかいないわけですから。漱石はそこまで見抜いていたのかもしれません。

1740 美女と野獣

 作者はヴィルヌーヴ夫人という、おそらく貴族の女性。1740年という、イメージのわきにくい時代のお話。何故かわかりませんが、18Cってのは古代ローマとかよりもイメージがわきずらいですよね、どういう服を着てるとか、生活スタイルとか、まったく予想がつかない。フランス革命以降の世界なら、な~んとなくはイメージがわきますが・・・。ルネサンスから近代までの時代ってどういうつもりで人間が生きてたのかっていうのがあんまりわからない。ルネサンス時代のいわゆる暗黒時代、についてなぜかそういうフェチの神の国に興味があるひとがいて、エーコとかロシアの映画とかが扱いますけども(タルコフスキーにもひとつあります)ハッキリ言うとまったく意味がわからない。ここまでわからないものかね!?ってくらい共感できるものが何もない。ローマ帝国が崩壊してからルネサンスまで、暗黒時代長っ!!ってびっくりしますよね。

ぼんやりとディズニー、というかキングダムハーツでの美女と野獣しか知らなかったので原典を聞くとそんな話だったんだ、って思いました。(能登真美子おはなしNoteというラジオで聞きました)
 オリジナルにはしゃべるランプとかは登場しません、あれはディズニーのアイデアなんですけど、ディズニーは原作にあるネガティブな部分を排除してファンタジー色をつけたのですね。それは正解だと私は思う・・やるなディズニーって感じです。ベルのキャラデザのセンスはひどいと思うけども。ディズニーの女キャラって可愛くないですよね、小人とかチップとかはいいのに、人間の女に関してだけは非常にセンスがない。それはアメコミでもそうですけど。

 プロットはベルのおやじは裕福な商人だったのが落ちぶれたしまって、生き倒れそうになったのを野獣に助けてもらったのだけれど、ベルへのおみやげに持っていこうとした白薔薇を盗もうとしたので野獣は怒って娘を差し出せということになった・・・へーそんな話だったんだ・・・。なんで野獣が白薔薇を大事にしてたのかは本編ではまったく説明されていません。どうして魔女に呪われたのかといういきさつも。
 さらにベルには二人の姉がいて、典型的ないじわる姉さまたちでベルが野獣に食われて死ねばいいのに・・などと思っている。最後まで徹底的にヒールに徹していて、いいところが一つもない。白雪姫の姉さま連と同じタイプ。
 さすが女性作家という感じでこのいぢわる姉さまたちの描写だけが童話風の世界で妙にリアリティがあります。女性ってのは同性嫌悪っちゅーのか、女性の悪い部分ってのが自分たちでも見えてるんだなってのがわかります。
 けどこの物語も結局は野獣は王子様だとわかり、大金持ちでイケメンであることが判明してベルは幸せになるというサゲ。非常にこれこそ女性の悪い部分が出てますよねw 結局はイケで金持ちと結婚したい。それが勝利、であり幸せ。だからこそ同性はやっぱり最終的には競争相手になるわけで、仲が悪くなるのもさもありなんというわけでいじわる姉さまが美人の妹につらく当たるのも当然といえば当然の行動なわけです。
 ワタシ個人の見解ですけど男同士って打算的でない本当の友情ってのは、わりかしあると思います。イケメンの友達が美人とやりまくっていても、まぁさもありなん。やるねぇ!とは思うけど、死ねばいいのに、とかは思わない。そいつがいいやつなら全然友達でいられる。
 なんでそうかというところを掘り下げると男っていうのは、潜在的には、女はアホでどうしようもない生き物。っていう軽蔑がどっかには必ずあって、イケメンにやりまくられてたって、まぁそうだろねー。でも女なんて腐るほどいるし、どれも実は大して差が無い。と思うからなんだと思います。確かにおにぎりはツナマヨがおれも食いたいけれど、まぁ腹が膨れればなんでもいいや、おかかでいいか。おにぎりくらいのことでやいやい言うなよってことです。たかが女くらいのことで、ドハマリしてんじゃねぇよっていう感覚なわけです。
 あなたは真実の愛を知らないの!とか言われるとオーマイ、カルト教信者現る、進化論は信じないタイプのアレかぁ・・って思うのですよね。
しかし物語には、ロミオみたいに一人の女に執着して命まで捨てようという男がかなり現れる。性欲の虜となって我を忘れているのか、それともそれが本当の愛ってものなのね!ってことなのか、女性のオーディエンスに向けて嘘っぱちを並べているのか、これは・・・最後が正解だとワタシは思うのだがこれいかに。

 けれど視点を変えて、女性が結局はイケメンの大金持ちを望むのも、すべて子供をう幸せにしたい、子供が美しく、裕福に育ってほしい、優秀な子孫、DNAを残したいということなんだと考えれば、それはやっぱり、愛なのかもしれません、種の遺伝子がそうさせているんじゃ、と思うと、なんかDNAに操作されて生きていてかわいそうだなぁ、って必死で働くアンドロイドを見るような気分にもなりますね。プログラム通りに動いてるだけなんだ・・それから逃げられないのかってね。



 魔女は王子を醜い野獣に変えて
「だれか乙女に真心から愛されない限り元の姿には戻れない」
 という呪いをかける。
まさにこの魔女が一番女性ってのをわかってますよね、そんなやつは現れないことを知っていて無理難題をふっかけている。

けれどこの物語、野獣はなんか魔法みたいなものが使えるのはもちろん
「野獣は屋敷にすむ大金持ち」
っていうところがポイントですよね。野獣がもしさらに財産まで没収されていたら野獣は絶対に人間には戻れなかったでしょう。どれだけ醜くても金持ちなら50点は確保されているわけで、イケの富豪なら100点、だが、素寒貧のイケも50点。醜い貧乏人は0点です。よし、50点、とりにいこう。っていう女性は結構いくらでもいると思います。
 
 けど魔女もさるもの、キスとか結婚したら、というのではなくて
「真心から愛されるなら」
 という呪い解除の条件はそういう金目当ての女性も不適格になる、ただ!金持ちだということだけでも、本当に好きになる、ということもあるよなと思います。
 豊かさは真心に侵食していく。
 
 また逆にベル、がどうして美人じゃないといけないのかということもあります。心がきれいだけど不細工な女でもいいんじゃないの?ベルという、そのままの美女、という名前の女です。
 ここもやっぱり女性作家のやり方なのかもしれません。女性は美しい女性はライヴァルだから、DNAがそれを受け付けないので、ちきしょう。と思いつつ、一方で美しいことを賛美してやまない。憎いけれど大好きってわけで、不細工で優しい女の子を女性はなんて良い子なの!親友!っていいますけども、一方でこいつはワタシよりもブス、なんの危険もない。と見下している部分がある。でもそれはどっちも真実であると思います。軽蔑してるゆえに、DNAが許容するので、安心できて、本当に、親友にもなりうる。

1400 ?  浦島太郎

何がいいたいのかまったくわからない物語として有名な浦島太郎という物語があります。
 
 亀を助けたら竜宮へ連れてってくれて、竜宮から帰るとそこはタイムリープした未来、自分の時代と切り離された浦島が絶望して玉手箱を開けるとさらに老人にされるというオチ。

 つまりはいぢめられてるやつを助けると、なぜかろくなことにならない。ということを言ってるようにとれます。そう考えると、実は恐ろしく現実的な処世訓を与えてくれているのかもしれませんね、弱者をみんなと一緒になって迫害すると、なぜかうまくいく、弱いものから奪え、というリアリズムをたたきこんでいるのかも。
 しかしそんなガリガリの真実を子供に教えてどうするw それにそういった本当の意味で成功する方法ってのは他人に教えてはいけないものです。自分だけがずるく生きて利益をとらないといけないんだから。
「オレ以外の人間はみんなクズだ、全員利用してやる」
 と思うのは勝手ですけどそれを宣言するのは愚の骨頂だってことです、心の中に秘めておいて、うわべはにこにこして好意を振りまいて相手が油断した時に後ろから・・・。が原則ですから、いきなり敵を作るような真似をしてはいけない。


 この浦島太郎っていう話は元祖タイムリープものですよね、なんらかの状況によって自分の生まれた時代や世界から切り離される。女子高生が戦国時代にぃ!?っていうよくあるアレの原型だってわけです。何故か日本人はこれが大好きでして、戦国自衛隊、漂流教室、ほしのこえ、ロンリープラネットなど。だいたいは元のいた時代や世界に恋人などがいて、さみしいよぉ~(泣)、っていう恋人がいないDT連には、RJ爆、っていうもの。
 タイムリープ物ってものの正体はメロドラマだってことです。お涙ちょうだい型のお話。

ただ浦島はメロドラマではないんですね、乙姫は亀の化身だっていうパターンもありますが、乙姫がやってることはどう考えても浦島を色気でハニートラップに落としてタチの悪いいたずらをしかけているだけです。玉手箱を開けるな、といって渡すという、高度な悪徳商法としか思えません。マイナスしかない呪いアイテムですからね。忍者の投げるでラスボスに放り投げるくらいしか使い道がないぜw

 もうひとつのオチとして浦島はそのまま老人になったが仙術を習得して神になったというものがあります。けれど、これは中国的改作の臭いがしますし、中国的改作を日本人がしたという感じがします。だいたい、人間は、仙人にはなれない。というものが中国では普通のサゲです、杜氏春、寒山拾得にみるように仙人ってのは解脱していて、もはや人間というレベルのものを超えている、感情とかが無い、まさに霞のような存在で、仙術を駆使してハーレムの術!っていう幸せそうな存在ではないのです。
 死んで永遠の平和を手に入れました、仏門に入って心の平和を得ました。みたいなことで、それを普通はバッドエンドと呼んでいるのでは?ということと同じことです、仙人になるというのは。

 なんにせよ物語的に、カタルシスができていないというか行動と結果がちぐはぐでなんでやねんという構成になっているとはいえ
・亀がしゃべる
・海の底に桃源郷がある
 そして特に
・別の場所では、時間の流れ方が異なっている
 という相対性理論を先取りしたようなトリックがあって、まさにこのトリックを発明したというだけでもこの物語は存在し続ける理由、があるわけですね。誰もが当然のこと、として考えている、前提、を覆す、という手法はトリックとしてはかなり優秀なものです。時間の流れるスピードはどこでも一定である、という前提崩しなんですね。



 かぐや姫もそうです、結果的にはなんじゃらほい?竹から出てきた娘は育ててはいけないということ?じじぃは自分に都合がわるいことになると人間のエゴむき出しのクズに変貌するから気をつけろということ?って何がいいたいのかわかりませんが
「月、という別の星に異星人がいる」
 このSF的な発想、ただそれだけで千年の時を超えて生き残る理由となってるわけですわね。このようにワンアイデアだけで古典になってるってものはたぶん他にもいろいろあるんでしょうなぁ。一点豪華主義ってやつですね。


2017年10月16日月曜日

2015 Yakushimaru Experiment - Flying Tentacles

 やくしまるえつこ、相対性理論というバンドのボーカルなんですが、これはソロプロジェクトでして、やくしまるえくすぺりえんす、なる実験音楽のアルバムです。


 普通の音楽ファンみたいなヒトにはまったくオススメ出来ないアルバムで、ノイズ、ポエム、朗読、などで構成されております。スマホに入れて歩きながら聞こう~~♪みたいなタイプの音楽ではまったくありません。

 ただ実験音楽、っていうジャンルでいうとかなり聞きやすいほうになると思います。シュトックハウゼンとかのメチャな作品に触れてる人間には、ふむふむ・・なるほどね。っていう感じです。


 相対性理論、というバンドはすごく聞きやすいポップなバンドなので、そのヴォーカルがこんな前衛的なのに手を出すなんて、暇なんだな(生活に不自由してないくらいカネがあるんだなぁ)、ってのが素直なワタシの感想です。
 この手のコンセプトアルバムとしては相当良く出来てると思います。ソニック・ユースとかを聞けるヒトには是非オススメいたすものなり。



 こういう実験、が出来るのって、そしてそれが普通の流通ラインにのってワタシみたいな一般の人間の手にも届くってのはある程度の知名度とかメディア露出力が必要なわけです。非常に斬新でいい作品だったとしても、実験音楽を売ってる場所なんてどこにもないわけで、それを扱うメディアもない。有名なアーティスト、が片手間に発表する、っていうのしか入手手段がない。実験音楽をやりたいなら、まずポップアーティストとして売れなきゃいけない。
 ポップアーティストとして売れるにはまず見た目がかっこよかったり可愛かったり、そして何より若くないと音楽業界は相手にしてくれない。
 様々な障害があるので、実験音楽、はつまるところ、どうしようもない作品ばっかりです。オーディエンスもめちゃくちゃ少ないですし。


 よく「売れてしまったら後はもうどうでもいい」、一発当てればおけ、みたいなアーティストが大勢います。実際、ある程度大儲けしたら「続けること」の意味が無いわけで、なんの為に音楽やってるの??みたいなことを考えてしまうと、迷宮入り。バンド解散、ってことになります。
 
 「夢をみよう」とか「恋をしよう」、みたいな普通の若者の共感、を集めること以外に、何か伝えたいことがある?ってことなんですよね、若者の支持を集めてる、みたいな言い方されますけど、それはつまり若者が考えそうなことを「こういうことあるよね」って歌ってるだけで、いわばあるあるネタと同じこってす。

 曲がヒットしてブルジョアになったら、そのこんなことあるよね、というメッセージは嘘なわけで「金持ちってこんなに楽しいぜ」、「曲が当たって大金持ちになるとみんなの見る目が変わるぜ」、「彼女や彼氏のルックスのランクが上がっぜやっほい」っていうのが正直なメッセージになるわけですけど、そういうことを歌うヒトはほぼいないし、やっぱりそんなこと誰も聞きたくもないわけです。


 そこで何か、歌でなくても、本当に何か伝えたいこととかがあるの??ってことになりますが、たいていの若者にはそんなもの無いです。若者というかほとんどの人間には、誰かに伝えたいことなんて何もないです。


 やくえつさんは、そういうのが、ある、ほうの人間。しかも女性で、若い。実験音楽に女性ってだけでめちゃくちゃなレアケースなので、ほんとこのヒトはすごいと思いますね、才能人です。異能者です。素晴らしいですw 文才のある女性ってのはほんと限られていて、さらに音楽的才能もあるなんて他に例を見ないですよね。歌が上手いとかそういうのならいくらでもいますし、作曲的な才能があるヒトも稀にいます、けれど女性アーティストっていうで、リリックが深いなんてのはまぁいないです、というよりも、ワタシ的には初めての、未知との遭遇です。こんなタイプがいるのか!?っていう驚愕ですよね。


 ワタシ的にはビョークとかそのランクよりもさらにすごい才能人だなと思うのですけど、やっぱり日本語なんで、そうじゃなかったらもっと世界に激震が走るくらいの才能を持ってる逸材ですよ、これにくいつかないなんて海外メディアもアホばっかりやなという感じですw
 ワタシの今、というか何年も前からずっと一番注目のアーティストです。

2017年10月15日日曜日

2008 アイアンマン

アイアンマンの元ネタコミックは1963年に初めて作られたんですって、wiki情報。そんな古いシリーズだとはまったく知りませんでしたね、というかアイアンマン自体をワタシは全然知らなかったのですけど。

 この作品はマーヴェルユニヴァースシリーズというマーヴェルのお祭り企画映画の連作として企画されたもので、今では12本?近くの映画が作られておるとのことやんす。そしてスターウォーズやハリポタを抜いて、世界で最高の興行成績を上げている映画シリーズになっています。知ってましたか?


アメコミって読んでみようかな、と思うんですが、一体何をどうやって読んだらいいかわからなかったりしますね。
 それはアメコミって1人の作家が一つの作品を書くという作家主義のスタイルじゃなくて、一つのストーリーを会社規模で描くというスタイルで、全然日本のソレとは違うものなんですよね。
 スパイダーマンといっても、オリジナルから、別の作家によるリライト、スピンオフ、別バージョンというふうに、だから今でも続いているのです。

 さらにアメコミにはユニヴァースといって、DC、とかマーベル、という会社のキャラが総登場するお祭りマンガみたいなのまであります。この映画もまさにその流れ。ジャンプのキャラ総出演マンガ!みたいなことです。そんなの日本ではありえないですよね、どうやって書くねん、ってことになるから。けどアメリカは個人の作家、じゃなくて、会社として作ってるので、ウルトラマン総出演、みたいなことが可能なわけです。

 だからアメコミって描き方が全部同じなんだなってことでもあります、同じにしないと描く人によって全然変わってしまうし、要するにアニメと同じですね、キャラデザがはっきり決まっていて作画担当が変わってもデザインは同じ、みんなが描けるデザインにする。複雑すぎたり、クセとかがある作画は無いというわけです。


 よってスパイダーマンの作者は誰?といっても1人じゃなくて大勢の人間がいるわけです、さらに向こうは分業体制で、作画、ストーリー、色塗り、など分担されているのが普通です。


 日本では同人作家達、がやってることを会社が飲み込んでやってるという感じですよね、みんなでキャラ共有して世界観を拡げていこうぜ!っていう。(まぁエロはさすがに向こうも向こうの同人作家がやるわけですが)

 日本という国はマンガがすでに市場にあふれていて(といっても近年面白いマンガがちっともないんですけど面白いマンガは軒並み休載)アメコミが入ってくる余地が無いからわかりませんけど、アメコミという文化はものすごい巨大な文化で、前述したとおり、世界で一番売れてる映画シリーズは、マーヴェルユニヴァースシリーズ、なんです。これって意外と知られてないんじゃないでしょうか、まぁ本数が多いってのもありますけどね。

 それにX MENだのBAT MANだの、同じようなタイプの映画もめっちゃ多くてどれがマーベルでどれがDCなのかなんて知るかいってこともある。とにもかくにも21世紀はマンガ、コミック原作の映画がほとんど全てだってことです。



 マンガ、コミックなんてのは絵コンテみたいなものですから、絵コンテが面白ければ映画も面白くなるのは当たり前。映画の出来は絵コンテで決まりますから。

 この映画もスーパーヒーローものなんですけど割りとお話は大人向けでコドモが見ても意味がよくわかりませんね。主人公は天才技術者で、兵器開発会社のトップ、ミサイルなどを開発して売りまくっていたのですがテロリストグループに拉致されて、そこで自分がやってきた武器輸出のことを反省して、アイアンマンなるサイボーグスーツみたいなのを生み出してそれで戦うっちゅー話です。

 厳密には普通の人間がサイボーグスーツを着ているだけなので、それってスーパーヒーローなの?ってワタシは思うんですけど、ただのサイボーグじゃん。って。まぁそんなことはどうでもいいんでしょう小型の核融合炉みたいなのを搭載していて、そんなわけあるかいっていう動きをしますw

 どうでもいい話ですけど、西洋の鎧っていうのがナポレオン戦争の時代に無くなったのは、鉄板で防御しても、銃弾を弾くことは出来ないからです、防御っていうものがだんだん意味がなくなり、攻撃力、の時代になったのですね。当たったらどうせ死ぬから防具なんていらねぇってことです。あと飛行機があるので城壁なんて作っても意味ないし、空爆されるから塹壕を掘ったところで、ってわけです。核ミサイルが来たらどうせ何をしたところで無駄な足掻きですし。だからノーガードなんですね。どうしようもない。


 よってアイアンマンのまぁ武器とかはまぁいいとして、なんで銃弾を弾けるの??っていう説明は無いんだなーと思いましたw 嘘でも核リアクターを用いた電磁境界が鉛玉を防ぐのだー!!みたいなことをやればいいのに。
 

1939  新樹の言葉  太宰治

 太宰シリーズが続きます。


 太宰が甲府に行った時に、疎遠になっていた乳母の息子と偶然に再会するという短編。


 おそらく事実にかなり基づいている系の半ドキュメンタリー的な小説、全部作り話だったらあまりにもリアルすぎます。

 こういう自分の人生を切り売りする、っていうのが太宰治のスタイルなわけで、いわゆる「私小説」なるジャンルで呼ばれるものです。

 多少脚色してるんでしょうけどね、実体験に脚色して創作するっていうのが私小説ならすべての小説は私小説なんでしょうけど。その中でも、暴露というか露悪、みたいなのが私小説なんじゃないかしら。

 ロマン主義とか、物語イズム、みたいなのから写実主義、リアリズムというのが生まれて、さらにそれを突き詰めて実体験を述べるということになったわけですが、これは面白い体験をしなくちゃどうしようもないわけで、太宰治みたいに自分の人生がすでにひとつの作品になってる、破滅型じゃないと成立しないジャンルですよね。

 そして最近めったに見ないジャンルだと思います、まぁワタシは現代小説をちっとも読んでないんですけど、小説とかじゃなくて、普通のメディアにあんまり出てこないスタイルですよね、自伝的物語みたいなのも最近少ない気がする、ノンフィクションなら別の人間が誰かの人生に焦点を当てるっていうやり方をするわけで、オレの人生はこんなのだ、どうだ!オレはとんでもないクズ人間だろう!っていうのは見たことがあんまり無い気がします。みんなプライベートは隠して起きたい、無頼とか破天荒を、新進気鋭を気取る人間は反吐を吐くほどいますけど、自分の生活をさらけ出すってことはしないですよね、なんででしょうかね?こんな女を抱いてる、こんだけカネをもらっている、みたいな悪い自分をぶちまけるってこと。

 たぶんそれは芸人、が役割としてやってるのかもしれませんが、今では芸人も自分の生活を見せないようにしてる、破滅型のタレントっていうのはエガちゃんくらいしか生き残ってないですものね。

 自分で誰もしないからスキャンダル週刊誌がそれを強制的にやらせているんですね。

 

2017年10月14日土曜日

1939 秋風記 太宰治

 これからしばらく太宰シリーズが続くことになりますw

 漱石、芥川、太宰、国語の教科書にも乗るような作家ですけど、実際この三人が日本文学の代表だよね、間違いなく。頭抜けているもの・・・って思いますよね、しみじみと思います。別に他の作家が悪いことないけど、このラインに比べると問題にならないくらい、レベルが違いすぎる、なんだよ、こいつら、才能が違うじゃんっていう。
 
 漱石は間違いなく現代文の歴代で一番文章が上手いし、現代文を生み出した開祖でもあります、自分が生み出したんだから自分が一番に決まってる。
 芥川の構成術、みたいなのはほんと一流の職人です、非の打ち所がない。作文として900満点みたいな感じ。簡潔で洗練されています。

開祖、その一番の弟子、そして最後に来るのが、問題児、であり破壊者の太宰というわけです。小説のルールみたいなんを全部ぶっ壊している。


 よくよく読んでみると、この秋風記なんて、金持ちの家の子息である作家がモテすぎて困るということを言ってるだけなんですが、すべて太宰のセンスと才能で作品に仕上がってるというわけです。さらりと、ものすごい名言や、そんなばかな!っていう真実をさらさらと書く。時々、良い言い回しを思いついたな、って自分で思っていると、太宰の小説でなんでもないフレーズとして使われていたりする。そのくらい、名言乱射というのか、ちょっとした会話の節々に、ものすごい名文を書いたりします。ほんと才能人ですよなぁ・・。

 神は貧しいからといってその人間を愛さない、その中にサタンがいるからである。強く富裕なものの中にいる、善人、これを神は愛するのである。

 こういう具合。愕然とする真実を解き放つ。

 この秋風記、何回か読んだと思うんですけど、やっぱりすごいですね、まぁ1939年という時代に書かれてるという時点で、なんかかなわないなぁという気がするわけですが。

1979 quadrophenia さらば青春の光

 原題のQuadrophenia は四重人格という意味で、the WHOのロックオペラ的なコンセプトアルバムからとられています、この映画の内容はそれ自体とはあんまし関係ないですけど、BGMはほとんどWHOから使われています。

 どういうわけで「さらば青春の光」というタイトルになったのかは謎、意訳にもなってない完全オリジナルですね。確かにそのまま和約した「四重人格」というタイトルも、クアドロフェニアというカタカナタイトルもまったく流行りそうにないタイトルですけど。(お笑い芸人がたぶんそっからタイトルをとっていてググりずらくなっていますね)
 「モッズキッズ」とかそういうタイトルにすりゃ良かったんじゃねぇかとワタシは思います。


 この映画もWild Oneと同様で、映画のプロットみたいなものはほとんど無い感じで、モッズ、というスタイルを前面に押し出した映画です。

モッズってのは妙なファッションムーブメントで反体制でヤンキー的な立ち位置なんですが、服はスリーピースとトラッドなファッションをするという謎なセンスです。反体制ならもっと反体制的な服を着そうなものですが、一番トラディショナルなスタイルをする。
 ロッカーはワイルドワンに出てきたような、革パンとレザーという、まさにカウンターカルチャーみたいな服装なので、モッズは見た目はすごい真面目そうに見えるのでとっても妙ですよね。モッズはスーツの上にMー51みたいなミリタリーアウターを着てるのは、スーツが汚れるのを防ぐためで、彼らはスーツに非常にこだわるのですね。スクーターに乗るのも、エンジンむき出しのバイクだとスーツが汚れるからです。スーツはオーダーメイドで作ってるし、モッズはロッカーがワーキングクラスなのに対して、少しミドルクラスの家庭の不良だってことなんでしょうね。 

 モッズは60年台のムーブメントなんでこの映画は昔はこういうふうなのだったよ、という記録映画みたいな調子です。

  モッズのその後、はスキンヘッズみたいな極右、ネオナチっぽい軍団に変化していったらしく、かなりやばい奴らなんですが(彼らはファッションにユニオンジャックを取り入れていて、屈折した愛国心はあるんでしょうね、たぶん)
 モッズファッション、は彼らの思想とか行動にはまったく関係無く、きれいめのオシャレとして受け継がれていくことになります。もはやメインストリームといってもいいですね、トラッドにミリタリーテイストを入れるっていうのは。当時は、この映画にもあるように、スーツにミリタリージャケットなんて「普通じゃない」、という受け取られ方だったのですが、今では普通中の普通。MA-1を一枚は持っておこう♪みたいなことをいわれておるくらいですし。
 あとモッズのスタイルとしてスリムフィットってところも大きいです、ロッカーとかマッチョと違って、ジャンキーの彼らは細身のスーツ細身のパンツというわけで、これも今風、ですね。


 映画のストーリーはモッズキッズが、さんざん暴れ倒して、セックス、ドラッグ、パーティーというループを繰り返したあげく彼女をNTRされて、仕事をキレてクビになり、最後には・・・

 っていうめっちゃベタベタな展開というか、ドラッグ破滅型の映画の王道を言っているプロットであります。

 よくアメリカ、イギリスだけにかかわらず、台湾でも韓国でもどこでも、クラブやダンスホールで音楽を聞きながら踊っている、っていうシーンがありますけども、ワタシ個人は一体何が楽しいねん、って思うんですよねw だいたいこの映画の80%くらいは音楽を聞きながらグダグダしてるんですけど、あぁいうパーティーピープルとはワタシは相容れませんなぁ・・、家でゲームしてたほうが楽しいものね。それじゃ映画にならんのじゃけどw インドア派なんだなぁこれが。


 でもファッションは不良が作っていくってのは間違い無いと思いますね、不良というか、反体制とかマイノリティ。だって体制側の人間は、みんな同じ格好をしてるわけで、そっから新しいものなんて生まれっこないですわね、新しいことをうまないってことが、体制側の人間として優秀である所以であるともいえるし。もちろんただの糞野郎みたいな不良から、極○的なガチ勢までいろんな不良がいますけども、ストリートに彩りを添えるには必要悪なのかもしれませんな。

2017年10月13日金曜日

1953 the wild one 乱暴者

初めて暴走族を扱った映画だということです。
 
 注目すべきはそのファッションでして、暴走族のファッションって1950年台前半にすでに完璧に確率されてたんだなってのが確認出来ます。

 マーロン・ブランドの来ているライダースジャケットのデザインがすごい完成されていて、ライダースってもう半世紀以上ずっと同じデザインなんだなってわかります。

 もちろんスーツはすでに100年以上ずっと同じデザインなんですけど。ファッションってのは移り変わっていくようで、あんまり新しいスタンダード、みたいなものはなかなか生まれないものなんですね。


 最近ファッション雑誌でノームコア、っていう単語を目にして、一体何それ?って思って調べてみると

 Normal+Core=NormCore    超普通。みたいなことなんですね。

 代表的なノームコアのファッションというと、スティーブ・ジョブズみたいなことで、セーター、デニム、スニーカー。シンプルスタイルで、しかもずっと同じような服を着るというスタイル。
 でもジョブズのスタイルってのは、いわゆるビートニクスタイルでもあるんですよね。メガネ、セーター、デニム、サンダル、これがビートニクスタイル。
 ビートニクも1950年台の流行というか、スタイルですんで、ノームコアってのはビートニクの再来とも言えますよね。


 ファストファッションが市場を席巻して、スタンダードな服ってのが安くて簡単に手に入るようになり、みんなシンプル極まりない、服装をするようになってきた。

 一昔前はダサい服、ダサいファッションのやつってのがもっとたくさんいたんですけど、ダサくなくなって来てます。特に都会ではすさまじくダサい人間ってのをあまり見かけなくなった。全身ユニクロ、みたいに、普通、なかっこをみんなしてる。

 もちろんちょっとでも文化レベルの低いところにいくと、ボロボロの服だったり、ヘインズのシャツ一枚で乳首丸出しで出歩いているヒトもいますけれども、表通りではユニクロ一色という感じ。


 それはでも裏を返すと恐ろしくみんな個性が無くなってきていて、個性、ってのいうのに対する規制が実は強くなってきているのを感じます。
 よくSFとかの未来都市だと、みんな同じカッコをしてますよね、何か機能的に優れてるっぽいスーツ、それに近づきつつありますよね。ダサい、とか浮くのを避けるためにみんな同じに近づいてる。
 ワタシはスーツってのがキライで、なーんでこいつらは制服にしろ、みんな一緒ってのにこだわるんだ気持ちわりぃってずっと思ってるんですが、だんだんそれがカジュアルにまで広がって来てる。恐ろしいですね。


 デザインをする時にありモノを使うってのは一番安易で簡単なんですよね、高校生だから制服にするか・・、社会人だからスーツにしとくか。みたいに、それって楽してるだけでめっちゃ面白くもなんともないですよね。


 この映画、内容自体はめちゃめちゃというか、は?っていう感じなんですけど、スタイル、ってのを完璧に打ち出した作品ですね。たぶん暴走族スタイル、っていうのを知らないヒトには、なんだこのスタイルは!?っていう衝撃だったと思います、この手の新しいスタイルをガーン!と打ち出すっていう映画ってのが稀に出てきますよね。

 マーロン・ブランドが主役なんですけど、もちもちしてるっちゅーか、ぽっちゃり男子です。どうなんでしょう、アメリカってのは男はガリガリよりもマッチョ、ややぽちゃくらいが受けるんですかね?

 実はマーロン・ブランドはTシャツ、というのを流行らせた人間でもあるようです、下着であるTシャツ一枚で、ウロウロする、っていうのはそれ以前にはナシだったのですが、ブランド―がそれをアリにした、らしい。

 ブランド―は演技の方向性を変えたともよく言われたます、戦前のわかりやすく、明るい、あるいはとにかくかっこいい!っていうのではなくて、何を言ってるかわからない感じでしゃべり、何を考えてるのかわかんない感じで行動する。つまりは、わかりにくい、スタイルなんですね。謎っぽい。確かにジェームス・ディーンがかなりブランドに影響されてるのがわかります。

 
 カネにこだわり、エロオヤジでしかもデブ、乱暴者ですぐ怒る、わがまま。という最低なハリウッド・スターの代名詞でもあり、それでも、存在するだけでオーラを出す、そういう懐かしスターですね。今、一番毛嫌いされる、個性的、な俳優でした。

2017年10月10日火曜日

2003 elephant エレファント

 なかなかこの映画が好きっていうヒトが多い映画です。オシャレ映画・・・、というにはちょっとハードすぎる内容なんですけど。

 どういう映画かというに、ゾンビじゃなくて生身の人間を撃つ感じの映画です。それも戦争映画風のバキバキドカンじゃなくて、普通の日常の中に突然ヴァイオレンスをぶち込んだ感じの映画なり。

 監督はガス・ヴァン・サント、この人も、なんか映画好き、気取りみたいなヒトにすごい人気がある監督ですよね。


 この映画はカンヌでパルムドールを取ってますし、映画通とか詳しいヒトは見てる映画なんでしょう。まさにカンヌが好きそうな映画だなー。っていう感じですね。

コロンバイン高校銃乱射事件をモチーフにしてるといいますけど、たぶん実話ではないんだと思います、モチーフにしてるだけで。事実の再現だったら、キャラクターとか遺族がだまっちゃいねーですものね。


 ざっくり言うといじめられっ子が実はサイコパス男で銃を通販で大量に買い込み、最後に無感動に撃ちまくるという感じです。

 映画のパッケージを見ると金髪の少年と女の子がいて、なんかこの2人の青春映画的な感じなのかなーと思いきや、この金髪はほとんど映画の主たるプロットには関係ないというパケ写詐欺です。ワタシは逆でなんかこのパッケージからして面白くなさそうだなー、と思って敬遠してたんですが、実際はパケよりも良かったと思います。

 ただ、面白いのベクトルが観て、あー楽しかった、なんて言える映画じゃ全然無いんで1人で見るべき映画ですね。


 ワタシがちょっといいな、と思ったのは、サイコパスと違う、女の子のいぢめられっこもいるんですね、ちょっと頭が弱いし不細工なキャラ。このキャラが何か重要な役を演じるのかと思いきや、一番最初に殺されてしまうのです。おっと!
 いぢめられっこ同士だからオマエは助けてやる、みたいなことになるのかなという予想を裏切って瞬殺。でもそれが暴力の、不条理っていうか、暴力たる所以を見せている感じがして、良かったですね。ここはカンヌ審査委員長もうなったであろうw



 銃乱射事件がつい最近も起こってますよね、銃だけじゃなくて爆弾も、ライブとかヒトが集まるところを狙ってドカン。

 
 けどこの映画でもそうなんですけど、車を売れば確実に交通事故は起こるし、銃を売れば誰かが撃つ、核ミサイルを搭載すれば、いつかは発射するでしょう、そんなの確率の問題で「誰が撃ったか」、なんてほんとはどうでもいいんじゃないかな?とワタシは思ったりもします。

 人間にはココロがあるように思えて、全体としてはただの簡単な確率で動く、自殺するヒト、成功するヒト、大金持ちになるひと、挫折するひと、それもたまたまその確率、に左右されたってだけなんじゃないの?と思っちゃいます。だいたい映画っていうのはそれにはこういう社会的背景、政治的背景、個人的な事情があってね、というのを説明することによって成り立っているんですけど、どっかでワタシは、そりゃ何億人もヒトがいれば、そういうヤツもいるし、いなきゃおかしいだろって思います。
 ミサイルを撃ったからトルーマンを憎む、なんてことはしませんね。そりゃ誰かがいつか撃つでしょう、それはこれからも。


 だから銃を規制しようとか、車を全て自動にしようとか、ミサイルを廃絶しようとか言いますけども、それも無駄じゃない?って気がしますよね。

 銃がなかったら花火とケロシンで爆弾を作ったり、洗剤で毒ガスを作るだけでしょう、車が自動運転になったら、じゃあ個人が車を持たないで道路に電車を走らせればいいじゃんってことになり、自動車会社が潰れて、その失業者が、銃がなかったら・・の人間、の後ろの列に入るってだけだし、ミサイルが禁止されたらバイオ兵器、ナノ兵器、サイボーグ部隊、新しい兵器に変わるだけですもの。


 そうはいっても銃、GUNってやつはあまりにもお手軽すぎると思うのも事実、それとは逆に、日本は銃が売ってないから、通勤ラッシュ時に電車が遅れがちなのも事実。自殺を試みる文学者が妙な死に方をするのも銃が撃ってないからに尽きるわけですよね。あるいはシンガーやらバンドのフロントマンの原因不明の死。違うよ、手短にレボルバーがないから変な死に方をするだけだろうに。


 さてこれ以上はワタシはすごい言いたいことがあるんですけど一般的には絶対に支持されないことなんでここれにておしまいw

2017年10月7日土曜日

2013 Gravity ゼロ・グラビティ

今更ですね、たぶん見たヒトは相当いるんだと思います。2013年のヒット映画ですよね。なんかまったく映画をみない時期でしたね2010~2016年って。なんでじゃろ?


 ハリウッド流のたっぷりオカネかけたんだからこれ見なね。っていうのがまぁ2年に一本ペースくらいでありますわね。とにかく最新技術を全部ぶち込んでやればえぇやん、今の技術で出来る最高のテストとして作りましょうみたいなの。まさにそんな感じ。

 

 この映画ストーリーはほとんどありません。宇宙ステーションにスペースデブリがぶっ飛んできて、なんとか脱出するというワンシチュエーションもの。プロットは無に等しく、登場人物もほぼ2人しかいません。

一応主人公の女性は天才科学者であるけども、事故で娘を失くしたことをひきづっているのですけど、いやいや、そんなネガティブなヤツNASAは採用しないって・・・。ジョージ・クルーニーの役みたいに、ネガティブな感情をほとんど持ってない明るいサイボーグみたいなヤツしか選ばないでしょうよ。一応主人公は天才っていう設定なのにたいして知識が無いのも、おや?って感じ。


 映画の90%はISSの中ってこういう感じになってるんだ、宇宙から地球を見るとこう見えるんだ・・、へぇー、スイッチ類はこうなってるんだ、宇宙服ってこう脱ぐんだ、着るのが簡単だなぁ、腕時計なんであの手にグローブつけてるのに押せるの?こうやって気圧をあわせるんだ・・。

 っていう宇宙あるあるみたいなのを説明してくれます。ISSからの通信みたいなのはたまにありますけども、こういう風になってるってのを全然今まで説明してくれる映像とかそういうのは無かったですよね、だから今までに見たこと無い景色、を見せてくれるっていう映画なので、なるほどなー。っていう興味本位だけで見れます、映画自体が全然面白くなくても、新しい景色、それだけでおk。宇宙に興味があるヒトには是非オススメですね。

 まぁ科学的に言うとそんなわけあるかーい!!っていうツッコミどころ満載なんでしょうけど、まぁ日本人には思いつけないタイプの映画ですよね、情報が無い。人間ってのは自分で経験したことしか書けないものです、経験が無いものについては語れない。見たことが無いものはどんなに絵が上手い人間でも描けない。象を知らない人間象をいくら頑張ってもかけない。そういうわけです。
 だから最近の物語は学園モノ、主人公は高校生、ゲームのセカイに・・、みたいなものしか無いんです。だってそれ以外に経験がないんですもの、他の物語なんか作れっこない。戦争モノとかでも、重さ、が無いです、リアリティがないってのもそうだし、重さ、が存在しない。ライフルはこのくらいの重さだ、みたいな感覚、を持っていないので。そして空間、も無かったりします。感情描写ばっかりで、空間が全然無い・・・


 ワタシがこの映画で一番良いと思ったのは本編が80分くらいしか無いところですね。サクっと見れる。これが一番良い。短い故に中だるみしない。
 あまり良くなかったのは、カメラワークを斬新なものにしようってするあまり、ぐるぐカメラを回しすぎていてなんか気持ち悪くなる、初の宇宙酔いをする映画ですねw もっとステディなカメラワークのほうがなんか伝わる思うんですけどね。

2017年10月3日火曜日

1996 2005 Rent レント

 I'm New Yorker
 Fear is my life


 レントとはミュージカルとして始まったものでこれはその映画版。レントとはつまり家賃、家賃を払えない人々を扱ったミュージカルなんですね。

 ちなみに Rent Boy っていうのは、娼男、つまりはホモのおっさんに変われる男の子の売春をするヒトのこと。家賃を払うためにカラダを売るコドモってわけ。このRent ってのはそういうわる~いイメージのする単語なわけです。


 都市の貧困、みたいなのをテーマにしたものは腐るほどあって、それもその一つ。ジャンキー、ドラッグ、HIV、貧困、犯罪、ギャング、カウンセリング、NGO的な集まり、宗教、LGBT、風俗産業、ストリップ、売春、エトセトラ。

 2017年の現在ですと、それに高齢化、少子化、負債、難民、内戦、戦争、極右、差別、ミサイル、破産、生活保護、保護主義、差別と、個人的問題というよりももっとえげつないテーマになってしまいますね、4000年ずっと続いてる問題を未だに継続中というか。
 ただもうそういうのは考えるのも嫌だ、というわけでアイドルと美少女ですべてのものにフタをして、悪いことは考えない、というスタンスに変わっています。


 
確かにジャンキーやら陽性、性的マイノリティーを雇ってくれるとこなんて無いわけでしてこのへんは無限ループのように連鎖するわけですな。
 映画は2005年ですが、オリジナルは1996年、やはりというかなんというか、ワタシは勝手に思ってるのですけど1996年、はターニングポイントなんです、それ以前と以後ではセカイのあり方ってのが変わった。
 ともかく世紀末ブームの頃の作品なんですね、この頃こういうのがめちゃくちゃ流行っていました。若者の死、っていうジャンル。刹那主義の時代だったんですよね。

 このミュージカル、が流行ったのには別な理由があって、この劇の作家であるジョナサン・ラーソンという人物はこのミュージカルの通り貧しいミュージカル作家で、しかもこのミュージカルの公演が行われる直前に発作を起こして死んだのです。それが伝説となって、貧しい作家の遺作、というものすごいメロドラマちっくなエピソードが生まれ、それが絶好のプロモーション素材となり、爆発的ヒットへとつながっていったというわけです。


 ミュージカルそれ自体が日本には無い文化なので、奇妙な感じがしますよね、それはまぁ外国のヒトに歌舞伎とかが意味不明なのと同じです、なんなのこのちんたらしたリズム??っていう感じ。あれは日本人でも理解不能ってほうが多いですけど。
 でも歌ったり踊ったりすると、その物理的な作用で気分が明るくなるってものがありますよね。ナチュラルハイ。コトバで人生はいいものですよ、みたいなことを言うよりもよっぽどフィジカルで伝わる。
 ある重度の鬱病患者で自殺志願者だった人間が、枕を変えたらまったく別人のように明るい人間になったという例もあります、ココロとか気分とか高尚なものに見えて、向精神薬とか物理的、な方法で違う考えになるってこともある。



 映画に話しを戻すと、貧乏で家賃も払えないはずなのに服は小奇麗だったり、顔とかもさっぱりしてる・・・。家もめちゃくちゃ広い、日本の貧乏人の家の20倍くらいの部屋に住んでますし家財道具も揃いまくってる、いや全然貧乏じゃないじゃんって感じで、悲壮感をわざとなくそうとしたのか、なんかオシャレ映画みたいにされていて、ん~~・・・っていう感じ。正直映画の出来はイマイチ。ただやっぱり、伝説、が後押ししてRENTという作品全体になんか色をつけてるっていう感じですね。

 作者が長生きするとだいたいろくなことにならないから。落ちぶれるならまだいいんですけど、成功して金持ちになってしまうともう最悪です。ワタシはクリエイターってのは落ちぶれて死ぬのがいいと思います。オスカー・ワイルドみたいに。そのほうがまだかっこいいでしょう。まぁ絶頂期に自殺が一番かっこいいんですけどね。


 一番最初に書いたのは映画の中のセリフでして、HIVになって怖いか?と聞かれてこう答えます。

 ボクはニューヨーカーなんだ、恐怖ってのが生きるってことだよ。


 これはすごい気の利いたセリフですね。確かに、怖いことばっかりですよね、やれクレジット、やれ犯罪、失業するかもしれない、年をとったら雇ってくれないかもしれない、捨てられるかもしれない、サイコ野郎に襲われるかもしれない、自然災害がくるかもしれない、放射能に汚染されてるかも・・・エトセトラ。

 生きてくってことは怖いってこと。これはなんか真実がこもっていましたね。

2017年10月2日月曜日

Conor McGregor vs Floyd Mayweather

http://fullmmavideos.com/conor-mcgregor-vs-floyd-mayweather-full-fight/



  今!?と思うでしょうが見忘れてましたw

 メイウェザー対、UFC(MMA 総合格闘技)の元チャンプ、といってもまだ29才ほど。による、ボクシングルールでの対決。

 パッキャオ戦以上のスポーツ史上に残る巨額のマネーゲームだったようですが、結果的には、コナーは3Rくらいで完全にスタミナ切れ、あのメイウェザーがKOしに行くという珍しい展開の試合になりました。ほぼ中盤以降はただのサンドバッグ。リスクなんて絶対侵さないメイウェザーにKOされるなんて、UFCの格がちょっと下がりましたね。なんだやっぱMMAってたいしたことないんだな・・って感じがしました。
 
 やっぱ総合選手はスタミナが無いんですね、結構短期決着ですもんね総合は、ボクシングはその疲労度といったら並じゃないらしく、一度自分がやったら、二度と、なんでこいつパンチ出さねーんだよ!とは思わないらしいです、そんくらいしんどいらしい。

 
 まぁボクシングルールなんだからそりゃ勝てるわけねーだろって話なのかもしれませんが、メイウェザーはもう40才なんですよ?40才のボクシングチャンピオンなんて、おっさんにしてもおっさんすぎる、今度こそメイウェザーやばいんじゃないの?って思ってたヒトも結構いたと思います。

 しかいそういういつか負けるんじゃないかという期待を裏切り続けるのが稀代の金の亡者、マニーウェザー、やっぱりまだまだ最強伝説を続けるんですな。ちょっと八百長臭いなぁとも思いましたけども・・・。


 マニーウェザーがプロモーションしてやってるんですけど、総合対ボクシングという夢のカード、マンガみたいなことをやりますね、一体どれだけ稼げば気が済むんでしょうw でもマニーウェザーのヒール感、真面目にやってない感、ものすごいワタシは好きなんですよね、キャラが立ってるなぁ・・・。スポーツ選手も真面目にスポーツするのももちろん大事ですけど、やっぱキャラが大事ですよな・・・。

2017年10月1日日曜日

1608  The Tragedy of Coriolanus   コリオレイナス シェイクスピア

 シェイクスピアの最後の悲劇作品として知られています。これ以降の作品はロマンス劇、という風にカテゴライズされております。まぁそれは学者が勝手に決めたことなんですけど。



 舞台は紀元前500年頃のローマ、コリオレイナスという伝説上の武将が主人公です。紀元前500年なんていうのは、まだまだ伝説とフィクションと歴史、神話ってのが曖昧な時代ですので実際にコリオレイナスっていう人がいたかは謎ですね。カエサルとかアウグストゥスとかは確実に実在したといえるのですけども。
 
 コリオレイナスなんて知ってる日本人は1%もいないんじゃないですかね。この演劇も知名度はぐっと下がる。


 しかしこの演劇、実は名作だとワタシは思います。大衆的に人気が無い理由は一目瞭然でして、この演劇は実は、観客、オーディエンスをディスってるような演劇だからですね。市民、大衆、の愚劣さ、自分勝手さ、政治の矛盾。そういったものがテーマになっているからですね、劇を見ている、市民、達がいい気分になるはずはない。


 そしてShにしては珍しく性欲、っていうのがほとんど介在しない作品です、たいがいは下ネタとエロネタはどうあってもねじ込んでくるShにしては非常に珍しい、一番初期のヘンリー6世の頃に戻ったような感じもあって、真面目で政治的な作品です。


 プロットはコリオレイナスという勇猛果敢であるけれども、ウソを言うことが出来ない、他人に媚びたり追従を言うことの出来ない武将がいて、彼が戦争で武功を立て、執政官へと推薦されるのですが、コリオレイナスは市民にコンスルに任命してくれと頭を下げることが出来ず、市民達を護民官が煽動してコリオレイナスを追放してしまいます。

 コリオレイナスはローマに恨みを抱いて敵軍に寝返って復讐を果たしにくるのですが、ローマの使いがどれほど和睦を志願しようとそれを受け入れなかった、ただ母親が説得に来て、憎しみを忘れて和約を結びます。
 しかしそれが裏切りとされて、コリオレイナスは暗殺されて終わるというお話。


 SHらしい、普通のキレイゴト、を裏切る結末ですね。母親の願いを受け入れて、戦争を思いとどまったら普通ハッピーエンド、親子のキズナは強い、っていう終わり方をするはずですが、この演劇ではなんと、裏切り者として暗殺される。
 でも確かに裏切りといえば裏切りで間違いないし、それにコリオレイナスは何度も裏切りを重ねているわけで、暗殺されて当然とも言える。


 コリオレイナスは高潔すぎてこの世には生きていけない、といいますが実際コリオレイナスはほんとに正直すぎる人間で、ヴォルサイ人が反乱を起こしました、という伝令が入ると

「よし穀潰しども(穀物法、いわゆる生活保護みたいなもんです、を受けてる市民達のこと)、を使い捨てにして減らすチャンスだな」

といいます。確かにその通りなんですけども、それを口に出して言っちゃうやつにはやっぱり政治家はムリなのかも・・・。

 じゃあ政治家はウソをつくための職なのか??という根本的矛盾をえぐり出します。実際ウソをつかなきゃ政治家になんかなれっこない。

 失業者を減らすためには戦争で捨て駒として使って殺せばいい、高齢者が財政負担になってるなら、彼らを戦争に動員すれば結局は戦費のほうが安くつく、障害者などは生まれた瞬間にティゲトス山に捨てにいくべし。

 こういうことは思っていても言ってはいけない。ことでして、この手のコトバを吐く人物は正直者であるには違いないけれど・・・それが信頼を勝ち得ることにはならないわけですね。

 政治家は嘘つきだといいますが、じゃあ真実ばかりしゃべっていたら人気が出るかというとまったくの真逆。今ならもぉ速攻でメディアに吊し上げをくらって袋叩きにされてしまいます。


 でもなんでこんなことに?というとやはり大衆が無知であるということになり、コリオレイナスが大衆を愚衆扱いするのはやはり間違ってはいないわけで、ぐるぐるとこの演劇は誰が正しい?ということを意図的に回避しつつ、最後にはコリオレイナスが死ぬ。


 またコリオレイナスの母親、ヴォラムニアは国家の為に死ぬことが名誉であり、自分の子が祖国の為に戦うなら悲しむことなど何も無いという、今ではめったに見かけなくなった国粋主義者の母親タイプ、軍国主義者の求める母親像みたいな性格でして、さらに本音では息子が最高権力を握るのを目論む野心家でもあり、このヒトが良い人間なのか悪い人間なのかというのもまったく意見が割れるところです。1945年以前の日本だったら90%以上がヴォラムニアは素晴らしい人物とこたえたでしょうし、今なら、コドモを愛さない野望にとりつかれたごうつくババァとも言われかねない。


 しかしヴォラムニアタイプの人間ってのはほんといなくなりましたよね。祖国が最優先だ、なんていうヒト。徴兵カードを持ってきて、おめでとうございます!っていうヒト。この演劇、実はキーはこのヴォラムニアなんだと思います。


1607 アントニーとクレオパトラ  シェイクスピア

 ジュリアス・シーザーの続編とも言える作品。

 Shらしく選んだ主人公はらマーク・アントニーとクレオパトラという敗軍の将です。

 Shによるキャラ付けはアントニーは武勇には優れているが女には弱いという脳筋タイプ。悪い人間では決して無いが、人間味が強すぎるというキャラ

 クレオパトラ、これが複雑なキャラ付けがされてる気がします、ただのエロい男を堕落させる悪女ではなくて、高貴でもあり、おそらく美人でもあり、感情に走ることもあるけれど、女の悪い部分を持てるだけ持ってるような人間であるけども、ただこの劇では、クレオパトラのアントニーに対する愛情は、ただの政略的なものではなく真実が含まれているという風に描かれています。


 変わってオクタヴィアヌス・シーザーは、冷徹に政治を執行出来る、権謀術数にも長けた権力者としては完璧に近い人物、自分の感情に溺れることもない、20代前半の設定でありながら完成された人物として描かれています。



  重要な脇役としてイノバーバスという武将も登場します、堕落していくアントニーの部下で、主を見限ってはいるのだけれども、アントニーをほんとは愛してもいるという人物。


 ここまで書いてもわかるようにこの劇、というかこの時期以降のシェイクスピアは、こいつは完全に悪、こいつは善、こいつは純真無垢、こいつは非道な裏切り者。っていうはっきりとわかりやすい人物を描くことはなくなり、どちらともとれる、答えはそっちが決めて下さいっていうふうなやり方に変わっていきます。
 レベルの低い客層や、大衆受けを狙う場合、はっきりくっきりわかりやすいほうがいいに決まっている。ヒトラーの屈指の名言だとワタシは思いますが

 「一番理解力がない人間にもわかるようにしゃべり、うんざりするくらいそれを繰り返すこと」

 これが大衆の人気を集める手段なんですが、シェイクスピアはそういうのにうんざりしてきたのでしょう、どっちつかずの、どちらともとれる、物語にシフトしていきます。



 マーク・アントニーがクレオパトラという悪女につかまり、性欲に溺れて崩壊する悲劇。ではないんですこの演劇は。
 むしろクレオパトラは悪いことをしようとして悪いことをしてるというよりも、アントニーを愛するけれども、根性が無かったり、運が無かったりして、善意による行動なんだけれども結果的には災厄しかもたらしていないという役回りだと思います。

 アントニーはクレオパトラを愛し、彼女が裏切ることを常に恐れたり激怒したり改悛したりと、ある意味人間らしくふるまう人物。氷のようなオクタヴィアヌスよりも、好感が持てる部分もかなりある。

 アントニーを裏切ったイノバーバスも最後にはアントニーを裏切らなければ良かった、と後悔して死んでいくことになる。


 このように非常に多義性に富んだ演劇。


 話しは変わりますけどもクレオパトラのキャラクター、完全なShの創作ではないにせよ、エロくて官能的でありつつ、高慢で高飛車、褐色で美人。というものすごいキャラが立ってる人物ですよね、女キャラとしてこういうふうに際立った特徴を持っているかなり先駆者的な人物ですよね。
 今でもエジプト女のイラストというとこのクレオパトラのイメージだと思います、蠱惑的でミステリアス、露出が多くスケスケの服を着ていて、ツンデレ。そういうテイストで描かれます。

 実際のエジプトのドキュメンタリーなどを見るとそんなやつはまったくいないw まぁイスラム化してまったく古代エジプトとは違う国になってしまっているのでね。そして美女というイメージも正直無い。



 散々問題を起こしてきたクレオパトラですけれども、最後には毒蛇で自殺してオクタヴィアヌスは女にしては高潔な死に方をした勇気のある人物だった。といいます。


  ここがワタシ的には一番のポイントだと思うのですけれどオクタヴィアヌスが

「クレオパトラは痛み無く死ぬ方法を研究していたらしいからな」


 といいます。プルタルコスの著書にもクレオパトラは死刑囚に毒薬の実験体になってもらっていたという記述があるらしいのです。



 そこがクレオパトラっていうキャラクターの肝なんだと思いますね。普通の女のキャラクターはそんなことをしない。女ってのはその日暮らしで生きてますし、自分が死ぬ時のこととか、死ぬ方法とかを考えたりすることはない。基本的に自殺はしないんです女性ってやつは。


 クレオパトラはそれとは違って、自殺する方法を研究するほど、先のことを見越して考える、という女性らしくない部分があるんです、そして自分が自殺するような運命に追い込まれることを見越しているような部分がある、破滅を待っているような態度。


 長く続いた王朝の王女であるのです・・・

 という側近が言うように、彼女は歴史ある王朝の王女であって、ただの淫売とは全然違う。すごく難しいキャラですよね。シェイクスピアの中でも最も「女性らしい」キャラなのかもしれません。